第二十六節 捜査四日目 ④3つの事件
「ほんとにウィルモット子爵夫人が、ハロッズ事件の犯人なんですか?」
ヤードから屋敷に戻り、お嬢様にしては珍しく、書斎ではなく自室の方で一息つきたいと言ったので、お嬢様の部屋のソファでお茶を飲む。
「死人に口なし、だ。」
お嬢様は、一度ティーカップに口をつけて続けた。
「夫人が生きていれば、逮捕には不十分な状況だ。息子のようにかわいがった教え子のために、参加予定だったケンウッド前公爵を害そうと犯行に及んだ、とも言えるし、犯行には彼女が持っていたパリグリーンの顔料が使われた、とも言える。その場合、ビーフシチューに入れたのは、色味をごまかすためだったのかもしれない。動機と方法と機会が、それなりにそろっている。」
「な…」
「だが、全て推測だ。状況証拠にすらならない。」
なるほど、と言おうとしたんだけど…
「じゃあ、彼女はストリキニーネの方の犯人に、なんか口封じ的な感じで?」
「どうだろうな…。ストリキニーネの混入経路は未だ不明。この事件についてはほとんど何もわかってない。」
うーん。確かに。
「それがわかれば、ハロッズ事件は解決するんですかね?」
お嬢様は、少し首を傾けて「さぁな。」とだけ言った。
「でも、分かってることは色々あるんですよね?」
「ないな。」
俺はお嬢様をじとーっと見た。
「絶対、嘘ですよね?」
俺はさらにじとーっとお嬢様を見る。
「いいですか、お嬢様。俺は凡人なんです。」
お嬢様にずずいっと近づき続ける。
「お嬢様みたいに、あっち行ったりこっち行ったり、いろんなことをいっぺんに考えられないんです。」
さらに、ずずいっと近づく。
「ちゃあーんと一つずつ説明されないと、理解できないんです!」
お嬢様をのけ反りそうになりながら、かわいい顔が台無しの顔をして
「そうか。」
と応えた。
俺が距離を取ると、コホンとわざとらしい咳ばらいをして、
「で?何が知りたいんだ?」と聞いてきた。
「じゃあ、誘拐事件の解説をお願いしまぁす。」
「犯人はエリオット・フィンチ、アッシュフォード伯爵一家毒殺事件で父親の冤罪を晴らすために犯行に及ぶ。ケンウッド公爵家とは、最初の手紙以外にやり取りをしていたはずだ。でなければ、公爵が我々の元に来れた説明がつかないからな。」
「えーーー。じゃあ、公爵家はそれを警察にも警備兵団にも黙ってたってことですか?何で?」
「オスカー・ケンウッドの出生について隠すためだろう。」
「あの、マクシミリアン・ケンウッド前公爵の息子だろうってやつですか?」
そんなに隠すことなんかな?
俺の問いにお嬢様は
「そうだ。」
と短く応えた。
全然理解できない。
「じゃあ、誰がエリオット・フィンチを殺害したんです?」
「ケンウッド公爵家だろうな。具体的な個人は特定できないが。」
「えーーーーー!」
「うるさい。」
思わず大きな声を出してしまった。だって…
「ケンウッド公爵家、真っ黒ってことですか?」
「そうだな。」
ほぇーーー。筆頭公爵家って、怖い。
「じゃ、じゃあアッシュフォード伯爵一家毒殺事件は?」
「そちらも、ケンウッド公爵家の人間が真犯人だろうが、こちらは憶測の域を出ないが。」
「なんで、ケンウッド公爵家?アッシュフォード伯爵夫人は自分のところのご令嬢なのに?」
「そこがわからん。オスカーの出生と関連があるのは、間違いないと思うがな。」
へーー。あっ。
「もしかして、オスカー・ケンウッド公爵子息ってアッシュフォード伯爵家の子どもだったんじゃないですかね?なんかベビーベッドも置いてあったし。子ども部屋に歯固めみたいな人形もあったし。」
年齢考えると、ぴったりじゃない?
「絶対そうですよ!」
お嬢様は、かわいそうなものを見る目で俺を見た。
なんで? 名推理でしょ?
「それらなら、オスカーを姉の子として養子に向かえればいいだけだろう。あれだけ頑なに秘密にする理由がない。」
「アッシュフォード伯爵夫人が、不倫してた…とか?」
お嬢様は少し嫌そうな顔をして
「父親がマクシミリアン・ケンウッドであることは、ほとんど間違いない。」
と言った。
そう言えば、そんなこと説明されたな…。
オスカー・ケンウッド公爵子息が前公爵の息子なら、その娘の息子ってことはないかぁ。
「でも、誘拐犯は死んじゃったし、アッシュフォード伯爵家の真相が公開されることはないんですかね?」
「ないだろうな。」
うーん。エリオット・フィンチが飾っていた写真を思い出す。
彼の父親は、権力者の上流階級の身代わりみたいな形で逮捕されたってことなのかな。
そうすると、なんだかやるせない。
二人の笑顔。写真だけで人間性なんてわからないけど、人の好さそうな笑顔だった。
「じゃあ、最後。ハロッズ事件について、解説お願いしまぁす。」
気を取り直して、お嬢様に質問すると、
「その事件は、まだわかっていないことが多いといっただろう。」
と言って、お嬢様はやれやれといった感じで肩をすくめた。
いや、信用できないんですよ。
なーんか、いろいろ教えてくれないから。
じとーっとお嬢様を見ていると、お嬢様はコホンと咳ばらいをして話し始めた。
「ウィルモット子爵夫人は、犯人ではないだろう。ということは言える。」
「えーーーーーーーー!」
思わず大声を出してしまった。
いやいや、だってね?
「さっき、推測がどうとかいってじゃないですか!警察も夫人が犯人って…」
「だから、そうとも言える、という話をしただけだ。」
えーーー。
「ややこしいこと言わないでくださいよぉ。」
「聞かれたことに答えただけだ。」
「いや、最初に今の言ってくれればよかったんですよ…」
はぁーー。喉渇く。
一度お茶を飲んで落ち着く。
ふーーー。
「で、どういうことです?」
「この事件を難解にしているのは、第一に犯行が可能だったものが多いこと、第二に犯行方法、つまり毒の混入経路がわからないこと、第三に犯行の動機が見えないことにある。つまり、捜査に必要な情報がことごとく散漫していて、犯行方法も犯人像も絞り込めないんだ。」
被疑者が絞り込めないっていうのは、警部も言ってたな。
「そういう時ってどうするんです?」
「地道に絞り込むしかない。科学捜査があと40年進めば、飛躍的にわかることは多くなる。だが、現時点では、確信をもって論じることのできる情報を入手することは困難だ。だから、地道に関係者に話を聞き、事実確認をするよりない。」
ふーん。
「でも、夫人は犯人じゃないっていうのは、言えるんですよね?」
「まぁな。今回の事件、ストリキニーネにせよヒ素にせよ、複数の被害者がでている。が、どちらも不特定多数を狙った犯行には見えない。」
「なんでです?」
「地味すぎる。」
地味すぎる……お嬢様にしては、なんか客観性に欠けてない?
「こんな大事件なのにですか?」
「不特定多数の人間を対象に犯行に及ぶ者は、大抵は強い動機を持っている。
自己主張という動機だ。社会的主張だろうとそうでなかろうと、自分の思想や存在を示すために、犯行に及ぶものだ。そして、そういう犯人は、捜査がもたつくと何らかの主張を始める。自分の主張を大勢に知ってもらうためにな。
最初、新聞社へのリークの話を聞いた時、犯人からのものだろうと思ったが…以降、犯人からの追加の主張はない。」
あーーー。難しい話に突入したぁ。
全然客観性に欠けてなかったーー。
お嬢様はさらに小難しい説明を続ける。
「彼女が多数をターゲットに、この事件を起こすとは考えられない。
反ジェントリ、つまり成り上がりを嫌ってはいるが、自分の主張を示すなら、同じ上流階級が集まる場を選ぶ理由がない。狙うなら、新進気鋭のジェントリだけが集まる場だろう。
ということは、彼女を犯人と仮定した場合、動機になり得るのは特定の人物――かわいい元教え子が恨んでいる、マクシミリアン・ケンウッド前公爵だ。
だが彼女は、前公爵夫人の友人で、前公爵が会場にいないことを確認できる立場だった。
ターゲットがいない以上、犯行に及ぶ理由がない。」
要するに…
「動機がないってことですか?」
「そうだ。」
『動機がない』を語るだけで、この説明量…
すごいな。
そう言えば…
「現場で見つけた紙切れ、あれ、何だったんですかね?」
「何の話だ?」
あれ?お嬢様に話してなかったっけ?
「紙切れを見つけたんですよ。なんかつるつるしてる。」
「持って帰って来たか?」
「ありますけど…渡してなかったですっけ?」
はい。渡してなかったそうです。
でも、お嬢様が誘拐されたりするからいけないんだ…。
忘れちゃうだろ。
お嬢様は紙切れをいじってなんだか確認している。
「ただのゴミですかね?」
「ゴミだろうが、高級紙だな。加工がされている。」
あー、つるつるだし?
「どこで見つけたんだ?」
「机の下とか、その辺ですよ。」
「そうか。」
そう言えば?
「警部が被害者の一人、従業員だった人も似たようなゴミを持ってたって…」
俺の言葉に、お嬢様は鋭い視線を向けた。
その瞳はランプの光を映して、緑色に瞬いていた。




