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第九節 ―――――――――――


足元には、美しく磨かれていただろう石造りの床が広がり、幾何学模様のタイルが幾重にも敷き詰められている。かつては高貴な人物が歩いたはずのその床も、今では埃にまみれ、ところどころにひび割れが見える。

天井には重厚なシャンデリアが吊り下げられているが、灯りはなく、装飾の金の輝きは闇に沈んでいた。壁には肖像画が並び、今にも語りかけてきそうな視線を投げかけている。

 


――見覚えはないな。

と、すれば自分が生まれるより前に没落した家の屋敷だろうか。

没落貴族など珍しくもない。

が、彼らが所有していた屋敷は、たいていの場合新しい持ち主がすぐに見つかるものなのだが…。ここまで放置されているのはどういうことだろうか。


少女は暗い部屋の冷たい床に座って考える。


窓際には重厚なベルベットのカーテンが垂れ下がっており、外の様子を伺うことはかなわない。

手は自由だが、足には重い枷をつけられている。

ここまで少女を連れて来た男たちは、この枷をつけると、ニヤニヤと笑いながら小汚い言葉を吐いて去って行った。


今、ここには少女ともう一人…


少女は自分の横をちらりと覗き見た。

ともに連れてこられた少年はいまだに横たわっている。


少女は深いため息をついた。


――夕餉の時間をとうに過ぎているだろうな。そろそろ限界だ。


その時、ギィー―っと嫌な音をたてて扉が開いた。


少女はサッと音のした方を振り返った。

燭台に灯る光を頼りに入ってきた人物を確認する。見覚えのない男だが、道中一緒だった下品な輩とは別の階級の人間だろう。

シャツにベストを合わせ、タイをしている。

髪や瞳の色ははっきりしないが、若いようだ。


――20代後半と言ったところか…。まぁ、当てにならんな。西洋人の見た目は年齢が読みづらくてかなわん。


「お腹がすいたでしょう? 夕食を準備しました。大したものではなくて申し訳ないですが…。」


そう言って男は少女の前まで来ると、床にマットを敷いてその上にパンとりんごを置いた。


その様子を少女は黙って見ていた。


「どうぞ。」


少女の前に座って、男はパンを食べ始めた。


「毒なんか入ってませんよ。」


「では、ありがたくいただこう。ちょうど空腹でどうにかなりそうだったんだ。」


男は少女の皮肉交じりの返答に軽く微笑みを浮かべた。その笑みにはどこか余裕が感じられ、彼女が自分に対して疑念や警戒を抱いていることを面白がっているかのようだった。


「あなたが無事である限り、私も楽でいられるのでね。食べるものぐらいはきちんと確保しますよ。」


少女はパンを一口かじり、男の目をじっと見つめた。淡々とした仕草だが、その目にはどこか鋭い光が宿っている。男はその視線を受け、少しの間、沈黙が続いた。


「ねらいはケンウッド公爵家か?」


シャリっと音を鳴らして、小さな口でりんごを丸かじりした少女をなんとなく見ていた男は驚いたようだった。


「何のことです?」


「そこに転がっているのはケンウッド公爵家の子息だろう? 私はたまたま彼が連れ去られる場にでくわし、一緒につれて来られたわけだが。身代金目的なら棚から牡丹餅だったな。ケンウッド公爵家とブラックモア侯爵家から金がとれるんだ。」


少女はそう言って右の口角だけを器用にあげて笑った。


男は少女の表情に悪寒を覚えずにいられなかった。


「お金なんて…。そんなもの…。」


男はひるみながらもつぶやいた。


少女はそのつぶやきをしっかり拾った。


「金のためでないなら、目的はなんだ? ケンウッド公爵家など、狙ったところでたかが知れているだろう。なんせ伝統を重んじる堅物な保守派だ。脅すようなネタもない。だからこそ、誘拐なんて真似をしたんじゃないのか?」


りんごを齧りながらいぶかし気な視線を寄こした少女に男は面食らった。

この状況で、取り乱すこともなく、冷静に自分が置かれている状況を把握している少女は、自分がこんな犯罪に加担していることよりも非現実的で、まるで今この瞬間が幻のような錯覚を男に感じさせた。


しばらく沈黙が続いたあと、男は口を開いた。


「ケンウッド公爵家は清廉潔白な家なんかじゃないですよ…。私はそれを世間に知らせてやりたいだけです。」


少女はじっと男を見ていた。

男は視線を視線に落とすと、急に立ち上がって


「いずれにせよ、あなたに危害を加えるつもりはありませんからご安心を。」


そう言うと、男は横たわっている少年の近くに食べ物を置いた。


ふたたびギィーという音がした。


――ふむ。


「…っう…」


隣の少年がゆっくりと瞳を開けた。


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