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第三節 古典的毒殺講座


狙われたイベントを考えると、めちゃくちゃ大変な事件だな。

警部が苛立つのも仕方ない。


けど、お客さん用のディナーなんて、普通、従業員は食べないよね。


「被害者の従業員って、つまみ食いでもしたんですかね?」


お嬢様は俺の質問を無視して、ちらっと視線だけを向けた。

警部には、無視された。解せぬ。


「死亡した被害者の所見は?」

「ほらよ。」


お嬢様の問いに、警部はカバンから書類の束を取り出して、お嬢様に手渡した。

お嬢様の後ろから俺も書類の束を覗き込む。


「もしかして写真ですか?」


紙に貼り付いた白黒の用紙に独特の光沢がある。写っているのは、顔がしわくちゃになった女性――たぶん犠牲者だろう。

笑っているようにも、泣いているようにも見える、不思議な表情をしていた。


「普段は予算がどうこうとうるさい上の連中も、こんな大事件じゃ文句の一つもなく写真撮影を許可したぜ。」

警部がぼそりとこぼす。

写真って、一枚とるのも結構な額するもんなー。


「ストリキニーネか。」

書類を確認していたお嬢様の言葉に、警部は驚いたように応えた。

「よくわかったな。そこまで書いてないだろ?」


ストリキニーネって…


「害獣駆除用の薬のやつですよね?」

俺が尋ねると、警部が「そうだ」と頷く。


「検死官の見立てでも、死因はストリキニーネ中毒だろうって話だ。断言はしなかったけどな。」


ふーん。


「お嬢様は、何でわかったんです?」

「被害者の表情だ。ストリキニーネ中毒死の場合、神経系への影響によって、顔面に痙攣が起きる。痙笑とも言われる、笑っているような皺が刻まれることが多い。」

「何で検視官は断定しないんですかね?」

「死後、体内からストリキニーネを検出する方法としてマーシュ法が発表されてはいるが…証拠能力はないからな。断定することは不可能なんだろう。」


はぁ。この人何でこんなこと知ってんだろ。


「毒物はどこから検知されたんだ?」お嬢様が尋ねる。

「それが妙でな。食事をすべて調べたが、ビーフシチューからヒ素が検出されただけだった。」


ん?


「ストリキニーネじゃないんですか?」

「あぁ。」

「なるほどな。重軽傷者の症状を鑑みるに、ヒ素が使用されたのも間違いはなさそうだな。被害者たちは嘔吐、下痢、激しい腹痛を訴えているが、ストリキニーネ中毒では消化器系への影響は軽度だ。まれに、嘔吐を伴う場合があるが、それは神経系の痙攣によるものだからな。」


と、言うことは?


「じゃあ、死亡した被害者だけストリキニーネをどこからか摂取したってことですか?」

「そうだ。だから、ややこしいことになってんだよ。」

警部はガシガシと頭をかいた。


「しかし、ビーフシチューからヒ素とはな。」

「何でですか?」

「ヒ素は『毒殺のキング』とも言われている。ほぼ無味無臭なので、混入先を選ばない。一方、ストリキニーネは苦みが強く、口に含んだ際に気づかれる可能性が高い。こちらは、できるだけ味の濃いものへの混入が推奨される。」


いや、推奨はしないで欲しいけど。


「じゃあ、ストリキニーネは味の濃いものに交じってたってことですか…」


コーヒーとか?

ありえそうだな。


「どうして、毒を2種類も準備したんだと思う?」


警部の問いに、お嬢様は再びお茶を一口含み、優雅な仕草でカップを置いた後、静かに答えた。


「毒殺の場合、犯行が計画的であることがほとんどだ。衝動的な犯行とは異なり、毒殺には時間と準備が必要となる。」


お嬢様は一度言葉を切ると続けた。


「そのため、毒殺犯にはいくつかの特徴がある。一般的に、犯人は被害者と何らかの関係があることが多い。明確に、害することを意図して実行される犯罪だからだ。愛憎や嫉妬、あるいは利益の衝突、人間関係の歪なら何でも、動機になる。」


確かに、たまたま毒持ってましたーなんてこと、普通ないもんなー。


「毒物は力のない者が好んで使用する傾向にあるとも言われている。ドロシー・L・セイヤーズの『毒を食らわば』でもその傾向が描かれているが、直接的な暴力を使わずにターゲットを静かに殺害することができることから、『毒殺は女の仕業』と言われることも多い。」


お嬢様は考え込むように指を顎に当てた。


「二つの毒を用意した意図はわからんが、それを探るのは重要になるだろうな。もしくは、」


もしくは…?


「ストリキニーネとヒ素は別々の犯人によって混入されたか…。」


お嬢様の言葉に警部はぎょっとした顔をした。


「おいおい。まだ被疑者を一人も特定できてないんだぞ。事件前に厨房へのアクセスが可能で、毒物をシチューに入れられた人物を捜査の対象にしてはいるが、目撃情報もほとんどないしよ。従業員も身元がしっかりしてるやつばっかりで、被疑者になりそうなやつはいねぇし。」


「可能性の話だ。」


お嬢様は軽く受け答えたけど、深く考え込んだ様子だった。


警部ははぁーっと大きくため息をつくと、手を合わせて

「わりぃが、お嬢。今回も協力してくれねぇか? 頼む。このとーり。」

と言った。


警部は手をすりすりして、まるで拝んでいるようだ。

必死だなぁ。


お嬢様は、推理だのに詳しいくせに、あんまり捜査には乗り気じゃないんだよね。


「意見を述べてやっただろう。頑張るんだな。」

「頼む。お嬢のお気に入りの例の店のアフタヌーンティー奢るから。」


たぶん、お嬢様が行きたいってずっと言ってる人気店のことかな?

スコーンが絶品だって噂で、価格もバカ高い他の店と比べればお手ごろだからか、毎日すごい行列の店だ。


「俺が、並んで、席も取る!」


そう言った警部はすごい眼力だ。


お嬢様は、渋い顔でため息をついてから言った。


「二か所付き合え。最近できた店のチョコレートも飲みに行きたいからな。」


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