第三節 事件(2)
思わず叫び声をあげて後ろを振り返る。
すると、ランプの明かりにぼんやりと、人の顔が浮かんでいるのが見えた。
「ひぇ!」
「驚かせてしまい申し訳ございません。」
その人は丁寧に一度頭を下げてそう言った。
モノクルをかけたその顔には皺が刻まれている。勇気を出して足元を確認する。勇気を出して足元を確認する。足はある。人間だ。大丈夫。
はぁーびっくりした。
俺は姿勢を正して、その男性に挨拶した。
「ブラックモア侯爵家でシェヘラザードお嬢様の従者をしておりますエドモンド・アンリです。」
「ご丁寧にありがとうございます。執事を任されております、クレイトンと申します。」
確かに、冷静によく見るとその男性は質のよさそうなタキシードを着ていた。
「それで、ブラックモア侯爵家にお仕えの方が、どうしてこちらに?」
「あっ、失礼いたしました。実は、こちらに隣接する庭を主人と散策させていただきましたところ、悲鳴が聞こえまして…。人命に関わるかもしれませんので、確認するように主人に言われたのです。」
…ちょっと嘘だけど。
「勝手に入って申し訳ございません。」
俺がもう一度深く頭を下げると、クレイトン執事は、「いえいえ」と言って
「悲鳴の件ですが、少々立て込んでおりまして。今、私が人を呼び、見に行くところです。こちらはお気になさらず、どうぞお戻りください。」
と言った。
「そういうわけにはいきません。うちのお嬢様は少々、その、あれでして。申し訳ないのですが、私たちも悲鳴を聞いた当事者ですので、きちんとお嬢様に説明できませんと、私も立場がないと申しますか…」
クレイトン執事は少し考えた後、
「かしこまりました。」
と言って、棟の左奥に他の人が集まっているので、そこに合流するように教えてくれた。
俺の必死さが伝わったんだろう。
彼はそのまま、廊下の右を進んだかと思うと…
ひぇ! 消えた…
彼の持っていた燭台の明かりが、吸い込まれるように消えたのだ。
恐る恐る彼が消えた方を確認すると、何だ! 階段を下りただけの様だった。
ほっとして言われた方に進む。
念のため、途中の部屋のドアも確認しておく。全ての部屋のドアに南京錠がついていた。
廊下の奥に人が集まっている。その人たちに自己紹介をして、経緯を説明する。
すると、皆さん丁寧に自己紹介してくれた。
そこにいたのは、フィリップ・ウェストウッド殿とカロライン・スタッフォード夫人だった。
ウェストウッド殿は、王都で商会を開いているらしく、今日は王妃様との商談に来たんだとか。
なんで、こんなところでと思ったら、王妃様の部屋の一つがこの棟にあるんだって。その部屋からウェストウッド殿も悲鳴を聞いたらしい。悲鳴は右隣の部屋の方から聞こえたそうで、廊下に出てみたらみんな集まってきたって話だ。
そして、スタッフォード夫人は王宮の侍女頭をしている方らしい。彼女はこの棟にいなかったから、悲鳴は聞いていないらしいけど、クレイトンさんに呼ばれて、一緒に状況を確認しに来たとか。
「あの、みなさんどうしてここで待ってるんですか?」
「実は…。私が悲鳴を聞いたのはこの部屋の方なんですが…」
そう言ったウェストウッド殿は歯切れが悪い。
彼の言葉に続けるように、スタッフォード夫人が言った。
「この部屋の鍵は、長らく紛失しておりまして…。鍵を開けられないのです。」
二人が視線を向けた部屋の方を見る。ドア自体は、他のものと同じように黒壇で作られていて、鉄製のバンドで補強されている。ドアには二つの南京錠がしっかりついていた。
「鍵が二つ、ついてますね。」
「えぇ。それぞれ異なる鍵が必要なんですが、そのうちの一つが行方知れずで…」
そう言ったスタッフォード夫人はすごく不安そうに見える。
しばらくすると、クレイトンさんが、深い赤色の兵士の制服にマントを着用した男性と、白いシャツに黒い革のエプロンをつけた男性と一緒に戻ってきた。マントをつけているのは、王宮警備を担当する兵団の団長だろう。
「国王陛下から部屋を開ける許可が出た。」団長がそういうと、その場に緊張が走った感じがした。
クレイトンさんが「お願い致します。」と、エプロンをした男性に頭を下げると、彼は腰にさげていた小さなランタンを点灯し、南京錠を確認し始めた。
彼はエプロンのポケットから何か取り出して、作業を始めた。
カチャカチャという音だけが、しばらくの間響いていた。
やがて「カチッ」という音がした。
おー! 外れた!
彼は南京錠の一つをドアから取り外し、ポケットから鍵を取り出すと、もう一つの南京錠も開けた。
「終わりました。」
そう言って、彼は外れた南京錠二つをこちらに見せ、鍵をクレイトンさんに返した。
錠前師なのかな?
錠前師は鍵のプロだ。鍵の作成から修理、開かなくなった鍵の対応をする。
団長は皆に下がるように言うと、慎重にドアを押し開けた。
ドアが開くとそこには―――――
何もない空っぽの空間が広がっていた。
空っぽの空間の真ん中に、一人の女性が倒れている。
薄暗い部屋の中で、鮮明な赤色だけが、妙にはっきりしていた。
よく見ると、ぼんやりと誰かが彼女を見下ろしているようだった。




