第二十六節―――――――――――――――――
突然、訪ねてきた小さな客と対面した男は、内心、困惑していた。
その少女の表情が読めないからだ。
彼女は人形のような無表情で、出されたお茶を口にした。
「あの、本日はどういった……」
ゴトリと、鈍い音が聞こえた。
少女が、男の作業机に何かを置いたようだった。
ブロンズが輝くそれには、剣や盾の見事な装飾が施されていた。
「この鍵の開錠をお願いしたい。」
――なぜ、これを……
内心の困惑を悟られぬように、男は努めて理性的に答えた。
「かしこまりました。少々お待ちください。」
ピッキングツールをエプロンから取り出し、作業を始める。
「不思議なもので、この南京錠はボルトロック式であるのに、鍵なしに施錠できてしまってな……なぜだと思う?」
少女の質問の意図が汲めない男は、当たり障りなく答えた。
「さぁ? 誤作動なんかはありますしね。」
「誤作動を認めるのか? これほどのものを自分で作成しておきながら?」
男は手元から顔を上げて少女の顔を見た。
少女は笑っていた。
「自信作ではないかと思ったが……違ったか? 私はこれの開錠にずいぶん長い時間がかかった。作った者の才能を賞賛せずにはいられないんだがな。」
少女の言葉に、どう反応するべきか男にはわからなかった。
何より『開錠に時間がかかった』という言葉――。
「開錠……できたのですか?」
――こんな少女が?
「そうだ」
男は少女をじっと見つめた。
ニヤッと笑って、少女が言葉を続けた。
「聞かないのか? 開錠できたのに、なぜわざわざ開錠の依頼に来たのか。」
「そ……そうですね。なぜ……」
「製作者に会いに来た。」
「確かに、これは自分が作りました。その……防犯上、他の仕事を別のお客様に話すわけにはいきませんので。その、開錠してみせていただけませんか?」
男はまだ少女の言葉を信じられずにいた。
少女はにんまりと笑い、南京錠を男から受け取った。
すぐに『カチッ』という音が聞こえた。
男は驚愕の表情を隠せなかった。
「この南京錠は、普通につるを押し込んでもロックされない。施錠には、裏側のバラの彫刻が鍵になっている。そうだろう? そして、この鍵穴を囲う円状の部品が鍵になっており、開錠にはそれを使う。」
少女の言葉に男は顔を強張らせた。
――こんな子どもが?
「よく……お分かりになりましたね。渾身の作だったんですが、まだまだです。」
男はあえておどけて見せた。
「王宮で起こった事件を知っているだろう? なんでも、現場にはこの南京錠がかかっていたということだ。開錠したのは、たまたま王宮に登城していた貴殿だとか?」
「あの日は、他の鍵のメンテナンスの予定でしたから……」
「そうか。それは僥倖だったな。」
「ところで……」
――なんだ?
「仕事道具を拝見しても? そのピッキングツールの他に、ポケットには何を入れているんだ?」
男は少女の言葉に、困惑を強めた。
――所詮子どもだ。
男はそう判断した。
少女の言葉を、ただの子どもの好奇心だと。
「いいですよ」
そう言って、男は革のエプロンについているポケットから道具を出した。
小型のハンマー、研磨剤、ドライバーなどが机に並ぶ。
少女は「ふむ」と言って、机に並んだ道具を手に取り、まじまじと見ていた。
――所詮子どもだ。問題ない……
男は自分に言い聞かせる。
やがて、小型のハンマーを見ていた少女は、ゆっくりと口を開いた。
「なるほど。ローザ・ロドリゲス嬢を殺害したのは、このハンマーか」
男は少女の言葉に激高した。
「な、何を言ってるんだ! 冗談じゃない!!」
そう言って、少女からハンマーを取り上げようと手を伸ばした。
しかし、少女はそれを許さなかった。
「いや、ローザ・ロドリゲス嬢を殺したのは貴殿だったな。失礼。ハンマーは凶器にすぎない」
「なんで俺が! 俺は、その……事件とは関係もない。被害者とは何の関係もないんだ。」
「論理的推理だ。今回重要だったのは、部屋に出入りした方法ではなく、できた人間は誰かということだ。一人は被害者だ。そして、被害者と関係があった男がいてな。この男も可能性があるが、あくまで可能性にとどまる。確実に部屋に出入りできた人物は、あと一人しかいない。」
そう言って少女は男を正面から見据えた。
目が緑色に煌めいていた。
「だからって、俺が犯人だって? それなら錠前師なら誰だって犯人ってことになるだろう。」
「誰だって解錠できるのか? この錠前を。お前は自分でそう言えるんだな?」
男は少女の言葉に驚いた顔をした。
何に驚いたのかはわからない。
「王宮に出入りできる錠前師というのは限られている。執事に確認したが、今は貴殿にほとんどを任せているそうだ。信頼されていたな。」
「だからって……俺が犯人っていうのは無理があるだろ。だいたい、その関係があった男ってやつが鍵について知ってたかもしれない。」
「そうだったとしても、その男には犯行は不可能だ。昨日、王宮にはいなかったのだから。裏も取ってある。」
――いや、焦るな。所詮……証拠はない。
男は卑屈に笑い、勝ち誇ったように言った。
「証拠は? 俺がやった証拠なんてないはずだ。決めつけるな!」
少女は緑色に煌めく瞳を三日月に歪めて言った。
「証拠ならここにあるだろう。確認するか?」
少女が後ろに控えていた男に合図すると、その男はガラス瓶を持ってきて、机に並べた。
「これはフェノールフタレインと言ってな。血中のヘモグロビンに反応して、ピンク色に変色する。この世界ではつい最近、隣国で開発された化合物だ。微量の血液にも反応する。これを、こちらのハンマーに使ってみようじゃないか」
男に見せびらかすようにガラス瓶を一つ持ち上げて、少女は言った。
「やってみろ」
男は言った。
少女は楽しそうに手袋をはめ、ゴーグルをつけた後、「では」と言って、例のガラス瓶に入った透明な液体を数滴、ハンマーの持ち手の部分にかけた。
色は変わらない。
――ほらな。
男は笑みを深めた。
「カストル・マイヤー試験と言ってな。ここに、過酸化水素水を酸化剤として数滴垂らす。」
そう言って少女は別のガラス瓶に入った液体を、先ほど液体をかけた部分に滴下した。
また、液体が木材に染み込む。
「嘘だ!!」
ピンク色の変色したのを見て男は怒鳴った。
「こんなのは……こんなのはなんの意味もない! このハンマーはちゃんと洗って……」
「洗ったのか? なぜ?」
――しまった。
「まぁ、この検出方法は証拠としては認められていない。判事の心証には影響するかもしれないが、言い逃れできるぞ。良かったな。」
男は困惑した。
――自分を捕まえに来たんじゃないのか? 証拠を突きつけて……
「だが、残念でならない。貴殿は自分自身の手で、自身の素晴らしい作品を無用なものにしてしまった。その南京錠は本当によくできていた。貴殿の才能と技術の高さを証明していた。だが、それを殺人の道具の一部にした。結果はどうだ? こんな小娘に開錠される程度の代物――そういう評価をされる鍵になり下がった。満足か?」
静かな声だった。
妙な説得力がこもっていた。
弁明の余地はあった。証拠もない。
だが男は少女の言葉に折れた。
これまでの自分の人生。
仕事に没頭してきた。
わき目も振らず、生きるために技術を磨いた。
彼女と初めて会った時のことを思い出す。
――王都で一番の技術をお持ちだとお伺いし、主人が所望している鍵の作成を依頼したいのです。
――素晴らしいですね。エスパーニャの工芸師にも引けを取らない。
彼女はそう言ってくれた。あの時の彼女の顔は忘れない。うっとりとしたような……。
同じ思いだと思っていた。
踏みにじられた気がした。それだけだった。
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馬車に揺られて、少女は目を瞑った。
『必ず、生きて戻ります。それまで……』
そう言った男の顔を思い出せない。
目を開いた少女は考える。
――一度死んだのに思い出すのは、叶わない願いに囚われているのか。顔も思い出せんというのにな……。
錠前師の男の話を思い出す。
愛とは、難儀なものだ。
少女はもう一度目を閉じる。
明るい陽射しが馬車の内部に差し込んでいた。




