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総務課長・藤井仁の憂鬱 ― 臨終雇用は日本の縮図  作者: みえない糸


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最終話その6 逆流する正義

 証拠の山は、もう「整理」という言葉を拒絶していた。


 総務課長・藤井仁(36歳)の机には、

 仕入先の証言メモ、注文書、価格変更通知書、返品強要の記録、

 そして新しい封筒が、ひとつ、ぽつんと置かれていた。


 差出人は――

 書いていない。


 代わりに、裏にだけ、鉛筆でこうある。


「これは“会社”じゃなく、“人”の問題です」


 藤井は、封を切った。


 中に入っていたのは、

 コピーされた通帳と、数枚のメールの写しだった。


 メールの差出人は、

 東都重機産業・調達部 課長代理。


 内容は短い。


『今月分の件、いつもの口座で構いません。

 御社の協力には、心より感謝しております』


 添付ファイル。

 そこには、月に一度、一定額が振り込まれている銀行記録。


 名目は「業務支援費」。


(……これ)


 藤井は、唇が乾くのを感じた。


 業務支援。

 言葉は綺麗だが、やっていることは、ただのキックバックだ。


 しかも、振込先は仕入先ではない。


 ――調達部長個人の口座。


「……やってやがったな…」


 低く、調達部長が呟いた。


 その目は、もう怒りを通り越していた。


「安心して取引できるようにしてやる、だの

 価格は“内部でうまく調整する”だの

 あれは、金だったってことかよ」


 その時、営業課長が口を挟んだ。


「……だからあの会社、

 “減額通告されてもヘラヘラしてた”んですね」


 藤井は頷いた。


 すべて、線が繋がった。


・発注後の一方的な単価引き下げ

・支払いサイトの勝手な延長

 ・断ると発注停止

 ・応じると“優良協力会社”扱い


 裏で、金が動いていた。


 綺麗に見せかけた脅迫。

 それに屈した企業。

 そして、黙認してきた業界。


 ――もう、十分だ。


「これ、公正取引委員会に出します」


 藤井が言った。


 室内が静まった。


「本気かい?」と営業課長。


「はい。

 下請法違反だけじゃない。

 収賄、背任、独禁法…全部絡んでます」


「……ヤバいぞ」


「ヤバいですよ!」


 藤井は淡々と答えた。


「でも、

 あっちがやってきたのは“もっとヤバい”ですから」


 調達部長が、ぐっと頷いた。


「藤井…

 俺の名前も出して構わねぇ」


「……え?」


「今まで義理だ人情だって

 あいつらと付き合ってきたのは事実だ。

 だがな、金で縁ぶち壊すのは違ぇ」


 親分然とした声が、部屋に落ちた。


 藤井は、深く頭を下げた。


 翌週。


 藤井は、公正取引委員会の相談窓口に座っていた。


 目の前の職員は、書類を静かにめくる。


「……これは、かなり具体的ですね」


「はい。

 証言者は複数います。

 実名で出てくれた企業もあります」


「それは、かなり覚悟が要りますが…」


「もう、“覚悟できるところまで追い込まれていた”だけです」


 職員は、ペンを止めた。


「調査を開始します」


 その一言で、歯車は一気に回り出した。


 それから数日後。


 業界誌の一面に載った。


『大手重工メーカー、下請法違反及び収賄疑惑で調査開始』


 社名は、もう伏せられていなかった。


 東都重機産業。


 その日、株価は寄り付き直後に売られ続け、

 値幅制限いっぱいまで落ち――ストップ安。


 会社には、

 東都重機絡みの問い合わせが殺到した。


「藤井さん、見ましたか!?」


 営業課長が新聞を振り回している。


「担当者に事情聴取って…

 調達部、ガサ入れいってるみたいですよ!」


「当然です」


 藤井は静かに答えた。


「……自分の金庫も、調べられる側になっただけです」


 そこへ、一本の電話。


『東都重機産業 広報ですが…

 御社との関係について説明を…』


「説明は、

 御社が公取にどう説明するかの方が先ですね」


 藤井は、静かに受話器を置いた。


 その翌日。


 週刊誌も動いた。


『“取引先リスト”と裏金口座

 東都重機・調達部の闇』


 世論は一気に燃えた。


 SNSにはこんな言葉が溢れた。


『技術じゃなくて圧力で商売してただけじゃん』

『真面目にやってる中小がバカを見てたのか』

『もうこの会社の製品、買わない』


 社内。


 誰も声を出さずにニュースを見ていた。


 すると、また電話。


 今度は匿名。


『中の者です。

 まだ隠している資料があります。

 欲しければ連絡ください』


 藤井は、ふっと息を吐いた。


(外からも内からも…か)


 お局が、ぽつりと呟いた。


「……やりすぎるヤツはね、

 いつも“自分の足”を忘れるのよ」


「足?」


「踏んできた数の分さ。

 誰かに、踏み返される」


 藤井は、窓の外を見た。


 いつも曇っていた工場の空に、

 その日は妙に光が差していた。


(まだ在庫は救えてない…

 でも、道はできた)


 そう、これはゴールじゃない。

 ただの“反撃開始”だ。


 だが、一つだけ確かなことがあった。


 東都重機は、

 もう以前のように、

 人の上には立てない。


 それだけは、もう決まっていた。


 ――続く。

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