最終話その5 東都重機の影 ― 親分と証言集めの夜
総務課長・藤井仁(36歳)は、パソコン画面に映る資金繰り表を見つめながら、コーヒーを一口飲んだ。
資金は――とりあえず“持った”。
メインバンクの無茶な2億。
政府系金融機関からの2億。
営業してきた新規銀行からの1億。
合計5億。
東洋メガ機工ショックで一度は呼吸が止まりかけた会社は、辛うじて蘇生した。
しかし、画面右下の数字は残酷だった。
(専用在庫3億、丸々残ったまま……。
売り先ゼロ。利益ゼロ。
延命はしても、“病因”はそのまんまか)
しかも、ここ最近は妙な動きが続いていた。
これまで安定していた取引先が、急に発注量を絞ったり、理由をぼかして他社に流れたり。
名前を出せば一つに集約される。
――東都重機産業。
(東メガの倒産で一番得してるの、どう見てもあそこだよな……)
藤井がため息をついたちょうどその時だった。
「おい、藤井ィ!」
調達部の方から、怒鳴り声が飛んだ。
任侠映画のクライマックスみたいな声量だ。
(……あ、誰か地雷踏んだな)
呼ばれたのは自分だった。
藤井は資料を抱えたまま、調達部の島へ向かった。
調達部長
茶髪パーマの親分体型が、机を片手で押さえつけていた。
煙草は灰皿に四本、暴力的に押しつぶされている。
「座れ、藤井」
声は低い。低い時ほど危険だと、藤井は経験で知っていた。
「な、何がありました?」
調達部長は、机の上に封筒を三つ、ドン、と置いた。
「付き合いのある仕入先から、ちょいと“話”を聞いてきた。
東都重機の、だいぶエグい話だ」
藤井は封筒を開け、中の紙を取り出した。
一社目。
地方の精密加工業者の社長からのメモ。
『東都重機の新製品用で単価見積もりを出した。
発注書が来た後に「やっぱりこの価格では払えない」と言われ、半額を提示された。
断ろうとしたら「じゃあ次からは他社さんで行きますんで」と言われた。
泣く泣く飲んだ。』
(……見積り通した後で、勝手に半額。
これ、ほぼ“買いたたき”そのものじゃないか)
二社目。
樹脂成形工場。
『これまで月末締め翌々月末払いだったのが、一方的に「諸事情により翌々々月にさせていただきます」と通知。
こちらの合意は取られなかった。
資金繰りが苦しくなり、追加で借入をした。
値引きも強く要求されている。』
(支払いサイトを勝手に伸ばす、値引きは脅し付き……。
きれいな言葉を使ってるだけで、中身はかなり真っ黒だ)
三社目。
板金業者。
『仕様変更で使わなくなった部品を「そちらで引き取ってください」と連絡。
当社の責任ではなく、向こうの設計変更なのに、返品という形で戻された。
拒否したら「次の案件、再検討します」とだけ言われた。』
藤井は紙から目を離し、ゆっくり息を吐いた。
「……部長、これ、全部、“やったもん勝ち”の典型ですね。
法律上も、かなりアウト寄りです」
調達部長は鼻で笑った。
「“寄り”じゃねぇよ、藤井。
ここまで揃うと、ただの“黒”だ。
しかも、これが一社二社じゃねえ」
さっきまで怒っていた目が、逆に静かになる。
本当にキレた任侠親分の目だ。
「東メガが倒れる前から、東都重機は裏で仕込みをしてた。
“おたくの分はウチが面倒見るから、値段はこっちに合わせろ”ってな。
東メガが倒れるのを待ってたような口ぶりだってさ」
「……計画倒産の周辺で、ちゃっかり地ならししてた、ってことですか」
「おう。
お前の言うところの“何とか法違反”だろ。
こっちは条文なんざ覚えちゃいねぇがな。
“筋が通ってねぇ”ってだけで十分だ」
調達部長は、窓の外の薄暗い空を見やった。
「義理通してる仕入先に、あんだけ無茶な単価押し付けて、支払い伸ばして、要らなくなった部品を投げ返してな。
そのくせ“協力してもらわないと困る”だとよ。
そんなもん、仁義じゃねぇ。奴隷契約だ」
藤井は、思わず苦笑した。
(任侠語翻訳すると、“下請法違反コンボ”ってことね……)
調達部長は、ふっと煙を吐き出した。
「藤井。
お前、数字の方の“筋”は分かるだろ」
「まあ、一応……」
「だったら、この話、数字で固めろ。
“泣き言”じゃなくて“証拠”に変えろ。
こっちは顔で動く。お前は紙で殴れ」
目が据わっている。
「……というと?」
「今のは全部“口の証言のメモ”だ。
それを、“紙の証跡”に変えろって話よ。
発注書、単価変更のメール、支払サイト変更の通知、返品の伝票。
ぜんぶ残ってるはずだ」
藤井は、喉の奥が少し熱くなるのを感じた。
「……部長、仕入先の人たち、そこまで話してくれたんですか?」
「話すさ。
“オタクんとこもやられてるんだろ?”って聞いたら、
みんな目ぇ逸らしやがる。
それは“同じ傷”ってことさ」
彼は、机の上の封筒を指で叩いた。
「東都重機はな、東メガが沈む前から、
“専用品”を人質にして、下の連中の首絞めてた。
それを見て見ぬふりしてたこっちも、正直、綺麗じゃねぇ。
だからこそな――」
調達部長は藤井を正面から見据えた。
「ここで黙ってたら、それこそ共犯だろ」
言葉が、胸に刺さる。
(……そうだ。このままやり過ごしたら、“うちも同じ穴のムジナ”だ)
藤井はゆっくり頷いた。
「わかりました。
仕入先を回って、“証跡”を集めます。
話を聞いて、『ひどいですね』で終わらせません。
きちんと並べて、“これが何なのか”を見せます」
調達部長は、ようやく少しだけ口元を緩めた。
「それでいい。
こっちは“仁義の顔”で行く。
『今まで義理を欠いてスマン』って頭下げて、
その代わりに“真実を寄こせ”って言う。
筋はこっちで通す!」
調達部長が筋を通すと言ったとき、藤井は逆らえない。
――というか、今回は逆らう気もなかった。
「……ただ、一つだけ確認しておきたいんですが」
「なんだ」
「この話、最後までやったら、東都重機は本気で敵に回りますよ」
調達部長は、瞳の奥に火を灯したような目で笑った。
「上等だよ。
うちはな、“義理”を切られたら、倍返しだ。
いや、お前風に言うと何だ、“損益分岐超えた報復”か?」
「変な会計用語を作らないでください……」
二人の間に、奇妙な静けさと連帯感が生まれた。
その夜から、藤井の“証跡集め”が始まった。
仕入先の工場、事務所、倉庫。
東都重機からの発注書コピー。
途中で単価が変わった履歴が残っているメール。
支払いサイト変更の通知FAX。
「返品理由:当社の都合」とだけ書かれた伝票。
どれもこれも、丁寧な敬語で塗り固められている。
だが、行間からは、弱い立場をねじ伏せる圧力が透けて見えた。
(立派な社名の下で、やってることは“安く買い叩いて支払い先送りして、要らなくなったら押しつける”か……)
藤井は、その資料を一つひとつファイルに綴じながら、心の中でつぶやいた。
(これ全部、並べて見せたら――さすがに誰も“きれいな取引です”とは言えないだろ)
調達部長との打ち合わせの最後に、彼はこう言った。
「藤井。
お前、数字のプロだろ。
だったら、“どこからどう見ても黒です”って形にまとめてやれ!
あとは、誰にぶつけるかは、その時に決めりゃいい」
その言葉を思い出しながら、藤井はファイルの背表紙にラベルを貼った。
――『東都重機・取引実態資料(暫定)』
手のひらに、汗がにじむ。
(ここまでやったら、もう引き返せないな……)
デスクの隅には、仕掛かりの決算資料。
机の上には、労基署是正ファイル、安全対策会議の議事録、採用計画書。
その一角に、新しく“敵のカルテ”が加わった。
(倒産の危機を生き延びたと思ったら、今度は戦争かよ……)
それでも、藤井はどこかで安堵していた。
――ようやく、“殴られっぱなし”から一歩進めた気がしたからだ。
――続く。




