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総務課長・藤井仁の憂鬱 ― 臨終雇用は日本の縮図  作者: みえない糸


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最終話その4 東都重機の壁 ― 客先で敵になる日

藤井仁(三十六歳)は、朝の事務所で、資金繰り表をにらんでいた。


倒産危機の渦中、奇跡的に通った五億円の融資。


メインバンク二億。

政府系二億。

新規銀行一億。


資金ショートだけは避けた。

ただし、それだけだ。


倉庫には、東洋メガ機工向けの“専用品”が三億円分、山積みになっている。


だが――。


売上がない。

回るはずの歯車が、完全に止まっている。


東洋メガ機工の倒産と同時に、周辺の取引先も徐々に距離を置き始めた。

「様子を見ます」

「社内決裁が」

「改めて検討を」


その“様子”は一向に終わらない。

その間、藤井の資金表は容赦なくページをめくっていく。


もしこのまま売上が回復しないままなら――

来年の春、もう一度、同じ穴に落ちる。


しかも今度は、誰もロープを投げない。


三億円分の在庫が、倉庫に山のように積み上がっている。

特殊部品。

東洋メガ向けの専用品。

世に二つと流通しない、使い道のない鋼の墓標。


営業部にとっては「宝の山」、

経理から見れば「財務の死体」。


市場価値は、既に地面すれすれだった。


「……行こうか」


藤井は伝票の束を抱え、立ち上がる。


訪問先は、かつてのエンドユーザー。

東洋メガの先、さらにその先の“親会社格”。


名は――東都重機産業。


業界最大手、上場企業。

売上高、藤井の会社の百倍。

社員数、千倍。


しかも、東洋メガの“競合”であり“取引先”でもある、

表では業界の秩序、裏では食物連鎖の神。


挑むには分が悪すぎた。


だが行かねばならない。

行かなければ、倉庫が墓場になる。


応接室は、広く、冷たく、よく整っていた。


床はピカピカ、時計は秒単位で正確。

コーヒーの温度も、人間関係の温度も、一定。


現れた担当者は、三十代半ば。

東洋メガにいた元社員。

倒産後、東都重機へ転籍した男だった。


「お久しぶりです、藤井さん」


薄く笑う。


「……お世話になっています」


何に、とは言えなかった。


「今回は、御社に在庫をご紹介いただけると聞きまして」


言葉は丁寧だが、視線は値踏みだ。


「はい。東洋メガ向けの専用品ですが――」


「ええ。状況は把握しております」


把握が早すぎる。


「ただですね」


男は書類を閉じる。


「弊社としても、ラインの互換性がなく……

 もしご提案いただくなら、“廃材扱い”に近い価格になります」


その言葉とともに出された数字は、藤井の想像のさらに下だった。


三億の在庫に対して――数百万円。


「……それは」


藤井は言葉を失う。


男は笑った。


「競争の世界ですので」


競争。

だがこれは殴り合いではなく、処刑に近い。


しかも、その場でコンペまで実施された。


東都重機の製品。

藤井の会社の在庫品。


仕様比較、品質、単価、納期。

すべてにおいて、藤井側が不利に設計されていた。


結果は、無慈悲なまでに明白だった。


「では、次の会社さんどうぞ」


そう言われ、営業課長は廊下へ追い出された。


後日、藤井の携帯が鳴る。


営業課長の声は、砂のように乾いていた。


「藤井さん……無理でした……」

「……どんな感じでした?」

「東都重機が……もう全部、空気を作ってて……」

「空気?」

「俺、“ちょうど説明するところでした”って言ったら……」

「……」

「“では次の会社さんどうぞ”って……はい……廊下にいました……」


廊下。


その言葉が妙に重たくて、藤井は何も返せなかった。


嫌な汗が背中に流れる。


コンペ後、さらに悪い情報が続いた。


長年取引していた中堅顧客が、次々と注文を引き上げ始めた。


理由はどこも同じだった。


「東都重機の子会社を通すことになりまして」


偶然にしては、都合が良すぎる。


誰かが、裏で糸を引いている。


事務所に戻る途中、営業課長が呟いた。


「……藤井さん、俺、気づきました」


「何に?」


「客、逃げてるんじゃないっす」


「……」


「逃げさせられてます」


そこに未来はなかった。


その日の夜――


営業課長は、いつものように店の名前をはぐらかしながらキャバクラに行った。


彼にとってそれは「情報収集」だった。

単なる趣味ではない、と彼は信じている。


「営業は夜に育つんすよ」


育ってほしいのは売上だが、と藤井は思った。


数時間後。


午前一時過ぎ。


藤井の携帯が震えた。


「藤井さん……マズいです……!」


声が震えている。

酔いではなかった。


「どうした?」


「元・東メガの連中……東都重機の下に入った奴らが……

 キャバの黒服の兄ちゃんと飲んでたんすけど……」


「……」


「倒産、計画だったらしいっす」


その言葉が、静かに刺さった。


「しかも……東都重機が、受け皿」


「……」


「最初から、仕込んでました」


切り札を、相手に渡していたのは、現実の方だった。


藤井は、静かに画面を見つめた。


倉庫の在庫。

消えた顧客。

空っぽの東メガ。


そして、

今なお笑っている東都重機。


これはもう、取引じゃない。

侵食だ。


電話を切った後、藤井は社内を見渡した。


誰も何も知らない。

だが、事態は確実に、底を抜こうとしていた。


資金はつないだ。

だが売上は消えた。


このままでは――再倒産は確実だ。


藤井はふと、机の脇の壁時計を見た。


秒針が、音もなく進んでいる。


その音だけが、この会社の残り時間を刻んでいる気がした。


 ――続く。

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