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総務課長・藤井仁の憂鬱 ― 臨終雇用は日本の縮図  作者: みえない糸


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最終話その1 東洋メガ機工ショック ― 倒産前夜編

 その朝、総務課長・藤井仁(三十六歳)は、いつもより一時間早く会社にいた。

 理由は、悪い夢を見たから――ではない。もっとタチが悪い。「現実のほうが悪夢っぽくなりそうだ」という予感のせいだった。


 机の上には、いつもの資金繰り表。

 年商十億、従業員七十名、平均年齢七十オーバーの老舗・産業電気メーカー。

 その資金繰り表の一角に、赤ボールペンで囲った名前がある。


 ――東洋メガ機工。


 ここ半年で売上の三割を占める、大口中の大口だ。

 売掛残高は、きれいに二億円。数字だけ見れば、会社の希望。

 条件を少し変えて見れば、会社の喉元に剣を突きつけている凶器。


 藤井仁は、椅子に座りながら独りごちた。


(……ここが倒れたら、うちも即死だな)


 冗談のつもりでつぶやいたのに、声にやけにリアリティが乗った。

 きっかけは数日前だ。昼休みに流し見していた経済ニュースのテロップ。


 《東洋メガ機工、希望退職者募集を発表。人員の二割削減へ》


 そのニュースを見た瞬間、お局が弁当を口に運びながらぼそりと言った。


 「へえ、ついにきたんだ。あそこ、支払いだけはきっちりしてたのにね」


 「“だけ”って付けます?」と藤井仁が聞き返すと、お局はニヤリと笑った。


 「売上の三割、一社依存。フラグって言うのよ、若い子は」


 その一言が、ずっと頭にこびりついていた。


     ◇


 午前九時。

 営業課長が、書類を小脇に抱えて総務席までやってきた。


 「課長〜、東洋メガの支払い、今月もバッチリですよ。ほら、入金予定一覧」


 藤井仁は受け取って、じっと眺める。支払サイトはいつも通り、末締め翌月末払い。

 ここ数年、一日たりとも遅れたことがない優等生だ。


(……だからこそ、怖いんだけどな)


 「なんですか? 心配性だなぁ」と営業課長が笑う。


 「東洋メガ機工さん、ちゃんとしてますって。ほら、上場だし」


 「上場会社が倒産したニュース、最近も見ましたよね」


 「いやいや、あれはほら、特殊ケースだから。うちは大丈夫大丈夫」


 と言いながら、営業課長は視線を泳がせる。

 こういう時の「大丈夫」は、たいてい大丈夫じゃない。


 お局がすかさず口を挟んだ。


 「アンタね、“大丈夫”って連呼する男ほど信用できないのよ。結婚もしちゃダメなタイプ」


 「結婚の話になってます?」と藤井。


 「商売と結婚は似てるのよ。どっちも“この人に一生任せて大丈夫か”だから」


 営業課長は苦笑しつつ、そそくさと逃げていった。


(……少なくとも、資金繰りだけは“この会社に任せて大丈夫か”って感じじゃないな)


 藤井仁は、再び資金繰り表に目を落とした。


     ◇


 午前十時。社長室前。

 ノックをすると、すぐに怒鳴り声の丁寧語が返ってきた。


 「はい! どうぞお入りください!」


(このトーン、怖いんだよな……)


 ドアを開けると、社長が、机に肘をついて新聞を握りしめていた。

 額には青筋。口調だけ丁寧、顔面だけ戦場。


 「おはようございます、藤井課長!何かありましたか」


 声だけは穏やかだが、目が笑っていない。


 「はい。……東洋メガ機工の件で、ご相談がありまして」


 「東洋メガ機工さん? 優良先ですよ。売上の三割を担っている大事なパートナーです」


(だから怖いんですよ)


 「希望退職を出したというニュースがありまして。

  念のため、与信枠の見直しと、回収条件の変更を検討した方がよいかと」


 「……回収条件の変更とは、具体的にどういうことでしょうか」


 社長の声のトーンが半音だけ下がる。

 藤井仁は、資料を差し出した。


 「現状、掛けで二億まで膨らんでいます。

  これ以上増やさないように、一旦新規受注は現金条件か、保証付きに――」


 言いかけた瞬間。


 「藤井課長!」


 怒鳴り声だけが、きれいな敬語を置き去りにして飛んできた。


 「私は取引先を“信用”して事業をしております! 取引を絞ることは、“不信”の表明です!」


 「いえ、信用しているからこそ、条件を――」


 「私は“法令遵守”で経営をしているつもりです!

  約束した条件を、一方的に変えるのはどうかと思います!」


(今まで何回、労基法を無視してきた人のセリフだろう……)


 「……わかります。ただ、万が一の時に、当社の資金繰りが――」


 社長は、机をドンッと叩いた。

 しかし、口調だけは崩さない。


 「私は、“万が一”よりも、“今”の信用を大事にしたいのです!」


 (万が一が、五億円なんですが)


 そのとき、内線電話が鳴った。

 お局の声だ。


 「社長、東都重機産業の社長さんからお電話です。“急ぎで”とのこと」


 東都重機産業――これまた上場大手。

 東洋メガ機工と同じ業界の、ライバルでもあり、取引先でもある会社だ。


 社長は急に笑顔になった。


 「おお、東都重機産業の社長さんですか。すぐお繋ぎください!」


 スピーカーホンに切り替えられ、部屋に落ち着いた男の声が響いた。


 『いつもお世話になっております。東都重機産業の陣内です』


 「こちらこそ、お世話になっております!」


 『単刀直入に申し上げます。……東洋メガ機工さんの件で、御社の動向が気になりましてね』


 社長の顔が、わずかにこわばる。


 「…何かございましたか」


 『うちは、現時点では支援のスタンスです。

  一部で“債権引き上げ”の話が出ていると聞きましたが……

  今ここで御社が手を引くと、“東洋メガ機工を潰したのは御社だ”という話になりかねません』


 社長の目が、ギラリと光る。


 『市場は噂で動きます。もし御社が、売上三割を抱えた状態で回収を厳しくしたとなれば、

  “あの会社が見放したなら終わりだ”と受け取られるでしょう』


 「なるほど……」


 『つまり、今は“引き上げない勇気”が必要なのです。

  ここで御社が支えれば、業界内での信用は一段と高まるはずですよ』


(……この人、話すの上手いな)


 『どうか、短期のリスクより長期の信用をお考えいただきたい。

  “東洋メガ機工を守った会社”という実績は、きっと御社にもプラスになるはずです』


 お局の毒舌が、脳内で再生される。


 (アンタの会社が守り切れる体力、どこにあるのよ)


 社長は、誇らしげな声で答えた。


 「ご忠告、ありがとうございます。

  私は、取引先との“信義”を何より大事にしております。

  当社は、東洋メガ機工さんの債権を、現状維持といたします!」


 電話の向こうで、満足そうな笑い声がした。


 『さすがです。では、共にこの難局を乗り切りましょう』


 通話が切れると、社長は満足げに顎を上げた。


 「藤井課長、今の話、聞いてましたね?」


 「はい……はっきりと」


 「私は、短期的な数字だけを見る経営はいたしません。

  信用とは、こうして守るものです」


(その結果、現金は誰が守るんでしょうね)


 「ですから、東洋メガ機工さんの条件変更の件は――」


 「一旦、取り下げます」


 「そうですか。ご理解いただけて良かったです」


 社長は満足そうにうなずき、新聞を手に取った。

 そこには、さっきまでのニュースの見出しが載っている。


 《東洋メガ機工、人員二割削減へ》


 藤井仁は、その見出しをちらりと見て、心の中だけでつぶやいた。


(……うちの人員は削減しなくても、自然減で減ってますけどね)


     ◇


 それから一ヶ月。

 東洋メガ機工からの入金は――何事もなく、きっちりと行われた。


 お局が、通帳のコピーを持ってぼそりと言う。


 「ほら見なさい。ちゃんと払ってきたじゃない」


 「ええ……そうですね」


(でも、それ“最後の晩餐”みたいな可能性、あるんだよな)


 嫌な予感は消えない。

 しかし、数字だけ見れば、何の問題もない。


 技師長が、相変わらずドラフターの前で図面を引きながら言った。


 「まあそんなもんだろ。金なんて、回ってりゃええんじゃ」


 「その“回り方”が止まると死ぬんですけどね」


 「人間だって、いつか止まるじゃろ? まあそんなもんだろ」


 (この人の“まあそんなもんだろ”で、何個トラブルが起きたか数えたくない)


 最長老は、物流倉庫の片隅で、手帳に何かを書き込んでいた。

 達筆すぎて、本人しか読めない在庫帳だ。


 「東洋メガさん向けの専用部品…だいぶ増えてますね…」


 「はい。受注が増えましたから……」


 「出るときも一気に出る…入らんときも一気に入らん…人生と一緒です…」


 「不吉な例えやめてもらえません?」


 そんな会話をしながらも、日々は過ぎていった。


     ◇


 そして、「その日」は、あまりにも静かにやってきた。


 月曜日の朝。

 出社してすぐ、お局が険しい顔で総務に飛び込んできた。


 「藤井くん!ちょっと来なさい」


 「なんですか、そんな顔して」


 「FAXよ。……裁判所から」


(……嫌な予感しかしない)


 藤井仁は、お局の後を歩きながら、心臓が少しずつ早くなっていくのを感じていた。

 FAX機のトレイには、白黒の紙が数枚、無造作に重なっている。


 お局が一番上の紙を指でトントンと揃え、無言で渡してきた。


 《東京地方裁判所からのお知らせ》


 目を走らせる。

 そして、途中から文字が頭に入ってこなくなった。


 《債務者 東洋メガ機工株式会社

  破産手続開始決定のお知らせ》


 ――破産。

 ――開始決定。


 藤井仁の口から、空気だけが漏れた。


 「……あ」


 お局が腕を組んだまま、静かに言った。


 「“今、手を引くと潰したのは御社になる”って言ってた大手さん、いたわよね」


 「はい……東都重機産業さんが」


 「結果、“手を引かなかったから一緒に沈みました”ってオチね」


 「言い方、刺さりますね」


 「…事実だからね」


     ◇


 その日の午前、緊急役員会が開かれた。

 役員と言っても、社長と年長管理職たち数名だ。


 社長は、破産決定通知のコピーを握りしめ、顔を真っ赤にしていた。


 「どういうことですか、これは!」


 「どういうこともこういうことも……破産です」と藤井仁。


 「私が東洋メガ機工さんを信じて支えてきた結果が、これですか!」


 「信じていたのは、うちだけではありません。東都重機産業さんも――」


 「その東都重機産業さんから、“今手を引いたら潰したのは御社になりますよ”と言われたんですよ!

  私は、その言葉を信じたのです!」


 「……結果的に、“一緒に巻き込まれましたね”って話にしかなってませんが」


 お局が、隅の席から手を挙げる。


 「…社長、冷静に言いましょうか」


 「なんですか!」


 「“信義”って言うならね、相手も生きててくれないと意味ないのよ。

  死んだ相手に義理立てしても、こっちが道連れになるだけ」


 「……」


 「それに、あの電話の社長さん、自分の会社の信用守りたいだけでしょ。

  “あそこが引き上げたから倒れた”って言われるのが嫌だっただけよ。

  責任押し付けられるの、うちだけ」


 社長はギリギリと奥歯を噛み締めた。


 「しかし、結果として倒産した……ということは、

  あのとき私が条件変更していても、同じことだったのではありませんか」


 「違います。少なくとも、二億まるっと残高を抱える前に、ブレーキは踏めました」


 藤井仁は冷静に言った。


 「今はっきりしているのは、

  売掛金二億が“ほぼ焦げ付き確定”、

  専用品在庫三億が“行き場を失った鉄くず候補”、

  合計五億が、帳簿上は資産、実態は地雷ということです」


 技師長が、空気を読まずに口を挟んだ。


 「まあそんなもんだろ」


 全員の視線が、一斉に技師長に突き刺さる。


 「いや、じゃって、商売なんてそんなもんじゃ。

  昔も、ようあったわい。払われんまま潰れるとこ、山ほど」


 お局が冷ややかに言う。


 「技師長、それ、今言うタイミングじゃないわよ」


 調達部長が腕を組んでうなり声を上げた。


 「専用品三億ってのが、またえげつねえな……。

  返品交渉いっても、受け皿がもう無えってことか」


 藤井仁がうなずく。


 「はい。先ほど取引先各社にも確認しましたが、

  東洋メガ機工向け専用仕様で、そのまま他社に流用できる先はありません」


 「型を変えて売り込むとかは?」


 「設計費と工数をかけた結果、買ってくれるかどうかわからない賭けになります。

  今の資金繰りで、そんな長期戦はできません」


 会議室の空気が、ずしりと重くなる。


     ◇


 午後。

 総務の自席に戻った藤井仁は、電卓と資金繰り表を前に、黙々と数字を打ち始めた。


 ――売掛二億、実質ゼロ。

 ――専用品在庫三億、在庫評価を下げればその分だけ赤字。

 ――固定費、人件費、支払利息。

 ――一ヶ月ごとの現金残高。


 一度、冷静に全部“最悪ケース”でシミュレーションしてみた。


 画面に並ぶ数字は、容赦がない。


 今月は、ギリギリ乗り切れる。

 翌月も、なんとか銀行残高がゼロを割らずに済む。

 三ヶ月目――マイナス一億五千万。


(……三ヶ月後に、うちが死ぬ)


 喉の奥が、からからに乾いた。


 お局がコーヒーを二つ持ってきて、ひとつを藤井の机に置いた。


 「どんな感じ?」


 「……うちの寿命、三ヶ月です」


 「人間より短いわね」


 「下手すると、東洋メガ機工より早く死にますよ、このままだと」


 お局はコーヒーをひと口飲んでから、冷静に言った。


 「アンタ、倒産の家系だったりする?」


 「やめてください。前職、会計事務所で監査入ってた上場企業が不正会計で潰れて、

  巻き添えで事務所も吹っ飛んだばかりなんですから」


 「……あんた、“企業の死神”なんじゃない?」


 「今それ言います?」


 「冗談よ。でもまぁ、そういう星回りなんでしょうね」


 「慰めのセンス、独特すぎません?」


     ◇


 その頃、社長室では。

 ドア越しにも、重い足音と、うめき声が聞こえていた。


 「どうして、私が……どうして、こういう目に……」


 「私は、信用で経営をしているつもりなのに……!」


 「私は、取引先を信じたのに……!」


 藤井仁は、廊下を通るたびに社長室から漏れる声を聞きながら思った。


(まだ“鬱モード”だけか……“躁モード”に切り替わると、もっとややこしいんだよな)


 ドアの向こうでは、突然怒鳴り声が混じる。


 「私は、間違っていないはずです!!」


 丁寧語で怒鳴るから、余計怖い。


 営業課長がこっそり耳打ちしてきた。


 「課長……社長、さっきから“私を見捨てるのか”とか、“私だけが悪いのか”とか、

  延々と独り言言ってますよ」


 「…聞かなかったことにしてください」


 「でも、さっき“東洋メガ機工を助けるのが男気だ”って……」


 「助からなかった結果がこれです」


 「……ですよねぇ」


     ◇


 数日後。

 債権者集会の開催通知が届いた。


 《東洋メガ機工株式会社 第一回債権者集会のご案内

  債権額:当社 二億円》


 紙の数字は、冷たい。

 集会に出席しても、戻ってくる見込みは一割あるかどうか――裁判所の書面には、淡々とそう書いてあった。


 お局が肩をすくめる。


 「二億の一割って、二千万よ」


 「ええ」


 「三億の鉄くずは、そのまま?」


 「ええ」


 「合計五億が、二千万に変わったわけね」


 「…なんかのマジックショーみたいですね」


 「だったら拍手くらい欲しいわね。“はい、五億が消えましたー”って」


 「笑えませんよ……」


 調達部長が、資料を握りしめて総務の席に来た。


 「返品、全部断られた。

  “倒産先向け専用品なんて怖くて引き取れません”ってさ。

  そりゃそうだよな。こっちだって逆の立場なら嫌だわ」


 藤井仁は、頭を抱えた。


 「つまり、三億の在庫は、うちが抱えたまま、ですね」


 「悪いな、藤井…わかってる。お前のせいじゃねえ」


 「いえ……誰のせいって言われても困りますが」


 そこへ、鼻毛爺いがひょっこり顔を出した。


 「いやぁ〜、こういう時のために、うちは体力があるんじゃないの?」


 「どこ情報ですか、その体力」と藤井。


 「昔から、“この会社は危機に強い”って聞いとるよ?

  社長が“銀行に頭を下げたことは一度もない”って自慢してたし」


 「今から人生で初めて頭を下げてもらうことになるかもしれませんね」


 「えっ、そうなの?」


 「そうです。そうしないと、三ヶ月後に会社が死にます」


 鼻毛爺いは、ぽかんと口を開けた。


 「三ヶ月後って……そんな急に?」


 「急じゃないです。だいぶ前から兆候ありました」


 「へぇ〜、そんな話、初めて聞いたわ」


 お局が即座にツッコむ。


 「アンタ、“初めて聞いた”は口癖にしていい言葉じゃないからね?」


     ◇


 その日の夜。

 全員が帰ったあとも、総務の灯りだけがついていた。


 資金繰り表の数字を、何度も何度も打ち直してみる。

 売掛を回収できたケース、できなかったケース、在庫を廃棄しないで済んだケース、全部。


 どれだけ条件を甘く見積もっても、“三ヶ月後”という赤いラインだけは変わらない。


(……この会社、こんなにギリギリだったのか)


 いや、薄々わかってはいた。

 年商十億の会社で、五億のダメージを食らって無傷で済むわけがない。


 ただ、「実際に数字として突きつけられる」のと、「理屈として理解する」のとでは、胃の痛みが段違いだ。


 藤井仁は、ペンを置いた。

 どれだけ数字をいじっても、魔法のようにプラスに変わってはくれない。


 ふと、最長老がしていた話を思い出す。


 『会社っていうのは…沈む船にちょっとずつ水が入ってきて…

  気づいたら靴下まで濡れてるもんです…

  そこからバケツで掻き出しても、間に合うかどうかは運次第…』


(……今、くるぶしまで来てるな)


 藤井仁は、深く息を吐き、パソコンの画面に向き直った。


 資金繰り表の一番下に、赤字で一行だけ書き足す。


 《このまま何もしなければ、三ヶ月後に資金ショート=事実上の倒産》


 それをプリントアウトして、社長の机に置くのを想像した。

 どうせ、最初は怒鳴られるだろう。


 「私は倒産なんて認めません!」

 「私は法令遵守で経営をしているつもりです!」

 「私は信用を大事にしているのです!」


(現金も大事にしてくれ……)


 画面を閉じ、真っ暗になったモニターに自分の顔が映る。

 思った以上に疲れた顔をしていた。


 お局の声が、頭の中で響く。


 『あんたね、こういう時に“逃げたい”って言えない性格が、一番の不幸よ』


 『でも、そういう人が会社を持たせるのよ。報われないけどね』


 報われないヒーローほど、コスパの悪い存在はない。

 でも、誰かがやらなければ、会社は本当に三ヶ月で死ぬ。


 藤井仁は、椅子にもたれかかりながら、蛍光灯を見上げた。


(……さて、“銀行巡り”の始まりだな)


 その一言を、心の中だけでつぶやいた。

 この時点で、まだメインバンクも第二メインも、“これから三ヶ月で地獄に付き合わされる”とは想像もしていない。


 そして何より――

 この瞬間、会社の誰一人として、「この危機から生還したあと、その手柄が全部社長のものになる」とも想像していなかった。


 倒産前夜は、静かに、更けていった。

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