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総務課長・藤井仁の憂鬱 ― 臨終雇用は日本の縮図  作者: みえない糸


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第55話 朝会編 ― 議事録という検閲文学

 月曜の朝六時五十分。

 太陽はようやく東の空でストレッチを始めた程度だというのに、会社の会議室にはすでに老人会のような空気が漂っていた。毎週・始業一時間前に開催される“朝会”。いわば、この会社の一週間の運命を決める公開処刑の儀式である。


 総務課長・藤井仁(36歳)は眠気で半分死んだ目のまま、席に座る。

 (……今週もこの時間が来ちまった……)


 会議室には、すでに最長老が座っていた。背筋を伸ばして座ってはいるが、目は完全に閉じている。眠っているのか、悟りの境地なのかは誰にも判断できない。

 その横では、カラオケ親父がスマホで自分のYouTubeチャンネルをチェックしている。

 「おっ、昨日の動画、再生“13”になっとる……!」

 (……先週から増えてねぇじゃん……)


 加工部長がドアを勢いよく開けて入ってくる。江戸っ子らしく靴音がうるさい。

 「おい藤井! 今日もやんのか、この朝会。朝っぱらから小言聞くと胃が縮むんだよ!」

 「僕に言われても困るんですが……」


 続いて組立部長が入室する。

 「せやない……言われたから来とるだけや……」

 今日も入れ歯が微妙にずれているのか、“しゃべり”はほぼ字幕前提。


 技師長はまだ来ていないと思ったら、会議室の一番奥でなぜか正座していた。息をしているのかしていないのかわからない静けさで、藤井は心臓が止まりかける。

 「ぎ、技師長……生きてますよね……?」

 「まぁそんなもんだろ……」

 (どんなもんだよ……)


 調達部からは、調達部長と鼻毛爺いが揃って入室。鼻毛爺いは今日も鼻毛が元気よく飛び出している。

 「今日はワシが議事録当番か?」

 「いや、調達部長ですよ」

 「えー? それ初めて聞いたがな」

 (絶対聞いてたよな……!)


 最後に営業課長が書類を抱えて入ってきた。

 「はーい! 本日は皆さまお忙しい中〜、ご参加ありがとうございます〜!」

 (お前、朝会以外で忙しいことあったっけ……?)


 そして、遅れて重役登場。社長が部屋の空気を圧縮するような存在感で現れた。

 「おはようございます、皆さん!」

 丁寧語だが、声の圧が鼓膜に刺さる。

 会議室の空気温度が一度下がった気がした。


 営業課長が慌てて進行する。

 「えー、それではまず、各部署から進捗報告を〜……」


 進捗といっても、いつも通りの“進まない進捗”報告。


 加工部長:「変わんねぇよ。材料来ねぇ。以上」

 調達部長:「いや、材料は“気持ち”では届いてるんだよ」

 藤井(気持ちって何だよ……物理学の新分野か?)


 組立部長:「せやない! 来てへん!」

 最長老:「わたしの手帳には“昨日も同じ”って書いてありますね…」

 カラオケ親父:「昨日アップした動画、再生12……いや13です!」

 お局:「どうでもいいでしょ、そんなの」


 ここまではまだ雑談レベルで済む。しかし、この会社の地獄はここから本番である。

 社長がゆっくりと席を立つ。全員が固唾をのむ。


 「皆さん……新聞は読みましたでしょうか」


 その一言で、全員背筋がピンッと伸びる。


 そう、社長の朝会総括は“新聞感想文”から始まる。

 今日の話題は、大谷翔平でもなければ政治でもない。まさかの“昨日の天気”。


 「昨日は風が強かったですね。あれはまさに、社会の不安定さを象徴しております」

 お局:「(天気に社会背負わせるなっての)」

 社長は止まらない。


 「最近の若者は、風に逆らわない。立ち向かわない!

 我々は、風に向かってこそ強くなるんです!」


 加工部長がぼそり。

 「風の話になっちゃったよ……」


 社長の熱弁はさらに続く。


 「努力とは、筋肉です! 筋肉がつくまで努力するのです!」

 藤井(筋肉の定義がおかしい……)


 そして、議事録係への圧が飛ぶ。

 「議事録係の方、今の“筋肉のくだり”はしっかり書いてくださいね!」

 調達部長:「えーと、“筋肉が大事”…だけ?」

 藤井(帰りたい……)


 朝会が終わると、議事録は“社長検閲”という第二地獄が待っている。


 まずは調達部長の書いた原稿を藤井がチェックする。


 『社長、新聞で怒る。

 風がどうとか。

 筋肉の話。

 以上。』


 (以上じゃねぇんだよ……)


 鼻毛爺いのメモはさらにひどい。


 『ワシ今日初めて聞いた』

 (聞いてたよ! 横で新聞読んでただけだろ!)


 そして藤井による“死んだ文章の蘇生作業”が始まる。

 社長の言葉を“社会性のある文章”に変換し、怒号を“熱意”に置き換え、矛盾を消し、褒めていない部分も“鼓舞した”に書き直す。


 出来上がった議事録は、朝会の現実を一切反映していない“美文”になった。


 『社長より、風を受け止める勇気と筋肉の重要性について力強い激励があり、

 社員一同、気持ちを新たに前進する決意を固めた』


 (……嘘の固まりだな……これ……)


 そして社長室へ提出すると、さらなる地獄。


 「藤井くん、ここ“怒鳴った”じゃなくて“熱意を示された”でしょ」

 (いや怒鳴ってたよ……)

 「“努力不足”は“期待へのメッセージ”にしてください」

 (メッセージって何?)

 「全体的に、私の言葉に“重さ”が足りないですね」

 (重さの原因は声量だよ……)


 30分かけて社長と謎の共同編集が行われ、最終的に議事録はもはや文学作品となった。


 提出作業を終え、藤井はやっと解放される。


 廊下に出ると、最長老が立っていた。

 「藤井くんや……今日も大変でしたね…」

 「最長老……聞いてたんですか……?」

 「いや全然聞いてません…寝てしまいました…」

 (寝てたんかい……)


 最長老はゆっくり手帳を開き、一行書いた。


 『朝会という名の嵐。

 議事録という名の傘。

 傘が破れても、誰かが縫う。

 藤井くん、いつもありがとう。』


 その優しさに藤井は少しだけ救われた。


 しかし、その隣でカラオケ親父が叫ぶ。

 「藤井くん! 再生14になりました!」

 お局が冷たく言った。

 「朝会より伸びてるじゃない」


 藤井は笑った。

 笑うしかない――この会社の朝会は、終わりの見えない“筋肉道場”なのだから。

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