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総務課長・藤井仁の憂鬱 ― 臨終雇用は日本の縮図  作者: みえない糸


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第54話 車検騒動編 ― “最初からミラーは無かった”という地獄

調達部のハイエースが車検に出された朝、藤井仁(36歳)はいつものように総務の机に積まれた書類の山と格闘していた。そこへ内線が鳴る。


「藤井さん? 例のハイエース、右のサイドミラーが無いんですけど」


整備会社の担当者が悪夢の宣告をしてきた。


「……え? 無いって、どういう意味でしょうか?」


「物理的に“無い”です。土台だけあって、ミラー部分がありません。まさか、これで走ってたんですか?」


藤井は電話を持ったまま天井を見上げた。

(また……また調達か……)


調達部に向かうと、鼻毛爺いが鼻毛だけ元気なまま、書類トレーを漁っていた。


藤井が丁寧に尋ねる。


「右のミラー、いつから無かったんです?」


鼻毛爺いは、あっさり答えた。


「最初から無かったよ」


「……は?」


「買ったときから無かったんだよ、あれは。右側は気で見る派なんだ」


「……“気”で……?」


鼻毛爺いは鼻毛を揺らしながら胸を張る。


「ハイエースは左側が命。右は“気合”で補う。昔からそうだよ」


藤井の理性は、わずかに崩れた。

(なんで俺は、この会社で人生を……)


すると調達部長が割って入る。


「藤井くん、あのミラーは“心の鏡”なんだよ。外側に無くても困らん。漢は自分の運転を信じる!」


「社長じゃないんだから、精神論で走らせないでください!」


そこへ物流のカラオケ親父が会話に混ざる。


「俺も昔、鏡なんか見ずにバイク乗ってたぞ。若い女房にも“あなたは後ろを振り返らない男ね”って惚れられたんだ」


「……どうでもいいです」


話は全く進まない。


藤井は加工部長にも聞いてみた。


「ハイエースの右ミラー、いつから無かったかご存じですか?」


加工部長はツルツル頭を指でこすりながら言った。


「ああ、ミラー? あんなもん、“去年の台風の日に飛んでいった”んじゃねえか?」


「……証言がまるで違うんですけど!」


するとお局が遠くから毒を飛ばす。


「アンタたちの“記憶”が一番の事故よ」


藤井は深呼吸し、社長の元へ。


「社長、右ミラーが……」


社長は椅子に深く座り、怒鳴る丁寧語を放った。


「藤井くん、私はね、車検というものは“誠意の点検”だと思っております!! ミラーが無いなら、つければいいだけの話でしょう!!」


「そう…なんですが…事実確認が……」


「事実とは心でつかむものです!!」


(また心か……)


結局、藤井は全社員へ“ミラー喪失時の報告ルール”と“物損連絡手順”をまとめて配布することにした。


その瞬間――まるで集団で藤井を潰すかのように横槍が飛ぶ。


組立部長が「せやない!」と乱入。


「まずミラーの位置から教育せなあかん! 右と左がわからんやつおる! そやから廃番部品が混ざったり、客先に左の部品送ったりすんねん!」


「それは別件です!」


次は技師長が登場。


「あー藤井くん、ミラーはそんなもんだろ。右が無ければ左を見る。左が無ければ前を見る。前が無ければ、まあそんなもんだろ」


「そんなもんじゃないです!」


死ぬほどカオス。


どの部署も責任を押し付け合い、何一つ前に進まない。


藤井は自分のメモ帳に書いた。


『ミラー:行方不明。原因:人間。対策:神。』


すると午後になり、鼻毛爺いが総務に顔を出した。


「藤井くん、俺、今日免許更新行ってくる」


「……あ、はい。行ってください。ミラー無し運転は絶対やめてくださいね?」


「心配すんな。教官に褒められるから」


藤井は思った。

(褒められる要素、ゼロなんだけど……)


数時間後。


鼻毛爺いが、信じられないほど静かな表情で戻ってきた。


「……返納した」


「は?」


「教官に“運転中に左右確認しないのは危険です”って言われてよ。わし言ったんだ。『最初から右ミラー無いから分からん』って」


「それ言っちゃダメなやつ!!」


「教官が“あなたは今までよく生きてましたね”って言うから、わしもちょっと考えてな。“じゃあ、返す”って」


藤井は思わず立ち上がった。


(直接の対策は…何一つ、何一つ機能しなかった。でも……)


鼻毛爺いが免許を返納したことで、調達部のハイエースは 自動的に安全確保された のだ。


ある意味、完璧な是正。


ナンバー2が肩を落として言った。


「……藤井課長、すんません。ミラーは“あるもの”と思い込んでました」


最長老がゆっくり頷いた。


「藤井くん……“無いものは、無い時に気づかんとな”……昔からそうですよ……」


藤井は遠い目をした。


(ミラーひとつで、こんな壮絶な一日になる会社が他にあるか……)


最後に社長が総務に現れ、偉そうに言った。


「藤井くん、ミラー対策は進んでいますか?」


「……鼻毛さんが免許を返納しました」


「それは素晴らしい進捗です!! 誠意の退路遮断です!!」


「……誠意、ですかね?」


「誠意ですよ!! そして“誠意ある運転”とは、“運転しないこと”です!!」


(なんでそうなる)


――こうして、ミラーの再発防止策は一つも実現しなかったが、

調達部の最大のリスク要因が車から消えたことで問題は“奇跡的に”解決した。


藤井は日報にこう書いた。


『本日の成果:鼻毛爺い、免許返納。

 本日の課題:会社って何?』

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