第46話 創立記念式典編 ― “幻の米と誠意の詰め合わせ”
二月下旬。
北風が吹く朝、総務課長・藤井仁(36歳)は机の上に置かれた赤い封筒を見て、眉をひそめた。
宛名は「総務課長殿」、差出人はもちろん、社長。
封を開くと、太字でこう書かれていた。
《創立105周年・社長就任10周年記念式典 開催準備指示》
(……“記念式典”って言葉ほど、現場泣かせな単語ないよな)
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社長室。
ガラスの向こうで、社長が妙に上機嫌に腕を組んでいる。
「藤井くん、今年は特別な年です。創立105年、私の就任10年!」
「はい。節目ですからね」
「節目とは、“誠意を見せる瞬間”のことです!」
(出た、誠意教の開祖)
「社員に記念品を渡しましょう。誠意を形にする特別な贈り物です」
「なるほど。何をご希望で?」
「今年、災害で被害を受けた石川県。その地産を社員に贈ります!」
「……また、難易度の高い指示を」
「困っている人を支援する。それが真の誠意です!」
「誠意の定義、もう哲学になってますね」
「今年は米不足でした。従業員の生活支援にもなり、復興支援にもなる、石川の米しかありません!」
「……え?」
「“誠意の白米”です!」
(この人、誠意で米炊けると思ってるな)
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総務課に戻ると、お局がコーヒーを置きながら言った。
「また社長、変な思いつき?」
「“石川の米を社員70人に贈る”だそうです」
「災害の年に、本気なの?今はただでさえ全国的にも米不足よ?」
「…はい。“誠意で調達しろ”って」
「誠意が通貨になる世界、まだ来てないわよ」
営業課長が顔を出す。
「でも石川の米どころか、今ブランド米はどこも在庫ゼロですよ。ニュースでやってました」
「…社長は“希少は誠意の証”と言ってました」
「つまり、“ないほど良い”理論?」
「そう。誠意、ゼロ距離爆発理論」
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三日後。
藤井は米問屋、農協、地元スーパーを巡った。
しかし返ってくる答えはどこも同じ。
「ありません」
「在庫ゼロです」
「誠意ではなく通達をください」
(終わった……これ、間違いなく激怒する…)
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夕方。
藤井はコンビニの米菓コーナーをぼんやり見ていた。
「米はないけど……米菓なら……」
そのとき、脳内でスイッチが入る。
(米が無いなら、米を焼けばいいじゃないか)
彼は地元物産展に駆け込み、石川県産の米菓を片っ端から買い集めた。
輪島塩せんべい、加賀おかき、生かきもち、能登こめチップ。
袋いっぱいの“米の変身形態”が揃った。
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お局が呆れ顔で見つめる。
「……アンタ、また変なこと考えてるわね」
「米が無いなら、米菓です」
「それ、マリー・アントワネット理論じゃない」
「いえ、“誠意・アントワネット”です」
「バカよ、名言風に言わないで」
「社員70名分、全部詰め合わせにして、
“石川の恵み支援セット”って名付けます」
「……バレないと思う?」
「誠意で包めば、なんでも米に見えます」
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式典当日。
市民文化ホール。
壇上には紅白幕と巨大な横断幕。
《創立105周年・社長就任10周年記念式典 誠意は続く》
(……なんでいつも“誠意”で締めるんだ)
社員70名が整列。
一人一人に、石川県産米菓の詰め合わせが配られる。
包装紙には金文字で「石川の実り」。
お局が小声で言う。
「“米”って字、どこにも書いてないのね」
「はい。誠意は文字数に宿ります」
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社長が登壇した。
スポットライトが当たり、声が響く。
「諸君! 本日は記念すべき日です!」
(……また始まった)
「我が社は105年、私は10年。誠意を積み重ねて歩んできた企業です!」
(もはや“誠意”が通貨単位)
「社員諸君に、この日を記念して石川の米を贈ります!被災地の希望を、我らの誠意で支えるのです!」
(いや、それ、焼いた後の希望なんですけど)
社員たちは笑いを堪え、拍手が鳴る。
お局が囁く。
「うちの社員、もう“信仰心”で動いてるわね」
「はい。“誠意教”第十代信者です」
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社長は続けた。
「この米は、災害を乗り越えた象徴なのです!」
営業課長(小声):「いや、乗り越えたのは製菓工程だろ」
「この粒のひとつひとつに、心が詰まっています!」
お局:「心っていうより、ピーナッツ入ってるわよ」
「誠意は噛めば噛むほど味が出る!」
藤井:(……せんべいのレビューじゃないですか)
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スピーチ終盤。
社長が満面の笑みで叫んだ。
「さあ皆さん、袋を開けてください! 香りを感じなさい!」
(やめて、やめてくれ!)
一斉に袋を開ける音。
ポリポリ、パリパリ。
ホール中に広がる醤油の香ばしい匂い。
社長:「……これだ。これが、誠意の香りです!」
(……完全に雰囲気に感動してる)
お局がぼそり。
「“香ばしい誠意”って新ジャンルね」
藤井:「うちの理念、いつの間に食品になったんでしょうね」
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式典後、社長が藤井に声をかけた。
「素晴らしい式でした! 石川の魂を感じました!」
「ありがとうございます」
「社員も喜んでいた。誠意は味覚に通じます!」
(新理論生まれた……)
お局:「まさかの“味で伝わる誠意”」
営業課長:「次は“嗅覚で感じる理念”とか言い出しますよ」
藤井:「もう五感全部でくるな……」
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夜。
式典の片付けをしていた藤井のもとに、最長老がやってきた。
静かにお茶を置き、手帳を開く。
そこには一行。
『誠意とは、欠けたものを笑顔で埋める工夫である。』
藤井は少し笑って、ホールの天井を見上げた。
(今日の誠意、ちょっとしょっぱかったな……)
外では、冷たい風に乗って、
どこかで誰かが開けた米菓の袋の音が、まだパリパリと響いていた。




