第45話 方針発表編 ― “理念の再インストール”
これは賀詞交換会の少し前悪夢、それは社内でも展開されていた…
年明け一月五日のこと
正月気分も抜けぬうちに、全社員が食堂に集合していた。
赤白幕の前に、例の演台。
マイクの前には、すでに社長が仁王立ちしている。
背後の横断幕には、でかでかと書かれていた。
『新年方針発表会 ― 誠意経営2.1始動』
(数字つけた時点でイヤな予感しかしない)と、総務課長・藤井仁(36歳)はこめかみを押さえた。
お局が隣でつぶやく。
「“誠意2.1”って何? クラッシュしそうね」
「はい。うちのサーバーより脆いです」
社長がマイクを掴んだ。
「諸君! 昨年は“誠意の数値化”に挑み、見事に成果を上げました!」
(見事に混乱したんですけどね)と藤井。
「だが、私は思うのです。“誠意”とは単なる指針ではない!
我が社の“OS”なのです!」
会場が静まる。
営業課長が小声でつぶやく。
「……精神をOSって言い出したよ」
お局:「この会社、もう宗教から情報処理に進化したわね」
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社長はスライドをめくる。
スクリーンには、奇妙な図が映し出された。
【旧理念:誠意 → 努力 → 結果】
【新理念:誠意 → 感動 → 成長】
「これが“誠意経営2.1”です!」
お局:「“感動”って誰がするの?」
「社員です!」
「強制感動か……地獄ね」
社長は続けた。
「昨年までは“努力の見える化”でした。今年からは“感動の共有化”です!」
藤井:「どんな共有方法を想定されてますか?」
「涙です!」
「……アナログだなぁ」
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社長は身を乗り出す。
「私は考えました。理念とは、インストールし直さねばならない!」
「……インストール?」
「人は、理念を更新しないと誠意がバグるのです!」
お局:「人事制度にまでウイルス入ってそうね」
社長は続けた。
「だから、今年は“理念アップデート週間”を設けます!」
「なにそれ、強制アップデート!?」
「そうです! 社員一人ひとりが理念を“再インストール”するのです!」
「どうやって?」
「黙読です!」
藤井:「またアナログだなぁ……」
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一方、後方の現場勢。
加工部長がひそひそ声で言う。
「インストールって、USBいるのか?」
調達部長が低く答える。
「俺の誠意はオフラインじゃ!」
「じゃ、再起動できねぇな」
「電源切ったまま十年経ってる」
お局が苦笑い。
「うちの社員、全員フロッピー世代よね」
藤井:「OS古すぎてアップデート弾かれますよ」
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社長が胸を張る。
「さらに今年は、新しい行動指針を追加します!」
スクリーンに次々と現れる文字。
【行動指針2025】
1.誠意は見せるより、感じさせること。
2.理念を語る前に、理念に従え。
3.失敗は“誠意の素材”。
4.上司は部下の誠意を代弁できるように。
5.誠意の欠如は、全員の責任。
「……宗教法人よね?」とお局。
藤井:「“誠意の素材”って、料理番組みたいですね」
営業課長が手を挙げる。
「社長、“誠意の欠如は全員の責任”って、全員罰ってことですか?」
「その通り!」
「……明確な集団懲罰ですね」
「誠意はチームプレイです!」
お局:「罪の連帯責任って言ってた時代もあったわね…」
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休憩中。
社員たちはコーヒー片手にため息をつく。
「うちの理念、毎年アップデートされてるよな」
「バージョンいくつだ?」
「もう7.3くらい」
「互換性、あるのか?」
「ない。去年の理念、今年の理念に開けない」
藤井は手帳を見ながらつぶやいた。
(理念が変わるたび、誠意がリセットされる。まるで初期化だ……)
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午後の部。
社長がいきなり言った。
「ではこれより、“理念再インストールの儀”を執り行います!」
社員一同、ざわつく。
お局:「……儀?」
「立て、誠意の民よ!」
社長の合図で、照明が落ちた。
流れ始めるBGM(※社長選曲:『交響曲第九番新世界より』)
全員が立たされ、配られた紙を朗読する。
「理念とは、心のプログラムである――」
「誠意とは、更新し続ける情熱である――」
「感動とは、誠意の通信速度である――」
藤井:(もうネット回線の比喩やめてほしい……)
お局:(うちのWi-Fiより遅い誠意ね)
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儀式が終わると、社長は満足げに微笑んだ。
「これで皆さんのOSは“誠意2.1”にアップデートされました!」
営業課長:「エラー出てる人もいますけど!」
「大丈夫だ、再起動すれば治る!」
「誰が再起動するんですか!」
「私だ!」
お局:「やめて、システム壊れる」
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式が終わったあと。
藤井は机に戻り、会議メモを整理していた。
そこにはこう書かれていた。
・理念更新
・誠意の通信速度
・感動の共有化
・再インストールの儀
(……これ、会社の議事録に残していい内容なのか?)
お局がため息をついた。
「このままじゃ、うちの理念、パッチノートになるわね」
「“誠意ver2.1.1(バグ修正)”とか出そうです」
「そのうち“誠意クラウド版”も出るわよ」
「更新料、誠意ポイント払いですね」
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その夜。
最長老は誰もいない食堂で、静かに手帳を開いていた。
そこに、ゆっくりと一行を書き加える。
『理念とは、書き換えるほど薄まるもの。
誠意とは、アップデートされずに残る部分である。』
外は雪。
会社の照明が、白い路面に“誠意経営2.1”の看板を照らしていた。
藤井はその光を見上げて、苦笑した。
(……うちのOS、もう対応してないんだよな)




