第44話 賞与支給編 ― “誠意の分配は神のみぞ知る”
誠意テストから一週間。
総務課長・藤井仁(36歳)の机の上には、給与計算ソフトと電卓、そして胃薬が並んでいた。
賞与支給額の最終確認――会社にとっては年末の恒例行事だが、藤井にとっては“恒常的な地獄”である。
今年は例年と違い、査定基準が「誠意理解度テスト」。
つまり“正答が社長の気分”の試験結果に、実際の金が紐づくという前代未聞の状況だ。
社長からの指示は簡潔だった。
「誠意が高い者は0.8、普通は0.5、反省を要する者は0.3。」
「わかりました。……基準は?」
「私の直感です。」
(出た……感覚経営の極地)
お局がコーヒー片手にのぞき込む。
「で、藤井くん。総務課の査定は?」
「社長曰く“事務方は誠意の根幹”だそうです。」
「それ、上がるやつ?」
「“根幹ほど削ると痛い”って言ってました。」
「うわぁ……嫌な予感しかしない」
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翌日。
社員食堂に赤い布がかけられ、即席の“賞与授与式”会場が完成した。
机の上には封筒が70通。すべて社長の筆文字で名前が書かれている。
筆圧で金額が読めると評判だ。力強い文字は“削減”、柔らかい文字は“平常”、妙に優しい文字は“危険”。
社長が壇上に立ち、胸を張った。
「皆さん、今年は“誠意の数値化元年”です!」
誰も拍手しない。
「誠意テストの結果に基づき、科学的に賞与を決定しました!」
お局が小声で言う。
「“科学的”って、あの人の頭の中の科学よね」
社長は誇らしげに続けた。
「では、発表します! 誠意評価Sランク――支給率0.8!」
営業課長が胸を張る。
「誠意に生きてまいりました!」
封筒を開けた瞬間、顔が凍る。
「社長……これ、基本給の0.3ですけど……」
「それは“誠意見直し中”です!」
「中間査定あるんですか!?」
「誠意は日々変動します!」
お局:「…株価より不安定」
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続いて現場代表が呼ばれる。
「あなたは“誠意やや高め”で0.6倍!」
「ありがとうございます!」
封筒を開くと――
「……手取り、去年より下がってますけど」
「税と誠意は反比例するのです!」
「なんですかその理屈!?」
加工部ではざわめきが広がる。
「わしは誠意テスト白紙提出だぞ!」
「俺なんか、“誠意の芽生え”ってコメントだった!」
「それでも0.4って、芽生えた瞬間に刈られてるじゃねぇか!」
「誠意の間引きだな……」
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藤井は総務課の封筒を開いた。
「……基本給の0.5。例年通りですね」
お局が覗き込む。
「私は0.45。中途半端すぎない?」
「社長曰く、“皮肉の含有率調整”だそうです。」
「……分析されてるのムカつくわね」
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そのころ社長室では、社長自ら採点簿を前に悦に入っていた。
「藤井くん、これが“公正な分配”というものだ」
「……公正?」
「数字で決めないから公正なんです!」
「それ、不透明って言うんです」
「いや、“心の透明度”です!」
「定義が毎回ズレるんですよ……」
そこへ営業課長が駆け込んできた。
「社長! 現場で不満が出てます!」
「なぜですか!」
「“誠意を可視化すると貧しくなる”と!」
「素晴らしい! それが悟りです!」
「いや、貧困です!」
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夕方。
各部署から“誠意申告書”が総務に届き始めた。
様式第1号「自己誠意評価届」。
内容欄には、
「日々感謝している」
「朝礼で2回うなずいた」
「上司に心で謝った」
など、宗教的報告がずらり。
お局が苦笑する。
「なんか“誠意ポイント制”になってきたわね」
藤井:「次は“誠意ランキング”が出ますよ」
「いよいよゲーム化ね」
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数日後。
掲示板に張り出された“誠意査定結果一覧”。
Sランク 2名(0.8倍)
Aランク 15名(0.6倍)
Bランク 30名(0.5倍)
Cランク 18名(0.4倍)
Dランク 5名(0.3倍)
そして最下段――特記事項:
「Eランク(誠意の再構築が必要な者)」1名。
その名は……社長本人。
貼り出しを見た社員たちは凍りついた。
藤井は即座に駆け寄った。
「社長、これはどういう……」
「自己評価です! 私は常に未完成でありたい!」
「……それは、立派な言い訳です」
「いや、“誠意の謙虚さ”です!」
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翌日、最長老の席にだけ特別な封筒が届いた。
中にはメッセージカードが入っていた。
『あなたの誠意は、時に沈黙し、時に救う。
支給率:0.8。だが、永遠に安定。』
お局が言った。
「結局、誠意って感情論に戻るのね」
藤井:「はい、“人間の誠意は収束する”ってことです」
最長老は手帳を開き、淡々と書いた。
『誠意の分配は、数字ではなく、空気で決まる。
ゆえに、誠意を測る者こそ、最も誠意が試される。』
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夜。
藤井は机の電卓を片づけながら、ひとりごとをこぼした。
「0.5って、なんか絶妙だよな……損した気も、助かった気もする」
お局が笑う。
「つまり、それが“日本の誠意平均値”ね」
蛍光灯がチカチカと明滅し、藤井は空になった封筒を見つめた。
(誠意は目減りするけど、笑いだけは残る――)
その夜、最長老の手帳には、静かに一行が増えていた。
『誠意の配当は、笑った者に多く届く。』
――冬のボーナスは、やっぱり寒かった。




