第24話 健康診断とストレスチェック ― “匿名”より怖い名前呼び
――年に一度の「健康診断」。
この会社では、健康を確認するためではなく、**「まだ生きているかの確認」**である。
朝八時。総務課長・藤井仁(36歳)は、既にぐったりしていた。
会議室にはパイプ椅子の列。その上に並ぶのは、平均年齢七十代の精鋭たち。
看護師がカートを押しながら呟いた。「……ここ、老人ホームじゃないですよね?」
藤井:「いいえ、製造業です。労災と紙一重の…」。
最初に現れたのは加工部長。
ツルツルの頭が朝日を反射し、看護師が眩しさに目を細める。
「よっしゃ、今年も血が濃いぞ! 去年は固まってたからな!」
「え? 固まってた?」
「冷蔵庫に入れときゃ元に戻る!」
藤井:(血液を食品保存みたいに言うな……)
採血を終えた加工部長が誇らしげに言う。
「おう、血が出たぞ!」
看護師:「……良かったですね」
藤井:(“出た”って成功例なんだ……)
続いて組立部ナンバー2。
腕まくりしてドヤ顔で言う。
「去年言われた血圧の薬やめたんすよ、飲んでんのにぜんぜん治らなかったんで!」
看護師が凍る。「ど、どうして!?」
「飲んでも治らないなら意味ないじゃないっすか!」
測定器「ピピピピピピ!」
表示:上212、下118。
「はい、即病院!」
「大丈夫っす! 昨日スクワット300回しました!」
藤井:(筋トレだけで血圧下がるなら製薬会社潰れてる……)
次に最長老。
看護師:「あの、血圧、上78、下45です」
「昔からこれくらいですよ…」
「いや、低すぎます!」
「大丈夫です…寝てるときはゼロになりますから…」
「ゼロ!?」
「まぁ…息してるうちは大丈夫ですから…」
そのままスーッと椅子から滑り落ちた。
「……あぁ…寝てしまいました…」
藤井:(この会社では“仮死”も勤務中扱い……)
鼻毛爺いが登場。
「わしは鼻詰まりだけで今年も元気だ!」
「今日は採血です」
「鼻毛の勢いが血圧の証拠じゃ!」
ぶおおおおお! ティッシュが宙を舞う。
看護師:「……もう今日は帰りたい」
藤井:(毎年、誰か鼻毛爺いで帰りたくなる)
午後はストレスチェック。
タイトルに「匿名」と印字されたマークシートが配られる。
お局が紙を見て笑った。
「“匿名”って書いてある時点で怪しいのよ」
藤井:「まあ、毎年みんな名前書いちゃいますからね」
「匿名で本音書ける会社なら、ここ倒産してるわよ」
そこへ社長が乱入した。
「これは何ですか!」
「ストレスチェックです。匿名で――」
「匿名? 何故ですか!そんなのは卑怯です! これでは自分の意思が相手に伝わりません!」
「でも制度上は……」
「制度より誠意です! 全員、名前を書きなさい!」
(結果:全員、実名提出)
翌日。社長が社員を集め、朗読会を始めた。
「“社長の声が大きい”……誰ですか!」
加工部長:「俺じゃねぇ、“声が通る”って書いた!」
お局:「通り越して鼓膜突き抜けてるけどね」
社長:「誰がうまいこと言えと言いましたか!」
次の紙を読む。
「“もう少し休憩時間が欲しい”……」
社長の眉が跳ね上がる。
「働けることに感謝しなさい!」
藤井:(健康診断が精神鍛錬になってる……)
ナンバー2は即日、再検査となった。
「よっしゃ、リベンジっす!」
…しかし、数日後の封筒を受け取ると机に放り投げた。
「開けないっす!」
「なぜ?」
「開けなきゃ病気じゃないっす!」
藤井:(量子力学でもそんな理屈通らんぞ……)
最長老も笑って言う。
「わしも去年の結果も開けてないよ」
「去年って……実際は何年分です?」
「かれこれ十年かな。健康ってのは“知らぬが仏”さ」
藤井:(まさに“仏”になりかけてる)
掲示板に貼られた新しい標語。
『健康経営優良法人を目指します(対象:社長)』
お局:「社員は社長の健康を守るために働くのね」
藤井:(たぶん、それも“社是”なんだろうな……)
数日後、結果封筒が全員に配られた。
「要再検査」「要生活改善」「要治療」。
藤井は全体の結果を受けているが誰も開けない。
「見なきゃ“異常なし”っす!」とナンバー2。
「去年も同じ封筒、飾ってるよ」と最長老。
藤井:(開けないことで健康を維持する会社……)
社長が現れ、朗々と宣言した。
「全員、異常なしと認定します!」
沈黙のあと、お局がぼそっと言う。
「死んでも出勤してる人ばっかりだもんね」
加工部長:「それがうちの勤怠制度ってもんだ!」
藤井:(死後も有給消化できない職場って、たぶん世界初だ……)
後日、藤井は指摘を受けた従業員1人1人を説得し、かかりつけ医の診察を受けさせたのでした。




