第16話 社内報告会 ― “友情勘定”の決算
破産処理が終わって半年。社内はどこか浮ついた空気に包まれていた。まるで「失敗を学びに変えた」とでも言いたげな前向きさ――いや、演出された明るさだった。
「本日は“A商事破産に学ぶ会”を開催します」
総務課長・藤井仁(36歳)は、その案内文を見た瞬間、こめかみを押さえた。
(“に学ぶ”って、何をどう学ぶつもりなんだ……?)
ホワイトボードには社長直筆のスローガンが書かれていた。
『友情勘定こそ、真の企業会計』
(友情が資産計上できるなら、日本中の企業が黒字だよ)
社長(78歳)は満面の笑みを浮かべて登壇した。
「諸君、A商事が破産しても、我が社の信義は破産していない!」
誰も拍手しない。だが社長は勢いを失わない。
「失ったのは金だが、得たのは友情だ! これを“友情勘定”として心の帳簿に記録しておきたい!」
お局(71歳・前社長の従兄弟)が小声でつぶやいた。
「帳簿つけるの、もう精神科行きね」
藤井は、喉の奥で笑いが漏れるのを必死にこらえた。
壇上に上がった営業課長が報告書を掲げた。
表紙には『特別報告:友情勘定に基づく営業信義の継承』とある。
(相変わらずタイトルの時点で破綻してる……)
営業課長は胸を張った。
「A商事の破産は残念ですが、信義関係は破綻しておりません!むしろ“信頼に基づく関係継続”と捉えております!」
(破産してるんだから、継続してないってば……)
「この損失で弊社の対応力は格段に向上しました。信義は数字には換算できません!」
「その通り!」と社長が深くうなずく。
「友情や信義に金額をつけるのは浅ましいことだ」
(いや、数字にしないと会計できませんけど)
後方から声が上がった。
恰幅の良い平社員(73歳)が手を挙げる。
「社長!友情勘定って、銀行に口座作るんですか?」
「なに?」
「信義預金とか友情債権とか……」
「それはいい発想だ!」
(ダメだって。銀行が困惑する)
「社長、友情って利息つきますか?」
「利息を求める友情は下心だ!」
「じゃあ無利息で友情貸与ですか!」
お局が肩をすくめる。
「無利息どころか、利息取られてんのよ。人件費でね」
加工部長(75歳・江戸っ子)が腕を組んだ。
「社長よぉ、あっしらゃ友情より部品代が欲しいんでさ」
「お金より信義だ」
「そいつぁ結構。じゃあ信義で材料買ってくるかね?」
「そういう発想、好きだ!」
「好きで食えるかっての」
その横で技師長(78歳・名誉職)がにやりと笑う。
「わしは友情で図面引いてきた。ギャラは友情通貨でええ」
藤井が即座に突っ込む。
「技師長、それ紙幣じゃないですよ」
「心で換金するんじゃ」
(換金率ゼロどころかマイナスだろ)
お局が机を指で叩いた。
「つまり倒産しても“うちの信義は倒れない”って話でしょ?だったらうちが倒産しても“信義生きてます”って言えるわね」
「いい発想だ!」と社長が感動してうなずく。
(会社の墓石に“信義は生きている”って彫るつもりか……)
会議終盤。社長が言った。
「さて、総務課長。損失処理の報告を」
藤井は立ち上がり、できる限り冷静に説明した。
「A商事分の債権は破産債権として処理済みです。回収見込みはゼロ。友情は残りますが、資産には計上できません」
「友情の簿記処理は難しいな」
「はい、どんな勘定科目を作っても税務署に否認されます」
お局がすかさず補足する。
「友情が否認される会社って、ある意味健全ね」
社長は突然立ち上がった。
「諸君、我々は友情の勘定を知った!次は恩義勘定を学ぶ番だ!」
平社員が不安そうに手を挙げる。
「恩義勘定って、新口座ですか?」
「そうだ!恩を記録する企業、それが我が社だ!」
藤井は机に額を押し付けた。
「……もう会計じゃなくてポエムですね」
お局がため息をついた。
「恩返しできるうちはいいけどね。恩に利息つけてくる人もいるから厄介よ」
加工部長が笑う。
「そりゃ“義理返済”ってやつだな」
技師長がメモを取り出す。
「図面にも“恩義欄”を設けよう」
「やめてください。設計に感情いらないです!」
会議の締めくくり、社長がマイクを握りしめた。
「この経験を社史に刻もう!“友情勘定による信義取引の美談”として!」
お局がぽつり。
「美談っていうより事故報告書ね」
「金は失っても、信義を失うな!友情は会社の最大資産だ!」
(友情で決算できるなら、俺の給料も友情で支給してほしい)
会議が終わり、社員たちは散っていった。
藤井は最後にホワイトボードを見つめた。
『友情勘定こそ、真の企業会計』
その下に、お局が小さく書き足していた。
『ただし、倒産企業に限る』
藤井は小さく笑ってペンを置いた。
(信義で生きて、友情で沈む。うちは宗教でも商社でもなく、“感情会計所”だな)
窓の外では、夕焼けが社屋を赤く染めていた。
その赤は、まるで会社の損益計算書そのもののように――
美しく、そして痛々しかった。




