第15話 管財人報告会 ― “信義の帳簿”
1. 六か月後の封筒
半年という時間は、救いにもならず、忘却にもならなかった。
総務課長・藤井仁(36歳)のデスクに、再びあの封筒が届いた。
差出人は――「A商事株式会社 管財人 弁護士」。
前回届いたのは「民事再生手続開始通知」。
今回は、より冷徹な四文字が並んでいた。
> 「再建不能」
藤井は溜息をつき、封筒をゆっくり開けた。
中には「破産手続開始決定」のコピーと、管財人報告会の案内状。
(……半年かけて、結局この結末か)
再生計画案は債権者の同意を得られず頓挫。
支払い猶予も、延命策も、ただの時間稼ぎで終わった。
それでも社内の営業報告書には、いまだに**「信義取引継続中」**と記されている。
(……信義って、どの帳簿に載ってんだよ)
⸻
2. 通夜のような報告会
報告会の会場は、地方銀行の貸会議室だった。
長机の上には債権者名簿。
参加者たちは沈黙のまま、ただうなずき続けている。
弁護士が淡々と説明した。
「A商事は、資金繰り悪化により再生計画を断念。
今後は破産管財人のもとで清算を進めます」
報告会というより、通夜の場だった。
誰も声を上げず、ただ紙をめくる音だけが響いた。
藤井の隣に座っていた食品メーカーの担当者が、ぽつりとつぶやいた。
「半年も“再生”を信じて、なんも残らねえ。
信義だの義理だの、帳簿のどこにも載らねえんだな」
藤井は静かにうなずいた。
(それでも、うちの社長は“経験値が増えた”って言うんだろうな……)
⸻
3. 社長の“学びの哲学”
翌朝。
社長(78歳)は、報告書を受け取ると、まるで朗報のように言った。
「破産か。うむ、これもよい経験だったな!」
藤井は耳を疑った。
「え……経験、ですか」
「そうだ。失敗は会社の血肉だ。
うちは学びを積み上げる会社だよ」
(……血肉というより、もう貧血気味なんですけど)
社長は笑顔で続けた。
「儲けることは正しい。だが、回収できなかった金は“勉強代”だ。
勉強代を払わぬ会社は、成長せん」
「はぁ……」
「それに、失敗も投資だ。
“経験資産”として計上すれば、損失も輝く」
(……輝いてるのは赤字の方ですよ、社長)
⸻
4. 営業課長のヨイショと裏切り
その日の午後、営業課長が会議室に呼ばれた。
扉を開けた瞬間、満面の笑顔。
「社長の“勉強代”理論、感動しました! 人として尊敬します!」
社長が嬉しそうにうなずく。
「うむ、理解のある部下を持って私は幸せだ」
藤井は内心で頭を抱えた。
(理解のある“部下”じゃなくて、“都合のいい翻訳機”ですよ……)
会議が始まり、社長が問う。
「今回の損失、原因はどこにあったと思う?」
営業課長は、完璧な責任転嫁を披露した。
「はい、経理上の確認が遅れたのが要因かと。
総務側のリスク管理がもう少し早ければ――」
社長:「ふむ、つまり藤井君のほうか?」
「いえいえ、課長も頑張っておられました。ただ、確認体制にズレが……」
(お前が請求書隠してただろうが!)
⸻
5. “信義倒産”の社内報
昼休み。
お局(71歳・前社長の従兄弟)が新聞のように社内報を読み上げた。
> 「A商事破産、弊社の信義関係を理由に特別損失計上」
「信義関係って何よ。貸したの? 祈ったの?」
藤井:「うちでは、祈りも資産に含まれるんです」
お局:「宗教法人になった方が早いわね」
そこに例の平社員(73歳)が割り込む。
「社長、信義ってえのは、信用の義理って書くんですよね?」
「そうだ! 信じる義理こそ我が社の誇りだ!」
「じゃあ、回収しなくても信じ続けりゃ義理堅いってことですか!」
「うむ! それでよい!」
(お前ら、もう会計じゃなくて思想戦やってんのか……)
⸻
6. 加工部長のぼやきと皮肉
翌日の朝礼。
加工部長(75歳・江戸っ子)が手を上げた。
「社長よぉ、うちの部品代、A商事にまだ五十万残ってんだけど」
社長:「それは勉強代だ」
「じゃあ俺にも給料の勉強代出してくれよ。今月も赤字だ」
「ははは、学びは自ら掴むものだ」
「おう、じゃあツルハシでも掴むかね」
お局が横から口を挟んだ。
「部長、社長にツルハシなんて言うと“新しい学び”とか言い出すわよ」
社長:「うむ、学びは掘り起こすものだ」
(……ほんとに掘り起こすとは思わなかった)
⸻
7. 勉強代経営の開花
翌週、掲示板に新しいポスターが貼られた。
> 『失敗は経費、反省は資産』 ― 社長語録第42条
藤井は目を押さえた。
「……ついにきたか」
お局:「昨日の朝礼じゃ“損失は未来への投資”って言ってたわよ」
「もう投資信託でも始めそうだな、この会社」
⸻
8. 再建不能でも前向き
会議室で社長が締めの言葉を放った。
「今回の破産は、会社として大きな学びだった。
信義とは、相手を信じること。
金は消えても、信義は残る!」
お局:「……信義で食えるなら、銀行いらないわね」
藤井:「うちの信義、利息つきませんから」
社長:「うむ、利息を求めるのは浅ましい」
(いや、金貸してる側ですけど……)
⸻
9. 終章 ― “信義の帳簿”
帰宅前、藤井は机に突っ伏した。
半年かけて回収できなかった債権。
それを「学び」と呼ぶ会社。
掲示板には、今日の標語が輝いている。
> 『勉強代こそ、最大の投資である。』
お局が帰り際に呟いた。
「アンタもよう頑張るわね。あたしならとっくに“再建不能”よ」
藤井は苦笑した。
「こっちも民事再生中ですから」
消灯スイッチを押すと、蛍光灯がひとつずつ落ちた。
静まり返る社屋に、社長の声だけが残っている気がした。
> 「失敗は学びだ。損失は投資だ」
その声は、もはや祈祷のように響いていた。
会社は赤字でも、信義だけは黒字。
――それが、この国の老舗企業の正しいあり方なのかもしれない。




