第12話 採用活動編 ― 若返り会議は終活の香り(前編)
春の陽気が差し込む午後。
会議室のカーテンは日焼けで色あせ、壁のカレンダーには三年前のモデルの女優が笑っている。
藤井仁(36歳)は、湯気の立たない湯呑みを手に、会議の始まりを待っていた。
議題は「採用計画」。だがこの会社の会議で、まともに計画が立てられたことなど一度もない。
社長が扉を開けると同時に、空気がピンと張り詰めた。
スーツは三十年前のダブル。顔には「俺が経営だ」とでも言いたげな自信が張りついている。
「諸君――今年は“若返り採用”で行きます」
社長の宣言に、会議室が一瞬だけ沈黙した。
次に、どっとため息と椅子のきしむ音が響いた。
「若返り、ねぇ……」
腕を組んでいたお局(71歳)が口角を上げた。
前社長の従兄弟にして、現社長にとっては“扱いづらい遺産”。
「社長、それって平均年齢を“79から78”に下げるってことですか?」
社長はニコリと笑った。
「違いますよ。もっとこう……新しい風をですね」
「その新しい風、いつも扇風機で再利用してますけどね」
お局の毒は今日も直球だ。
加工部長(75歳)がふっと鼻を鳴らした。
「社長、うちの新しい風はみんな腰にサポーター巻いてますぜ。
若返りたきゃ、まず整形外科通いから始めねぇと」
「はっはっは、明るい意見ですね」
社長は満足そうに笑いながら、メモを取るふりをした。
藤井仁は、ため息を飲み込みながら議事録に書いた。
《社長:若返り採用方針を発表。根拠不明。》
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「藤井君、採用条件はどうなっている?」
「はい。今期の人件費削減方針の中で、新卒は見送り、中途採用を検討と――」
「ふむ。つまり“若い中途”だな」
社長の視線が、まるで“30代後半を若手扱い”する時代錯誤そのものだった。
お局がすかさず割って入る。
「若い子なんて来ませんよ。今の若い子は“健康診断に血圧180の人がいる会社”なんて応募しませんからね」
加工部長がうなずいた。
「うち、健康診断のとき医者が“なんで全員高齢者デイサービスに白衣で来てるのか”って顔してたな」
社長は咳払いをして話を戻した。
「まあまあ。若返りとはいえ、年齢は問いません。“精神的に若い人”を採ればいいのです」
「精神的に若いって、それ“落ち着きがない”って意味ですけど?」
お局の言葉に加工部長が吹き出した。
「ははっ! じゃあ俺は永遠の少年かい!」
「少年ってより老害予備軍だろ」
お局が間髪入れず刺す。
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会議室は笑いのような、ため息のような空気に包まれた。
藤井仁は書類をめくりながら、少し冷静な声を出す。
「社長。仮に若い層を採用しても、定着のためには待遇改善が必要です。
最低でも固定残業制の見直し、休日の確保――」
「ほう? それはつまり、残業しない社員を増やすということですか?」
「はい、効率化の観点からも――」
「私は反対です」
社長の声がピタリと冷たくなった。
「努力は時間に比例するものです。若者に必要なのは、学びと根性。残業こそ教育です」
(それ、前回の労基署に言ってこいよ……)
藤井仁は心の中で机を叩いた。
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「それで? どんな人を採るんですか?」
お局がわざと明るい声を出す。
「営業経験者、技術者、現場作業員――すべて若返りだ」
「平均年齢75の現場で何を若返らせるんです? 生命保険の契約年数ですか?」
社長が軽く笑った。
「お局さん、そうやって茶化すが、あなたもいつまでも若いですよ」
「ほら出た、セクハラ混じりのお世辞」
加工部長が口を挟む。
「社長、仮に若いの来ても、三日で逃げちまうだろうな。
前も“冷房の設定24度は寒い”って言った新入社員、暖房入れられて逃げたじゃねえか」
お局が乗っかる。
「だいたい“若返り採用”なんて、うちじゃ“寿命の競争”でしょ? 生き残りゲームよ」
「生き残りでも構いません。強い者が残る。それが自然淘汰です」
社長は満面の笑みで言い切った。
(いや、それ企業じゃなくて動物番組のナレーションだろ……)
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会議は終盤に入り、誰も議事録を取る気を失っていた。
社長が立ち上がる。
「よし、決まりです! 今期は“若返り採用”を実施します!」
お局がすかさず呟く。
「どこからどこまでが今期なんです?」
「四半世紀計画です!」
「……うち、25年後まだあると思ってるんですね」
加工部長がにやりと笑った。
「社長、若返り採用ってのはいいですけどよ。
来るのは若手じゃなく“若い頃の写真持ってくるおじいちゃん”ばっかりですよ」
「構いません。心が若ければ!」
「心が若いだけだと落ち着きのない年寄りよ」
お局の一言が最後の一撃だった。
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会議室を出ると、夕日が赤く窓を染めていた。
藤井仁は廊下を歩きながら、頭を抱えた。
(“若返り”って言葉、うちじゃ“再雇用”と同義語だな……)
事務所の片隅では、加工部長が仲間にぼやいていた。
「若返りっつったって、うちはまだ後期高齢者に“前期”があるって信じてんだよ」
お局が笑いながら追い打ちをかけた。
「社長の若返りって、“自分より若い人を採る”って意味じゃなく、“まだ死んでない人を増やす”って意味だからね」
――笑いとも嘆きともつかない空気が残る中、
藤井仁は自分の机に戻り、議事録のタイトルを入力した。
《第十二回 若返り採用計画会議》
《結論:平均年齢、来期も上昇見込み》
(この会社の若返りは、平均寿命とのデッドヒートだ)
彼はキーボードを叩きながら、静かに天井を見上げた。
――春は、新人とともに、また老いを運んでくる。




