第2章 癒しの力なんて、使えるわけがない
「お、おまえ……さっきの、その手……まさか、“癒し手”なのか……?」
少女は怯えと希望の混じった瞳で、俺を見上げていた。巫女服のような装束は、ところどころ破れて泥と血にまみれている。
俺は戸惑いながら、手のひらを見つめた。先ほどまで確かにそこから放たれていた、青白い光はもう消えていた。
「癒し……って、なんだ?俺はただ、咄嗟に——」
「あなた、本当に何も知らないの……?」
少女がゆっくりと立ち上がり、距離を詰めてくる。緊張と困惑の中で、俺は彼女の目を正面から見つめ返した。
「すまない。俺は……神谷蓮 呼び方は蓮でいい。異世界とか、信じてない……というか、訳が分からないままここに来た。君は?」
「私はラズ・フィリーダ。……癒光教団の護法巫です。レン、あなたは……“導かれた者”なのかもしれない」
導かれた者? 癒光教団? 何一つ分からない単語ばかりが飛び交う中、俺の思考は追いつかず、ただラズの言葉を聞き返すだけだった。
「さっきあなたが倒したあれは、病魔獣…… 人が抱える病気や痛み、そして癒されぬ傷が産み出す病の想念 怨嗟が土地に染み込み、時間と共に形を持つの。普通の武器も魔術も通じない。だから“癒し”でしか祓えない……」
俺の頭の中で、認知科学の知識と、現実離れしたこの情報がぶつかり合っていた。
「……そんなの、理屈に合わない。人の思念が、実体化するなんて……!」
「でも、あなたはその力で私を救った。紛れもなく、今ここで」
ラズの言葉に、心臓がどくん、と脈打った。
俺はただ——誰かを救いたかっただけだ。
それがどんな力であれ。
「わかった。納得はしてないけど……少しだけ、信じてみるよ」
「なら、お願い……このままじゃ、村が危ないの。私と一緒に来て」
ラズに導かれ、小高い丘を越えると、そこには小さな村があった。
木造の家屋が点在し、煙突からは穏やかな煙が上がっている。しかしその空気は、どこか淀んでいた。
「……人が、少ないな」
「みんな、家にこもってるの。病や穢れに怯えて、外に出るのもやっとって人も多いの」
ラズの言葉通り、道には人影がほとんど見えない。時折、窓の隙間から覗く怯えた目が、俺たちを見つめていた。
村の中央にある小さな広場には、祈りを捧げる数人の村人たちがいた。年老いた女性が膝をついて、手を合わせている。隣では若い母親が、まだ幼い子供の手を握りながら、誰かにすがるように頭を垂れていた。
「この村には、“癒し手”がいないの。だから、穢れ獣が出たときに、誰も止められなかった」
「癒し手ってのが、さっき俺がやったみたいな、あの光で戦う役目なのか?」
「そう。でも、今はもうほとんど残っていない……“癒し”の力は希少で、使える者が限られているの」
俺は、村の中で祈る人々の姿を見つめた。誰もが、苦しみと疲れを滲ませた顔をしている。
この世界には、本当に“癒し”が必要なんだと、嫌でも分かった。
俺は思わず、手のひらを見つめる。
たしかに、俺の中には“あの光”がまだ残っているような感覚があった。呼吸と共に、何か温かいものが流れている。それは“力”などと呼ぶには曖昧で、だけど確かに心を打つものだった。
「……この村を、癒せるのはあなただけかもしれない」
ラズが静かに言った。
「頼れる者は、もういないの。だからこそ……お願い。力を、貸して」
俺は迷った。
こんな理不尽な世界に放り込まれて、訳も分からないまま戦って、そして人を救えと言われている。
だけど——
目の前のこの祈る人たちの姿を、ただ黙って見ているなんて、それこそ俺の主義に反していた。
「……やるよ。俺でよければ、できる限りのことをする」
ラズの瞳が、ぱっと光を宿した。
「ありがとう、レン……!」
彼女の声が震えていたのは、安堵か、感謝か、それとも希望か。たぶん、その全部だった。
こうして、俺は一人の理屈屋から、世界に必要とされる“癒し手”への道を歩み始めた。
——否定してきたスピリチュアルの力が、俺の現実になっていくとも知らずに。