第1章 スピリチュアルなんて信じてたまるか
水晶玉、オーラ診断、ヒーリングセッション——全部、俺に言わせりゃ“思い込み”の産物だ。
「はあ……また“波動”とか言ってるよ……」
講義が終わった午後、大学構内のカフェテリア。木製のテーブルと観葉植物が置かれた落ち着いた空間で、俺はぬるくなったコーヒーを片手に、隣のテーブルの女子たちの会話にうんざりしていた。
「見て見て! このインフルエンサー、先週“第三の目”が開いたんだって!」
「すごーい! オーラも見えるようになったんだってさ」
スマホ画面を見せ合いながら盛り上がる彼女たち。どうやら人気の霊能インフルエンサーの最新投稿らしい、そんな彼女たちの熱狂ぶりが逆に俺の冷静さを際立たさせていた。
俺は、神谷 蓮。22歳。大学院で認知科学を専攻中。人間の「思い込み」や「主観的体験」がどこまで脳内で作られているかを研究する、筋金入りの理屈屋だ。
「スピリチュアルで人生変わった」とか「オーラが視えた」とか。そういう話を聞くたび、俺の脳内では赤いバツ印が並ぶ。科学的に再現不可能なものは、真実とは言えない。
証明できないものは、信じる価値すらない。それが俺の哲学だった。
……だったのだが。
「おーい、蓮! そろそろ集合時間だってよ!」
カフェテリアの入り口から、ゼミ仲間の西園が手を振って呼んでいる。
そうだ。今日はゼミ合宿の初日。行き先は——霊山カルナ。
「なんで、よりによってそういう場所なんだよ……」
霊山カルナ。山深い地方にある古代信仰の地。
名前からして胡散臭さ満点だったが、実際にはそれなりに観光地化されていて、売店や簡易ロッジも整っていた。
ただ、今回のゼミの目的地——“第七層遺跡”は、別格だった。
標高の高い山腹に築かれたその遺跡は、霧の濃いエリアに位置していて、地元では“聖域”として語り継がれている。通常は立ち入り禁止だが、担当教授が文化庁の知人に根回しして、特別に許可を取ったらしい。
「……正直、こういうのには関わりたくないんだけどな……」
遺跡に続く石畳の道を歩きながら、俺は小声でぼやいた。
周囲の木々は鬱蒼としていて、風が吹くたびに葉がささやくように揺れる。空気がどこか冷たく、湿っていた。
「おい、蓮。これ、見ろよ。なんか……書いてあるぞ」
西園が指差した先に、半ば崩れかけた石碑があった。
苔むした表面に、見たこともない文字列。そして中央には、妙に生々しい曲線で構成された紋様。
「まるで……瞳みたいな形だな……」
何の気なしに、俺はその紋様に手をかざした。すると。
——癒と否を重ねし者よ。
脳内に直接、声が流れ込んできたような錯覚がした。
「……今、読めたか? いや、そんなはずは……」
その瞬間——石碑が、淡く光を放った。
「おい、離れろ蓮!」
だがもう遅かった。地面が鳴動し、足元が砕ける。
「うわっ——!」
世界が反転する。眩い光が視界を覆い、俺の意識は、深い奈落へと沈んでいった。
目が覚めたとき、そこには——見たことのない空が広がっていた。
鮮やかすぎる青。雲一つない高い空。太陽の光はどこか金色がかっていて、地球のものとは明らかに違っていた。
「……ここ、どこだ……?」
周囲は緑の大草原。風が草をなびかせ、遠くで鳥のような生き物が飛び交っている。まるでゲームやアニメでしか見たことのない異世界の風景。
「いやいやいや……あり得ないって。異世界転移なんて——」
「たすけて! 誰か……!」
叫び声が、草原を切り裂いた。
はっとして顔を上げる。声の方角へ走ると、そこには——
異様な獣がいた。
全身が膿んだように膨れあがり、皮膚の裂け目から黒紫の瘴気をまき散らしている。どろどろと腐ったような匂いが風に乗って鼻を突き、喉の奥が焼ける。
まるで病と怨念の塊が、肉体を持って歩き出したかのような存在。
俺は——こんな化け物、見たことがなかった。
その獣に追われていたのは、一人の少女。
巫女装束のような白と赤の衣装をまとい、必死に走っている。
「……やばい。どうすれば……」
俺には武器も力もない。ただの大学院生。
——のはずだった。
少女が倒れる。異形の獣が吠える。
その爪が振り下ろされる——その刹那。
「やめろッ!!」
俺は、無意識に手を伸ばしていた。
次の瞬間——
俺の手から、青白い光があふれ出た。
空気が震える。時が止まるような感覚。
その光はまっすぐに獣へと放たれ、激しい閃光となって炸裂した。
「——癒霊起動——」
誰の声でもない、それは世界の“法則”そのもののような響きだった。
化け物は悲鳴を上げ、瘴気を巻き散らしながら後退する。
少女は、その場にへたりこみながら、信じられないものを見る目で俺を見上げた。
俺は——誰も信じたことのない力で、誰かを“癒して”しまった。
「……うそだろ。今の……俺が?」
スピリチュアルなんて、信じてたまるか。
でも——俺の手の中にある、この“癒し”の力は……たしかに、存在していた。