一方あちらでは
ノエルはノギニア王国の第二王子。その美貌で望まれて国王の側室となった母親譲りの美しい顔立ちをしている。しかし性格は奢ることなくむしろ謙虚で心優しく、兄である第一王子をたて、より良き臣下になるよう日々努力を重ねる、真面目が服を着て歩いているような青年だった。
「ノエル様、どうかしたのかしら」
「お身体の具合が良くないのかもしれないわ。長旅の後ですもの、メイド長に伝えておきましょうか」
「そうね。お医者様に診ていただいたほうがいいわ」
そんな彼が最近少しおかしい。身の回りの世話するメイドも異常に気づいて、ああやって心配そうに話し合っているのを何度も耳に挟んでいた。
そりゃあそうだ。
野良猫や小鳥に朗らかに挨拶し、鼻歌を歌いながら城内を闊歩。果てはドレス相手に踊る姿は見た目が美青年なせいでギリギリ許せる絵面になってはいるが、実際は齢二十二の男。十分にアウトである。
「浮かれてんなあ、ノエル」
「う、浮かれてなんかいない!」
「浮かれてないなら、まずそのドレスは元の場所に戻してきな。シワになるぞ」
ダンスに夢中でノックの音はおろか、部屋に入っていたことも気づかなかったらしい。
愛嬌のある顔で、いかにも人懐っこそうな雰囲気の栗色の髪の青年、レオン。レオンはノエルの乳兄弟で、身分の差はあれど本当の兄弟のように来やすい気安い関係だ。大人になった今ではレオンはノエルの従者として働いている。
そのレオンが声をかけると、ノエルは悪戯が見つかった子どものような顔でこちらを見て、それから頬を真っ赤にしていそいそとダンスのパートナーのドレスをしまいに行く。
そのドレスは彼の婚約者への気が早いプレゼントであり、その婚約者こそがノエルがおかしくなった原因だった。
「ミズキ王国のヤマノイ家の娘を妻にもらいたい」
この発言を聞いた時、王はそれはもう驚いていたそうだ。内容もそうだが、ノエルが願い事をしたことについての驚きのほうが大きかった。
もともとノエルは欲がない人間で、それまでわがままらしいわがままなんて言ったことがなかった。
それは男爵家出身で身分が低い母親に自分たちの立場について散々言い含められていたせいもあるのだろうが、とにかく与えられるものに感謝し、それで十分だと振る舞っていたのだ。
それが急に他国の人間を嫁に欲しいと言い出したものだから周囲の驚きようといったらない。
しかし、理由を聞いて納得した。
ノエルには妹がいる。その妹の母親は第一王子と同じで、つまりは異母妹。だが、ノエルは妹を目に入れても痛くないほど可愛がっていた。
しかし、その妹がまあ病弱で。難しい心臓の病を抱えていて、長くは生きられまいと医者には言われていた。
それを治すべく、万能薬のハツキートを探してミズキ王国へとノエルは旅立った。そこで、例のヤマノイ家の娘がその薬草を快く譲ってくれたというのだ。
ハツキートといえば、とにかく希少な薬草で、安くとも庶民の家族が一生暮らせる程度の金額がつくと言われている。そんなものを見ず知らずの人間に躊躇いなく譲ることが出来るとは、よっぽどの馬鹿かお人好しでしかない。
しかし、助けられた者たちにとっては恩人だ。
ノエル以外の家族も幼い末っ子王女をこれでもかと猫可愛がりしているため、感謝の気持ちは一際大きく、名前も顔も知らない異国の娘の好感度は本人の知らぬところで爆上がりしていた。
それで、さっそく嫁に迎え入れようとヤマノイ家の娘のことを調査した面々は、彼女が親ほど年の離れた男の側室になる予定だと知って愕然とした。しかも実際に会ったノエルによると、山で出会った彼女はその結婚について思い悩み、一人泣いている様子だったと。
妹姫のことで恩義を感じていた連中はそれに怒り狂い、莫大な支度金とあちらに有利な貿易など破格の条件を突きつけ、フタバ嬢とノエルの婚約を取り付けた訳だ。
「お前、嫁が来るからって浮かれ過ぎだよ」
「お、俺は、浮かれてなど。恩人を助けることが出来て喜んでいるのは認めるが……」
「そう?やたらそわそわして、まるで恋する乙女みたいだったけど」
「恋……?俺が……?」
「俺にはそうにしか見えなかったぜ」
「……まさか、俺はあの子に恋をしていたのか?」
「今さら気づいたのかよ」
目を見開いてレオンを見つめるノエルは本気で驚いているようで、堪えきれなかった笑いがこぼれる。
「そんなお前にお手紙だ。ミズキ王国からだが、たぶんフタバ嬢のことだろうってお前に届けに来た」
一番に読みたいだろうという王の計らいだ。王もまたノエルの恋心はわかっていたらしい。
それを察してか、ノエルは顔を真っ赤にしてレオンの手から手紙を奪い取る。そして、恥ずかしがっているのを誤魔化すように急いで中身を取り出していた。けれど、
「……は?」
手紙を読んだノエルの顔色が変わった。
これはただごとではない。
「ノエル、どうした」
「……フタバ嬢が、滝に落ちて消息不明だと」
可哀想に。今にも死んでしまいそうな細い声でノエルが答えた。




