心当たり
「これ、絵姿」
「いらないです……」
「もらえ。というか、本当に会った覚えはないのか?顔を見ればわかる、礼がしたいって言付けがあったぞ」
家に戻った私の手の中にはそう言って陛下から渡された絵姿があった。くるくると丸められた状態のそれをじっと睨みながら、私はまたため息をひとつ落とす。
陛下の言う通り、心当たりはひとつあった。
ノギニア王国の人間はミズキ王国の人間と比べて大柄で色素が薄く、当然そんな者がこの国にいたら目立つ。それで、記憶に残っていたのだ。
あれは一月ほど前のこと。
きっかけは私が婚礼衣装に使う簪を受け取りに行った時のことだ。本来伯爵令嬢ともなれば店側が届けに来るのだろうが、私は評判のはねっかえり。最初こそ一人歩きは許されなかったけど何度も脱走するものだから、諦めたらしい。ヤマノイの家も私の好きにさせていた。
それで簪を受け取り、港へ寄り道したところなにやら騒がしいのに気がついた。騒ぎの原因は男が女の子にしつこく言い寄っていたせいで、女の子の方は明らかに嫌がって困っており、男の方は昼間だというのに酷く酔っ払っているようだった。
周りを見渡すも近くに人気はない。そこで私は『偶然』、目眩がして男を海に向かって突き飛ばしてしまった。そして、男が従者に助けられるのを尻目に女の子と共にその場を後にして、家の方へと帰還。そのまま屋敷の裏に広がる山へ籠もった。
なぜって?
海に落ちた男は化粧をしていたらしく、その化粧がドロドロに溶け落ちてかなり面白いことになっていた。屋敷で抱腹絶倒していたら何があったか芋づる式にバレてしまうので、そうやって山で笑い転げていたというわけ。
涙が出るほど笑っていたところ、がさりと茂みが揺れる音がした。振り返ると、そこには白い肌をした青年がいた。髪は日の光が溶け込んだような淡い金色、服装はシャツとズボンの上にマントを羽織っていたけれど、あちこちに土汚れや葉っぱがついていてかなりの間山を歩いていたらしいのが見て取れた。
そんな多少の汚れはありつつも、顔はまるで人形のように整っていて私は少しだけ見惚れてしまった。
しかし、侵入者である。
ここはヤマノイ家の私有地であり、青年はどう見てもヤマノイ家の関係者ではない。
「どなたですか!ここはヤマノイ家の私有地ですよ!」
「も、申し訳ない!気づかぬうちに入り込んでしまったんだ」
青年は両手を上げて害意がないことをアピールする。彼が言うには、病身の妹のために薬草を探しにこの山に立ち入ったらしい。とはいっても、薬草探しに夢中になっている内にうちの方へ入り込んでいたとのこと。
本当かどうかはわからなかったけれど、こんな小娘相手に素直に頭を下げる様子を見てひとまず信用することにしたのだ。
「薬草なら買えばよろしいのではなくて?よければ、城下の優良な店を紹介いたしましょうか?」
「霊草ハツキートをご存知でしょうか」
「ああ、なるほど……」
「お察しの通りです」
ハツキートはありとあらゆる病気に対しての効果がある薬草だが、その効果を発揮するには条件がある。その薬草を使う対象を想って摘まないといけないのだ。だから、他人に任せて手に入れたとしてもただの草。そのため、ハツキートは愛の万能薬とも呼ばれている。
つまり、妹を治したいなら彼自身が摘まないと意味がない。
「……話は分かりました」
「勝手に入ってすみませんでした。俺はもうここから離れます」
「お待ちになって」
足早にこの場を後にしようとする青年を引き止める。驚いた顔で足を止めた彼にここで待っているように言うと、今度は私がその場から離れた。
とはいってもさほど離れた場所ではない。ただ、彼の目には届かない場所に移動しただけだ。
私は懐から袋を取り出すと、一粒の種を取り出した。土に埋めたそれに手をかざすと、にょろりと芽が生えてくる。みるみるうちにその芽はハツキートになった。
この世界には魔法がある。火、水、風、土の四属性のどれかを扱う魔法が使える人間がほとんどだが、たまにそれ以外の魔法が使える人間がいる。
それが私だ。私は植物を思い通りに成長させる力を使えた。
そのため、いざという時のため使えそうな植物の種をいくつか携帯しているのだが、そのいざという時がその時だったようだ。
「こちらへいらしてくださる?」
律儀に待ち続けている青年を呼ぶ。慎重な足取りで私の方へ向かってきた彼は足元のハツキートを見てあんぐりと口を開けていた。
「こ、これは……!?」
「ご所望の品はこちらで間違いありませんかしら」
「ま、間違いありません!どうか、どうかこれを譲ってはいただけませんか!?今は手持ちが多くないので、いずれ正当な金額をお支払いします。ですので、どうか……」
「別にいらないわ。たまたま生えていたのだし、特にこれが必要な患者もいないもの。もったいないから、枯れる前に摘んでいったら?」
「し、しかし……」
「ぐずぐず言ってたら私が引っこ抜いちゃうわよ!」
焦れったくなった私が叫ぶと彼は素早く薬草を摘み取って慌てて鞄にしまった。
「ありがとうございます。このお礼は、いつかかならず」
「本当に気にしなくていいのに……」
「そんなわけには参りません。……ところで、あなたはどうしてここに?」
上等な着物を身に纏う年若い娘がたった一人山中にいるのは確かに違和感だろう。青年に尋ねられ、ふっと私の脳内にはここまでのことが思い返されてしまった。
「結婚式のための簪を受け取りに行って、それで……、ッ!」
「どうかしたんですか!?」
「な、なんでもないの……。できたらもう聞かないでちょうだい」
そうだった。私、笑いが収まるまでの避難所としてここにいたんだった。思い出したらまた笑いのツボが刺激されてしまって、笑いを我慢するため肩が震え涙まで出てきてしまったくらいだった。
貴族のお嬢様としては人に聞かせる話でもないし、うやむやにしてその場はそれぞれ帰ったんだけど、他国の人間にお礼を言われるとしたらこれくらいだ。
いや、とんでもないことになっちゃったな……。
「……えっ?」
しかし、そうして丸められた紙を開いて私は絶句した。
そこにあったのはふくよかな体をした、どこかギトギトと油っこい雰囲気のおじさん。
紛れもなくあの日、私が海に突き落とした相手だったのだ。