前編
彼女が入れてくれるコーヒー。いつも少しだけにがい。
「にがっ」
彼女が笑う。僕もつられて笑ってしまう。
「それぐらいがちょうどいいの。目が覚めるでしょ。」
「まぁ、いいんだけど。」
いつものことなのであまり言わない。
トーストをかじると香ばしい音が耳に響く。
「今日はおそくなる?」
「いや、いつもどうりさ。」
コーヒーを飲み干し立ちあがる。
「じゃあ、行ってくる。」
「気をつけてね。」
笑って彼女は見送ってくれた。今思えば、あれが彼女の最後の元気な姿だった。
昼頃だっただろうか。朝は晴れていた空からポツポツと雨が降ってきた。傘を持ってきてない。最悪だ。
その時、内線が鳴った。5番、課長からだった。何かやっちまったかな。受話器を取る。
「はい、薄野ですが。」
「大変だ。お前の奥さんが交通事故にあったらしい。」
「はい?」
頭が真っ白になる。交通事故?だれが?
「北町の病院に搬送されたそうだ。今日はもういいから帰れ。おい、聞いてるか?」
僕はもう走り出していた。
彼女は今、手術室だ。僕が着いたときにはもう手術は始まっていた。もうかなりの時間が経つ。最悪の結末が頭をよぎる。ああ、なぜ彼女がこんな目に遭わなくちゃいけないんだ。手術中のランプが消える。僕の心臓がドンドン速くなっていく。
扉が、開いた。
中から担架に乗った彼女が運ばれてくる。よかった、彼女は無事だ。ほっと胸を撫で下ろす。
「あの、薄野さんでしょうか。」
手術室から医者らしき人が声をかけてきた。
「はい、そうですが」
「今回、奥さんの手術を担当した、葛城です。」
「あ、はい、妻を助けていただき、どうもありがとうございました。」
「そのことなのですが…」
不意に緊張感が漂う。それでも恐る恐る聞いた。
「あの、妻がどうかしたのでしょうか。」
医者は少し間をおいて話し始めた。
「手術は成功しました。入院は必要となりますが、命に別状はないでしょう。」
医者は言葉を切った。
「しかし、足の神経をひどく損傷していまして。」医者は続けた。
「起きてみない事には、歩けるかどうかわかりません。」
辛い宣告だった。彼女は歩けないのかもしれないのだ。
「辛いかも知れませんが、もしもの時は覚悟をしておいてください。」
深夜。暗い病室の中では静かな寝息が響いていた。その寝息の傍らで僕は丸い小さないすに座っていた。彼女はもう歩けないかも知れない。ショックだった。もう彼女と一緒に散歩をしたりする事ができないのだ。辛かった。
でも、と思う。
彼女はまだ歩けないと決まったわけではない。たとえ歩けなくなったとしても、この事故で彼女を失わずにすんだことに感謝するべきなのかもしれない。そうさ、歩けなかったとしても、僕が彼女を支えていけばいいんだ。そう思うと気が楽になった。気がつくと空は白み始めていた。ああ、今日は会社を休んで彼女と一緒にいてあげよう。
「んっ。」
ベットから音がした。
「おはよ。」
僕は自分でも驚くほど落ち着いていた。
「調子はどう?足は大丈夫?」
彼女に聞いてみる。彼女は不思議そうな目をして、その後顔をしかめた。
「痛い。」
そう答えた時、僕はほっとした。
「良かった。」
彼女はまた不思議そうな顔をした。
「ところで、アナタハダレデスカ。」
初投稿です。つたない文章ですみません。結構短めなので続き(出たら)も読んでもらえると嬉しいです。