小さな村に『絶望』が攻めてきました。
この世界の南側に位置するラーデナス大陸では、数百年ぶりに魔王が地底より復活し、大陸中が混乱の渦中にあった。
すでに魔王軍による侵略も始まっていて、大きな国や小さな村まで手当たり次第に攻め入り、次々と占領下に置いていた。
ここ、ホーデルの村に住む村人たちも、いつ魔王の軍勢が襲ってくるのかと不安な日々を過ごしている。
「マソンの村もやられちまったらしいな」
「恐ろしいもんだ。抵抗すれば容赦なく叩きのめされ、降伏したらしたで好き放題されるってウワサだ」
「村長は病気でずっと寝込んどるし……ああ、早く勇者様が来てくれないかなぁ」
昼過ぎの時刻、広場にいる村人たちのおしゃべりにも色濃い影が差している様子だ。
そこへ、一人の若い村人が血相を変えてやってきた。
「たっ大変だぁ! 魔物が攻めてきたぞー!」
「何!? 本当かアデル!」
「ついにこの村にも……」
村人たちの多くは急いで家の中へと避難し、戦える者はわずかな武具や防具を持ち出して広場へと集まった。
「こっちも準備できたぞ!」
「よし、これで全員だな。やつらに見す見す村を焼かれてたまるかってんだ!」
「アデル、魔物どもは今どこにいる?」
「ほら、あそこ! もうそこに!」
「なにっ!」
アデルが指さした村の門前には、黒くてモヤモヤした、人間の影が立って歩いているような、得体の知れないものが一体いた。
「……あいつだけか?」
「うん、どう見ても人じゃないでしょ。アレは」
村人たちは拍子抜けした様子だった。だがその直後、おどろおどろしい声が広場に響きはじめた。
「矮小な人間どもよ、震撼せよ。我は『絶望』なり」
「こ……言葉を喋ったぞ!」
魔物についての知識は疎い村人たちであったが、人語を理解し喋るものは、魔物の中でも上位に位置することは知っていた。
「俺が門の見張りをしていた時も、どこからともなく現れて、あんなふうに言ってきたんだ。絶対ヤバいやつだって!」
「う、うむ。それでアデル、お前はあいつの言ってることわかったか?」
「いや、全然」
村人たちがひそひそ話をしていると、魔物がまた何やら呟きはじめた。
「如何なる抵抗も我にとっては虚無に等しきものなり。人間が絶望たる我に敵う道理は無いのだ。さあ、絶望せよ」
村人たちはお互いに顔を見合わせる。
「絶望せよ、って言われても……」
「つまり、何が言いたいんだ?」
「まったくわからん。あきらめて降参しろってことか?」
「見たところ本当にこいつだけなんだし、戦ったら案外勝てるんでねえの」
「バカヤロー。相手は絶望だぞ。少なくとも上位の魔物だってことは確かなんだし、俺たちがいくら束になっても勝てる相手じゃねえよ」
「怒らせたら何すっかわからんからな……」
結局、長い物には巻かれろと、村人たちは村を早々に明け渡し、勇者がやってくるまで耐え忍ぶという方針をとることにした。
「絶望こそ我の歓び。さあ人間ども、絶望せよ、絶望せよ……」
先ほどまで賑わっていた広場の中心には、あの『絶望』の魔物が居座り、少し離れた場所で村人たちは様子をうかがっていた。
「ずっとあそこでぶつぶつ言ってるよ、あの魔物」
「あんまり支配には興味無さそうだぜ」
「大丈夫かなぁ、急に暴れたりしないか?」
「確かにこのままほったらかしにしてたら、機嫌を損ねるかもしれん」
「しかし……機嫌をとるにしても、何をしたら喜ぶんだ? あの魔物は」
「……やっぱ人間の絶望が見たいんでないの?」
すると集まっていた村人たちの中からアデルが現れ、『絶望』の魔物と対峙する。
「えー、おとといですね。この村で一番かわいい女性のミリアちゃんに、城下町で買ったブレスレットをプレゼントしたんですけどね。次の日に見てみたら彼女の母親がそのブレスレット着けてたんですよ。ほんと、絶望しちゃいました」
広場がしばらく静寂に包まれたのち、『絶望』の魔物が言葉を発した。
「貴様……我を虚仮にしているのか?」
「ヒッ! す、すいませんでした!」
アデルは慌てて村人たちのもとへと逃げていった。
「バカかおめー、そんなしょうもない絶望であいつが満足するはずないだろ!」
「しかもちょっぴり怒らせたみたいじゃねーか!」
「ごめん……」
「このままじゃまずいな、こうなったらこの俺が!」
それから村人たちは次々と魔物の前へと躍り出て、自身の思いつく限りの絶望を投げかけた。
「旅商人から買ったトゲ付きの珍しい植物が、先日枯れちまったよ……」
「うちのカミさんの料理はマジで絶望的だぜ。味わってみるかい?」
「もう少しでコップを10段積み上げたオブジェが完成しようかって時に、隣ん家のガキがふざけてぶちこわしやがって……」
「かつて勇者が使ってたっていう盾を10万で買ったんだけど、偽物だったよ、クソったれ!」
「娘が狂戦士に転職するとか言い出して……」
しかし、所詮は平穏を好むただの村人である。披露する絶望も高が知れたものであった。
「クックック……ハーッハッハッハッ!」
「ヒエェ!?」
急に高笑いをはじめた『絶望』の魔物に、村人たちは怯えるほかなかった。
「なるほど、どうやら貴様たちは絶望をよく知らぬとみえる。よかろう、この我が直々に、真の絶望の刻印を、その無垢なる魂に灼き付けてくれるわ!」
「わーっ! ちょ、ちょっと待ってくださいぃ!」
「もう駄目だ……この村は永遠の絶望に支配されちまうんだあ!」
「神様、勇者様、お助けをー!」
まだ『絶望』の魔物は何もしていないが、村人たちはすでに前例のない絶望を味わいつつあった。
「『絶望のデスペィア』、そこまでよ!」
突然、暗闇に差し込む光のごとき、明活な女性の声が広場に響いた。
「グッ、貴様は?」
苦しむような魔物の声を耳にした村人たちは、それまで伏せていた顔を上げる。『絶望』の魔物の前に立ちふさがっていたのは、輝かしい光に身を包んだ……。
「うわっ、眩しい!」
「目ぇ痛っ!」
「なんも見えねえ!」
……それ以外は、何もわからなかった。発する光があまりにも激しすぎて、村人たちには姿も形も確認できなかったのだ。唯一わかるのは、声色からして女性であることだろう。
「ただちにこの場から退きなさい、はああっ!」
よりいっそう強い光が彼女から放たれ、村人たちはもはや顔を上げていられなかった。
「グオオオオッ! こ、この我が、こうも簡単に敗れるとは……フフフ、なんと、なんと素晴らしい絶望だろう! ハハハ、ハハハハ……」
妙に満足した様子で、『絶望』の魔物は消滅していった。
「ホーデルの村の方々、もう大丈夫ですよ」
優しい声が聞こえて、村人たちは再び顔を上げる。そこには勇者の装備に身を包んだ、長い髪の女性がいた。先ほどまでではないが、相変わらず白い光を放っているせいで、村人たちは伏し目がちに応対せざるを得なかったが。
「む、村を救っていただき、ありがとうございます。もしや、あなた様は……」
「はい、私はルテア王国の勇者、『希望のルミ』と申します」
広場は、希望あふれる歓声に満たされた。
「やったあ、勇者様が来てくださった! これでこの村は安心だ!」
「『絶望』の魔物が手も足も出なかったぜ。さすが『希望』の勇者様だ!」
「村を救ってくれたお礼に、盛大なおもてなしをせんとな!」
「よーし、まず俺が!」
村人たちを押しのけるようにアデルが現れ、『希望』の勇者と対峙する。
「えっと、昨日の話なんですけど。町で買い物をした帰りに、この村で一番かわいい女性のミリアちゃんと偶然一緒になりましてね。ちょっと寒くなったねって言ったら、彼女もそうだねってうなずいてくれて、それでその後、買い物袋からマフラーを出して俺にプレゼントしてくれたんですよ。いやぁ、寒い体が、一気に暖かい希望で満たされましたね。フヒヒッ!」
広場がしばらく静寂に包まれたのち、『希望』の勇者は言葉を発した。
「あなた……ふざけてるの?」
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。