未完の英雄譚(サーガ)はうたわれる~戻ってきた元英雄は世界の歴史を変えに行く~
「突然お呼び立てして申し訳ございません」
竪琴の音のような流麗な声が響き渡る。目の前には、眩い真っ白な空間の中で佇む一人の女。黄金色の波打つ長髪に、伏せられた長い睫毛。真っ白な服装は著名な画家が書いた宗教画に出てくる女神様そのもの、というか、マジでコイツは女神なんだよな。
瞳を閉じたまま、女神は俺たちに向かって厳かな雰囲気で話を続ける。
「貴方を呼んだのは、貴方の住む世界とは別の世界、つまり異世界を滅びから救っていただくため。貴方にはその力があります」
睫毛が震え、目蓋がゆっくりと持ち上がる。アクアマリンのような瞳が、俺たちに向けられた。
「どうかお願いです。世界を、そしてそこに生きる数多の命を救って――うへぴゃあい!?」
突然、女が表現しがたい奇声を発して飛び上がった。唇を戦慄かせ、怯えたような眼差しで見つめているのは、そうだな、間違いなく俺の顔だ。
「どどどどど、どうして貴方が」
「どうもこうもねぇぞ、このポンコツ女神が!? てめぇのせいで、俺がどれだけ遠回りしたと思ってんだ、アァ!?」
せっかく女神っぽい雰囲気作りを頑張っていたところで、悪りぃな。
俺の横に立っている、いかにも真面目そうな好青年くんは、ポカンと口を開いて固まっている。
そりゃそうだろうよ。突然訳のわからないところに呼び出されて、訳の分からないヤツに訳の分からないことを言われたんだしな。
しかも、自分に勝手にくっついてきた人相の悪い男が、女神っぽいやつとなんだかんだ言い争い始めたら、余計に混乱するよな。
だが、悪い。こちとらそれどころじゃねぇんだわ。
「言いたいことは山ほどあるが……今度こそ間違いなく、俺の目的を果たさせてもらうからな!」
俺は剃るのをサボっていた顎ひげを撫でながら、唇の端をニタリと釣り上げた。
***
「『この度、元英雄様には多大なるご迷惑をおかけいたしました。謹んでお詫び申し上げます。今後はこのようなことのないよう、精一杯努めさせていただきます』」
女神が深々と頭を下げつつ、俺に向かって謝罪の言葉を述べている。しかし、淡々とした口調からは「しぶしぶ」という感情があからさまに滲み出ていて、俺のこめかみの辺りにピキッと痛みが走る。
現在、俺とポンコツ女神は神の領域、女神が人やその魂を転生させたり別の世界へ移動させたりする、所謂天界で向かい合って座っている。
ちなみにあの好青年くんは、女神の急に雑になった説明を受けてから、慌ただしく行くべき世界へ派遣されていった。
まぁ、始めからチートっぽい雰囲気だったし、後は派遣側の世界の住人が良い感じにしてくれることだろう。健闘を祈る。
「棒読み謝罪、ありがとよ。とにかく、今度こそちゃんと俺の希望通りやれよ。うっかりミスや騙し討ちみてぇなマネすんじゃねぇぞ!?」
「仮にも女神に向かって失礼な! 私がいつ騙し討ちやうっかりミスをしたと言うのですか!?」
「どの口が言うかぁぁぁ!?」
俺は全力で吠え、衝動のままに立ち上がった。目の前にちゃぶ台があったら、間違いなくひっくり返してたぞチクショウ。
しかもコイツ、営業用の『女神』を脱ぎ捨てて素に戻ってやがるし。腹が立つが、これで俺も遠慮なく言いたいことが言えるってもんだな。
俺は女神を見下ろし、その頭に向かって人差し指を突きつけた。
「良いか、まずは『俺』が世界を魔王から救って天寿を全うした後、未練があるからもう一度あの世界に転生させてくれと頼む俺に『貴方はあの世界を救った英雄ですから、ご希望通り転生させてあげます。特典として、お好きなチート能力つきです』と自信満々に言うからよ、俺が『あらゆる呪いの影響を受けない身体が欲しい』と言ったら、何故か自信満々に『動きが遅くなるバッドステータス無効』の能力付与しやがったよなぁ!? 呪いつったら普通『呪い』の方だろうが、なんで『鈍い』の方に影響すんだよ!?」
「も、もう少し分かりやすくおっしゃってくだされば良かったんですよ。遠回しじゃなく、素直に『コレソレそういう目的がある』とはっきり話して下されば、少なくとも初めの時点で、『転生』ではどう足掻こうが貴方の目的は果たせないとお伝えできたわけですし」
素直に、という言葉で俺は一瞬怯む。確かにその時点でしっかりと伝えていれば、もう少し近道できたような。
「あ、あの時は色々と気が動転してたというか、俺も冷静じゃなかったというか……」
俺の過失が全くなかった、とは言えないかもしれねぇ。まぁ、それは良い。
「だけどな。ムカついたのはそれだけじゃねぇ! もう一度この場所に戻ってきた俺が、『記憶を持ったまま別世界に一度転生して、またあの世界に転移する』ことはできるか、と尋ねた時のてめぇだよ!」
『えー? そんな複雑なこと、世界を一つ救った程度でできるわけがないじゃないですか。女神って言っても万能ではないんですよ。もしそちらを希望されるなら……そうですね。また別世界の一つや二つ救って魂の徳をつんでからにして下さらないと』
なんて、俺に向かって『何言ってんだコイツ』みたいな顔で言いやがった時は、思わず手が出るところだった。思い出したら、また腹立ってきたな。
それで仕方なーく俺は、また次の転生先でも世界を救う羽目になったわけだ。
なんか、都合よく女神に働かされたみたいで、滅茶苦茶腹が立つ。
「その節はどうもお世話になりました。おかげさまで、英雄の素質がある若者を、わざわざ探して召喚する手間が省けました」
ニコニコしてんじゃねぇぞ、この野郎。やっぱり俺を利用して楽していやがったな。
「失礼な。お互い利害は一致していたと思いますが?」
首を傾げて無邪気に目を丸くする女神に、また頭に血が上る。が、深呼吸をして心を落ち着かせる。偉いぞ俺。
「てめぇに言いたいことは、もう一つある。異世界で目覚ましい活躍をして、再びこの場所に戻ってきたこの俺に、『では今度の転生の後、頃合いを見て貴方をご希望の世界へ転移させます。楽しみに待っていてくださいね』。つって、三十年間も放置してくれたのは嫌がらせか!?」
「あ」
おい、今コイツ「あ」って言ったな。
「しかも、偶然なのか何なのか、足下に出現した魔法陣に吸い込まれていったり、トラックに轢かれる寸前で光に包まれて姿が消えたりする、どー見ても異世界転生、転移、もしくは召喚だろっていう『勇者』を、目の前で何人も見送った俺の気持ちはどーしてくれんだよ!? 行方不明者の最後の目撃者つって、警察に事象聴取までされたんだぞ!? なんとなく事情が分かるだけあって、気まずいわ!? ……まさか、俺を呼び出すつもりが座標が狂って、何人か別のヤツを召喚したとかねぇよなぁ?」
「ギクッ」
おい。やっぱりそうだったか。
定職にも着かずにバイト生活で食いつなぎ、『異世界転移の時を待つ三十路』って字面が痛すぎて、もうこれ以上待ってられなかったんだよ。
召喚されそうになっていたあの好青年くんを道で偶然見かけて、これ幸いと突撃して無理矢理召喚に巻き込まれに行って正解だったぜ。
「ととと、とにかく! 貴方は再びここにたどり着かれたわけです。ええっと、ご希望は確か、『記憶を持ったままご希望の世界へ貴方を転移させる』んですよね。これで、貴方の目的は果たせますね。良かった良かった」
「…………まあ、そうだな」
頷きかけて、ふと思い当たる。
この女神のことなら、微妙に間違えた異世界に俺を移動させるとか、やりかねない。
「念のため確認しておくが、俺が戻りたいのは『ラフェイマス』って呼ばれていた世界だ。世界の中での『知名度』がそのままステータスに反映される世界で、目立てば目立つほど強くなる世界だ。絶対に間違えるなよ! 俺がさっきまでいた世界もSNSの評価で地位や名声を得たヤツもいたが、それとは全くの別物だからな、本当に頼むぞコラ」
「頼む相手にコラとは何事ですか。この局面で間違えたりしませんよぉ」
女神は俺の目を疑わしげな瞳で見つめながら言う。
本当かねぇ。だが、信じるしかない。俺の口から重苦しいため息が漏れた。
しかし、なんでいくら転生を繰り返しても、この悪人面はそのままなんだろうな。髪色や目の色はその世界に合わせて変わっていたが、全体的な顔の印象はそのままだもんなぁ。
今の俺は黒髪に黒目に無精髭だから、余計に人相の悪さが際立つぜ。
「あの……」
そんなどうでも良いことを考えていたら、女神が急にしおらしい態度で俺を見つめていた。
「本当に、遠回りさせて申し訳ございません。その、付与した能力のことや、ここにお迎えする時期が遅れたことは私のちょっとしたミスですが、転移や転生そのものに関しては、誰でも希望の通りとはいかなくて……どうしても、それなりに徳を積んだ方しか」
「わーかってるよ」
俺はため息を吐いて、片手を横に振る。気にするなという合図だ。俺も、年甲斐もなくイライラしちまって悪かったしな。
すると女神は、転生前の俺ならちょっとクラっときそうな極上の笑みを浮かべた。
「――貴方のこれからに幸運が訪れますように」
「はっ! ポンコツ女神の祝福でも、ないよりはマシか」
文句の声を上げる女神に背を向けると、俺の目の前には黄金色の巨大な扉が立っていた。
その豪華な意匠は何度か見たことがある。これが、別の世界への入り口だ。俺は思わず喉を鳴らす。
「今度こそ、だ。あの世界の間違った歴史を必ず変えてやるからな」
俺は意を決し、開く扉の向こう側へと進んでいった。
***
胃の中身、内臓がぐっと持ち上げられるような不快感。エレベーターに乗っている時に感じる感覚を、より強くした感じとでも言えば良いだろうか。
その感覚が収まると、俺はいつの間にか閉じていた両目を開く。
飛び込んできたのは、どこまでも続く大草原の鮮やかな緑と吸い込まれそうな空の青色。感じたのは懐かしさと感慨だった。
そよ風が俺の長めの前髪を揺らし、柔らかな草の香りが鼻孔をくすぐった。それが異国の香りだと感じるのは、今の俺がこの世界の住人ではなく、別の世界から転移してきた存在だからだろうか。
長かった。本当に長かった。
俺は両腕を大きく上げて、胸いっぱいにラフェイマスの空気を吸い込んだ。
『おや、初めましてかな?』
俺の耳に低くて甘い美声が響く。人をからかうような飄々とした響きを持った声色に、聞き覚えがありすぎて。
心臓を鷲掴みされたような痛みが走った。
『ようこそ。ここは旅立ったばかりの冒険者たちが、富と名声を得るために訪れる、謂わば、はじまりの大草原ってところかな。でも油断は禁物。魔物は君の存在を食らおうと容赦なく襲ってくる。存在もその肉体そのものも食われないように気をつけるんだね、希望を胸に羽ばたかんとする雛鳥よ。——いや、にしてはちょっと成長しすぎてるかな』
うるせぇよ。そう言いたいのに、言葉が出てこねぇ。
ああ、なんだ。
ここにいたのか。
不覚にも目元が熱くなってしまう。情けなく声が震えないよう拳を握りしめて、俺は大きく息を吸う。
「久しぶりだな」
ピタリと全ての音が止んだ。
一拍置いて少し熱を孕んだ暖かな風が、草原の草をざっと撫でていく。
そして俺の後ろに、人の気配が生まれた。ソイツが発した酷く震えた声は、迷子のガキのようにか細く頼りなかった。
「ど、どうして……? だって、僕は」
「『誰にもその存在を認識されない呪いを受けてる』だろ?」
振り返らずに、俺は後ろにいるであろう男に向けて話しかける。
全く、この特徴ある声と口調で、よく誰にも認識されずにいたもんだ。まぁ、コイツが受けた呪いってのは、それほど強いものだったんだろうな。
恐る恐るといった調子で、男は再び口を開く。
「僕のことが、分かるのかい?」
「ああ、お前の名はレジェロ。今、俺の後ろにいるんだろ?」
俺の発言に、ヤツは息を呑んで絶句した。
「僕のことを知っている。分かるって? 君は、一体……? どうして?」
「てめぇ。数百年経ったからって、俺の顔を忘れたとは言わせねぇぞ」
振り返って顔を見せれば、酷く懐かしい顔がちゃんとそこにあった。
レジェロのサファイアのような瞳が、こぼれそうなほど大きく見開かれる。何度転生しても変わらなかった俺のこの面は、コイツが俺を間違えない為にあったのかもな。
湿ったか細い声が、俺のかつての名を呼んだ。
「ジャック……?」
「ああ、そうだ。レジェロは……くそ、変わってねぇなぁ! 俺はオッサンに片足突っ込んでるって言うのによぉ」
そう言って、俺は悔しがりながらもニヤリと笑ってやる。レジェロの艶やかな銀色の髪が、さらりと風に揺れた。
誰からも忘れ去られた吟遊詩人、レジェロ。
コイツはかつての俺たちと共に魔王を倒した、英雄の一人だったのだ。
「俺」がかつて生きていた世界『ラフェイマス』は、存在感、知名度がそのまま強さに反映される世界。つまり有名になればなるほど、目立てば目立つほど筋力や魔力などのステータスにボーナスがついて強くなれる世界だった。
だから、この世界に生きるヤツは有名になることに貪欲だった。強力な魔物を倒したり、前人未到のダンジョンを攻略したり、歌や躍りなどの芸を磨いて名を上げたヤツもいた。
ちなみに、悪事に手を染めて有名になろうとしたヤツには、ステータスが上がるのと同時に業というペナルティが科されていく。それが一定の値に達してしまうと、人としての心を失い生ける屍となってしまうのだ。
そうした制約があるからか、この世界はそれなりに平和な時を過ごしてきた。
数多の魔物たちを率いる伝説の存在、魔王が現れるまでは。
魔王はテンプレート通りに世界を襲い、そしてゴロツキや悪人を誑かし、わざと悪事に手を染めさせて業を背負わせた。そしてその生ける屍をも傀儡として操り、魔物と共に世界を滅ぼそうとしたのだ。
そんな魔王に立ち向かったのが、かつて俺と俺が旅をした仲間たち。
剣士のルカ。
魔法使いのクォーリア。
僧侶のアマンダ。
そして俺、盗賊のジャック。
俺たちは各地を巡り名声を得て強くなり、絶対無敵とされた魔王を打ち破り勝利した。
この世界の歴史ではそう記されているはずだ。
しかし、英雄はもう一人いた。目の前にいるコイツ、吟遊詩人のレジェロだ。
『君たちが、あの魔王に挑もうとする英雄御一行様だろう? 僕はその伝説の瞬間に立ち会い、君たちのことを詩にするよ! 君たちと君たちの成し遂げたことが、この世界で未来永劫語り継がれていくようにね』
ある日、俺たちの目の前に現れたヤツは、そう言って勝手に旅に着いてきた。
シルバーブロンドの腰まで伸びた長髪に、サファイアの瞳を持った光輝く美貌。そして美声。吟遊詩人という職もあってとにかくヤツは目立った。
故に強かった。
吟遊詩人のくせに、魔法使いや僧侶と同格かそれ以上の魔法を操り、俺たちのピンチを救ったり救わなかったりしていた。
適当な態度に腹が立って、俺は何度もヤツにくってかかったが、もしかしたらヤツは無意識に俺たちと距離を取ろうとしていたのかもしれねぇ。
そんな風にしながら何年も旅を続け、俺たちはついに魔王の下へたどり着いた。
旅の終わりごろには、田舎町の小さなガキですら俺たちの活躍が知れ渡っているほどだった。
しかし、そんな俺たちでも魔王には敵わなかった。
何せ魔王は遥か昔から脅威として語り継がれていた存在だ。そりゃあ、知名度は桁違い。そのくせ、悪名が高くても廃人にならなずに力を蓄えて行くだけ、チートかよ。
俺たちの攻撃は全く歯が立たず、あわや全滅と思われたその時、レジェロが禁呪を発動させた。
それは、発動した者の「存在」全てを犠牲にし、味方に絶大な力を与える究極の補助魔法。
これを発動した人間は誰からもその存在を忘れられ、今後誰にも認識されることなく永久にこの世をさ迷い続ける『呪い』を受ける。
自らの過去、現在、未来の『存在』を犠牲にして発動する、正に禁呪だった。
こうして俺たちは魔王に勝利した。
しかし、誰かが欠けていたことに気がつく者はいなかった。
魔王を倒した英雄は四人。誰もがその事実を疑うことなく、世界に平和が訪れたことを喜んだ。
俺がレジェロの存在を思い出したのは、世界を救った英雄としてもてはやされながら、天寿を全うした後だったんだ。
「あん時は、よくも禁呪なんて発動してくれたよなぁ……!」
「そうだよ。呪いがあるのに、君はどうして影響を受けてないんだ!? それに、その姿は一体……? 君はとっくに天寿を全うして、全く新しい別の人生を歩んでいるはずだろう!?」
あぁ、と思わず唸るような声を出す。
忘れたって、忘れられる訳がねぇだろうが。
「一度別の世界で生まれて、またこっちに戻ってきたんだよ。ポンコツ女神のクソみてぇな条件をクリアしてな」
レジェロの存在を思い出した時の、悲しみ、絶望、そして自分への激しい憎悪。自分を殺してやりたいほど憎んでも、既に俺は死んでいる。
やり場のない怒りと後悔を抱え、年老いた俺は喉が壊れるほど泣き叫んだ。
ようやく涙も声も枯れ果てた頃、目の前にやってきた女神に、俺は必死で懇願した。
『おれは、あの世界にとんでもない未練を残してきた。だから、頼む。もう一度、おれにあの世界で生きる権利をくれ……!』
どうして俺はアイツのことを思い出さなかった。
どうして魔王を倒したのに、英雄たちを讃える詩がうたわれていないことに気づけなかった。
俺たちが生きていて、世界が平和になったのはレジェロのおかげなのに、どうしてアイツが永遠の孤独に堪えなきゃならない。おかしいだろ、そんなの。
その一心で、前世の記憶を持って一度目の転生を果たしたはずなのに、何故かレジェロの記憶だけが消えていた。
再び死んだ後女神に確認してみれば、あの世界に生まれた以上、どれだけ呪いを跳ね除ける加護を得ても、あの禁呪を打ち破ることはできないのだと知った。
「そこで俺は思った。この世界に生まれた者じゃなく異世界から転移してきた他所者なら、ひょっとしたら呪いの影響を受けずに済むんじゃねぇかってな。はっ! 予想が当たって良かったぜ。やっと――やっとてめぇの面が拝めた」
俺の長い話を呆然と聞きながら、レジェロは瞳に涙を溜めていた。今にもこぼれ落ちそうなのを、唇を噛み締めて堪えている。
「なん、でだよ。そんなに必死に頑張らなくたって良かったのに。僕のことなんて忘れたままで良かったのに。だって、世界は平和になっただろう? 君たちは、穏やかで幸せな一生を過ごしたんだろう? なのに、どうして」
「あぁーどうしてだろうなぁ」
悔しかったのか、悲しかったのか、怒っていたのか。
ここに戻ってくるまでに、いくつもの世界を救った。何度も死にそうな目に遭った。
けど、血反吐を吐く想いをして諦めそうになった時には、必ず、てめぇの顔がチラついたんだ。
澄ました顔で歌ってるところ。
涼しい顔で魔物を倒すところ。
ルカの寝坊やクォーリアの初恋、俺の手ぐせの悪さ、なんでもかんでも詩にして皆にキレられてるところ。
そしてイヤミなくらいお綺麗な顔で笑って、誤魔化すところ。
『僕はみんなの一番のファンだからね。君たちの傍にいて、その活躍の全てを詩にするのが吟遊詩人としての僕の使命、いや、幸せなのさ』
あの世界にいた時には、ちっとも思い出させてくれなかったのに。
何度別の世界に行っても何百年経っても、俺の脳裏に焼きついて消えてくれやしねぇ。
「理由なんてもう、忘れちまったよ」
いや、違うな。多分、レジェロが約束したあの詩を、俺たち五人の冒険をうたった詩を、俺は誰よりも聞きたかったのかもしれねぇな。
「悪かったな。てめぇのことを忘れちまって。本当に……悪かった」
俺の言葉で、ついにレジェロの両目から大粒の涙が溢れ落ちた。いつも飄々としていた男がまるでガキみたいだ。
「覚悟はしてたんだ。禁呪を発動したらこうなるってことを」
「ああ」
「でも、やっぱり本当は、寂しくて辛くて……。こうして草原で誰かに話しかけても、歌を口ずさんでも、それが返ってくることはなくて」
「ああ」
「虚しくて、でも誰かに話しかけることを止められなくて……。けど、君たちを救えたことを、後悔なんてしたくなくて……! ずっとずっと」
こんな日が来れば良いのにって、願ってた。
聞き取り辛い声で呟き、レジェロはぐちゃぐちゃの顔で少し笑う。あーあー。美形が台無しじゃねぇか。俺の目の前がなんかぼやけているのは、きっと気のせいだ。そうに違いねぇ。
俺が服の袖で目元を拭った時、突然草原に別の誰かの声が響き渡った。
「あー、やっとたどり着けたぁ。もう! すっごく苦労したんだからぁ」
「あら、もしかして……皆さん⁉︎ おなつかしい、いらしてたんですね。良かった」
「良かったぁ。ボクもなんとかみんなに追いつけたよ」
俺は慌てて背後を振り返る。全然知らないのにどこか懐かしく思える奇妙な声。これは、まさか。
「お前ら……なのか?」
金髪碧眼のイケメンも、黒ずくめで地味な眼鏡の女も、おさげ髪のちびっ子にも全く会ったことがねぇ。けど、その手に持つ剣と魔導書と杖は、見間違えようがなかった。
「ルカにクォーリア、それにアマンダか?」
「そう言うあんたは、ジャックね。うわ、その悪人面、転生しても変わらないわけ?」
うるせぇ、ほっとけ。
悪態をついたのが、魔法使いのクォーリアだろう。しかし、コイツは随分と印象が変わったな。前は、青少年が目のやり場に困るような格好の、派手な赤毛のねーちゃんだったのになぁ。
「おひさしぶりです、ジャックさん」
「アマンダ? その、随分と縮んだなぁ」
「縮んだんじゃなくて、今回転生してからまだ十も生きてないだけですっ! あ、奇跡の美魔女ってことでよろしくおねがいします」
そう言って両手を振り上げるアマンダは、おお、僧侶なのに『魔女』ときたか。しかしこんな子どもが一人でこんな場所にいるとか。ちょっと親御さんの許可とかとった方が良いんじゃないか。
それをにこやかに眺めているのが、剣士のルカってことなんだろうな。くそ、系統は違うがコイツは転生してもイケメンかよ。
「みんな懐かしいな。おれ、レジェロの呪いを攻略する方法になかなかたどり着けなくて、本当はもっと後じゃないと転移できない予定だったんだけど……みんなが揃ってて一人だけいないのは締まらないからって、女神様が親切に予定を早めてくれたんだ」
「いや。それ、普通に贔屓じゃね」
女神め、さてはキラキラ系イケメンに弱いな。
「ジャックは随分老け――貫禄が出たねぇ」
「うるせぇ! こっちは三十路になるまでお声がかからなかったんだから、仕方ねぇだろうが⁉︎」
どうしてどいつもこいつも、なんで俺に対して風当たりが強いんだよ。泣くぞ、年甲斐もなく。
「みんなまで、なんで……?」
弱々しい声が響いて、俺たちは視線をレジェロに向ける。状況についていけずに、ヤツは呆然と座り込んでいたようだ。
俺たちは誰からともなく視線を合わせて、ルカが目尻に涙を滲ませそっと微笑む。
「だっておれたち、キミに会いたかったんだもの。そして、みんなにも知って欲しかったんだ。おれたちの自慢の仲間、吟遊詩人のレジェロのことをね」
ルカがレジェロに近づき、そっとその肩に触れる。嬉しげに目を細めながら、ルカはリーダーらしく明るい声で告げた。
「さて、みんな。これから大変だよ。何せ、レジェロの呪いは解けたわけじゃない。まだおれたち以外には、レジェロの存在は認識されないままだろう? おれたちは、『英雄は五人だ』ってこの世界の人々に知らしめなくちゃならないんだからね」
「歴史をひっくり返すんだから、並大抵の覚悟じゃできないわよねぇ」
「ふふ。なんだってできますよ! だって、私たちこの世界の元英雄、ついでにいくつもの世界を救った大ベテランですよ!」
ルカの言葉に続けて、クォーリアとアマンダが言った。
レジェロはというと、俺たちの顔を順に眺めながら、ゆっくりと瞬きを繰り返している。何も分かっていないような顔に、思わず口を出した。
「何ぼーっとしてやがる。てめぇも着いてくるんだよ」
「え、ぼく、も?」
この期に及んで、まだ分かってねぇのかよ。てめぇもやり残したことがあんだろが。
「俺たちの活躍、詩にすんだろ。それがてめぇの使命で――あー、幸せなんだっけか?」
レジェロは珍しいものでも見たように、目を大きく見開いている。涙も引っ込んだようだ。
まぁ、俺も人生経験つみすぎて、ちょっとは素直になったんだよ。
しばらくして、レジェロは両目を閉じて息を吐く。そして、馴染みのある調子で笑った。
「そうだね。僕は英雄御一行さまの専属吟遊詩人だからね。今度は必ず、五人の英雄譚をうたってあげるよ」
「なんだよ。ちゃんと分かってんじゃねぇか」
レジェロが背中に背負った愛用のリュートを手にとって、弦をそっと爪弾く。
冒険の始まりの合図ってわけか。
――悪くねぇな。
完