〔4〕
この場では亜紀よりも慎一に話を振った方が早い。そう思った惟が慎一に向ける口調は、どこか咎めるようなもの。もっとも、向けられた方はそのことを気にもしていないようにあっさりと切り返す。
「惟君の言い分も分かるけどね。でも、亜紀にはあまりそういうことを意識して欲しくなかったし……まあ、教えてなかったといわれたら、反論できないんだけどね」
「慎一さんが亜紀ちゃんに甘いだろうとは思ってましたけど、予想以上に甘いんですね。本当なら、こういうことはちゃんと教えておくべきなのに。そうじゃありませんか?」
「そう言われると、わたしとしては何も言うことができないね。でも、そういうことも含めて、君が教えても問題ないと思うよ。なにしろ、君と亜紀は婚約しているわけだし」
どこか他人事のように紡がれる慎一の声に、ため息を一つついた惟が咎めるような視線を向けている。そんな彼の姿に、色気を感じてしまったのだろう。亜紀の顔が一気に赤くなっていく。
そんな亜紀の姿は、百面相をしているといっても過言ではないだろう。そして、その様子に惟はクスリと笑みを落とすと、スッと彼女の頬に手を伸ばしている。
「亜紀ちゃん、本当に可愛らしいね。じゃあ、これなら受け入れてもらえるかな?」
「な、なんでしょう……」
至近距離に惟の整った顔がある。普段では感じることのないシトラス系の香水の香りが微かに漂ってくる。そして、どこか引き込まれるような黒い瞳に見つめられて、亜紀は顔に体温が集中しているのを感じている。
このままではいけない。この状態では、間違いなく相手の言葉に飲まれてしまう。
そんなことを思っている亜紀だが、惟の視線の吸引力が半端ない。彼女がどう足掻いても、そこから視線を外すことができない。そのまま、リンゴのように赤くなった亜紀に向かって、惟は甘い声で囁きかけてくる。
「亜紀ちゃんにすれば、今すぐ婚約っていうのが認められないんだよね?」
じっと見つめられて囁きかけられる。この状況は気持ちがフワフワするが、どこか居心地も悪い。そう思う亜紀は、コクコクと頷くことしかできない。そんな彼女に畳みかけるようにして言葉が告げられる。
「だったら、婚約とか考えずにお付き合いしない? もちろん、結婚を前提とした建設的なお付き合い。そうやって、僕のことをちゃんと知っていってくれれば、亜紀ちゃんも今みたいに頭から拒否したりしないでしょう?」
「え、えっと……」
囁きかけられる言葉は間違いなく甘い。だが、これに頷いてしまったらどうなるか。そのことを本能的に察している亜紀は、何も応えることができない。そんな彼女の姿に惟は『分かっている』と言いたげな表情を向けるだけ。そのまま、彼は慎一に声をかけていた。
「慎一さん、亜紀ちゃんと二人だけで話したいんですけど、いいですよね?」
「当り前じゃないか。というより、気がつかなくて悪かったな。庭でもどこでも好きなところで話せばいい。その方が亜紀も納得できるだろうし」
どうやら、慎一の中ではこの話は決定事項になっている。そんなことを感じた亜紀は、思わずうなだれることしかできない。そんな彼女の顔を覗き込むようにした惟が、「ちょっと外に出ようか」と声をかける。さすがにこれまで拒絶することはできない。そう思った亜紀はどこか引きつった顔で、惟の後をついていく。
その彼が亜紀を案内したのは、咲き初めのバラで埋め尽くされようとしているアーチ。そういえば、ここであの人に会ったんだ。そんな、おぼろげな記憶の中に残る光景を思い出している亜紀の体を惟がしっかりと抱きしめてくる。
このことは、亜紀にとっては完全に想定外。羞恥心が刺激されたのか、彼女の顔が一気に赤くなり、逃げようとジタバタする。だが、男の惟の腕から逃げられるはずもない。そのまま彼女の髪に顔をうずめるようにした彼は、耳元でそっと囁きかけている。
「ねえ、亜紀ちゃん。さっきの話、本当に真剣に考えて。絶対に君にとって不利になるようなことはないはずだから」
「ど、どうして?」
惟の言葉の意味が分からない亜紀は、そう呟くことしかできない。そんな彼女に、惟は穏やかな声で話し続ける。
「よく考えて。結婚って一種の契約だよ。そりゃ、お互いに愛情があるのにこしたことはない。でも、亜紀ちゃんは一條っていう家の人間だ。好きだっていうだけで相手を選ぶことはできない」
「そういうものなの?」
「うん。亜紀ちゃんは認めたくないだろうし、認めることはできないだろうけどね。でも、そういうものなの。そして、亜紀ちゃんが今いるこの場所は、華やかなことも多いよね。ついでに、そういう公式の場では、間違いなくパートナーが必要になる」
こういう話は、抱きしめられた状態で聞かされるものなのだろうか。そんな思いが亜紀の中に浮かんでこないでもない。だが、どうやら惟が彼女を解放するつもりは毛頭ないようにも思われる。
となると、抵抗するだけ無駄なのではないだろうか。そんな、ある意味での悟りのようなものを開いた彼女は、話に耳を傾けるだけ。とはいっても、疑問も浮かんでくるのは仕方がない。彼女は惟が口を止めた隙に、その思いを言葉にしていた。
「パートナーが必要っていうのは分かります。でも、それならもっと年の近い、綺麗な人の方がいいでしょう? 私、まだ高校生だし、そんなに綺麗じゃないし……」
「亜紀ちゃん、自分のこと分かってるの? 君はそこらの女よりも絶対に綺麗だよ。だから、そんな君の隣を狙っているヤツなんて、掃いて捨てるほどいる。そんな奴らが皆、良識をわきまえていれば問題はない。でも、中にはアホなヤツもいるからね。僕がパートナーとして契約しようっていうのは、そんな奴らから亜紀ちゃんを守りたいから」
「でも、それだったら、惟さんには利益がないんじゃないですか? そうでしょう? 私は守ってもらえるかもだけど、その見返りがないような気がする」
惟の話を聞けば聞くほど、自分にとってしか利益がないような気がする。そう思った亜紀は彼の上着をギュッと握りしめるとそう呟くことしかできない。そんな彼女をも一度抱きしめた惟は、これ以上はないほど優しい声で語りかける。
「見返りは十分にあるよ。いろいろと理由はあるけど、その一つだけ話しておくね。僕の家が亜紀ちゃんの家とは親戚なのは分かってくれてるよね?」
彼の問いかけに亜紀は、コクリと頷くだけ。その反応に満足したように、惟は同じ口調で喋り続ける。
「だから、家柄だけで寄ってくる煩い人が多いわけ。で、そういう人たちって僕の顔しか見てないしね。正直言ってうんざり。そんな時、慎一さんから君との話を打診された。僕としては、これを断る理由はないしね。もちろん、君がまだ高校生だってことも知っている。でも、そんなこと関係ないだろう。こういう世界、年の差夫婦なんて探せばいくらでもいる」
「で、でも……惟さん。今まで日本にいなかったってお父さんが……それでもなの?」
「うん、それでもなんだよ。繋がっていないようで上流社会って繋がっていてね。そろそろ、本気で相手を探さないとヤバいと思っていたんだよ。亜紀ちゃんがここに来るまでは普通の生活してたってことはきいている。だから、信じられないって思うかもしれない。でも、僕はこの話を真剣に考えている。そのことは分かってほしい」
「でも……私……まだ、高校生です……そんなこと、考えられない……」
惟の言葉に、亜紀はそう呟くことしかできない。何しろ、彼女にすれば結婚も婚約も現実からかけ離れている言葉。たしかに恋に恋するお年頃であることも間違いない。
そして、今は離れているが幼なじみの由紀子とは『素敵な王子様がいればいいよね』と話していたのも事実。そんな彼女を今、抱きしめている相手。
親戚であり、婚約者だと紹介された惟はどうみてもイケメンに分類される。こんな相手から甘い言葉を囁かれて気持ちがぐらつかない方がおかしい。いや、普通ならば間違いなく舞い上がり、幸せな気持ちになっているだろう。
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