〔2〕
その言葉に、玲子もハタと気がついたように亜紀の顔を見つめてくる。その視線が雄弁に何かを物語っている。そう思った亜紀は、解放されたにも関わらず、どこか気まずい思いを感じることしかできなかった。
「あ、あの……おばさま?」
ここで玲子に問いかけるのは地雷を踏むに等しい。そのことが分かっている亜紀だが、今の雰囲気ではそうせざるを得ない。そんな思いがあるせいか、玲子に呼びかける声はどこか弱々しい。
もっとも、そんな亜紀の感情を玲子が考えているはずもないというのも事実。呼びかけられたことに対してはニッコリと笑顔を浮かべている。だが、そのなかでも不満があるというような顔で彼女は亜紀に応えていた。
「本当はおばさまって嫌なのよ?」
「玲子、それ以上は止めた方がいい。亜紀ちゃんがドン引きするよ。そうなってもいいのなら、いくらでもどうぞ」
「たっちゃんの意地悪。でも、そんなことになったら、とっても寂しいわよね。じゃあ、今はおばさまで許してあげる。それよりも、惟に会うんでしょう? 亜紀ちゃんに会えたのが嬉しくって、そのあたりのこと分かってあげなくてごめんなさいね」
満面の笑顔を振りまきながらそう告げる玲子の姿。それに対して、亜紀はどう返事をすればいいのか分からなくなっていた。
いや、惟のことが好きなのは間違いない。今までは憧れもその中にあったのかもしれないが、今の彼女は彼のことを誰よりも好きだと言えると思っている。だが、そうなるとどうしても気になることが生まれてくる。
本当に彼のそばにいるのが自分でいいのだろうか。
そんな根拠のない不安が、彼女の中では大きくなっている。だからこそ、亜紀は玲子の声に俯きながら応えることしかできなかった。
「本当に私でいいんですか?」
これは亜紀の偽らざる本音。今の彼女は自分に自信が持てなくなっているのだろう。そのために俯いた肩が微かに揺れ、声も途切れそうなものになっている。そんな亜紀の様子に気がついた玲子は、彼女の肩にそっと手をのせていた。
「亜紀ちゃん、心配することないの。惟はあなたのことしか考えてないわ。そのことも信じられないの?」
「おばさま……でも、やっぱり不安なんです。私みたいな子供で本当にいいんだろうかって思っちゃうんです。だって、惟は私なんかには勿体ないほど素敵だし、大人だし……」
ポツリ、ポツリと口にされる言葉。それが亜紀の本心だということが分かっているのだろう。玲子はしっかりと彼女の肩を抱き寄せている。そんな中、玲子はゆっくりと亜紀に問いかけていた。
「ねえ、亜紀ちゃんは惟のこと好きなんでしょう? だったら、不安に思うことなんてないわ」
玲子の言葉は亜紀には思ってもいないことだったのだろう。思わずハッとしたような表情で玲子の顔をみつめてくる。そんな亜紀の顔をじっとみつめた玲子はゆっくりと言葉を続けていた。
「そうでしょう? でも、亜紀ちゃんが不安に思うのも分かるわ。誰だって好きな人が自分のことをどう思っているのかって気にしちゃうものだもの。だから、亜紀ちゃんのその気持ち、私にはよく分かるわよ」
「おばさま……私、惟のことが好きです。誰よりも好きです。この気持ちは絶対に他の誰にも負けないと思ってます」
「そうなのね。じゃあ、亜紀ちゃんの中ではちゃんと結論が出ているじゃない」
亜紀の言葉に安心したように玲子はそう応えている。もっとも、そう言われた亜紀の方は訳が分からないというような顔をすることしかできない。そんな彼女の体をぐるりと回転させた玲子は、その背中をグイッと押していた。
「さ、悩んでいないで惟に会ってらっしゃい。そうすれば、亜紀ちゃんの不安なんてどこかにいっちゃうわ。あなたは間違いなく惟に恋している。でも、たとえ、これが恋だとしてもそのことをちゃんと認めないと先に進めないわ。そのこと、分かっているんでしょう?」
励ますような玲子の言葉。それに対して、亜紀は首を後ろに向けると不安そうな表情をみせる。
「でも、ほんとに大丈夫ですか? それに、私、こんな格好だし……」
「そんなこと、気にしなくてもいいの。惟は亜紀ちゃんの顔しか見てないから」
「玲子、それは言いすぎじゃないかな? ま、たしかに否定はできないと思うけれども」
「そうよ。それに、あの子も健全な男なんだし。亜紀ちゃんが裸でいた方が喜ぶんじゃないの?」
平然とした顔で玲子はそう言い放つ。それを耳にしたとたん、亜紀は耳まで真っ赤になり達也も明後日の方角に視線を向けていく。
もっとも、爆弾発言をした本人にその意識があるはずもない。彼女は思いっきり亜紀の背中を押すと、惟のいる病室に彼女を押し込んでいた。
「悩むことないの。ちゃんと亜紀ちゃんの気持ちを惟に教えてあげて。絶対にそうした方がいいの。わかった?」
それだけ言うと玲子は病室の扉をバタンと閉めている。後に残されたのはこの状況にアタフタしている亜紀。だが、彼女もどうすればいいのかおぼろげに分かっている。
だからだろう。ゆっくりとした足取りながらも、彼女は惟のそばへ近寄っていた。
「惟……大丈夫なの? 返事してよ……」
まだ不安が先に立つのだろう。呟く声は力のない微かなもの。だが、病室に響く点滴が落ちる規則的な機械音。穏やかな表情で目をつぶっている惟の姿。それらが徐々に亜紀の心理を落ち着かせているのだろう。その表情もだんだんと柔らかいものになっていく。
「ねえ、惟。私、あなたに言いたいことがあるのよ?」
ベッドサイドの椅子に腰かけ、点滴に繋がれていない方の腕に手を伸ばす亜紀。その口から漏れる声には、それまでにない甘さが含まれている。もっとも、言葉を口にした本人はそんなことを意識してはいない。彼女はただ、惟の顔をみつめているだけ。
「ねえ、目を覚ましてよ。私のこと、一人にしないって約束したじゃない」
拗ねたような口調で言葉が綴られる。だが、本気で拗ねていないからこそ続けられる言葉。
「あ、心臓の音が聞こえる。うん、よかった……それにあったかい……心配したんだから。心配で心配で、気が狂うんじゃないかって思ったんだから……」
ここに運ばれた理由をハッキリと覚えている亜紀の口からは不安気な声しか漏れてこない。それでも、こうやって彼の体温を心拍を確認できる。そのことで安心感を覚えたのだろう。今まで浮かべたことのない柔らかい表情がそこには宿っている。
「惟……好きよ。大好き。誰よりもあなたのことが好きです。愛しています」
そう告げる相手はまだ眠っている。だからこそ、口にできる言葉。それでも、亜紀の顔は真っ赤になってしまっている。そんな時、彼女の耳には思ってもいなかった声が飛び込んできた。
「今、なんて言ったの? もう一度、言ってくれない?」
柔らかなテノールの声。耳に馴染んだはずの甘い響きがいつもよりも甘く聞こえる。そう思った亜紀は何も言うことができずに顔を真っ赤にすることしかできない。そんな彼女に、甘い響きが降り注がれる。
「ねえ、亜紀。さっき、嬉しいこと言ってくれたと思うんだけど? もう一度、ちゃんと聞かせて。言い逃げってずるいんじゃないの?」
「た、惟……」
いくらそう言われても、恥ずかしいものは恥ずかしい。そう思う亜紀の顔はますます赤くなっていく。それでも、逃げているだけではいけないということも分かっているのだろう。真っ赤に染まった頬を隠すように俯いた彼女は「好きです」と消え入りそうな声で呟いている。
「亜紀、聞こえないよ。ちゃんと僕の目を見て言って」
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