〔4〕
「ほんとに馬鹿だよね。惟と君の間に入れるはずないっていうのにね。でも、それだけ亜紀のこと本気だから。でも、亜紀を悲しませるつもりはなかった。それは信じて」
亜紀の体を抱きしめたままのアンジーは、彼女の肩に顔を埋めながらそう囁いてくる。今の状況は彼に押し倒されているといえるのだろうか。そんなことを考える亜紀だが、不思議とそのことに対する恐怖心は湧いてこない。
それでも、彼を受け入れるつもりはない。そのことを告げるかのように、彼女の腕がアンジーの背中にまわされることはない。
もっとも、亜紀のこの反応は彼自身が一番よく分かっていたのだろう。名残惜しそうに彼女から離れた顔には、どこか寂しそうな表情が浮かんでいる。
「これが亜紀の答えなんだね。分かっていたけど、やっぱり堪えるよね」
「グラントさん、ごめんなさい」
「どうして謝るの? 亜紀は一人なんだよ。だったら、誰かを選べばこうなるのは当然でしょう?」
囁きかけるアンジーの声には寂しさが含まれている。そう感じた亜紀は思わず視線を下げる。しかし、これだけは言わないといけない。そう思うのか、俯いたままゆっくりと言葉を口にする。
「私、惟じゃないとダメなんです。彼以外は考えられないんです。だから、あの時も惟があの女の人と一緒にいるのを見て、気持ちがモヤモヤして、胸が痛くなって……」
「あれは惟が悪かったよ。千影さんの気持ちを知っていたのに、彼女が近付くのを止めなかった」
「でも、私も子供だから何も分からなかった。あの時、嫉妬してるんだってことに気がつかなかったの。そうなっちゃうくらい彼のことが好きなんだってことに、気がついてなかった」
「亜紀……」
今のアンジーにとって、亜紀が惟に向ける思いを耳にするのは辛いことのはず。だが、ちゃんと聞かなければいけない。そう思ってはいても、思わず亜紀の名前が口から漏れる。その言葉の響きに宿るものを感じた亜紀は思わず手を口に当てると、バツの悪そうな表情を浮かべていた。
「ゴメンなさい。こんなこと聞きたくないですよね」
「ううん、いいよ。亜紀の口からちゃんと聞いた方が、諦めがつく。だから、気にしないで」
そうは言っても、アンジーの顔色はどこか悪い。そのことに気がついた亜紀は、これ以上のことは言えないというように口を閉ざす。そんな彼女の額にアンジーはそっとキスを落としていた。
「これくらい、いいだろう? これで、ちゃんと亜紀のことを諦めるから。惟と幸せになって」
「う、うん……」
「今ね、君のためのマリエを作ってるの。もうちょっとしたら完成するから、それを着た君を一番に見せてくれる?」
彼の言葉に亜紀は反射的に顔を上に上げている。そこに浮かんでいるのはどこか困惑したような表情。そんな彼女にまたキスを落としながら、アンジーは囁きかけてくる。
「本当は惟よりも先に見るってダメなんだろうけどね。でも、これくらいは許してもらいたいんだよ。絶対、亜紀に似合うものに仕上げるから。だから、ご褒美。僕に君のマリエ姿を一番先に見る権利をちょうだい」
亜紀の耳に囁かれるその言葉は甘いだけではなく、どこか苦いものも含んでいる。そのことに気がついたのだろう。亜紀はアンジーの顔を正面から見ると、コクリと微かに頷いている。
「わかりました……グラントさんがそうしたいって思うならそうしてください。惟もきっとダメだって言わないと思うし」
「ありがとう。じゃあ、そうと決まったら、できるだけ早く仕上げないとね。そうだ。次のコレクションのラスト、惟と一緒にステージに上がる?」
この提案は亜紀にすれば、思いもかけないものだろう。彼女もマリエがウェディングドレスだということは知っている。そして、コレクションの最後を彩るのがそのマリエであるということも。
たしかに彼女も恋に恋する女子高生。となればウェディングドレスに対する憧れは、人並み以上にある。そして、ファエロアのメインデザイナーであるアンジーが彼女に似合うようにすると言っているのだ。そのドレスを着たい、という思いは間違いなく彼女の中で大きくなっていく。
しかし、そこで彼の告げたもう一つの言葉に亜紀は顔を真っ赤にしてしまっていた。何を思っているのか、彼は惟と一緒にステージに上がらないかと誘ってきたのだ。だが、これは激しく羞恥心を刺激することでしかない。
ウェディングドレスはたしかに憧れる。だが、それを着て惟と並ぶということは結婚式と変わらない。コレクションに集まっている多くの人々の前でそんな姿を晒す。そんなことになったら、恥ずかしさのあまり死ねる。そう思った亜紀は、金魚のように口をパクパクさせるだけ。
だが、頭の中ではその時の姿を想像しているのだろう。ポッポと湯気が出そうなほど赤くなった顔を彼女は必死になって手で隠している。
「グ、グラントさん……そんな恥ずかしいこと、できません!」
「そう? でも、本番はコレクションの時以上に人が集まると思うよ?」
サラリと告げられたその言葉に、亜紀はまた顔が赤くなってくるのを感じている。どうして、こんなことを言われないといけないのか。そう思っている彼女だが、先ほどまでの重苦しい雰囲気と比べれば、今の方が格段に居心地はいい。
もっとも、羞恥心だけを刺激されるような言葉に耐えなければいけないのは遠慮したい。そう告げるかのように、亜紀は頭から布団をかぶっている。
「グラントさん、本番って何のこと言ってるんですか?」
「え、分かってないの? 亜紀ちゃんと惟の結婚式。絶対に凄い人数が集まるんだろうね。なにしろ、亜紀ちゃんは一條家のお姫様だし、惟もそれなりに顔が広いからね。だとしたら、慣れておくためにも今度のコレクションでモデルやってよ」
アンジーが彼女を呼ぶ時の声が『亜紀ちゃん』に戻っている。そのことを不思議に思う亜紀は、じっとアンジーの顔を見つめるだけ。その視線に気がついたのだろう。アンジーはクシャリと顔を歪ませながら応えている。
「亜紀ちゃんの気持ちを知ってまで、前みたいに『亜紀』って呼べない。だから、これは僕なりのけじめのつもり。あんなことしたけど、これからも今までみたいに亜紀ちゃんに会うことってできる?」
そう告げる彼の声はどことなく力がない。そのことに気がついた亜紀は首を大きく振りながら、必死になって肯定の言葉を口にする。
「もちろんです。それに、私のマリエ作ってくれるんでしょう? だったら、会えなくなるはずないじゃない」
「本当にそう思ってくれる? 僕に会うのって怖くないの? 僕、亜紀ちゃんのこと本気で抱こうとしたよ? そんな男のそばに平気でいられる?」
畳みかけるようなその声に、亜紀は一瞬、気押されたようになっている。それでも、ここで引いてしまってはいけない。そんなことも思うのだろう。彼女はグッと唇を噛むと、しっかりとアンジーの顔をみつめている。
「本音を言うと、ちょっと怖いです。でも、グラントさんは私のこと、それくらい好きだって思ってくれてたんでしょう? 逆にその気持ちに応えられないのが悪いかなって……」
「亜紀ちゃん、そんなこと思っちゃダメ。君がそんな風に思ってくれてるって知ったら、諦めきれないよ? だって、僕は往生際が悪いから。でも、それが亜紀ちゃんの優しさなんだよね」
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