〔3〕
これが亜紀の出した答えなのだろうか。そう思ってはいても、アンジーはそれを拒否するかのように頭を大きく振っている。その姿が不思議だと思った亜紀の口から出るのは疑問の声だけ。
「ねえ、グラントさん。ほんとにどうして?」
「うん、亜紀が大変な目にあったって耳にしたから。だから、お見舞いに来たんだよ」
アンジーのその声に亜紀はどう返事をしようかと悩んだ表情を浮かべている。ちょうどその時、病室の扉が開いたかと思うと看護師が落ちついた様子で入ってきていた。
「一條さん、そろそろ点滴が終わりますね。気分が悪いというようなことはありませんか?」
その声は亜紀にとっては救いの神とでもいえるものなのだろう。彼女はホッとしたような表情で看護師に視線を向けている。その看護師はアンジーが持ってきた花束に気がつくと明るい笑顔を彼に向けていた。
「一條さんのお見舞いですか? 素敵なお花ですね。今、飾れる花瓶を探してくるので、待っていていただけますか?」
「あ、ありがとう、ございます……」
どこか緊張したようなアンジーの声。それに対してクスリと笑った看護師は慌ただしく病室を出ると花瓶を手に戻ってくる。そのまま花を飾った看護師は亜紀の点滴を手早く外すと、ベッドの頭を持ち上げていた。
「この方がゆっくりお話できるでしょう? でも、あまり興奮しないように。もうちょっとしたら先生に診ていただきましょうね。お兄さんも安心なさると思いますよ」
「ありがとうございます。それはそうとお兄ちゃんは?」
先ほどまで拓実がいたはずだ。そんなことを思う亜紀の口からはそんな言葉が漏れる。それに対して、アンジーがゆっくりとした調子で応えていた。
「亜紀ちゃん、一條さんならここの院長に会うって言っていたよ。亜紀ちゃんの入院の手続きとか言ってたかな?」
「そうなんですね。でも、すぐに退院できると思うんだけどな。特に怪我したわけじゃないんだし。そうですよね?」
「たしかにそうですね。でも、こればかりは先生が判断なさることですよ。精神的に落ちついてないようだし、ゆっくりするのもいいと思いますよ」
問いかけるような亜紀の声に、看護師は笑いながらそう応えている。そのまま、彼女の体温を測った相手が出るのを待ちかねたようにアンジーが口を開いていた。
「亜紀、今はゆっくり休むのが一番だよ。本当に酷い目にあったんだから。怪我したとはきいてないけど、本当なの? 亜紀のことだから、我慢しているなんてことない?」
「グラントさん、私は大丈夫です。どこも怪我なんてしていないもの。ただ……」
「ただ、何?」
亜紀が言いたいことは分かっているのだろう。それでも、確かめるように問いかけられる言葉。それに対して、亜紀は震える声で訊ねかけるだけ。
「グラントさん、グラントさんなら知っているでしょう? だから、教えて欲しいの……」
「……何が知りたいの?」
教えて欲しいと言いながらも亜紀の口からは次の言葉が出てこない。それに対して、彼女の背中を押すように告げられる言葉。それを耳にした亜紀は意を決したように改めて口を開く。
「惟は? 惟はどうなったの?」
今の亜紀にとって何よりも気になるのが惟のことなのだろう。なんといっても、彼女が意識を失う前に目にした光景はあまりにも衝撃的すぎる。もっとも、それは彼女の杞憂。だが、今までにそのような経験をしたことのない亜紀の許容範囲を越えているのは間違いない。
惟がどうなったのか知りたい。でも、知るのは怖い。とはいっても、知らずにいることの方がもっと怖い。
今の彼女はそんな様々な思いが胸に溢れてきている状態。本来ならば、このことは雅弥なり兄の拓実に訊ねるべきことなのだろう。だが、その二人はここにはいない。そして、代わりのようにいるのがアンジー。
この場で彼に訊ねることが正しいことなのかは分からない。だが、彼と惟の関係を考えれば、間違いなく情報は持っている。いや、誰よりも正しい情報を持っているに違いない。そんな結論にいたった亜紀は恐怖心を抑えつけるように問いかける。
どうして、彼がここにいるのだろう。
惟の具合は悪くないのだろうか。
アンジーが惟のそばにいないということは、どういう意味を持っているのだろう。
今の亜紀の中に浮かんでくる思いは、そんな疑問の声ばかり。たしかにアンジーからは『好きだ』という告白を受けた。だが、それだけの理由で彼がこの場にいるとは思えない。
惟に何かがあったのではないだろうか。いつまでも返事をしないアンジーの姿に、亜紀の不安が徐々に大きくなっていく。
「グラントさん、教えてください。どんなことでもいいんです。惟はどうしてるんですか?」
なんとかして惟の様子を知りたい。そんな思いだけが強くなっている亜紀の表情は、だんだんと必死なものになっていく。そんな彼女の気迫に、アンジーは飲まれてしまったのだろう。彼の口から「惟、ね……」という力のない呟きがもれてくる。
その声は今の不安にさいなまれる亜紀にとっては、最悪なことしか連想させない。はっきりとしたことを聞かされた訳ではない。それにも関わらず、彼女の顔はすっかり青ざめ、ガチガチと歯がぶつかり合う。
「亜紀、どうしたの? 何かあったの?」
彼女の様子が急に変わったことに驚いたのだろう。アンジーが不安気な声をかける。そんな彼の声も今の亜紀の耳には入っていない。彼女の視線はベッドのそばに置いてあるトレーに向けられている。
そこにあるのは真っ赤なリンゴとぺティナイフ。そのナイフに手を伸ばした亜紀は、躊躇うことなく自分の首筋にその刃を向けていた。
「亜紀、何をするんだ! 馬鹿なことはやめるんだ!」
彼女のやろうとしたことに気がついたアンジーが大声を上げる。だが、亜紀の手が止まる気配はない。ギュッと目をつぶった彼女はナイフを握る手に力を入れると、自分自身を傷つけようと必死になっていく。
「亜紀、早まったことするんじゃない!」
「そんなことない。惟がいないなんて、私には我慢できないの。だって、約束したもの。絶対に私を一人にしないって。それなのに……それなのに……」
今の亜紀は感情を抑えることができないのだろう。途切れがちになる声には嗚咽が混じり、肩が小刻みに震えている。それなのに、手はナイフを離そうとせず、己の首筋に当てたまま。
このままでは亜紀が怪我をする。そう思ったアンジーがなんとかして離させようとするが、彼女は首を振り続けるだけ。
「亜紀、危ないからナイフを離して。君が怪我をするだろう」
「関係ないもの。惟がいないんなら、どうなったってかまわないの」
「そんなこと言わない。早く、ナイフを元に戻して」
「イヤ! グラントさんこそ離して。離してちょうだい!」
亜紀は止めようとするアンジーの手を振り払うように身をよじる。そのまま一気に首筋に食い込んでいく刃。微かな痛みとともに肌が傷つけられ赤い糸がツッと流れる。その光景にアンジーは亜紀を止めなければと必死になっていく。
ベッドの上でもつれあうように絡まり合う二人の視線。やがて床の上にカシャーンという音が響いたかと思うと、ナイフが転がっていく。それにも気がつかないように、アンジーは亜紀の体をしっかりと抱きしめていた。
「亜紀、早まっちゃいけない。惟が君をおいて逝くなんてことあるはずないだろう」
「でも……でも……」
「僕の言い方が悪かったよね。でも、僕の気持ちも分かってよ。亜紀のこと好きだって言ったんだよ。それなのに、君は僕のことを見てくれないじゃない。そのことに嫉妬した」
「グラントさん……」
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