〔1〕
「今日もダメだったか……」
受話器を置きながらそう呟く惟の声は、どこか力がない。だが、それも仕方がないと言えるだろう。なにしろ、先日以来、亜紀と会うことができなくなってしまっているからだ。
あの時、『亜紀が落ちついたら連絡を欲しい』と告げ、雅弥はそれを承諾したはず。それなのに、あの日から一週間は経っているというのに、いまだに連絡がない。
思春期の女の子の精神状態が不安定になりやすいことは、惟もよく知っている。だからこそ焦ってはいけないということは分かっている。
それでも、毎日のように会っていた亜紀の姿を見ることができない。身近に彼女の気配を感じることができない。そのことがかなりのストレスになっているのは間違いない。
そのために惟は連絡がくるのを待ち切れずに自分から連絡を取ろうとする。しかし、亜紀の携帯に何度ダイヤルしても、彼女が応えることがない。思い余って一條家に連絡を取っても、雅弥が取りつく島もなしに断りの文句を告げる。
そんなことを何度繰り返しただろう。そのことに大きくため息をついた惟は、また電話を手にしている。しかし、今度は一條家に連絡をいれるのではない。ここならば亜紀の様子を知ることができる。そのことを確信している番号に繋ごうとしているのだった。
「亜紀、どうして会ってくれないの? 何か僕のことで不満でもあるの? だから会ってくれないの? でも、それならちゃんと君の口から教えて。亜紀、今、何を考えてるの?」
デスクに飾ってある写真は、彼が誰よりも恋しいと思っている少女。婚約が成立してすぐに撮ったその写真の中で、彼女は幸せそうな笑顔を彼に向けている。
だというのに、今はその彼女から徹底的に無視されている状態。それだけではなく、彼女に会おうとする努力の全てが無駄になっている。
そのことを思い出した時、惟の顔色がどこか冴えないものになっていく。だが、それも当然だろう。なにしろ、彼女に会うことを拒否された翌日。それでも迎えに行けば会ってくれる。そんな期待を持って校門前で待っていたが、彼女が出てくる気配がない。
たしかに惟も白綾の卒業生である以上、入ることも可能だろう。だが、それをするのに一抹の躊躇いもある。そんな彼ができることは、いつものように彼女を待つだけ。そんな時、彼は間違いなく亜紀が校門に近づいてくるのを感じていたのだ。
「亜紀!」
彼が呼びかける声が聞こえたのだろう。声にならない悲鳴が聞こえたような気がする。そして、それと同時に亜紀の気配が校内に消えていく。そのことに、彼はどこか理不尽な思いしか感じることができない。
どうして、ここまで彼女が拒絶する。
自分は、彼女を怒らせるようなことをしたのだろうか。
だが、いくら考えてみても納得のいく結論が出るはずもない。こうなると、それからはいたちごっこのような日々が始まっている。
なんとかして亜紀に会いたいと思う惟。そして、彼を必死で避ける亜紀。
普通であれば、間違いなく惟の方が上手に出られる。それだけの人生経験を彼が積んでいるからだ。しかし、今の亜紀には最強ともいえる協力者がいる。
それが一條家の執事であり、彼女の世話役でもある竹原雅弥。彼が何事もそつなくこなす有能な人物である。そのことは今回の件ではっきりと示されている。なにしろ、惟がどう足掻いても亜紀に会うことができないのだ。
これが一度や二度ならば偶然の巡りあわせと納得することもできるだろう。ところが、あの日以降、彼女との接触が完全に断たれている。声を聞くことどころか、姿を見ることもできない。
このことは、惟の精神状態をかなりナーバスなものにしてしまっている。今の彼は亜紀が不足している状態。このままだといずれ爆発する。そのことは彼自身が一番よく知っている。
だが、その事態を解決できる唯一の存在が完全に彼のことを拒否している。となると、完全にお手上げ状態。そんな中、惟はどうして雅弥が亜紀に同調しているのかと不思議にも思っていた。
たしか、彼は彼女の世話役でもあるはず。ならば、彼女が婚約者である惟を不自然に避け続けることを諌めることができるはず。それなのに、彼女が惟から逃げることを助けるという、まるで逆のことをしている。
「どうして、竹原は亜紀が逃げるのを助けようとする? あの時、連絡するといったのは彼のはずなのに。それなのに、どうして?」
そんな呟きが惟の口からはもれている。なにしろ、彼には今の自体が理解できない状態でもあるからだ。だが、この場に雅弥がいれば間違いなく惟を糾弾しただろう。
なにしろ、彼は惟が亜紀を強引に襲ったと思っている。そのために、亜紀が惟のことを拒絶しているのだという結論にいたっている。そして、彼がそう思う以上、亜紀が惟から逃げることに協力するのは当然ともいえるだろう。
もっとも、これは完全な勘違いであるのだが、そのことを雅弥は知っていない。だからこそ、彼は全力を挙げて惟が亜紀と会うことのないようにと動いている。
おかげでこの一週間、惟は最愛の女性でもある亜紀の不足を補えずにいる。だが、それも我慢の限界。これ以上、彼女が不足するようなことがあれば、危ない道に走ってしまう。そう思うからこそ、惟はいつもとは別の番号にダイヤルしているといれるのだった。
そして——
翌日の午後、惟は白綾学園の理事長室に姿をみせていた。そう、亜紀が雅弥と共同戦線を張って惟を避ける以上、彼が取れる道は一つだけ。亜紀の兄である拓実を通じて、彼女の状況を知るしかないと思ったのだ。
そんなことを思う惟の表情は普段とは違っているのだろう。そして、それを敏感に察している拓実はどこか呆れたような声を出すことしかできなかった。
「惟さん。急に電話してくるから驚きましたよ。何かあったんですか?」
「あったっていうか、なかったというか……それより、亜紀は元気にしてるの?」
「それ、惟さんがきくんですか? 亜紀ちゃんのこと、独占しているくせに」
拓実の声に、惟は表情を強張らせている。たしかに、拓実が言うように亜紀を独占していたのは間違いない。だが、それはこの間までの話。
この一週間、完全に拒否されている彼にとって、今の言葉は嫌味でしかない。そんな抗議の色を浮かべた目で彼は拓実を睨んでいる。その姿に、拓実はため息をついて応えるだけ。
「亜紀ちゃんなら元気ですよ。って言いたいんですがね。ちょっと違うかな?」
その言葉に、惟の表情がますます強張っていく。そんな彼の顔を見ながら、拓実は呆れたような調子で言葉を続けていく。
「ほんとに、亜紀ちゃんと何かあったんですか? こんなこと野暮になるから言いたくなかったんですよ。でも、ちゃんとしておかないといけないことだと思うし……」
「拓実君、何が言いたいの?」
「ひょっとして、亜紀ちゃんに強引に迫ったりしませんでした? そりゃ、僕だって彼女が誕生日とその翌日の二日も連続で外泊しているから、何かがあったとは分かってますよ? でも、それって合意の上だと思ってたんですけどね。なにしろあれから亜紀ちゃん、物凄く色っぽくなってたんだから。絶対、惟さんと熱い夜すごしたんだって思ってたんですよね。違ってます?」
「ここで、それ訊ねてくるの? やっぱり、君も慎一さんの息子ってだけのことあるよね」
普段であれば、言い負かされることなどあるはずがない。だというのに、今の惟は拓実の言葉に反論できないでいる。その姿がいつもとは違うと思ったのだろう。目を丸くしながら拓実は話し続けている。
「じゃあ、やっぱり亜紀ちゃんのこと食べちゃったんだ。彼女の首筋にマークついてたから、そうだとは思ってたんですけどね。でも、疑いだったことが本当のことだったんだってわかると、僕としては複雑かな?」
「どうして?」
「だって、そうでしょう? 亜紀ちゃんは僕の大事な妹だし。その彼女が婚約者とはいえ、まだ籍を入れていない相手に大人にされちゃったわけだし。ちょっと嫉妬も混じってる?」
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