〔5〕
「どうして? 婚約者の部屋に入るんだよ。寝込みを襲おうなんて思ってないんだし、問題ないだろう」
「普段のお嬢様でしたら問題ございません。しかし、今のお嬢様は普通ではありません。そして、はっきりとお会いになりたくないとおっしゃっておられるではありませんか。それなのに、無理に入られるというのは、常識から外れているかと存じます」
穏やかな口調ではあるが、言葉は辛辣なものが含まれる。それに気がついた惟はキッと相手を睨みつけ、キツイ声で応えている。
「竹原、君にそんなことを言う権利があるの? 僕は亜紀の婚約者だよ。彼女に会う権利は当然あるはずだ」
「普段のお嬢様や山県様でしたら問題ございません。しかし、お嬢様はお会いになりたくないとおっしゃっておられます。それにも関わらず、無理に要求を通そうとなさるのを見過ごすわけにはまいりません。本日は、このままお引き取りいただけませんでしょうか」
雅弥のその言葉に惟はグッと拳を握りしめている。たしかに、彼の言葉は間違っていない。ここは一條家であり、そこの令嬢である亜紀の言葉に執事である雅弥が従わないはずがない。
それでも、惟自身も譲れない思いというものがある。今の彼は亜紀に会いたい。その思いだけで動いているからだ。
しかし、それが無茶な要求であるということは、亜紀の態度からも一目瞭然。それでも諦めきれない惟は何とかして亜紀に会おうと必死になっている。
それを阻むかのように雅弥は惟の前に立ちふさがる。そのことが納得できない惟は、声を荒げて彼に言葉をぶつけるだけ。
「竹原、そんなことを君の一存で言っているのかい? たしかに、君はここの執事だ。そして、亜紀の世話役だということも認める。でも、そこまで言う権利があるとは思えないよ」
「そうでしょうか? わたしはお屋敷でのことを旦那様より全面的に任されております。そして、今はお嬢様のご意思もあります。それでも、お嬢様にお目にかかりたいとおっしゃられますか?」
雅弥の声は穏やかではあるが、惟の要求を認めないという意思も感じられる。そして、彼は一條家の当主である慎一から絶大な信頼を受けている執事である。そのことを思い出した惟は、これ以上逆らうことはできないということを感じていた。
なにしろ、執事は仕える主人の意思を代弁する存在でもあるからだ。となれば、ここは素直に引いた方がいい。そう思った惟は持っていた亜紀のカバンと携帯を雅弥に渡した。
「竹原、よく分かったよ。たしかに、僕もちょっと興奮していた。こんな状態で亜紀に会っても、お互いに気まずくなるだけだね」
「お分かりいただけましたか。ありがとうございます」
「うん。ところで、亜紀が荷物を忘れていてね。それを渡したかったから会いたかったんだよ」
「そのような理由でしたか。でしたら、大変失礼いたしました。知らぬこととはいえ、山県様にかなりの暴言を吐いたような気がいたしますので」
そう言いながら、雅弥は惟に対して深く腰を折る。もっとも、口ではそう言っていながらも彼がまだ惟のことを許していないのは明白。彼にすれば、婚約者であるということを盾に取った惟の行動を許すことができないからだ。
だが、たとえそう思ってはいても惟が山県という名を持ち、一條の親族に連なる相手なのも事実。そして、そうである以上、彼が折れてきたからには雅弥もそれなりの対応をしないといけない。
それが分かっているからこそ、彼は惟に対する態度を変えることしかできない。もっとも、それは本意ではないのだろう。顔にはいつもと同じように微笑が浮かんでいるが、貼りついたようなそれ。そのことに気がついた惟は、仕方がないというような声を出していた。
「本当に君って有能なんだね。でも、自慢のポーカーフェイスも崩れているよ。それだけ、君にとっても亜紀が大事なの?」
惟の声に自分がどんな顔をしているのかということに気がついたのだろう。スッと視線を下げながら、雅弥は彼の声に応えている。
「当然でございましょう。お嬢様は一條家の令嬢なのですから。わたしにとって、誰よりも大事で大切な方であることに間違いございません」
「そうだったね。野暮なことを訊いた。とにかく、今日は帰る。亜紀にカバンは渡しておいて。明日も学校だろうし、ないと困るだろう」
「左様でございますね。お心遣い、ありがとうございます」
「うん。それから、亜紀が落ちついたら連絡くれない? 彼女とゆっくり話もしたいし、今日のことちゃんと謝りたいから」
「かしこまりました。それではお見送りさせていただきますので」
「かまわないよ。今は亜紀のこと、お願いする。僕には会ってくれなくても、竹原になら会うんじゃない? だから、彼女の様子を見ておいて欲しい。いろいろとあったみたいだから」
そう告げると惟はその場を後にしている。もっとも、その後ろ姿はいつもの雰囲気ではない。亜紀に拒否されたということがかなりのショックになっているのだろう。普段であれば自信に満ちた足取りも、どこか重いように感じられる。
だが、いつまでもそのことを気にはしていられない。今は亜紀の様子を確かめないといけない。そう思う雅弥は、改めて彼女の部屋の扉を叩いていた。
「お嬢様、落ちつかれましたか? お部屋に入ってもよろしいでしょうか?」
もっとも、普段の雅弥であれば遠慮せずに中に入っているだろう。だが、今の亜紀の精神状態が普通ではない。そのことを感じている雅弥は極力、彼女を刺激しないようにと扉を叩く。
しかし、いつまでたっても返事がない。そのことに微かな不安もよぎったのだろう。彼は扉を開けると部屋の中に滑り込んでいる。
「お嬢様、どちらにいらっしゃいますか?」
部屋の中を見渡しても亜紀の姿が見当たらない。だが、出た気配はなかったはず。そう思う雅弥がもう一度、部屋の中を見た時、ベッドの上に影があることに気がついている。彼女がいたことに安心した彼が声をかけようと近寄っていく。
なにしろ、どうやら制服のままでベッドにもぐりこんでいるようなのだ。この調子では、明日は着ることができるような状態ではないはず。そう思う彼は、着替えを促すために彼女の肩に手を触れる。その時、亜紀の首筋に咲く赤い痕を雅弥はみつけていた。
「これは?」
いや、口に出さずともそれがキスマークであることは簡単に分かる。そうなると、それを彼女につけた相手が誰であるのか。
しかし、雅弥はこの犯人を知っていると思っている。なぜなら、先日まで間違いなく惟のことを受け入れていたはずの亜紀が今日は完全に拒絶していた。その理由が分からなかった彼だが、今は分かっていると思っている。
恐らく、惟が亜紀に強引に関係を求めたのだろう。だが、まだ高校生の亜紀がそれを了承するはずがない。そのために、彼女は彼を拒絶した。これは間違った推察であるのだが、雅弥がそのことを知ることはない。
そして、この推論は雅弥にとっては許しがたいことでもある。なにしろ、彼は亜紀のことを仕える主としてだけではなく、大事な妹のように思っている。その大切な妹を傷つけられた。そんな思いが今の彼には湧きあがっている。
「お嬢様。申し訳ありませんでした。わたしがもっとよく気をつけていればよかったのです。でも、大丈夫です。もう、このよう目にはあわせませんから……」
どこか悔しさをにじませる声が響いていく。そして、雅弥は亜紀を守らなければいけないという思いで彼女の顔をみつめることしかできないようだった……
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