〔4〕
間違いなく、惟と亜紀の結婚式の時期が早まるだろう。
そう思うアンジーは、進めなければいけないということを分かっていながら、作業の手を進めることができない。そんな彼の思いを知っているはずなのに、惟はマリエを仕上げろという。
これは惟からの嫌がらせなのか。そう思い顔をしかめるアンジーに、惟はため息をつきながら声をかけてくる。
「アンジー、そんな顔をしない。何もマリエを仕上げるからって、僕と亜紀の結婚が早くなるわけじゃない」
「そんなことないだろう。だって、あのマリエは惟が亜紀ちゃんとの式のためだって僕に言ってたじゃないか」
「たしかに、最初はそのつもりだったよ。だって、あの時はアンジーが亜紀のことを意識していなかったんだから。でも今は違う。そうでしょう?」
そう言うと惟はまた足を組み直す。そのまま目をつぶった彼は大きく息を吐くと、アンジーが思ってもいなかった言葉を口にする。
「たしかにマリエは亜紀のために作ってもらう。でも、その相手はアンジーになるかもしれないよ。僕はマリエを亜紀に渡す時に、もう一度、彼女に選んでもらうつもりだから」
そう告げると惟は目を開き、まっすぐにアンジーの顔をみつめている。その真剣な表情に、アンジーは何も言うことができない。そんな彼を見ながら、惟は思っていることを話し続ける。
「信じられないって顔してるよ。ま、普通はそう思うか。でも、僕は本気だから。アンジーが作ったマリエは亜紀に渡す。その時、僕はもう一度彼女にプロポーズする。その意味、分かるよね?」
「つまり、僕も亜紀ちゃんを口説いてもいいってこと? 彼女にプロポーズしてもいいの?」
「そう言わなかった? でも、これだけは覚えておいて。僕にとって、彼女は唯一の人だから。だから、簡単に諦めたりしないよ。つまり、アンジーも本気で亜紀にぶつかって。それで、彼女が君を選んだのなら仕方がない。認めたくないけどね」
そう告げる惟の表情は複雑なもの。だが、それも仕方がないのだとアンジーは気がついている。
もし、自分が亜紀に思いを告げなければ。
黙って、彼女が惟と結ばれるのを見守っていれば。
そうすれば、彼にこんな表情をさせることはなかったのだ。
しかし、言葉は口から出てしまった。一度こぼれた水は元に戻せない。だからこそ、惟も苦渋の決断といえることを口にしている。
となれば自分のできることはなんだろう。そう思ったアンジーは、惟も言葉に頷くことしかできないのだということを悟っていた。
◇◆◇◆◇
惟とアンジーが互いの思いにどこか気まずくなっているのと同じ頃。二人から想いを寄せられている亜紀も、どうすればいいのかと悩んでいる状態だった。
初恋の相手であり、婚約者でもある惟のことが誰よりも好きなのは間違いない。彼以外の相手を考えるということが彼女にできるはずもない。だからこそ、アンジーからの突然ともいえる告白と行動に頭が真っ白になってしまっていたのだ。
あの時、電話が鳴ってくれて助かった。
それが今の彼女の本音だろう。あれがなければ、アンジーの腕からは逃げられなかっただろう。そんなことになっていたら、惟に顔向けできない。そんなことを亜紀は思っている。
だが、今の彼女の首筋にはっきりと残っている痕。アンジーがつけたキスマークの存在が、亜紀にとっては重いものになっている。
それだけではない。ラ・メールの店先にやって来た時の惟の姿。あの時、彼の隣にいた女性には見覚えがある。たしか、彼女はファエロアのショップにいた人。スラリとした姿は間違いなく彼の隣が似合っていた。
そう思う彼女は胸が痛くなるのを抑えることができない。もっとも、恋愛経験値が0の彼女にはこれが嫉妬だということも分かっていない。ただ、彼の顔を見たくないという思いだけで会うことを拒絶した。今の亜紀はいろいろなことが重なりすぎて、泣くことしかできなくなっている。
どうやって、屋敷に帰って来たのか分かっていない。それでも、気がつけば自分の部屋にいる。
雅弥が心配しているのは分かっているが、今は誰にも会いたくない。そう告げるように固く閉ざされた部屋の扉。その部屋の中で、彼女は大粒の涙をポロポロ流すだけ。その時、遠慮がちに叩かれるノックの音と、彼女の名を呼ぶ声がする。
「亜紀? いるんでしょう? 扉を開けて、顔を見せて」
聞こえてくる声は誰よりも恋しい相手。普段であれば、喜んでそれに応えている。しかし、今日はどうしてもそうすることができない。
自分の感情をもてあました状態の亜紀は、泣きじゃくりながら首を振るだけ。そんな彼女の様子がわかっているのだろう。扉の向うからは彼女を呼ぶ声が繰り返しかけられる。
「亜紀、お願いだから扉を開けて。渡したい物もあるんだから。それと話したいこともある」
惟の最後の言葉に、亜紀の肩がピクンと揺れている。今の彼女は物事を悪い方向にしか考えられないからだ。
そんな彼女にとって、惟からの話がいい内容だとは思えない。ましてや、彼女の首筋にはアンジーからつけられた痕がはっきりと残っている。
こんな状態では彼に会えない。会うことなど許されない。そう思う亜紀の口からは、彼の言葉を拒絶する声だけが飛び出してくる。
「会いたくない! 今は惟に会いたくないの!」
彼女の声は、惟には信じられないものなのだろう。扉の向こうからは焦りを含んだ声が返ってくる。
「亜紀!? どうして、そんなことを言うの? どうして、会いたくないって? 僕が何かした? 亜紀を怒らせるようなことしたの? だったら、謝るから。だから、顔をみせて」
「嫌! 今は会いたくないの。会っちゃいけないの。そんなことも分かってくれないの?」
今の亜紀は、完全に自信をなくしてしまっている。今、惟に会えば思ってもいないことを口走る。そんな思いが彼女に彼と会うことを拒否させる。だが、拒絶された方にその思いが通じるはずもない。だからこそ、なんとかして扉を開こうと何度も叩き続けるだけ。
「亜紀! 頼むからここを開けて! どうして、会っちゃいけないって思うの? そのわけ、教えて」
「嫌! 今は会いたくないの。帰ってよ! 会いたくないんだから、帰って!」
亜紀が惟を拒絶する言葉はどんどんとエスカレートしていく。それに比例して、感情も高ぶっていくのだろう。声も確実に荒ぶっていく。
こんな状態の彼女と話ができるはずがない。そのことを普段の惟であれば分かるはず。それなのに、今の彼はなんとかして亜紀に会いたいという思いだけに囚われている。
だが、いくら声をかけても彼女からいい返事がない。そのことに苛立ちを覚えたのだろう。彼の手が部屋の扉にかけられる。そのまま、グッと押し開こうとする手を止めるように伸ばされる手。
その手は手袋をはめている。そのことに気がついた惟は、邪魔をするな、というように鋭い眼光で相手を睨みつけるだけ。だが、相手がそれに怯むことはない。淡々とした調子で、惟に向かって言葉をかけてくる。
「山県様。いくらあなたがお嬢様の婚約者だと申されても、これは許されることではございませんでしょう」
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