〔4〕
そう言いたげな表情で、亜紀はアンジーを見上げている。その瞳がどこか潤んだようになっている。無意識のうちにみせる彼女の仕草に、アンジーの胸がギュッと締め付けられる。
ここでこの顔は反則だ。
これが今の彼の正直な気持ちだろう。
諦めないといけない。そう思っているはずの相手から向けられる、誘っているかのような顔。これに抗うのはかなり厳しい。そう思っていても、この場で彼が口にできる言葉は決まっている。自分の気持ちに蓋をするように大きく息を吐いたアンジーは、亜紀の頭をポンと叩いていた。
「亜紀ちゃん、惟にいつも言われているんだろう? 簡単に写真を撮られるような席に座るなって」
「うん……でも、このお店は安全だってきいてるし……」
「だね。そのことは僕も知ってる。それに、いつもなら惟が一緒だものね。でも、今は違うんだ。だから、今日は辛抱して奥の席に座って?」
アンジーの言葉の意味は分かっている。でも、そのことには頷きたくないという思いもある。そんな二つの思いからだろう。亜紀はキュッと唇をかみしめると下を向いてしまっている。
「亜紀ちゃん? 泣いてるの? 僕、そんなことをするつもりはないんだよ。ね、僕の顔を見て。亜紀ちゃん泣かせたなんて惟に知られたら僕が怒られる」
すっかりしょげた様子になった亜紀の姿に、アンジーの焦ったような声がかけられる。だが、それに彼女が応えることはない。下を向いたまま、フルフルと肩を揺らしているだけ。
それが彼の言葉を拒絶しているように感じたのだろう。アンジーは思わず彼女の肩をガシッと掴んでいた。
その時、店の外に車が停まる音がする。その音に視線をそちらに向けた彼の「あ……」という声。その声に、俯いていた亜紀も反応して顔を上げ、視線をそちらに向けさせる。だが、アンジーはそんな彼女の視界を隠すように、目隠しをしていた。
「グラントさん、どうかしたんですか?」
「見ちゃダメ。ちょっとの間、こうしていて」
そう囁くアンジーの声が震えている。そう思った亜紀は、必死になって彼の手を外している。そんな彼女の目に映ったもの。
そこにあるのは、見慣れた惟の車に間違いない。だが、降りてくるのは彼一人ではない。
彼と一緒に別の影があるのが見える。それが誰なのか分かった時、亜紀はガチガチと体が震えるのを止めることができなかった。
「……うそ……どうして?」
今の彼女の口からはそんな声しか漏れてこない。あの席は自分だけのものだと惟は言っていた。なのに、どうして別の相手が座っていたのだろう。
いや、これが彼と同性の相手ならばまだ辛抱できる。だが、降りてきた相手はスレンダーな美人。白綾の制服を着ている自分と比較すれば、完全に相手の方が大人。
そう思った時、亜紀はこの場から逃げ出したいという思いに駆られている。
このままでは、間違いなく惟が店の中に入ってくる。その時、彼が一人ならばいい。しかし、そうはならないのではないか。そんな思いが彼女の中では大きくなっていく。
その時、自分はどうするのだろう。
惟が自分以外の女性を連れているのを見て、冷静でいられるのだろうか。
いや、そんなこと我慢できるはずがない。
彼のことを好きだと自覚したのは最近のことであるのは間違いない。それでも、彼に対する思いが大きくなっていっているのも事実。
そうである以上、彼が別の女性を連れて歩いている。それだけではない。彼女だけの場所だと言っていた車の助手席にその相手を乗せている。
ということは、自分は彼の特別ではなくなったのではないか。そんな意味のない不安だけが亜紀の中で大きくなっていく。
「グラントさん! 私、惟に会いたくない!」
これが子供じみた我がままであることは分かっている。それでも、冷静になることができない。だからこそ、亜紀はアンジーに向けてそう叫ぶことしかできない。
「グラントさん、お願い! 私、ここにいたくないの!」
今の彼女はここがどこかということも分かっていないのだろう。ただ、そばにいるアンジーにすがりつくようにして叫んでいる。その声が涙交じりになっている。そのことに気がついたアンジーは思わず亜紀の体を抱き寄せていた。
「亜紀ちゃん、分かったよ。落ちついて。ここから出るからね。歩ける? 僕の車のところまで行けそう?」
アンジーのその問いかけに、亜紀は必死になって首を振っている。その姿からは、ここにいたくないのだ、ということだけがひしひしと伝わってくる。
それはいつもの亜紀とはまるで違う。そんな彼女の姿に、ラ・メールのマスターは驚くだけ。それでも、彼女が興奮している理由というのにも気がついたのだろう。アンジーを促すと、裏口に続く扉を示している。
それに対して軽く頷いたアンジーが亜紀を導くようにその場を離れていく。そして、バタンと扉が閉まったのと惟が入ってくるのとは同時。だが、そのことに亜紀は気がついていない。
「グラントさん……私、何も分からない……」
先ほどの光景がショックだったのだろう。亜紀は泣きじゃくりながらそう告げるだけ。そんな彼女を支えるようにして歩くアンジーは、彼女を車へと乗せている。そのまま、ある場所へと走った彼は、亜紀を落ちつかせるように背中をポンポンと叩いていた。
「亜紀ちゃん、落ちついた?」
「グラントさん……」
まだ精神的には落ちついていない。だが、場所を変えたことで少しは気持ちが変わったのだろう。先ほどまでの興奮状態が嘘のように、亜紀はぼんやりとした声を出している。
そんな彼女の手にそっと握らされるカップ。そこから感じる温かさに、彼女の心は少しずつ平静さを取り戻そうとしていた。
「グラントさん、ゴメンなさい」
先ほど、ラ・メールで晒した姿は醜態としかいえない。そう思った亜紀がポツリとそんな言葉を口にする。
もっとも、それを耳にしたアンジーはどうして、というような表情をみせるだけ。そのことに、ますます羞恥心が強くなったのだろう。亜紀の顔が一気に赤くなっていく。
それでも、今のままでは気まずい。そう思う彼女は、差し出されたコップに口をつけながら、言葉を形にしていっていた。
「だって、さっきの私ってなんだか恥ずかしいところばかり見せちゃいましたから」
「そう? でも、亜紀ちゃんの反応って分からないこともないから。正直、僕も驚いたし」
そう言いながら、アンジーも自分用に入れた飲み物に口をつけている。
そんな彼の顔を亜紀はじっとみつめるだけ。もっとも、椅子に腰かけている亜紀が隣に立つアンジーを見る姿はいやでも上目遣いになってしまう。
今まで泣いていたせいもあるのだろう。その瞳がいつもにもまして潤んでいる。そんな彼女の髪にそっと手を伸ばすアンジー。そこに宿る表情は愛しさも含まれている。
もっとも、それが亜紀に分かるはずもない。今の彼女は、自分の思いに浸りきっているともいえるのだから。そして、コップの中身をコクリと飲み干した彼女は、改めてアンジーの顔を正面からみつめていた。
「グラントさん。やっぱり、私って子供なんですよね……」
「どうして?」
亜紀の言葉の意味がアンジーには分からない。だからこそ、キョトンとした顔で問い直す。そんな彼に、亜紀は思っていることを話すことしかできないようだった。
「だって、あの人と比べたら、私って子供です。あんなにスタイルもよくないし、大人っていう雰囲気もない。私、あの時の惟を見て思ったんです。私なんかより、もっと惟には相応しい人がいるんじゃないかなって」
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