〔4〕
「お嬢様に対する暴言の数々、先ほどからみていましたが非常に不愉快ですね」
「た、竹原さん……私、大丈夫だから」
背の高い雅弥が前にいるため、千影の表情をみることはできない。それでも、雰囲気でなんとなく分かるのだろう。彼女は雅弥を制止する言葉を口にする。だが、それに彼が応えることはない。ただ、千影に対する非難の声を強くしていくだけ。
「どうやら、山県様のお知り合いのようですね。もっとも、だからといって先ほどのようなことをなさる理由にはならないと思いますがね。そちらこそ、ご自分の立場をわきまえられればいかがですか? これ以上のことをなさるとおっしゃられるのなら、名誉棄損で訴えますよ」
「竹原さん、やめて。私、大丈夫だから。だから、そんな言い方しないで」
「お嬢様。これは見過ごすことではございません。仮にも、一條家の令嬢であるあなたが侮辱されたのです。黙っていることは一條の名に傷がつきます」
そう言いながら、雅弥は千影の手首を掴む力を強くしている。なんとかしてそれから逃れようとする彼女が暴れる気配。騒ぎが大きくなっていくのか店内のざわつきがだんだん大きくなっていく。それから目をそむけるように固く目をつぶる亜紀。
だが、逃げてばかりではいけない。そう思った彼女はギュッと唇を噛むと、今まで口にしたことのないような口調で言葉を放っていた。
「竹原、おやめ。私は気にしていないから。でも、私のことを思ってしてくれるのは分かっています。だから、もうそれで十分」
亜紀のその声に雅弥の背中がピクリと揺れる。次の瞬間、千影を拘束していた力が緩んだかと思うと、彼女がその場に崩れ落ちる。しかし、それすら無視するように雅弥は亜紀の顔をじっと見つめていた。そのまま、胸に右手を当てると深々と腰を折る。
「かしこまりました。お嬢様のおおせのままに。それより、お怪我はなさっておられませんか?」
「大丈夫。心配しないで。あ、マスター、騒がしくしてゴメンなさい。由紀子もなんだか変なことに巻き込まれちゃったみたいね。ほんとにゴメン」
雅弥が落ちついたことを確かめた亜紀は、ラ・メールのマスターと由紀子にそう声をかけている。その声にマスターは穏やかに頷き、由紀子はどこか呆然とした表情を浮かべるだけ。そんな二人を見た雅弥がゆっくりと口を開いていた。
「本日はご迷惑をおかけしました。本日はこのあたりで失礼させていただきます。佐藤様、よろしければお嬢様とご一緒くださいませんか? まだお話も残っていらっしゃるでしょう。マスター、本日の支払いは一條に回していただけますでしょうか? よろしくお願いします」
その声にマスターは『では、遠慮なく』と笑いながら応えている。それを見ていた亜紀は、本当にいいのだろうかという表情しか浮かべられない。そんな彼女にマスターは『気にしないように』というように二コリと笑いかける。
その顔をみて、ようやく表情が緩んでいく亜紀。それを見ていた雅弥は、彼女と由紀子を促すように店内を足早に後にする。もっとも、その際に崩れ落ちている千影に嫌味を言うことも忘れてはいない。
もっとも、それが聞こえているのは言われた本人だけ。そして、囁かれた言葉から彼女は自分が喧嘩を売ってはいけない相手を敵にしたのだと勘付いている。
だが、そのことを認めるわけにはいかない。彼女はボロボロになったプライドをかき集めると、何事もなかったような顔でラ・メールを後にすることしかできなかった。
◇◆◇◆◇
「認められないわ……どうして、あんな子が……ただ、一條っていう家の名前があるだけじゃない。それなのに、どうして誰もがあんな子供に夢中になるのよ……」
ぼんやりとした調子で、そう呟いている千影。それでも体が覚えているのは間違いない。真っ直ぐにファエロアのショップへと足を進めている。やがて、スタッフ専用の裏口から入った彼女は、店内がざわついていることに気がついていた。
ひょっとして彼女が留守にしている間にお得意様がやってきたのだろうか。だとしたら、自分が不在にしていたのは失態にあたる。そう思った彼女は手早く髪を整えると、にこやかな笑顔を浮かべて店内に入っていった。
その彼女の目に映ったのは、店員たちに囲まれ柔らかな笑顔を振りまいている惟の姿。誰よりも恋しい相手のその姿に、彼女の胸がギュッと締め付けられる思いがしたのは間違いない。そんな彼女の耳に、スタッフが惟にかける声が飛び込んできていた。
「惟様、ご婚約おめでとうございます」
「雑誌、拝見しました。本当に可愛らしい方ですよね」
「アンジー様の新作がほんとに似合っていらっしゃいましたよね。あんな方がいらっしゃったんですね」
彼らにしても、雑誌を見た時は信じられない、という思いの方が強かったのだろう。だが、落ち着いて考えれば『一條』という家の名は魅力的すぎる。
だとすれば、ここで媚を売って覚えをよくしよう。そういう下心があるのは間違いない。それまで千影と惟の組み合わせが当然、という顔をしていた面々の様子が違う。
そのことを敏感に察した千影の表情が一気に強張っていく。それでも、このショップの責任者は彼女。席を外している間は仕方がないが、こうやって戻ってきた。
となれば惟に挨拶をしなければいけないことは分かっている。それなのに、なかなか足が前に進まない。そんな複雑な思いを抱いている彼女の姿を見つけたのだろう。惟がにこやかな表情で千影に声をかけてきていた。
「南原、外出していたんだね。ちょっと話があるんだけど、構わないかな?」
「あ、はい。おいでになっているのに、留守にしていて申し訳ありませんでした。はい。時間でしたら大丈夫です。どのようなご用件でしょうか?」
先ほどラ・メールで亜紀に詰め寄っていたのと同一人物とは思えない笑顔で、千影は惟の声に応えている。それに対して彼は『奥で話そうか』と言いながらその場を立ち去った。そんな惟の姿に何かを期待するのだろう。頬を微かに赤くしながら大人しく後をついていく。
やがて、事務室が目の前にやってくると、千影はすっと扉を開き惟を招き入れる。そのまま隣の給湯室でコーヒーの準備をすると、いそいそと室内に入っていった。その姿は、前に亜紀たちが一緒にいた時の『私はお茶汲みではありません!』と叫んでいた姿が嘘のよう。
そんな彼女の姿に、気づかれないようにため息をこぼしている惟。だが、話を早く済ませたいという思いがあるのだろう。椅子に腰かけると、彼女が差し出すコーヒーを受け取ることしかできなかった。
「惟様、お話とは何でしょうか?」
「うん。しばらくの間、煩くなると思うんだよ。君たちには迷惑かけるけど、すぐに治まると思うから」
その言葉に、彼女は週刊誌の記事を思い出している。間違っても口にしたい言葉ではないが、ここでそのことに触れないわけにはいかない。そのことも分かっている彼女は、できるだけ平静なふりをして口を開く。
「それはそうと、ご婚約おめでとうございます。お式はいつになるのでしょうか?」
このようなことを言いたいのではない。だが、話の流れではそうしなければいけない。そのことに内心苛立ちを感じている千影だが、そのような色をみせる気配はない。そして、惟は彼女の問いかけに穏やかな表情で応えていた。
「式はまだ先かな? なにしろ、亜紀はまだ高校生だし。早い方がいいだろうけど、さすがに卒業前に籍を入れるのも不謹慎だろうしね」
「た、たしかにそうですわね。でも、それでしたら婚約期間がずいぶんと長いのではございませんか?」
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