〔1〕
その日、若者に人気のあるファッションブランド・ファエロアの店内は、いつもと違った空気が流れていた。たしかにまだ開店前。である以上、そこにいるのはスタッフだけ。そして、今の時間帯は、客を迎えるための準備で忙しいはず。
だというのに、その日のスタッフは一か所に固まって頭を寄せている。その彼らの目の前にあるのは、俗にいわれる写真週刊誌。その紙面を飾っている写真を目にしてため息だけが漏れているのだった。
「ねえ、これって惟様よね?」
「当り前じゃない。あの方を見間違えるなんてこと許されないでしょう」
「それはそうなんだけど……じゃあ、この横にいる女の子は?」
「あら、見たことある。この前、惟様が連れてきた女の子じゃない。あの時は二人いたけど、そのうちの白綾の制服着ていた方の子。でも、これってうちのドレスじゃない?」
「本当。でも、これってアンジー様がご自分で手掛けてらした一点物のドレスじゃないの? たしか、特別なクライアントのものだからって、現場の誰にも触らせなかったって」
一人の言葉に、その場にいた誰もが驚いたような声を上げている。ファエロアのメインデザイナーであるアンジーが一点物のドレスを作成する。これは今までにもあったこと。そのことは不思議ではない。だが、それがこうやって週刊誌を彩っている。そのことに彼らは不審感を抱くことしかできなかった。
「ねえ、どうなってるのよ。これがうちの一点物なのは間違いないわ。でも、それをこんな女の子が着てるなんてこと、あり得る? そりゃ、うちのターゲットは10代の女の子だけど……」
「そうよね。でも、この女の子って何者よ。うちに来た時もそうだったけど、この写真でも惟様の隣に当然のような顔して立ってるじゃない。ここってマネージャーの場所じゃなかったの?」
「うん、私もそう思った。だって、マネージャー、前から惟様と仲がいいし、信頼もされてるっていう感じでしょ? 絶対にあの二人、付き合ってると思うのよね。それなのに……」
そう呟いたスタッフの一人がテーブルに置かれている雑誌を弾いている。そこに躍っているのは、『熱愛発覚』・『一條家令嬢と婚約』というような煽情的なもの。
この文字列に、彼らの表情がどんどんと固くなっていく。それは、これを認めることはできない、というもの。そんな重苦しい空気の中、別の声が割って入ってきていた。
「あなた方、何をしているの? 開店まで時間がないのよ。早く、準備しなさい。今日は定休日じゃないでしょう」
「マネージャー、おはようございます」
「おはようございます、マネージャー。すぐに準備します」
「申し訳ありません。あ、それは私が……」
スタッフはこの場に現れたのが、この店の責任者でもある南原千影だということに気がつくと、あたふたと準備を始めていた。その姿に大きくため息をついた千影の視線がある一点で止まる。そこには、スタッフが見ていた雑誌が片付けられることなく置かれていたのだ。
このようなものが店内にあると品位が下がる。そう思った彼女はツカツカとテーブルに近付くと雑誌を手に取っている。そのページを飾っている写真を目にした瞬間、彼女の顔色はすっかり青ざめてしまっていた。
「どうして? どうしてなのよ……」
微かな呟きがその口から漏れていく。そして、週刊誌を持つ手が小刻みに震えている。そんな千影の様子に気がついたのか、スタッフの一人がおずおずと声をかけていた。
「マネージャー、どうかなさいましたか?」
「い、いえ。別に……それより、店内にこんな雑誌を置くなんて、非常識でしょう。見るなとは言わないけど、こういうものは奥で見なさい」
「は、はい……」
千影の一喝にスタッフは小さくなっている。もっとも、彼女の言葉が正論だということも分かっているのだろう。特に反論らしい声も聞こえてこない。そんな時、その場に明るい声が響いてきていた。
「みんな、おはよう。あ、その雑誌みた? 僕の最新の自信作、載ってたでしょう?」
柔らかなハニーブロンドの髪がフワリと揺れている。明るい声に似合うニコニコした表情。この場のどこか重苦しい空気をぬぐうような声に、スタッフは思わず「アンジー様」と声をあげる。そのまま、彼らは雑誌とアンジーの顔を交互にみることしかできなかった。
「ん、どうかした? 載ってなかった? おかしいな。あの時、間違いなく着てくれてたはずなんだけどな」
そう言いながらスタッフのそばに近寄って来たアンジーは、雑誌をパラパラとめくっている。やがて、目的のページをみつけたのだろう。彼の表情は、先ほど以上に明るいものになっていた。
「あった、あった。これ。ね、君たちどう思う?」
そう言いながらアンジーが広げたのは、先ほどまで彼女たちが見ていたページ。さすがに、こうやって見せられて無反応ということはできない。それでも、今にも怒りだしそうな千影の姿も気にかかる。
上司とメインデザイナー。この二人の間に挟まれた状態になったスタッフたちは、互いに顔を見合わせることしかできない。そこに漂うのはどこか気まずい空気。それを察したのだろう。アンジーは笑顔のまま、今度は千影に問いかけていた。
「ねえ、千影さんはどう思った? 君は惟が信頼している人だし、的確な答えくれると思ってるんだけどね」
「今の時間をお分かりですか? 開店前のこの時間はいろいろと慌ただしいんです。そのあたりのことはご理解いただけていると思っておりましたが?」
「なんだけどね。やっぱり、早く反応って知りたいし。それに、バーゲンやってるわけじゃないんだ。朝早くから客が並んでさばききれない、なんてことないでしょう? 学生さんたちはまだ学校があるんだし」
そこまで言われて、これ以上の反論を千影ができるはずもない。それでも、最後の抵抗とばかりにため息をついた彼女はスタッフに『準備しなさい』とだけ告げると、アンジーの顔を正面からみつめていた。
「今までのファエロアのテイストとは微妙に違っているような気がいたします。それでも、基本コンセプトは変わっていないかと。もっとも、今よりもターゲットの年齢が上になっても問題ない。そのようなことも感じさせるデザインだと思いましたわ」
千影のその声にアンジーは満足したような表情をみせている。そんな彼に、どこか苛立ったような表情で千影は言葉を続けていた。
「それよりも、お訊ねしたいことがございます。どうして、このドレスをただの女子高生が着ているのですか? たしかにうちのメインユーザーが10代の女の子であることは否定しません。だからといって、アンジー様の最新作、それも一点物をこのような女の子が……」
「千影さん。それ以上言うと、惟が怒るよ。理由? 簡単だよ。彼女は惟が心底惚れ込んでいる婚約者。そして、もう一つ言っておく。彼女、一條亜紀ちゃんは僕のミューズ。だから、あのドレスは僕が亜紀ちゃんのために作った。そして、惟は婚約者にプレゼントするために僕に作らせた。この意味、分かるよね?」
アンジーのその言葉は、千影にとっては思いもよらぬものだったのだろう。彼女の顔色が髪のように蒼白となり、震える手が口元にあてられる。
「そ、そんなこと、信じられません! だって、高校生じゃありませんか! そんな子供と婚約だなんて、冗談にもほどがあります」
「千影さんは信じたくないんだ。でも、これって冗談じゃないから。だから、言葉には気をつけようね。さっきの君の言葉、惟が耳にすれば黙っていないと思うよ」
「そうはおっしゃいますが、信じられないものは信じられません。だって……」
今の千影はそれだけを口にするのが精一杯なのだろう。グッと唇を噛むと、その場から走り去っていく。そんな彼女の姿を見送ったアンジーはスタッフの方を見ると『準備してね』とだけ告げている。そんな彼の姿に、声をかけられた方はコクコク頷くことしかできないようだった。
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