〔3〕
「そうなんだ。じゃあ、仕方ないかな? 惟、お姫様ってば、こんな嬉しいこと言ってくれてるよ。何、その蕩けそうな顔」
「アンジー、何が言いたいのかな?」
どこか突き放したような調子で、惟がアンジーの声に応えている。だが、その顔はどうみても真っ赤になっている。そのことに、亜紀も由紀子も驚くことしかできない。
一体、どうしてこのような状況になっているのだろう。
今の二人の中にある思いがそれであることは間違いない。だが、このことに対する答えが得られないということも当然。結局、二人はお互いに顔を見合わせると、今の時間を気にすることしかできなかった。
「惟さん、私たちそろそろ帰らないと……私はまだいいけど、由紀子はおばさんが心配するだろうし……」
「あ、そうだね。うっかりしていた。すぐに送ってあげるよ。由紀子ちゃんの家ってここから遠いのかな?」
「あ、遠くないです。それに、送ってもらわなくても大丈夫です。バスで近くまで帰れますから」
先ほどまで落ち着いていた惟の様子が変わった理由は分からない。それでも、その引き金になったのが、亜紀の発した一言だということは由紀子には分かっている。そして、亜紀もどうやら彼のことを微妙に意識し始めている。
となると、この二人の邪魔をするということが彼女の選択肢の中にあり得るはずがない。だからこそ、由紀子は一人で帰れるということを強調している。しかし、亜紀がそのことを納得しようとはしない。キッと友人の顔を睨んだ彼女は「そんなこと言わない」と頬を膨らませている。
「亜紀、大丈夫だって。でしょう? だって、うちってあんたのところみたいに金持ちじゃないし、私もお嬢様じゃないのよ。公共交通機関を利用するのは、庶民として当然でしょうが」
「由紀子はそう言うけど、一人じゃ危ないわよ。何があるか分からないじゃない」
「心配しなくてもいいわよ。塾の帰りより早いんだから。だから、大丈夫だって」
二人のやり取りは、平行線をたどるだけ。このままでは、時間だけが無駄に過ぎてしまう。そんなことを思ったのだろう。アンジーが言い争いを続けている二人の間に入ってきていた。
「ねえ、じゃあ僕が送ってあげる。それなら、問題ないでしょう?」
思ってもいなかった言葉に、亜紀も由紀子も押し黙ってしまう。その表情は、甘えてもいいんだろうか、と言いたげなもの。そんな由紀子の耳元で、アンジーは「惟の邪魔、したくないんでしょう?」と囁きかける。その声に思わず彼の顔を見つめている由紀子。
「え、えっと……」
この場では何かを言わないといけない。しかし、下手なことを言うとマズイ。そんな思いが一気に由紀子の中を巡っていく。そんな彼女の心中を察しているのか、いないのか。アンジーはさっさと彼女の腕をつかんだ。
「ね、惟。そうすれば、君も安心して亜紀ちゃんを送れるでしょう? ここから遠くないっていうのなら、僕の運転でも大丈夫だと思うよ。うん、この頃、日本の交通事情にも慣れてきたしね」
どうやら、この場で反論しても聞き入れてはもらえないだろう。女の子なら憧れる王子様のような容姿にも関わらず、アンジーというこの相手はかなり強引な部分もある。そんなことを思った由紀子は仕方なく「お願いします」と呟くことしかできない。そんな彼女に、アンジーはにこやかに笑いかけながら声をかける。
「うん、お願いされたよ。じゃあ、僕は彼女を送っていくね。惟はお姫様とごゆっくり」
そう告げるとアンジーは由紀子を促しその場を去っている。それを見送った惟は「じゃあ、僕たちも行こうか」と穏やかな視線で亜紀に声をかける。そのままさり気なく肩に回される手。そのことに思わず顔が赤くなっていくのを亜紀は止めることができない。そんな彼女の反応に惟はフッと笑みを浮かべながら耳元で囁きかける。
「そんなに緊張しなくていいの。それとも、僕が送るのじゃ嫌なのかな?」
「そ、そんなことないです。逆に迷惑かけてるんじゃないかなって思ってるくらいです」
「そんなこと思わない。遠慮なんてする必要ないんだよ。亜紀ちゃんはまだ認めてくれてないようだけど、僕たちは婚約しているんでしょう? だったら、送っていくのは僕の当然の権利だし、義務だよ」
そう言いながら彼は亜紀を駐車場へと案内している。そこに停められていた車は青いフェラーリ。スポーツタイプのフォルムを持つ車を目にした亜紀は、思わずため息をついてしまっていた。
「惟さん、これってフェラーリですよね? こういうのを持ってるあたり、やっぱり凄い……」
「一條家のお姫様でもある亜紀ちゃんがそんなこと言うの? そりゃ、あちこちに手は入れてるけど、これくらいは当然だと思うよ。さ、お姫様、どうぞ」
サラリと常識からぶっ飛んだような発言をしてくれた惟は、当然のように助手席の扉を開ける。たしかにこの車は二人乗り。となれば、選択肢がその席しかないのは当然。
だが、本当にいいのだろうか、という思いが亜紀の中にある。そのためだろう。彼女はどこか躊躇うような表情で、惟の顔をみつめていた。
「あの……ほんとにいいんですか?」
「どうして?」
「だって……車の助手席って、特別なんじゃないですか? 私なんかが乗って、問題ないんですか? 惟さんなら、他にもそういう人がいるんじゃないかなって……」
「亜紀ちゃん、それって愚問。そうでしょう? 僕が婚約者である君以外をこの席に座らせると思うの? それに、亜紀ちゃんが期待しているような人、いるはずないでしょう。そりゃ、今まで誰とも付き合わなかったってことは言わないよ。でも、今は亜紀ちゃん一筋」
さり気なく言われたことではあるが、これは重大なことなのではないだろうか。そんな思いが亜紀の中には渦巻いている。
彼の口から出てくる『婚約者』という言葉。これが持つ響きが甘いものであるのは間違いない。だが、まだそのことを受け入れるつもりはない。だというのに、耳元で囁かれる声にぐらついてしまいそうになる自分がいる。
このままではいけない。そう思ってはいても惟が囁きかける声はあまりにも魅惑的。その言葉にうっかりと頷いてしまいそうになるのも間違いない。
そして、彼女自身の気持ちが揺れているのも事実なのだろう。由紀子が惟に急接近した時に感じたモヤモヤした気持ち。これがどういうものであるのか彼女には分かっていない。
だが、誰かがそれを耳にすれば、亜紀のそれは由紀子に嫉妬したのだとハッキリ告げるだろう。今の彼女は無意識のうちに惟に好意を持ち始めている。だが、そのことを本人は自覚していない。
だからこそ、宙ぶらりんな気持ちの彼女は戸惑う色を浮かべるだけ。そんな彼女をみた惟は運転席に座ると車を動かしていた。
「ねえ、亜紀ちゃん。明日、予定がある?」
心地よいスピードで車は走っていく。その中で、惟は亜紀に明日の予定をきいていた。それがごく自然に行われたからだろう。彼女はちょっと小首を傾げながら返事をする。
「明日ですか? 特に予定はなかったと思いますけれども?」
「じゃあ、デートしない? 明日、学校は休みだったよね」
「たしかに休みです。でも、さっきも言ったけど、迷惑じゃないですか?」
「そんなことないよ。でも、亜紀ちゃんの方が迷惑かな? こんなおじさんとデートだなんて」
「まさか! 惟さんのこと、おじさんだなんて思ったことないです。おじさんっていうよりお兄さんかな? だって、お兄ちゃんとあんまり年が変わらないんでしょう?」
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