〔2〕
もっとも、その言葉の意味が亜紀にはわかっていない。彼女は訳が分からないというような表情でプイっと横を向くだけ。そんな亜紀の反応が面白いのだろう。由紀子はクスクス笑うと意味ありげな視線を惟に向けている。それを受け止めた彼は、極上ともいえる笑顔で応えるだけ。
「由紀子ちゃん、あまり亜紀ちゃんを苛めないでほしいな。ね、そうでしょう?」
「そんなつもりありませんよ? うん、私が亜紀を苛めるはずないわよね?」
二人からかわるがわるそう言われたことで、亜紀は目を白黒させている。その時、目的の場所についたのだろう。惟が真面目な顔で亜紀に声をかけてくる。
「亜紀ちゃん、入って。もう、気がついていると思うけど、ここが僕の仕事場」
「じゃあ、惟さんはファエロアの関係者なんですか?」
「うん。一応、代表している。でも、そんなに凄いことじゃないよね。別に僕がファエロアのデザインしているわけじゃないんだし」
あっさりとそう言われたことに、亜紀も由紀子もどう返していいのか分からない。一つのブランドの代表をしていることが『凄いことではない』という感覚が分からない。
たしかに、こういうファッションブランドはデザインが命だろう。だが、それを束ねる役目が代表のはず。そう言いたげな色が二人の顔には浮かんでいる。
「で、でも、惟さん……一つの企業の代表って、やっぱり凄いことだと思いますけど?」
「そうかな? 僕にすれば代表って雑用係だと思うんだけど? ほら、いろいろと細かいことの折衝や、何かあった時の対応まで。どっちかというと、庭師が庭園を手入れするみたいなことをしてると思ってるんだよね」
「そうなんでしょうか……」
「そうだよ。人によっては別の感覚だと思うよ。でも、僕にとってはそう。ファエロアっていう僕にとっては大事なここを守るための雑用係。それが代表としての僕の役目だと思っている」
しっかりとした口調で告げられる言葉。それに思わず亜紀が顔を赤くした時、別の明るい声がその場に響いていた。
「ほんと、惟のそういうところって潔いっていうの? 普通じゃないと思うんだけどね。でも、それが悪いことだとは思ってないし。あ、君が惟のお姫様だね。会いたかったよ!」
そう叫ぶなり、ギュッと亜紀のことを抱きしめてくる相手。思ってもいなかったことに、彼女は思わずジタバタしている。そして、それと同じように焦った惟の声がその場に響く。
「アンジー、やりすぎ! いくら、君でもこれ以上はダメ。分かっているでしょう?」
「惟のケチ! ハグって挨拶じゃないか! ホントは初めましてのキスしたいんだよ? でも、それすると惟に殺されかねないから辛抱してるのに!」
「あ……あの……どなたですか?」
今の亜紀はそんなことを呟くことしかできない。こんな事態は、前にも経験した記憶がある。そんな思いが彼女の頭の中をよぎるのは間違いではないだろう。初対面の相手に激しくハグされるという非日常的な体験。たしか、これに似たことを一條家に連れていかれた日にも経験した。
どうして、こうもスキンシップの激しい相手にばかり遭遇するのだろう。そんな思いが亜紀の中に生まれてきたのも間違いない事実。そして、そんな彼女の思いに応えてくれる相手がいないというのも最近の現実。そう感じている亜紀はため息をつくことしかできない。
そんな時、コーヒーの香りが漂ってきたかと思うと、カチャカチャとコップの触れあう音がする。それと同時に「コーヒーをお持ちいたしました」というどこか引きつった声。それを耳にした惟は、「ありがとう」と告げると亜紀たちを部屋の中へと導いた。
もっとも、いまだに彼女を抱きしめる腕は緩んでいない。そのことにも気がついた惟が相手のことを鋭く睨んでいる。
「アンジー、聞こえなかった? 亜紀ちゃん、困っているでしょう。まだ僕の見ているところだから辛抱するけど、勝手にこんなことしたらいくら君でも許さないよ?」
「分かってるって、惟。でも、君はそう言うけど、やっと、僕もミューズに会えたんだよ? これくらい、許してくれてもいいと思うけどな」
その声に惟はやれやれという表情を浮かべている。それでも、「コーヒー、冷めるよ」とさり気なく伝えることも忘れていない。その声に含まれている響きに、相手は何かを感じたのだろう。ようやく、亜紀を解放すると改めて彼女の前に立っている。その姿にようやく満足したような表情をみせた惟は、亜紀をグイッと引き寄せていた。
「亜紀ちゃん、ビックリしたよね。でも、彼には悪気はないから。今までの習慣が抜けないっていうのかな? ここは日本だっていつも言っているんだけどね」
「大丈夫です……ちょっと、ビックリはしましたけど……でも、お兄ちゃんと初めて会った時もこんな感じだったから。でも、この人は外国人だし、お兄ちゃんにされたより納得できます」
亜紀のその声に惟は「拓実君は……」と呆れたような声を出す。それでも、このままではいけないということも分かっているのだろう。改めて相手のことを紹介する。
「亜紀ちゃん、由紀子ちゃん。彼はアンジー・グラント。ファエロアのメイン・デザイナーで僕の大切な友人。彼がいなければ、このブランドは成り立たない」
惟のその声に、亜紀と由紀子は目を大きくして相手の顔を見ている。フワフワしたハニーブロンドの髪、澄み切った青い瞳。惟もだが、このアンジーという相手も間違いなく王子様だ。
そう思った二人の顔が一気に赤くなっていく。それにクスリと笑みをこぼした惟が、アンジーに向かってちょっと首を傾げている。
「ねえ、アンジー。亜紀ちゃんのこの反応って、僕、妬いちゃうんだけど?」
「え、そう? あ、ちゃんと紹介してよ。それとも、僕には紹介したくないっていうの? そういうところ、ホント独占欲が強いよね」
アンジーのそんな声に、惟はチッと舌打ちをしている。彼がそのようなことをするとは思ってもいなかったのだろう。亜紀の目が丸くなっていく。そんな彼女の姿に、クスリと笑いながら惟が声をかける。
「亜紀ちゃん、アンジーが言ったこと、本気にしないでよね。アンジー、改めて。彼女は一條亜紀ちゃん。隣にいるのは友だちの佐藤由紀子ちゃん。二人とも高校生だからね。好みだからって安易に口説くんじゃないよ」
「惟にそんなこと言われたくない! でしょう? 絶対に僕よりも惟の方が危ないって!」
紹介しているのか貶してるのか分からないような言葉の連続。そのことに気がついたアンジーの抗議の声。そして、惟の言葉の真意が分かっている由紀子の「愛されてるわよね〜」という納得した言葉。それらの意味が分からない亜紀は、目をパチクリさせることしかできない。
「え、えっと……グラントさん? デザイナーさんですか?」
この場で亜紀が発したこの言葉は、どうみても場の空気を壊すものでしかない。
『お願いだから空気を呼んでよ』
そう言いたげな目を友人に向ける由紀子だが、その思いが亜紀に伝わっているはずがない。一方、問いかけられたアンジーはキョトンとした顔をしながらも、穏やかな微笑を浮かべて応えている。
「う〜ん、どっちかっていうとアンジーって呼んでほしいかな? うん、さっき、惟も言ってたと思うけど、僕はファエロアのデザイナー。亜紀ちゃんはこのブランド知ってた?」
コクリと首を傾げながら問いかける仕草が目を引くものであることは間違いない。まるで魅入られたように彼の青い瞳を見ながら、亜紀はコクリと頷いている。その彼女に向けられる惟のものとは別の意味での極上の笑顔。
「そうなんだ。嬉しいな。君の名前、亜紀ちゃんだったよね? じゃあ、『あっちゃん』か『あーちゃん』って呼んでもいい?」
アンジーのそんな声に、惟の表情が強張っていく。そのまま彼が何かを言おうとした時、亜紀の鋭い声がその場に響いていた。
「ごめんさない。私、そう呼ばれたくないです。グラントさんが仲良くしようと思って言ってくれてるのは分かります。でも、あーちゃんはダメです。そう呼んで欲しい人、一人しかいません」
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