王都開城戦 5
初めて鎧を身につけたリシャナは、「重い」と言った。着せたアルデルトは苦笑する。
「鎧ですからね。御身を守るものですから、しばらく我慢してください。……あなたを引っ張り出した私が言えたことではありませんが」
「うん。よく私が着れるものがあったなって感心してる」
確かにリシャナは小柄だ。おそらく、同世代の少女と比べても小柄なのではないだろうか。なので、身につけた鎧も、実は少し大きい。気になるほどではないが。少年兵は、今のリシャナより少し大きいくらいの体格であることがよくある。実際、彼女よりふたつ年上のリュークだって、せいぜいリシャナよりリンゴ一つ分大きいほどだろう。少年少女として小柄で、しかも初陣も済ませていない王子と王女。兵たちが不安がっているのが分かる。
作戦会議をした王城ウィリディス・シルワ宮殿から実際の城壁までは少々距離がある。すでに住民の避難は完了しているため、街中は閑散としている。アルデルトは、王子と王女二人に城壁まで同行した。
「そんなに高くないんだね」
歩廊に登ったリシャナが驚いたように口を開く。こんな王都の端まで来たことがないだろうし、小柄な彼女には大きな壁に見えていたのだろうが、実際には成人男性二人半ほどの高さだ。登ってみると、それほど高くはないと感じたのだろう。
「高さを削って、城壁を分厚くしたんです。十年ほど前ですから、お二人はご存じないでしょうが」
「どうしてそんなことをしたの?」
「大砲が配備されるようになったからですね」
この説明でリュークは「ふーん」と納得した声を上げたが、リシャナはわからなかったようで首をかしげている。これはリシャナでなくてもわからない人が多いだろう。
「大砲を城壁の上に配備……置くようになったから、そのための場所が必要で、高すぎると遠くの敵が狙えないんだ」
「あ……っ。それに、高すぎるとただの的になるんだ。リューク兄上みたいな人がいっぱいいたら、戦い方が変わるってことですね」
納得した、とばかりにリシャナがぽん、と手を叩いた。数日、一緒に過ごしてきて、たびたびこうした年頃の少女らしい反応が見られるようになってきた。状況も話す内容も、全く年頃の少女らしくはないが。
実際、リシャナの言うように大砲などの兵器の出現で、戦の仕方が変わるだろうと予見する参謀はいる。少なくとも、これまでの城塞のような仕様では、戦で要所を護ることはできないのではないかと、アルデルトも思う。まあ、王都が戦場になることはめったにないのだが。
「それだけではないですが……概ねそういうことですね」
今は時間がないし、アルデルトではうまく説明できないので、端折る。今はロドルフの軍が迫ってきていて、わかるものは説明している場合ではない。参謀あたりに聞けば、詳しいことが分かるだろうが。
リュークは城壁の継ぎ目を観察しているが、リシャナは外が気になるのか、矢狭間から王都の外を覗いている。
「姫様、危ないですよ」
歩廊を警備している兵士がはらはらした様子でリシャナに声をかける。うん、と返事はあったが、リシャナは外を眺めたままだ。
「何かありましたか」
「何でもない。……王都の外は広いね」
そういえば、この子は王都からほとんど出たことがないんだな、と思い至った。王都の外で人質に取られたりと言うこともあったが、小さなころの話だ。物心つく頃には内戦が始まっていたし、ほとんど国を見たことがないだろう。
「この戦いが終わったら、見に行けますよ」
「そうだね」
リシャナはぽん、と弾みをつけて矢狭間から離れる。兵士が明らかにほっとした表情になった。
鎧を身につけているにも関わらず、リシャナは割と軽い動きだ。対してリュークはどこかどんくさい。初めて鎧を身につけたからと言えばそれまでだが、リシャナだってそれは同じであるし、彼女に関しては大きさだってあっていない。単純に、これは二人の身体能力差なのだろうな、と思う。アルデルトはどちらかと言うとリュークよりなので、戦闘中の護衛はティモンに任せてある。
それでも、アルデルトは前に出ざるを得ない。その能力が後方向きであっても、今は王族をのぞけばアルデルトが最高位の貴族だ。リシャナやリュークと同じ。前に出て指揮を執る責任がある。
簡易指揮所を置いた、元はレストランだっただろう建物に入ると、ちょうどロドルフから開城要求が届いたところだった。まだ目には見えないが、近くまで来ているのだ。しばらくすれば物見の兵士が見つけるだろう。
「ど、どうしましょう。やはり、要求に応じた方が」
そう言って慌てふためくのは、ルナ・エリウの市長だ。城門のカギを持っているのは、王ではなく市長なのである。
「それについては結論が出たでしょう。城門は開けない。市長も聞いていたでしょ」
リシャナが冷静に言った。当初に比べ、自発的に話してくれることが多くなった。それでもまだ、黙り込むことの方が多いが。
それでも、自分が判断しないとみんなが動けない、ということに気づいたらしい。リュークが頼りないので、なおさら。
ロドルフの開城要求はまず、リュークとリシャナの手に渡った。受け取ったリュークの後ろから、リシャナが覗き込んだが、彼女は唇を尖らせて言った。
「読めない」
正確には、読めるがよくわからない、ということだった。確かに堅苦しい文章で書いてあるので、なじみのないリシャナには難しいかもしれない。リュークが要約して妹に教えた。
「まあ、予想通りだよ。城門を開けなければ兄上を殺すって」
「それ、こんなに長い文章で書く必要はあるのですか?」
「正確には、城門を開ければ兄上を解放するし、その上でリシェを差し出せって言ってるね」
「……思うのだけど、それ、『解放する』って書いてあるだけで、『生かして返す』って言ってないですよね」
「あ、ホントだ! リシェ、よく気付いたね……」
「そもそも私、ロドルフがすんなり兄上を返すなんて思えないんですけど」
「僕もー」
幼い王子と王女が分かるようなことを、息子大事の王太后はわからなかったのだな、とアルデルトは遠い目になる。彼が覚えている限り、王太后は初めからそうだった。夫である先の王ヴィルベルトとは仲の良い夫婦であったのだが。
この二人で話し合っても、行きつく結論は『城門を開けない』である。こういう時、状況もそうだが人となりがものを言う。ロドルフが傲岸不遜で残虐性のある男だと知っているから、王都に入れない、という判断をするしかない。
「……お二人とも、返事はどうしましょう?」
アルデルトが尋ねると、リュークとリシャナは顔を見合わせた。要求があったと言うことは、返答が必要であると言うことに思い至らなかったらしい。今回が初陣で、これまで政治にも関わってこなかった二人だ。気づけなかったのも無理はない。
「ルーベンス公が書いて」
そうなると思っていたので、かしこまりました、と承る。リシャナはもちろん、リュークも形式ばった文章が書けると思えない。
「何と書きましょうか」
リュークはリシャナに丸投げしているようで、妹姫の方が「えっと」と手をパタパタさせる。
「城門は開かないって書いて。最初と最後に。あと、自分のしてきたことを考えて、よくそんな要求が通ると思ったなっていうようなことを、厭味ったらしく書いて」
リシャナはロドルフを挑発する気だ。語彙力の関係上、本人の言い方が柔らかいが、考えていることは結構えげつない。ロドルフが短気であることを利用して、短期決戦で終わらせようとしているのだ。
「陛下のことには触れなくてよろしいので?」
尋ねたのはネイサンだ。また試すようなことを聞くな、と思う。リュークは「兄さんを返せって書いた方がいいってこと?」と首をかしげるが、リシャナは首を左右に振った。
「ううん、書かない方がいいと思います。兄上を救出するつもりなんだから、できるだけ兄上に注目を集めたくない」
自分で聞いたのに、ネイサンはおや、とばかりの表情になった。リュークは「なるほど」と感心していて、本当に妹に丸投げしているのだな、と思った。咳払いをして、アルデルトはうなずく。
「わかりました。そのように書いてみましょう」
最後の署名はリュークにさせる。いくらリュークがリシャナにほぼ丸投げしていようと、ここの最高指揮官はリュークなのだ。
「役に立たない指揮官でごめんね……」
「最後に責任を取れれば、それでいいのでは?」
この頃、リュークとよくしゃべるようになったリシャナの会話が面白い。
アルデルトが代筆した回答書は、迅速にロドルフ軍に届けられた。慇懃無礼に開城要求を突っぱねられたロドルフは怒り心頭だろう。書いたのはアルデルトだが、署名はリュークのものなのでリュークがどぎまぎしている。発案者のリシャナは、自分の名前がかすりもしていないので平然としたものだ。
回答書が届けられた翌日、アルデルトがロドルフの軍が戦闘準備を進めていることを確認し、側防塔から出ると、広場のあたりに王都の住民たちが集まっているのが見えた。アルデルトは慌ててその場に駆けつける。
「どうした」
住民から訴えを受けていた兵士に尋ねると、彼は困惑気味に言った。
「それが、住民たちが門を開けろと」
思わず顔をしかめた。アルデルトに気づいた住民たちが口を開く。
「城門を開いてくれ。お願いします、お願いします!」
「まだ死にたくありません!」
「門を開ければ、助けてくれるのでしょう!?」
男も女も、老いも若いも関係なく口々に同じことを叫んだ。見れば貴族だとわかる、アルデルトに向かってみんな訴えかけている。そのアルデルトは歯噛みした。情報が洩れている。みんな、ロドルフの開城要求と、それに対する返答を知っているのだ。わかっていたことだが、内通者がいる。外と連絡を取っている、というよりは、王都の中で情報操作し、住民たちを扇動するのが役割だろうか。
そういう役割のものが、おそらくアルデルトの近くに潜んでいるだろうことは知っていた。わかっていた。排除しなかったアルデルトの責任だ。公爵であり、王族をのぞけば最も身分の高い彼が、王都を任されていることは少し教養のあるものなら一目でわかるだろう。
「み、みんな、落ち着いてくれ。城門を開けるわけにはいかなくて……分かってほしい」
この場を治めようとしたのか、リュークが近くの城門から姿を見せた。少し高くなっている踊り場から震える声をあげているが、はっきり言って逆効果だ。
「それはそちらの都合でしょう! 俺たちは関係ない!」
そうだそうだ! と大合唱が起こる。リュークはその圧に押されたようにびくっとなった。十五歳の少年で、しかも初陣だ。仕方がないと言えばそれまでだが、同じ年頃のころのヘルブラントは、もう少ししっかりしていた気がする……比べてはいけないが。ヘルブラントとリュークでは、王位を継ぐもの、上に立つものとして教育を受けてきたか、そうでないか、という違いがある。
「俺たちまだ死にたくねぇんですよ! 助けてくださいよ!」
「いや……でも」
「抵抗してどうしよってんです。殺されるんですよ!」
「素直に王都を明け渡せば、助けてくれるって言ってるんです。あなたたちのことだって!」
今、非難はすべてリュークの方へ向かっている。この年頃の少年が前に出てくると言うことは、彼は王族なのだろう、ということが、住民にだってわかる。顔が分からなくても、リュークが身分の高い少年だと言うことが分かるのだ。だから、非難が彼に向いている。
だが、しどろもどろの彼に任せるわけにはいかない。軍事的な決定をリシャナに任せきりだから、これくらいは、と思ったのかもしれないが、慣れないことはするものではない。さすがに口を挟もうと、アルデルトは口を開いたが。
「死にたくないから、城門を開けろと? 開けてどうなる。すぐに、ロドルフの大軍が攻め入ってくるな。そして略奪が起きて、虐殺が起こる。我らの王を捕らえて脅してくるような相手が、本当にそんな口約束を守ると思っているのか? 言い訳などいくらでもできるんだ。混乱した市民が殺しあったのだ、などと言ってな」
ひょっこり出てきたのはリシャナだった。リュークと共にいたらしい。しどろもどろの兄を見て、助け船を出したようだ。リュークでも十分子供だが、それよりもより小さな少女が鎧を身につけて、少女にしては低い声で、冷静に語りかけてくるのに、住民たちは唖然としている。思わず、アルデルトも息をのんで見守る方になってしまった。
「だ、だが……負けたらどうするんだ! あんたたちが戦って負けたら、俺たちだってひどい目に合うんだ! だったら、最初から要求を呑んだ方が」
「なるほど。確かに戦わなければ負けないな。それも一理ある。しかし、城門を閉ざす以上、私たちにもあなたたちを守る覚悟はある。一兵卒たりとも、この城壁を越えさせはしない」
なかなか、演説がうまい、と思った。決定的なことは言わず、だが、説得力のある言葉を選んでいる。
「今、私たちは仲間割れをしている場合ではないんだ。みな一丸となって、王都を守らなければならない。ロドルフに、私たちの家を荒らされたくはないだろう。家族や友人を守りたいだろう。みな、私と同じ思いならば力を貸してほしい」
声が、よく通る。大声を出しているわけではないのに、聞き入ってしまう澄んだ声だ。少女らしからぬ落ち着いた声音が、そう錯覚させるのかもしれない。
ヘルブラントは、命令に慣れたよく通る声をしている。リシャナのものは、それに近い。緊急事態に落ち着いていられるのは、上に立つものとして大きなアドバンテージである。
「リシェ……ごめん。頼りない兄で、本当にごめん」
住民たちが立ち去って行ったあと、戦闘指揮所としている建物に入り、リュークはうなだれて言った。一方、先ほどあれだけの演説をかましたリシャナもそわそわと落ち着かない。
「私の方こそ、出しゃばってごめんなさい……私、何かまずいことを言わなかった?」
そうリシャナが尋ねたのは、彼女の演説を聞いていたアルデルトとネイサンだ。アルデルトは首を左右に振る。
「いいえ。私の聞いた範囲では、よく言葉を選ばれていたと思いますよ」
「私もそう思います。決定的な言葉を言わずに、よくまとめられたと思います」
ネイサンもアルデルトに賛同するように言ったが、リシャナは「でも、私、語彙がないから簡単な言葉になってたと思う」と、教養があるはずの王族らしからぬ言動を気にしているようだ。
「僕なんか言葉も出てこなかったから、出てくるだけで立派だよ……」
その通りである。名目上の指揮官であるリュークより、リシャナに裁可を求めるものが多く、リュークも自分の無力さに打ちのめされているのかもしれない。
「左様ですね。あまり難しい言葉ばかりを使うと、逆に相手には理解されない場合があります。言葉は記録に残りませんから、簡潔にわかりやすい言葉であることは大事でございますよ」
図らずも、リシャナはこの条件をクリアしたのだ。語彙力がない、ということは難しい言葉を使え
ない。言葉も短くまとめるしかない。それが、よい方向に作用したのだ。相手は平民だ。十分に読み書きができない者もいる。そういう相手に、難しい言葉で語りかけても響かない。
後は、本人に責められる中、言葉を発せられる胆力があるか、という問題になる。ただ、これに関して、リシャナのものは胆力がある、とか、気が強い、とかと少し違うような気もする。だが、それについての考察は後だ。
「ひとまず、民衆も不満を飲み込んでくれましたが……バイエルスベルヘン公が実際に攻めてくれば、わかりませんね」
「ロドルフはあとどれくらいで到着するの?」
「半日もかからないでしょう。午後には城壁の前に軍を展開するものと思われます」
「そう」
落ち着き払ってリシャナがネイサンの見解にうなずいた。アルデルトやネイサンどころか、今やリ
ュークもリシャナの挙動を見守っている。
「じゃあ、それまでにみんなを配置につかせて。号令は兄上でいいですよね」
「へ? あ、うん……それくらいなら」
リュークが請け負った。まあ、もともと彼が指揮官だ。実質的にリシャナが牛耳っていようと、そうなのだ。二人で指揮を執るのは、指揮系統が乱れる元ではあるが、一人……この場合はリュークが総指揮官と思われていた方が、都合がいい場合もある。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
この聴衆の中に、エリアンがいる。