最後の戦い 6
最終話!
戦争が終結し、ヘルブラントは宮廷を完全掌握した。彼が王として実働を開始し、初めに行ったことは戦争で功績をあげたものに褒賞を与えることだった。手始めに弟妹だ。リュークはロドルフから取り上げたバイエルスベルヘン公爵位を与え、港湾都市クラウシンハに封じた。さらにリシャナには一度断絶した爵位、キルストラ公爵が与えられた。北方の国境の守りとしてそのあたり一帯の領地を与えられ、さらに北方守備軍の指揮官、アールスデルス北方城塞の総督に任じられた。肩書だけなら、リュークより多い。
そして、リシャナは求婚してきた相手を殴る、赴任した北方の領主の一人だったヘリツェン伯を更迭するなど、戦後もいろいろとインパクトの大きいことをしている。まあ、どちらも相手が悪い。リシャナに言わせれば、こういう時に使わずして何のための権力だ、と言うことになる。結婚に関しても、どちらかと言えばリシャナに選択権があるのだ。
付け加えるなら、アルデルトの下の息子は未だにリシャナに熱狂している。いや、悪いとは言わないが、面倒くさくなってきたので、頭がよくなれば取り立ててもらえるのではないか、と言ったら猛然と勉強を始めた。ひとまず、しばらくはこれで静かだと思う。
夏の終わりに、ヘルブラントの王妃アイリが男の子を生んだ。跡継ぎの誕生にみんながほっとしたが、一番安堵したのはリュークとリシャナだろう。結婚したばかりのリュークは、ヘルブラントより先に子供が生まれないよう注意しなければならなかったが、王家の血を継ぐものとして早く子を、という相反する要求に板挟みになっていた。リシャナは本人が切実で、ヘルブラントはこの年の離れた妹を、自分に子ができなかった場合の跡継ぎに見ていた。自ら主張するタイプではないリシャナは、これを回避したかったようだ。
そのリシャナとともに、アルデルトは帝国の宮殿にいた。戦争終結の翌年春のことである。新皇帝の戴冠式に出席するのだ。ヘルブラントではなくリシャナが出席するのにはいくつか理由があるが、内戦状態が終息したばかりの国を、ヘルブラントが離れられなかったこと、帝国が後援する条件の一つとして、リシャナを一度帝国へ遣わすこと、と言うものがあったからだ。
アルデルトも招待された貴族の一人だ。リシャナのお供ではあるが。帝国に派遣しても恥ずかしくない身分を持つヘルブラントの臣下の中で、リシャナが一番なついているので選んだのだ、とヘルブラントに言われている。
「……私がこんなことをお聞きするものではないとわかっておりますが」
「なんだ」
「姫様、ドレスはお持ちですよね」
帝都へ向かう馬車の中で思わず聞いてしまったものだ。結論として、リシャナは持ってきている、と答えたし、連れてきた侍女も荷物にある、と言っていた。リシャナが中性的な美人で、戦場を駆けまわっていたために男装であることが多かったのでリル・フィオレ国内ではあまり気にしなかったのだが、一国の代表であるので、一応形式ばったものも必要なのだ。
「軍装も正装だ」
というのがリシャナの主張である。実際、帝国の宴も男装の正装で出席している。異様に整った容貌と気鬱気な雰囲気がリシャナを話しかけづらそうに見せているが、ずっと黙っているわけにはいかない。特に、戴冠式を迎える皇帝には、支援してもらった礼をしなければならない。よって、リル・フィオレの男装の姫君は、夜会でそれなりの注目を集めた。なお、戴冠式を迎える新皇帝、と言っても、実際に彼が皇帝になったのは二年前のことである。
「どこの国も、すんなりと王の交代、とはいかないんだな」
「すべての国がそうだとは限りませんが、爵位でも揉めることがありますからね」
アルデルトがルーベンス公爵位を継ぐときももめたのだ。叔父が出張ってきて、非常に面倒くさかった。
戴冠式を翌日に控えた日、アルデルトはリシャナが使っている客室を訪ねたが、彼女は不在だった。そもそも、女性で王族であるリシャナと、男で一介の貴族であるアルデルトでは滞在する場所が違った。
「姫様なら庭園を見に行かれましたよ」
残っていた侍女がそう言った。どうやら、護衛だけ連れて外に出たらしい。リル・フィオレでもよく宮殿の庭にいたのを思い出した。
「姫様」
しゃがみこんで花壇の花を眺めていたリシャナを見つけて声をかけると、彼女は立ち上がった。周囲で黄色い声が上がる。
「……何をなさっているのですか?」
「庭を見ていた」
リシャナの回答がちょっとずれている。それはわかっている。そうではない。
「……お嬢様方に見目の良い青年だと思われているのではないでしょうか」
護衛の青年を見ると、彼はそう答えた。客観的な彼の意見の方が的を射ている気がする。
「別に好きにさせておけばいいだろう。害があるわけではないし、私の仕事は、戴冠式に出席して皇帝に礼を述べ、国に帰ることだ」
簡潔すぎるが、その通りである。
「まあ、ルーベンス公爵?」
女性の声に呼ばれ、アルデルトは周囲を見渡した。ここは帝国だ。彼を知っているものの方が少ないはずなのだ。
「姫様、アルベルティナ様です」
数人の侍女を連れている貴婦人は、リシャナの一番上の姉のアルベルティナだった。リル・フィオレの隣国ヴァイセンブルクに嫁いでおり、かの国の王太子妃となっている。
アルデルトがリシャナの肩をたたくと、リシャナは表情を変えずにアルベルティナを眺めた。アルベルティナは目を見開く。
「まあ、リシェ!? 大きくなったわねぇ!」
嬉しそうに駆け寄ってきたアルベルティナだが、近くまで来て「本当に……大きくなったわね……」と顔半分ほど背の高い妹を見上げて言った。
「お久しぶりです、お姉様」
小首をかしげてリシャナは約十年ぶりに会う姉にあいさつをした。
アルベルティナも、成長した妹がとっさにわからず、判別出来たアルデルトの方を呼んだらしい。一方のリシャナも、姉の存在は覚えていたが、別れたときまだ幼く、記憶がおぼろげで確信がなかったそうだ。
「最後に会った時はこんなに小さかったのに、私より大きくなってるなんて……」
「さすがにそんなに小さくなかったと思いますが」
自分の腰のあたりに手をやるアルベルティナに、リシャナが困惑気味に言った。アルベルティナは怜悧な美人に成長したリシャナと嬉しそうに腕を組む。リシャナも心得たもので、エスコートの姿勢になった。
庭園から城に入り、アルベルティナを送っていくことにした。
「出席者の名簿を見たけれど、あなた、公爵になったのね」
「兄上に叙されましたので」
「そうなのねぇ。ヘルブラントも、思い切ったわね……」
差しさわりのない近況報告などをしていると、ヴァイセンブルクの王太子がアルベルティナを探してやってきた。
「ティナ!」
「あら、ブルクハルト」
アルベルティナが駆け寄ってくる夫に驚いたように名を呼ぶ。彼は自分の妻をエスコートしているリシャナに目をやり。
「……は?」
驚いた表情で固まった。後から聞いたところによると、彼はアルベルティナが若い愛人とともに歩いていた、と聞いて飛んできたらしい。妻の妹だ、と紹介されて落ち込んでいた。騙された、と。
「紛らわしい恰好ですみません」
「いや……こちらこそぶしつけだった。申し訳ない」
生真面目に二人とも謝っている。リシャナは確かに男装だが、男に見せているわけではないし、中性的な面差しではあるが、近づいてみればわかる程度に女性の顔つきと体つきをしている。
ここでリシャナとブルクハルトが挨拶を交わす。ついでにアルデルトもだ。夫が来たのに、アルベルティナはリシャナから手を離さなかった。
「名簿で名前は見ていたが、花の国の魔女殿に会えるとは、国に帰ったら自慢できるな」
ブルクハルトが苦笑を浮かべると、リシャナは「半分くらいは虚名なのですが」と不満げな顔をする。どこが虚名なのか、とアルデルトは突っ込もうか迷った。
「あなた、明日の戴冠式はドレスなのよね?」
アルデルトにも同じことを聞かれているので、リシャナは「持ってきてはいますが」と首をかしげる。
「軍の正装のつもりです。今、縁談などを持ち込まれては困るのですよ」
国内の情勢的に。帝国から援助を受けた手前、断りづらく、もし受ければ、リシャナがヘルブラントの立場を脅かすことになる。リシャナ自身が承知しないだろう。
王女であるリシャナが男装して現れれば、縁談を避けているのだな、となる。空気を読める者はそういった話を持ち掛けてこないだろう。
「私の配偶者については、兄上にお任せしています」
「ヘルブラントがそう言うことが得意だとは思えないのだけど。せめて要望を伝えた方がいいわ。どういう相手がいいの?」
「やはり、従順な方がいいか?」
ブルクハルトの言葉に、ヴァイセンブルクがリシャナの配偶者を用意する気があることと、国外でリシャナがどのように受け止められているのかが分かった。
「……考えたことはありませんが、しいて言えば」
リシャナが述べた要望に、アルデルトは胸が痛くなった。
翌日の行程の戴冠式に、リシャナは軍の正装で出席した。翻る彼女の赤いマントが、多くの人目を引いていた。
泣き止まぬ幼い声に、エリアンは困惑してしゃがみこんだ。二歳半の娘アリアネが母を恋しがって泣いているのだ。
「おかあさま~!」
「お母様は忙しいんだ。父ではだめか?」
「やだっ!」
普通にショックである。エリアンはがっくりうなだれた。どうやら、リシャナが女王として宮殿に上がるようになり、これまで庇護していたリシャナの兄リュークとニコールの娘たちと離れたことも原因のようだ。
わーん、と泣き続けるアリアネに途方に暮れてエリアンは自分についている侍従を見上げるが、彼も年若く、戸惑ったように首を左右に振るだけだ。
「どうした、お父様が何かしたか?」
「リシェ」
男装の女王リシャナが、正装のまま駆けつけてきた。今まで謁見の間にいたのだ。慣れた動作でアリアネを抱き上げると、「おかあさま!」と舌足らずに呼び、母にしがみついた。
「……姫が泣き止まなくて」
正直に途方に暮れていたのだ、と言うと、リシャナは少し首をかしげて、「そうか」とうなずいた。乳母はエリアンがいるので少し席を外していたのだが、男親だけではだめだった。
「と、いうより、接した時間の問題だろう」
こればかりは仕方がないな、と娘の背中をたたくリシャナは、女王ではなく母の顔をしていた。あれだけ親になることを不安に思っていた彼女は、ちゃんと親になっている。自分は追いついていない……リシャナが言うように、接する時間が短いのもあると思う。アリアネがまだ赤子だったころは、身動きの取れないリシャナに代わり、奔走していたのだ。
戻ってきた乳母にリシャナはアリアネを託す。また、女王の仕事は終わっていない。
「姫にとって俺はまだ親ではないんだな……」
ため息をついていると、リシャナがまじまじとエリアンを見上げているのがわかった。
「なんだ?」
「いや……前から思っていたんだが、お前、父親に声が似ていると言われたことはないか?」
エリアンの父、アルデルトはリシャナの初陣に立ち会っている。リシャナとは長い付き合いだったそうだ。
「面と向かって言われたのは初めてだが、父に間違われたことは確かにある」
それが? と聞くと、リシャナは肩をすくめた。
「大したことではない。お前に『姫』と呼ばれるのが嫌だったのは、お前の声がアルデルトに似ていたからだと、気づいたという話だ」
こういう話をしてくれるようになったのは最近だ。結婚して子供も生まれ、女王になり戴冠式も終わり、少し落ち着いてきたのだ。
「それに、案外、エリアンは昔私が語った結婚相手の理想にかなっているな、と思って」
「どこがだ?」
興味を引かれて身を乗り出すと、リシャナが「近い」と顔面を押し返してきた。結局、この時彼女からその理想とやらを聞き出すことはできなかったが、しばらくして眠る前に教えてくれた。
「できれば、ありのままの私を受け入れてくれる人がいいですね」
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
これで完結です。
最後は、父から息子視点へ。そして、息子は案外リシャナの理想にかなっているという話でした。
な、何とか完結できてよかったです…。




