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北壁の戦い 3










 人質になったり逃げまわったりしたリシャナは、国のいろんな場所を転々としたそうだが、ここまで北部に来たのは初めてだそうだ。リニも初めてである。地図である程度の作戦は立ててきたが、やはり現地に詳しいものが欲しい。


「このあたりの領主はヘリツェン伯でしたか」

「私でもあまりいい話は聞かないな。探るように見られて不愉快だった」


 自分のことについては無関心なことが多いリシャナがそう言うのだから相当だ。ユスティネが「そういう時は私たちにおっしゃってください」として来ている。リシャナは少し困ったように微笑んだ。


「次からはそうしよう」


 くしゅ、とリシャナがくしゃみをした。落ち着いた普段の声音とは違う可愛らしいくしゃみに、周囲は慌てた。


「姫様、建物の中に入りましょう」

「王都に比べてかなり北に来ましたからね」


 指揮を執るリシャナが倒れては困る。拠点とする城塞に入り、軍議に使う部屋を整えた。リシャナに外套を羽織らせて、さっそく会議だ。


「そこまで寒くはないよ」

「念のためです」


 初春である今、この北部は王都よりも寒い。着こんでおいて悪いことはないだろう。たぶん。


「北方守備軍、フレットと申します」


 二代ほど前の王が、ラーズ王国の侵略を防ぐために置いたのが北方守備軍だ。この時代には珍しい常備軍になる。ただし、ヘルブラントとロドルフによる王位継承戦争が始まってからは有名無実化していると言っても過言ではないだろう。何しろ、ラーズ王国に防衛線を突破されているのだ。仕事を果たしていない。

 なかなか微妙な立場だ。ヘルブラントの王権は北方の国境まで及んでいない。ロドルフに支配権を奪われている、と言うわけでもない。何とも宙ぶらりんの状態なのだ。

 今回、国境線を押し返すと言ったのだから、リシャナはこの北方守備軍を支配下に置いて制圧するのが一番早い。

 だが、このフレットの様子を見ると、あまりこちらに協力する気はないように見える。これまで放置されていたのが急に協力を要請されればそうなるのもわからなくはない。そもそも、総指揮官が王族とはいえお姫様のリシャナであると言うだけでなめられる。


「ヘルブラント陛下はよほど人材不足なのですね。姫君が派遣されてくるとは」


 どこかあざ笑うようにフレットが言うので、リニたちリシャナの部下がむっと機嫌を損ねる。当事者であるリシャナだけが平然としていて、手を挙げて彼らを止めた。


「人材不足なのは確かだろうね。私も自分がここまでやってくるとは思わなかった」


 嘘ばっかり、とリニたちの視線がリシャナに突き刺さったが、自分の発言が肯定されたことにフレットは気をよくしたようで、「バイエルスベルヘン公に嫁いだ方がよかったかもしれませんね」としたり顔で言った。リシャナは首を左右に振って「もう遅いな」と返す。

 リシャナはその調子でフレットから話を聞きだすことにしたようだ。この北までリシャナの武勇は届いていないようだが、王族の姫君が頼ってくるという状況にフレットの自尊心が刺激されるようだ。その気持ちが全く理解できないこともなくて、リニは複雑な気持ちになる。


「いつの間にそんな腹黒いことをするようになったのですか。陛下のようですよ」

「兄上をまねたからな。と言うか、リニ、兄上を腹黒いと思っているんだね。私も思っているけど」

「姫様。あの男、バイエルスベルヘン公と通じているのではありませんか。どちらにしろ、とらえましょう! 姫様に対して不敬が過ぎます!」


 ユスティネが怒って訴えたがリシャナはそのつもりはないようだ。


「情報を流しているのは確かだろうね。なら、今回はそれを利用しよう。情報を流している人間が彼だけとは限らないだろう。すべてとらえるよりも、こちらから偽の情報を流す方が現実的だ」

「……相変わらずの合理主義」


 思わずつぶやいたリニを見上げて、リシャナが首を傾げた。やっぱりかわいい。










 せっせとかく乱の情報を流すことになった。と言っても、総攻撃の時期はそれほど前後しない。事前に情報は集めてあるので、リシャナには北方守備軍を掌握することを優先してもらった。情報を集めるのも流すのも、幕僚の仕事だ。


「北方守備軍の現在の指揮官であるヘリツェン伯爵は、リシャナ様に協力する気などないでしょう」


 すでに、北方守備軍の半数ほどがこちらに流れていて、そのうち一人である魔術師のアントンが語ってくれた。


「バイエルスベルヘン公に協力しているわけではありませんが、報酬をもらって情報を流しているものや、ラーズ王国と通じているものもいます。……おそらく、リシャナ様に協力すると言って集まった者たちの中にも」

「なるほど……まあ、無理もないな」


 リニは肩をすくめた。それくらいは予想していた。ここにはいないが、リシャナも想定しているだろう。せっせと偽の情報を流しているところであるし。リシャナはおとなしい性格ではあるが、案外したたかなのだ。

 このアントンは魔術師の一人だ。それほど力強くなく、天気を読むことができるのでリシャナが受け入れた。それを知った魔術師たちが続々と集まってきている状態だ。直接戦闘に関われる魔術師以外は、冷遇されているのだそうだ。リニたちが集めた情報とも矛盾しないので、そうなのだろうと思う。

 だが、リニやユスティネはもちろん、リシャナも彼らを完全に信用しているわけではない。ヘルブラントに影響されたのかかなりしたたかになってはいるが、基本的に慎重なところは変わっていない。だから、北へ戦いに行くと言い出した時に驚いたのだ。


「しばらく晴れが続いていますが、三日後の昼過ぎに小雨が降ります。その日はその後、ずっと雨ですね」


 ふいにアントンがそう言った。これまで何度か検証してみたが、彼の天気予報はよく当たる。よく当たる、というか、今のところほぼ百%だ。


「では、私は北壁へ戻ります。何かあれば、ご遠慮なく申し付けください」

「ああ、ありがとう」


 北壁と言うのは、北方守備軍が拠点を置いている城塞のことだ。ラーズ王国との国境の近くになる。もともとあった城を改装して使っているそうだ。

 リシャナが拠点として使っている城も、ヘリツェン伯の居城も、もっと街の近くにある。一応、ヘリツェン伯が北方守備軍の総指揮官であるが、実際に北壁へ赴くことは少ないようだ。

 せっせと情報を流し、情報を収集しているうちに、こちらの動きがラーズ王国の耳に入ったようだ。おそらく、ロドルフの耳にも入っているだろう。彼にとっては悩ましいところだろう。比較的支配下にある北部が、このままではリシャナに制圧される。だが、彼の本当の敵はヘルブラントであり、彼は王都にいる。北部を維持しようとリシャナを攻めれば、ヘルブラントに背後から突かれる。ヘルブラントはそのあたりも考慮して、リシャナに北部への侵攻を許可したのだろう。


「姫様、こちらを」


 リニが差し出したのはラーズ王国側の国境を治めているアーネル伯爵からの会談要請だった。許可を得てリニたちが先に目を通しているが、リシャナもそれを読んで難しい表情になった。


「どう思う?」

「難しいところですね。おそらく、姫様がリル・フィオレの王位を得られるように協力する、と言うような話をされると思います」

「私も同意見ですね。バイエルスベルヘン公爵と組むよりは、姫様と組んだ方がリル・フィオレの王位が近いですから」


 リニとネイサンの意見を聞いて、リシャナは「なるほど」とうなずいた。ロドルフよりはリシャナの方が王位を狙いやすい。狙いやすいが、リシャナが王位を望んでいないところがネックである。


「ついでにラーズ王国の王族との婚姻を勧められると思います」

「なるほど。考慮に値しないということだね」


 そう結論を下したリシャナであるが、リニはネイサンと顔を見合わせた。


「いえ。会ってみるのもよろしいかと」

「それはなぜ?」

「姫様が王位を望まないのはわかり切っているのです。会談を行ったところで、その意見は翻らないでしょう。ですが、情報を得るために顔を合わせてみるのもよろしいかと」

「なるほど」


 一度目を閉じたリシャナは目を開くと言った。


「会談に応じよう。返事と、兄上に状況を説明した手紙をしたためてくれ」

「承りました」


 方針が決まったので、リニとネイサンはその場を後にした。









ここまでお読みいただき、ありがとうございます。



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