王都開城戦 3
城門を、閉じましょう。
リシャナがそう言った後、一瞬沈黙が流れ、そこからすぐに行動を起こしたのは王太后だった。
「お前!」
ティモンを押しのけてリシャナに向かって手を振り上げた王太后を見て、ユスティネがリシャナの前に立った。すくんで動けなかったリシャナの代わりに、ユスティネが王太后の平手を受けた。リシャナは悲鳴を上げたが、ユスティネ自身は小動もしなかった。鍛えもしない貴婦人の平手などたかが知れている。
「お前はそうやって私の愛する息子たちを死に追いやるつもりなのね! ヴィルベルトもリシャルトもお前に殺されたも同然だと言うのに、まだ私から奪うつもりか!」
息子を大事に思うのはいいが、それは偏愛だ。王太后は娘の名すら呼ばない。少なくとも、アルデルトは王太后がリシャナの名を呼んでいるところを見たことがなかった。
王太后の言うことは言いがかりに過ぎない。先王ヴィルベルト二世は暗殺されたのだし、当時リシャナは八つに過ぎない。リシャルトというのはリシャナの双子の兄であるが、健康に育ったリシャナとは違い、病がちだったリシャルトは夭折している。聞いた話ではあるが、信ぴょう性は高い。この時代、幼児の死亡率は高いままだ。
それらをすべてリシャナのせいだと言い張る。錯乱してるようにしか見えないし、正直聞くに堪えない。怒鳴られているリシャナはユスティネにかばわれながら、冷めた目で罵詈雑言を言い散らす母親を見ている。
「そうやって媚びれば助けてもらえると思っているんだろう! お前がロドルフに捕まればよかったのよ! そうよ。今からでも遅くない。お前をロドルフにくれてやろう。お前、腐っても王女だもの」
これに対する反論を、アルデルトはいくらでもいうことができる。だが、反逆罪だ、侮辱罪だと喚かれてはたまらない。何より、王太后がいると話が進まない。
「ヘンドリック殿下。どうやら、王太后様はお疲れの御様子」
「は、へ?」
ヘンドリックはぽかんとしたが、察したのはリュークの方だった。
「そ、そうだね。兄上、母上には休んでいただこう」
さすがに弟にも言われてヘンドリックはピンと来たようだ。よく通る声で、「ああ!」とうなずいた。王太后の肩を掴む。
「まあ、どうしましたか、リッキー」
「母上はずいぶんお疲れと見えます。兄上が捕らえられているのだから無理もありません。別室でお休みください」
上出来だ。相手に選択肢を与えるのではなく、言い切った。これなら王太后が拒否しても、さらに上の権限を持つヘンドリックの『命令』として王太后を退出させられる。
「疲れてなどいませんよ。ヘルブラントの大変な時ですもの。私も共に考えますわ」
リシャナに向かうときと全く声のトーンが違う。そのリシャナは、先ほど母に叩かれたユスティネを心配している。
「いいえ、お疲れです! 母上を部屋に連れて言って差し上げてくれ」
「そんな、リッキー!」
控えていた女性の使用人が二人、王太后の手を取って会議室と化している書斎から出て行く。王太后は文句を言っているが、そのまま連れて行かれた。深窓の姫君である王太后だ。暴れることなどはないだろうと思っていた。
「お待ちください。リシャナ殿下はこちらです」
なぜか王太后について行こうとしたリシャナを、ユスティネが止める。リシャナはぱちぱちと瞬きしてユスティネを見上げる。
「でも、母上」
「おひとりでも大丈夫ですよ」
「そうだぞ、リシェ。正直、母上がいらっしゃると話が進まん」
ヘンドリックがきっぱりと言った。王太后は息子たちを溺愛しているが、息子たちは必ずしもそうではないようだ。今回のことは、王太后の偏愛と、ヘンドリックの苦手とする分野が重なって、少々混沌とした状況になってしまった。
「……でも、私がいても何もできない……」
「いやあ、たぶん、僕より役に立つよ」
リュークが真顔で言った。また、ぱち、とリシャナが瞬く。リュークが目を細めた。
「城門は閉じた方がいいと思う?」
ヘンドリックも、ユスティネもアルデルトも、リシャナを見つめた。いつになく注目を浴びる彼女は戸惑ったように視線をさまよわせる。
「そう、思います。ロドルフを招き入れても、彼が口約束を守るとは思えませんし」
やはり、王太后よりもよほど現実をわかっている。
「兄上たちも、そうおっしゃっていたでしょう?」
「あー、そうなんだけど」
ヘンドリックは肩をすくめた。母親よりはよほど現実を見ている三人だが、決定を出せなかった。王太后のヒステリーへの対応方法が分からなかったのだ。方針を決める、ということに不慣れなものばかりが残されている。
リシャナが城門を閉じると言い出し、王太后が猛反発したことで、逆にヘンドリックやリュークの腹も決まったのだろう。アルデルトにとっても、リシャナを起爆剤に使ってしまったのは反省点だが、おそらく、この小さな王女は『わかっている』。
「でも、城門を閉じたら戦いになるよね」
リュークが不安そうに言った。ヘンドリックはすでに初陣を済ませており、前線指揮官として優秀なことは証明されているが、リュークはその性格からまだ初陣を済ませていなかった。不安になるのは仕方のない話だ。
「大丈夫だ、俺がいる!」
ヘンドリックが言い切るが、リュークはやはり不安そうだ。アルデルトを見上げてくるのでうなずく。
「基本的に、城攻めは籠城する側に有利です」
援軍が来れば、だが。ただ、ヘルブラントを失った彼の軍がすぐ外まで来ているだろう。こちらが籠城を選んだことを知れば、ロドルフの軍を挟撃しようと動いてくれるはずだ。
「城攻めは長期戦になるでしょう? そんなに……持つかな。母上だってきっと黙ってない」
「う……それもそうだな」
急に煮詰まる兄弟。兄たちを交互に見ていたリシャナに、アルデルトは再び尋ねた。
「リシャナ殿下はどう思われますか」
尋ねると、やはりリシャナは自分が話してもいいのだろうか、という不思議そうな表情になる。アルデルトを見上げ、許可を求めるようにヘンドリックとリュークを見た。ヘンドリックがうなずいたのを見てから口を開く。
「……まず、城門を閉じるって決めたから、それぞれの門の警備を固めるべきじゃないかな。あと、ヘルブラント兄上と一緒だった軍って、そばまで来てるのかな」
「ロドルフの軍を追ってきているでしょう」
「なら、こちらからも一軍を出してえっと、挟み撃ちにできればいいんじゃないの」
「ロドルフの軍を壊滅させるのか?」
驚いたようにヘンドリックは妹を見た。そんな過激なことを言うとは思わなかったのだろう。アルデルトとユスティネも驚いて末の妹姫を見つめる。見つめられた当の本人は居心地悪そうに体をゆする。
「今必要なのは、ヘルブラント兄上を取り戻すことだと思う。この際、ロドルフのことは置いておいて、兄上を助ける方に力を注いだ方がいい……と思う」
「何故、そう思いましたか?」
これにはアルデルトも驚いて身を乗り出す。リシャナがおびえたように身を引いたので、ユスティネが「閣下」とリシャナとアルデルトの間に腕を割り込ませる。失礼、とアルデルトも身を引いた。
「……だって、ロドルフが強気で王都に開城しろって言えるのは、ヘルブラント兄上がいるからでしょう?」
「……その、とおりです」
本当に驚いた。当然だが、リシャナは軍事関係の教育など受けていないだろう。政治関係もちゃんとした教育を受けているとは思えない。それどころか、通常の王侯貴族の子女が受ける教育を真っ当に受けられているとは思えなかった。これは戦時中で人質にされたり、各所を転々としていたのもあるだろうが、主に王太后が原因だと思われた。
それでも、今ある事実から正解を導き出した。彼女は恐らく、ヘンドリックやリュークよりも為政者の才能がある。
「だから、兄上を助け出す……それができなければ、兄上を殺すことで、ロドルフの影響力を少なくできると思ったんだけど……」
「リシェ、お前、冷酷だな」
「……私も兄上に死んでほしくない」
呆然としたヘンドリックに言われて、リシャナはぱちぱちと瞬きをする。泣くのをこらえているようだ。リュークがリシャナの背中をさすり、「兄上ひどい」とヘンドリックに苦情を言った。
「ごめんて! とにかく、兄上を助け出せればいい話だもんな! ……どうすればいいだ?」
振り仰がれたアルデルトはヘンドリックに苦笑を向けた。戦術に関しては、さすがにリシャナをあてにできない。この状況で冷酷な考えにも及ぶことができるリシャナは、おそらく軍の指揮も取れるし、政治だって指導できる。だが、それはちゃんと教育を受けて経験を積めば、の話だ。ここまでの言い回しからわかるように、語彙の少ないリシャナはまともな教育を受けていない。
だが、もし、ちゃんとした教育を受けることができれば。リシャナは、兄を助けられるようになるかもしれない。
「リシェ、どうする?」
ここまでのことで、リュークもすっかり妹を頼りにすることにしたようだ。突然注目を浴び始めたリシャナは困惑しきりだが。
「どうって……」
さしものリシャナも困惑している。急に話を振られて、ここまで意見を言えた方が驚きた。この少女はまだ十三で、母親に虐待されて育った子供でしかない。
だが、リシャナにも考えるところがあったようだ。
「ルーベンス公爵、さっき、城攻めは守る方が有利って言ったよね」
「ええ。場合にもよりますが、通常、攻める側は守る側の三倍以上の兵力が必要、と言われます」
と言っても、アルデルトも戦術の専門家ではない。彼の能力は、どちらかと言うと戦略寄りだ。後方支援に特化している。
そのあたりも教えれば才能を発揮するだろうか、とこの小さな姫君を見ながら思う。
「守る側が不慣れな指揮官でも、負けない?」
賢いな、と思った。勝てるか、ではなく、負けないかを聞いた。そう。籠城する側が勝つ必要はないのだ。ただ、これについてアルデルトは答えを持ち得ない。
「ユスティネ、どうだろう?」
アルデルトは戦の専門家ではない。そこで、戦場にも出る女騎士に話を振った。彼女は少し考えるそぶりをした後、リシャナに答えた。
「そうですね。適切に補佐できるものがいれば、しばらくは持つでしょう。そう、三日から五日程度は」
「そう……分かった」
「どうするんだ?」
ヘンドリックがせかすように言うが、リシャナは言葉を考えているように見えた。
おそらく、戦い全体を見て一番適切に判断を下せるのはリシャナなのだろう。ヘンドリックは前線での判断能力はあるが、全体を見ての最適解が分からない。リュークはそもそも、能力的に向いていない。だが、知識はあるはずなので、この三人で話し合えば、まだ若いなりに悪くない決断ができるのではないだろうか。
「……リッキー兄上は、門を閉じる前に外に出て、ヘルブラント兄上を助けに行くべきだと思います。ヘルブラント兄上の軍がこちらに向かってきているって話だけど、つまり、そちらも一番偉い人がいないわけでしょう。私たちと同じようなことになっているんじゃないかと」
「……ええ、そうだと思います。幕僚が話し合って、臨時の指揮官を決めて行動しているでしょうが……」
それでも、王族がいるといないとでは士気が違う。特に今は、王であるヘルブラントを奪われて士気が落ちているはずだ。そこに、ヘンドリックが合流できれば。リシャナの言うことは理にかなっているように思われた。だが、懸念もある。
「だけど、そうしたら、王都の防衛側の指揮を僕とリシェで執ることになるんだよ」
「それは……うん。私も入ってるんだ……」
「僕一人にさせないでよ」
十五の王弟と十三の王妹のやり取りに、アルデルトはユスティネと顔を見合わせた。
行けるだろうか。リュークもリシャナも初陣を済ませていないし、リュークは戦に向いていないのが分かる。しかも、リシャナに至っては十三の姫君だ。身長も、同じ女性であるユスティネと並んでも顔一つ分は違うだろう。
だが、ヘンドリックをヘルブラントの救援に向かわせようと思ったら、王都はこの二人が護るしかない。この時代の王族はそういうものだし、姫君が戦場に出た例がなかったわけではない。そう。彼らの祖母フェリシアも戦場に立った女性王族だった。
アルデルトはこの二代前の王の王妃だったフェリシアと面識があるが、リシャナは造作だけならフェリシアと似ている。それが、王太后がリシャナを嫌う一因であるのだろうなとも察していた。
アルデルトはリシャナの前に膝をつく。リシャナは「ルーベンス公爵?」と小首をかしげた。
「リシャナ殿下。私たちも、あなたの意見に賛成です。ヘンドリック殿下に、陛下を助けに行っていただくべきだと思います。そして、王都の防衛はリューク殿下とリシャナ殿下で指揮を執るべきだとも思います。如何なされますか」
我ながら卑怯だと思う。リシャナに、「やれ」と言っているようなものだ。だが、軍人たちに命令できる立場に、リシャナがいるかいないかで、違うのだ。リシャナがここで指揮を執ることを拒否しても、彼女は王都内にいるので、助言を求めることができる。しかし、一介の姫君に過ぎない彼女の言葉が、どれだけ彼らに聞き届けられるだろうか。
だが、指揮を執る王族となれば違う。王の妹であると言うだけで、軍隊の指揮を執る立場になる。軍人である彼らは、彼女の言葉に従わざるを得なくなる。意志の統一を図りやすくなる。たとえ、実際に彼女が采配を振るうわけではないとしても、だ。これは、リュークではできない。少なくともこの場にいたアルデルトたちは、リシャナの方が軍事行動に適した才能を持っていると知っている。
「……ずるい。そんなことを言われたら、やるしかなくなる」
「リシェ!」
ヘンドリックとリュークのほっとした声が被った。どうやら、ヘンドリックもリュークだけに指揮を預けて王都を出るのが不安だったようだ。リュークに軍事的才能がほとんどないので仕方がないが。
ざ、とアルデルトの後ろでユスティネやティモン達が膝をつくのが分かった。慣れていないリュークとリシャナがびくり、と身を震わせる。
「我ら一同、ヘンドリック殿下、リューク殿下、そしてリシャナ殿下に忠誠を」
リシャナが膝の上で、ぎゅっと指を組むのが見えた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
母はヘルブラントが帰ってくるなら、王都を明け渡してしまえばいい、と考えています。どう考えても、無事に帰ってくるわけがありませんよね。子供たちは兄が死んで帰ってくるかもしれないことに気づいています。