宮廷事変 2
ヘルブラントへの報告を終えてリシャナの元へ戻ると、彼女は庭で生垣の剪定を眺めていた。庭師のロジャーと相変わらず仲良くしているらしい。リシャナの立場は変わったが、内面は変わっていないようだ。
「何か面白いものでもございましたか」
「……生垣の剪定を手伝ってはダメなのだって。やってみたかったのだけど」
これまではリシャナに力がなくてさせてもらえなかったらしい。そう言って、ロジャーは逃げていたのだろうな、とリニは苦笑する。リシャナについていたユスティネが「当然です」と慰めるようにリシャナの肩をたたく。
「今はお立場がございますから。いつかお屋敷を賜ったら、そこですればいいのですよ」
「なるほど」
「ユスティネ様、姫様に変な知恵をつけさせないでください」
立場が変わったためにつけられている護衛代わりのユスティネは、リシャナとうまくやっているようだ。破天荒な女性貴族の彼女を見ているからか、リシャナも破天荒に成長しつつある。戦場に出るのだから、それくらいはいいのかもしれないが。
「リニは兄上とお話ししてきたのでしょ。何か言ってた?」
ぴょこんと立ち上がったリシャナは、背が伸びた。すらりとして大人びてきていて、リニの鼻あたりまで身長が来ている。あまり背の高い方ではないリニは、そのうち抜かれるのではないかとドキドキしている。
「そうですね、姫様の話を少々」
「そう言うことではなくて、情勢の方。ロドルフの動きとか」
そういう話もしてきた。ちょっとした洒落なのだが、リシャナはまじめだ。ユスティネも、リニと目を見合わせて肩をすくめている。
「王都周辺は安定していますね。姫様のおかげです」
「そういうのはいい」
と言われても、事実なのだ。去年、王都へ進軍してきたロドルフの軍を追い払ったことから、リシャナの人気は高いのだが、立場の弱い者にも優しいので人気が衰えない。しかも、まだ十代前半の美しい姫君が国を憂えて戦っているというのだから、成人男性のロドルフや、ヘルブラントよりも応援したくなるのも道理と言うものだ。
と言うような説明をしたことがあるが、リシャナは微妙な面持ちになっていた。迷惑だ、言わんばかりの表情で、外から見れば面白いが、案外本人はそんなものなのかもしれない、と思った。
「ロドルフはいまだに北方連合です。大きな動きは確認されていませんが、またぞろ仕掛けてくるころでしょうね」
彼もそれなりに力を蓄えたはずだ。いつ攻め込んでくるかと監視を強化している。リシャナは自分の役割をわかっているので、いざとなれば北方に出陣になるだろうと理解している。
「北はまだ寒いでしょうね。板金鎧は夏は暑いですが、冬は寒くて凍傷になるのですよ」
ユスティネがいやそうに言うと、リシャナは何度か瞬きをして首を傾げた。
「ユスティネは経験があるの?」
「ございます。危うく指を切り落とさなければならないところでした」
「ええ……伯爵令嬢が冬に動員されるって、どうなんだろう……」
リシャナが尤もなツッコみをするが、それを言うなら自分が戦争に行かされている姫君であることにも着目してほしい。だが、王族には国を守る責任があるので、今までそういう姫君がいなかっただけであって、不自然なことではないのかもしれない、という気もする。
「まあ、そういう理由で冬は戦を避けるものですが、バイエルスベルヘン公は本格的な冬が来る前に、一度仕掛けてくる可能性があります」
「そう……彼も必死だね」
必死な理由はリシャナが頭角を現してきたからだが、わかっているのだろうか、とちょっと不安になるリニだった。手を差し出し、リシャナを立ち上がらせる。
「姫様は冬の戦いははじめてでしょう。装備の確認が必要ですね」
「そうだな……ユスティネは留守番してる?」
「まさか。ご一緒いたしますよ。姫様を守るのが私の仕事です」
リシャナはひとたび戦になれば出陣する必要があるのが難しいところだ。ただ、もしかしたら今回は王都でお留守番の可能性がある。リシャナがヘルブラントの代わりに全体の指揮を執ることができるようになったので、最近はリシャナとヘンドリックで戦うことが多かったが、そろそろヘルブラントも戦果が必要になってくるころだった。
リシャナは運動神経がよかった。剣を持たせれば一般の兵士くらい軽く伸せるくらいの腕はあったし、乗馬も得意だった。乗馬はリニよりうまいかもしれない。裸馬に手綱だけをつけて飛び乗った時は驚いた。周囲で拍手が起こった。
姫君が率いる軍として、どうしても侮る人間は存在する。それをリシャナは自らも剣を振るうことで振り払ってきた。お飾りの司令官ではない。自分は一軍を率いるに値する将であると。
「本格的な冬に入る前に、ロドルフが一発仕掛けてくると思われる」
会議中にヘルブラントが真剣な表情で言った。いや、真剣な話であるのだが。彼が言うと一種の冗談のようにも聞こえる。
「陸路でしょうか。そろそろ海は凍ると思うのですけど」
こちらは常に真面目なリシャナだ。こうして方針を決める話し合いに口を挟めるくらいには、彼女も学んだ。初めのころは話を振られないと口を開かないくらい寡黙だったが、今では自分の意見をはっきり述べることができる。教育係としてリニは少しうれしくなりつつ、荒療治過ぎたか、と反省もする。
「おそらく、陸路だろうな。リシェの言う通り、北方諸国連合の軍港は、そろそろ凍り始める。出たところで、帰れなくなる」
「……なんだか矛盾している気もしますが……」
「確かにな」
リル・フィオレの港を制圧するつもりで出てくるのに、帰る港がなくなる、と言う状況がおかしいのでは、とリシャナは言いたいようだ。ヘルブラントは察したようだが、ヘンドリックとリュークは「どういうことだ?」「さあ……」というわかっていない典型な会話をしている。リュークは説明したら理解できそうな気もするが。
「では国境……より手前に戦線を敷くしかありませんね。あまり広く取っては、戦線が維持できません。私が第一陣として第一戦線に赴けばよろしいでしょうか」
リシャナがさらりと言う言葉に、ヘルブラントが満足げにうなずいた。リシャナはよく学んでいるし、理解している。うなずいたヘルブラントだが、出た言葉は反対の言葉だった。
「いや、お前はリュークと一緒に王宮で待機だ」
「言動が一致しておりませんが……私が赴くのではないのですか?」
こてんと首をかしげるしぐさが可愛い。ではなく。リニはやはり宮殿で待機か、と思ったのだが、リシャナはうなずいて見せたのにリシャナの提案に同意しなかったヘルブラントの言動に意識がいってしまったようだ。
「たまには王都で待機も悪くないだろう?」
「……」
リシャナはヘルブラントの狙いを察したようだ。整った顔が渋面になる。気づいたうえで、断らないだろう。ヘルブラントは一度、リシャナに王宮での差配方法などを教え込みたいのだ。
ある意味戦場に放り込まれるよりも過酷かもしれない。リュークがいるとはいえ、リシャナを虐待した王太后と共にいなければならないのだ。今まではヘルブラントがそれとなく気を使って、二人がかち合わないようにしていた。
戦場での経験は一通り積んだ。後は政治的な差配方法だ。軍事行動を見るに、リシャナは一定の能力があるのではないかと思う。そこがヘンドリックと違うところだ。対外的には、子供のいないヘルブラントの跡継ぎがリシャナだと思われるだろう。
ヘルブラントの読み通り、ロドルフは完全な冬が来る前に再び攻め込んできた。明らかに兵の士気が低いのにご苦労なことである。予定通り、ヘルブラントはヘンドリックを連れて応戦し、リシャナはリュークとともに王都に残ることになった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
リシャナも凍傷になるので装飾品を身につけない、と言う設定が『北壁の女王』でもありました。
今回はお留守番です。




