アンシンクの反乱 2
かくして、ヘルブラントたちに続き、リシャナもアンシンクの動乱の鎮圧に向かった。名目としては、彼女は後詰だ。予備戦力と言ってもいい。ヘンドリックがリュークを連れて戦場を経験させている、という建前を取りたいようだ。まあ、事実ではある。本命はリシャナだけど。
リシャナは落ち着いてはいるようだが、緊張しているのがありありとわかった。初戦で勝っているため、調子に乗られるよりは全然いい、とヘルブラントは笑って言っていた。度量の広い王である。
とはいえ、この事実はヘルブラントの中でリシャナの価値を上げているのではないかと思った。リニの仕事は、とにかくこの姫君に張り付いていることである。
「もうすぐ到着しますよ。お覚悟なさいませ」
「わかった」
緊張気味のリシャナに、女性と言うことで近くに侍っていたユスティネが微笑む。
「大丈夫ですよ、姫様。我々が守りますから」
一部隊を率いるじゃじゃ馬な貴族女性の前身であるユスティネの言葉に、リシャナは「そう言うことではないのだけど」と困ったように微笑んだ。ともあれ、緊張は少しほぐれたようだ。
と言っても、まずリシャナにできるのは陣形を整えて攻撃にそなえることだ。本隊はヘルブラントたちの方なので、こちらまで敵が来るには時間がかかる。
合図があった。本隊の方で戦闘が開始されたのだ。リシャナの手が馬の手綱を強く握ったのを見て、リニは彼女の肩に手を置いた。まあ、鎧越しだけど。
「とにかく、冷静に。我々は姫様の号令がなければ動けません。攻撃が必要だと思ったら、ご自分の判断で合図をお願いします。まずければ止めますし、大丈夫ならそのまま号令してください」
事前に取り決めてあったことを再び告げると、リシャナは「わかった」とうなずいた。事実上の初陣だろうが、ここではリシャナが指揮官だ。彼女の号令なしに動けない。状況変化に合わせた指示もリシャナが出せばよいが、そこまで来ると現場判断にもなってくる。つまり、最悪、リシャナは最初の合図が出せればそれでよい。
ラッパの音が響いた。こちらへの合図だ。リシャナがはっと目を見開く。リニが「姫様」とささやくと、リシャナが声をはりあげた。
「来るぞ! 全員、構えよ!」
迫りくる敵に、否応なく緊張が高まる。その中で、リシャナはよく自分を抑制している、と思えるよく通る声で号令を出した。
「撃て!」
一斉に矢が放たれた。そのまま乱戦になる。敵は逃げるのに必死であるし、こちらは押しとどめるのに必死だ。リニもリシャナも、この戦いは取りこぼしても仕方がないとわかっている。体勢を立て直されて、背後から攻撃されるのを避けるための戦いなのだ。
しばらく膠着状態が続いたが、逃げる方も必死である。左翼が崩れてきた。それにも、リシャナは冷静に対処する。教えてきた兵法が生きていることに感動する一方、落ち着きすぎている彼女の様子も気になった。
「本隊の右翼が崩れています! 穴埋めを……!」
「動くな! 戦線を維持せよ! 守りが薄くなれば、突破される!」
本隊の方から伝令が来たが、リシャナはすぐにそう返答した。良い判断だと思う。ルナ・エリウの城壁で戦った時もそうだったのだろうが、判断力に富んだ人だ。
本隊の右翼が崩れていく。だが、今半包囲状態なのだ。こちらが動くことはできない。リシャナははらはらしたように兄たちのいる本隊の方を見つめていた。
「姫様! 兄君が気になるのはわかりますが、集中してください! あなたが倒れると、総崩れになるのですよ!」
リニの叱責に、リシャナははっとした。すぐに自分の部隊の状況に耳を傾け、不足分を補っていく。リニは時折口を出すにとどめる。事前に予習したのもあるが、なかなか剛毅な指揮官だ。
主戦場たる場所から逃げ出してきた兵士であふれかえっている。これを完全に押しとどめるのは難しいが、要は集団としての力をなくせればいいのだ。連携が取れないように攻撃を加えていく。戦闘終了の鐘が響いたとき、周囲は倒れた人であふれていた。顔をこわばらせたリシャナの肩に手を置く。
「姫様、撤退します。陛下の部隊と合流しましょう」
「……わかった」
声は震えていなかった。初めての本格的な戦場だ。衝撃だっただろう。初陣だった王都の防衛線は、リシャナ達は城壁上に詰めていたため、実際の被害は少なかったはずだ。基本的に、城攻めは守る方が有利だ。最終的な被害報告を受けているはずだが、紙面上で見るのと実際に見るのでは違う。
さすがにいくらか損耗した部隊をまとめ上げ、撤退に入る。そのうち、撤退戦の指揮も学ばなければならないだろう。リシャナは、自分が攻め込むよりもこうした最小限の被害にとどめる作戦の方が得意そうだ。
撤退の流れについてもちゃんと覚えているようで、特に混乱なくリシャナは軍を引き上げさせ、ヘルブラントたちに合流した。今日はここで野営になる。天幕を張り、リシャナはユスティネとともに休むことになった。身分差はあれど、王女と伯爵家の娘だ。まとめてしまう方がよい。ついでに護衛にもなる。
夜、リニの不寝番の順番の際に、リシャナが起きてきた。ヘルブラントとの謁見も、その後の夕食をとった時も、寝る際も落ち着いて見えていたが、眠れなかったのかもしれない。初めての実際の戦場なのだ。仕方がない。ちらっと眼を向けると、天幕の入り口の布を少し開けてユスティネがこちらを覗いていた。小さくうなずかれたので、うなずき返す。
「姫様。どうなさいました」
声をかけると、近づいてきたリシャナはちょこんとリニの隣に座った。丸太を横に倒しただけの椅子だが、初めからリシャナは気にしなかった。藁の上で寝たこともあるし、と言うのが本人の弁だ。リニは何も言わないようにしているが、ロドルフに捕らわれたときの話か、王太后に虐待された話か判断に困るところだ。
「歌、が聞こえたから」
「ああ……葬送の歌ですよ。私の郷土に伝わる歌です」
「葬送……みんなをあちらに送る歌ね」
「そうですよ。郷土では竪琴を弾きながら歌うのですが、持ってこなかったので」
持ってきてもよかったのだが。リシャナが気になるのなら、次は持ってこようか。
「そうなんだ……今度聞きたい」
「仰せのままに」
小さなわがままに微笑む。リシャナは受け入れられて少し驚いたようにリニを見上げた。視線がさまよい、抱えた膝に落ちた。
「戦うと、あんなに人が死ぬんだね」
「そうですね。姫様の初陣は防衛戦でしたから、被害はそう大きくなかったでしょう?」
リニも後から報告を聞いただけだが、損害はかなり少なかったはずだ。加えて、リシャナは防衛戦が終了した後すぐに倒れている。結果は書類上でしか知らないだろう。
それが、今度はどうだ。大勢が亡くなり、かなりの被害が出た。王女たるリシャナを守って命を落としたものもいる。初めて見た本格的な戦場に、リシャナは堪え切れるのだろうか。それを測るために、ヘルブラントはリシャナを今回の戦場に投入したのだと思う。
「私、何もわかってなかった」
「今わかったのなら、よいのではありませんか」
慰めるというよりは、当然のことのようにリニが言うと、膝を抱えたリシャナはきゅっと眉根を寄せた。リニは言葉を続ける。
「姫様は選ばなければなりません。すべてを背負って前へ進むか、ここでやめるか」
彼女の出す答えはわかっている。だが、ここであえてリニは尋ねた。どうするのか、と。
「そんなの……決まってる」
以前の生活に、王太后の元へ戻りたくないのなら、戦うしかない。ロドルフは気位が高い。彼に一度土をつけたリシャナを、今となっては娶ろうと思わないだろう。状況が変わっているのだ。
「そんなの、決まってる。でも」
わっとリシャナは泣き出した。膝に顔を押し付けて、丸くなって泣いている彼女の背をなでた。押し殺すような声でしゃくりあげるリシャナに、リニは悲しくなる。彼女はこうやって泣いていたのだ。思いっきり泣きわめいてもいいのに。
リシャナが泣き疲れて眠るまで、リニはそうして彼女についていた。
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