【短編版】ところで、政略結婚のお相手の釣書が、私のこと嫌いなはずの『元』護衛騎士としか思えないのですが?
連載版はじめました。
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婚約打診の釣書には、お相手の名前が記入されていなかった。
そもそも、今の私が、この縁談を断るすべはない。
つまり、名前が書いてあってもなくても、同じということなのか……。
繰り返し何度も見てしまったその釣書。
でも、やっぱりおかしい。擦り切れるほど見たって、やっぱりおかしいのだ。
「どう考えても、おかしいと思わない?」
「ミラベルお嬢様……。しかし、恐れ多くも国王陛下の直筆サインが」
「だって、この釣書って、どう見ても」
露骨に目を逸らされたところを見ると、お給料が払えないにもかかわらず、没落したコースター辺境伯家に残ってくれた得難い執事であるセイグルも、私と同じ見解なのだろう。
身長は高く、青い目と淡い金の髪。
騎士として働いていて、剣の腕はマスター級。
子爵家の三男だが、その活躍が認められ、王太子殿下の近衛騎士に抜擢された。
どう考えても、この釣書の内容に当てはまる人を、私は一人しか知らない。
でも、私には選ぶ権利も余裕もない。
北極星の魔女が三年もの月日、暴れまわった領地は疲弊している。
その、活躍が認められたという騎士のおかげで、魔女は倒されて、領地には平和が戻った。
でも、コースター辺境伯領は今、着るものや食べるものにも困窮する領民で溢れかえっている。
それでも、長い歴史を誇る辺境伯家の婿になりたいという人間なら、たくさんいるはずだった。
ほかにきょうだいのいない私と結婚すれば、少なくとも辺境伯という名前を手に入れることが出来る。
お金がある貴族たちから、婚約の打診が山のように訪れてもおかしくない状況のはずだ。
「――――そこまで、魅力がないのかしら」
確かに、この国では珍しい、異国の特徴を宿した黒い髪と瞳をしている私。
けれど、辺境伯令嬢という肩書は、没落してもうま味はありそうなものなのに……。
「いっ、いいえ! ミラベルお嬢様は、誰よりもお美しいです」
「でも、結婚相手を探し始めてから、まったく婚約の打診がなかったわ」
ようやく私の手元に届いたのは、この釣書一枚。
しかも、国王陛下のサインがされた、正式な手順を踏んで送られてきたはずの釣書には、婚約者候補の名前が記入されていない。
「――――アルベール・リヒター」
私が呟いたのは、かつての護衛騎士の名前だ。
子爵家の三男でありながら、私の護衛騎士を務めてくれていたアルベール。
けれど、北極星の魔女がコースター辺境伯領を標的にしたとき、辺境伯領から離れ王立騎士団の所属になった。
あれから3年だ。
アルベール・リヒターは、その手腕と武功の数々、とくに北極星の魔女を打ち取った功績で、王太子殿下の近衛騎士に任命されたという。
近衛騎士として王太子殿下の覚えもめでたい彼は、王都で英雄だともてはやされて、叙勲と領地を賜る話も出ているという。
「大出世……。だから、もう関わることなんてないと思っていたのに」
ため息をついた私のことを、慈愛を込めた視線で見つめる執事のセイグル。
白髪交じりの髪と、こげ茶色の瞳。家族みたいな存在の彼が口を開く。
「僭越ながら、これ以上にない婚約相手と存じます」
「そうね……。辺境伯という名がふさわしいと思うわ」
「そういう意味ではないのです」
けれど、私がこの婚約に乗り気ではないのは、アルベール・リヒターが辺境伯家から離れてしまったからではない。結局のところ、彼の活躍でコースター辺境伯領は救われたのだ。感謝している。
でも、彼はとても冷たいのだ。
護衛騎士として、信頼していたし、剣の腕だって抜群だったアルベール・リヒター。
毎日繰り返されていた、会話とも言えない会話が、脳裏によぎる。
『アルベール、ご苦労様』
『は……』(氷のように冷たく射貫くような視線)
『アルベール、誕生日よね? いつもありがとう』
『……は?』(ごみでも眺めるように贈り物を見つめる視線)
――――嫌われている! 嫌われていたに違いない!
そんな彼としか思えない人物が書かれた、名前のない釣書。
これは、もしかすると、英雄ともてはやされる近衛騎士への嫌がらせのために、誰かが仕組んだのではなかろうか……。
「えっと、お断りのお返事を」
「不可能です。国王陛下直筆のサインがある以上、指定の日時に王城へ行かなければ、コースター辺境伯領に叛意があるとみなされます」
「――――わかったわ」
指定の日時まで、それほど猶予はない。移動時間を考えれば、今日にでも出発する必要がある。
――――こんな、ギリギリの日程。嫌がらせかしら?
ため息を一つつくと、辺境伯令嬢として最低限必要な役目のために残しておいたドレスを準備して、王都へ向かうのだった。
***
そしてたどり着いた、王城。
王城に入るまで、たくさんの人たちに出迎えられて、信じられないほどの歓迎ムードだ。
動揺を隠して優雅にほほ笑みながら、正門を守っていた騎士から案内を受けて、王城を進んでいく。
――――いくらなんでも、婚約くらいで仰々しくない?
そんなことを思いながら、指定された応接室に向かっていると、見知った姿かたちの騎士が、こちらに向かって駆けてきた。
「――――ミラベル!」
――――えっ、初めて名前呼ばれた?!
「っ、リヒター卿……。この度は」
「会いたかった」
「えっ?!」
「……相変わらず、美しいな。あなたは」
そのまま抱きしめられる。
あまりのことに、私の体は凍り付いたように動かなくなった。
――――あなた誰ですか?!
どう見ても、アルベール・リヒター本人の姿かたちをした麗しい騎士を前に、私はその言葉を辛うじて呑み込んだ。
***
通された部屋には、誰もいない。
優雅に見えるであろう所作で、精いっぱい動揺を隠して紅茶を口にする。
だめだ、手が震えている。
「リヒター卿……」
「アルベールと」
「えっ……」
「もう、アルベールとは呼んでいただけないのですか?」
シュンッと、子犬が耳を垂れた幻覚が見えた。
いや、本当にどなたです?
そこは、『は……?』あるいは、『は……』のどちらかの返答でしょう?
過酷すぎる戦場では、心を壊してしまう騎士が多いと聞く。
それとも、倒した時に北極星の魔女から呪いでも掛けられてしまったのだろうか。
「あ、アルベール……」
「は、はいっ」
でも、目の前のアルベールは、たしかにアルベールの姿かたちをしている。
魔力の質も、匂いも、確かにアルベールだ。
「そんなに、戦場は大変だったの?」
「え? ……そうですね。大変でしたが」
やっぱり! 可哀そうに、あんなに嫌いだった私を呼び寄せてしまうなんて、嫌いな人間に好意を寄せてしまう呪いに違いない!
「そもそも、俺は……」
「心配しないで! 私が絶対に治してあげるから!」
「――――え?」
「嫌いな女に婚約の申し込みをしてしまうなんて、魔女の呪いは、ひどすぎるわ!」
「は?」
その次の瞬間から、氷点下の雰囲気になったアルベールは、それからしばらく『……は』しか言わない騎士に戻ったのだった。
呪いではなかったらしく、私はほっと一息ついたのだった。
***
「ところで、アルベール。この釣書」
「は?」
冷たい目線。釣書を見せられたのが、そんなに気に入らなかったのだろうか。
「えっ、送っておいてそんな態度」
「――――あなたは」
「うん?」
「あなたは、こういう対応のほうがいいのでしょう? 言うに事欠いて、魔女の呪いなどと」
冷たい雰囲気のままのアルベールに、壁際まで追い込まれる。
ドンッとなるほど強く手をついたアルベールと壁の間に挟まれた。
「……だって、嫌いなはずの人間に釣書寄こすなんて。しかも名前すら書いてないし」
「名前なんて書いたら、ミラベルは来ないでしょう?」
「国王陛下の直筆サインが恐れ多くも書いてあるのに、無視するはずないでしょう?」
「――――俺の態度は、嫌われるようなものだったという自覚があります」
私は、思わず首を傾げた。
嫌われると分かっていてあの態度? やっぱり私のことが嫌いだったとしか思えないのに。
その時、胸元でマントを止めているブローチが目に入る。
……あれ? もしかして、これは、誕生日に、私があげたブローチ? まだ持っていたの?
「…………ミラベル。北極星の魔女が、子爵家に呪いをかけていたのは事実です」
「え?」
やっぱり、先ほどの態度は、呪いのせいだったのだ。
やはり事実だったことに、納得している自分と、ものすごく残念だと思っている自分がいる。
だって、目の前にいるアルベール・リヒターは、私の好みを凝縮したような姿かたちをしているのだ。
明るい日差しに透けるような金の髪。青い青い空のような大好きな色の瞳。整った鼻筋と薄い唇。
これで、もし先ほどのように対応されていたら、おそらく秒で恋に落ちたに違いない。
「呪いというか……。執着でしょうか」
「え?」
寂しそうに、アルベールが笑った。
「それさえなければ、ずっと俺はあなたのそばに」
「え、ええっ?」
それは、衝撃の事実だった。
北極星の魔女は、遠い昔、リヒター家の先祖と恋に落ち、そして裏切られ、魔女になった。
そして、先祖と同じ色合いの子どもが生まれる度に、その恋人を手にかけてきたのだという。
「え? だってそんな話……」
「あなたのことを、嫌っているそぶりをしたところで、魔女をだますなんて出来ませんでした」
「え?」
「あなたの愛する辺境伯領を巻き込んだのは、俺です」
衝撃の事実だった。
私のことを嫌いなアルベールは、辺境伯領が苦境に陥った時、見限って離れたのだと思っていた。
その割に、すぐに王立騎士団に所属して、コースター辺境伯領で戦い始めたから、赴任地の運がないなぁ。なんて思っていたのだけれど。
「――――はは。許せないですよね? あなたを愛してしまったせいで」
えぇ……。本当の話なんだろうか。
記憶を改ざんされているのでは。
だって、演技になんて見えなかったのに。
たくさんの思いが、濁流のように流れては消えていく。
でも、知っていた。
『は?』と『は』しか言わないくせに、いつも絶対、私のことを一番に優先してくれていたこと。
いつも、私のことを守っていてくれていたこと。
だから、あなたが私の前からいなくなった時、全部諦めたのに。
それなのに。
釣書には、名前がない。
そして、部屋にはまだ誰の名前も書いていない婚約誓約書が用意されている。
「ちなみに、北極星の魔女を討伐した褒賞として、あなたを望んだので、逃げられませんよ」
「えっ?」
やっぱり、無表情でそんなことを言ってのける、以前より格段に言葉数の多い私の元護衛騎士。
「――――えっと、恋人から?」
「そんなかわいいことを言って煽らないで下さい」
「……え?」
よくわからないのに、嫌われていなかった事実を知った私に生まれた感情は、うれしい、ただそれだけで……。
気がついたら、婚約誓約書には、私たち二人の名前が、仲良く並んでいた。
最後までご覧いただきありがとうございます。
『は?』の裏側の一途さを書きたくて、連載版を始めました。ぜひご覧ください。
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