第18話 後始末
突き刺したナイフの表面に血が流れ、俺の手を包み込む。
温かくどろりとした感覚。逆流しそうになる胃酸を気合いで抑え込み、ナイフを握る手に更に力を込める。
「嫌だ! 死にたくない!」
勇者はみっともなく体を動かして逃れようとする。
だがナイフは既に体の奥深くまで突き刺さっている。今引き抜いたところで出血多量で死ぬことは避けられないだろう。
「頼む! 助けてくれ!まだやり残したことがたくさんあるんだ! まだ殺したりない! 抱き足りない! もっと俺は偉くなって他の勇者を蹴落として女神を手にして王になって……ああまだやらなちゃいけないことがたくさんある!」
「……お前は自分のことばっかだな。仮にも勇者を名乗るなら自己犠牲の心を少しは持ったらどうだ?」
「うるさい! 俺は勇者なんだ! 俺は選ばれたんだ、他の凡人どもとは違うんだっ!!」
濁った目で勇者はわめき散らす。
こいつはもう勇者でも人間でもない、ただの怪物だ。きっと他の勇者たちもこういう風に育てられたんだろう。自分を特別だと錯覚させて、楽しんで魔族を殺す怪物に。
「俺は女神様のお気に入りなんだぞ! 俺を殺せばあのお方が黙っちゃいない!! お前みたいなカスが目をつけられたら一瞬で死ぬぞ!」
「上等だよ、目の前に来てくれるなら好都合だ。十分割された魂にお前の意識が残ってるかは知らないけど、女神に会えたら伝えとけ、『首を洗って待ってろ』ってな」
腕に魔力を集め、筋力を増強させる。
そして……一気に突き刺す。肉をかき分ける「ぞぶり」という音と共に俺の手は汚れる。
急速に失われていく血液と体温。そこにはもう人はいない。あるのは物言わなくなった肉袋だ。
「術式は……うん、ちゃんと発動してるみたいだ」
魂は目に見えない。
ちゃんと成功したかは分からないけど、こいつの体に残った術式は変更したままになってるので多分上手くいってるはずだ。
「お疲れ様です、若様」
勇者だったそれを調べていると、ムン姉さんが近づいてきて血を拭いてくれる。
「初めての殺し、見事でしたよ。気分はいかがですか?」
「ああ……最低だよ」
手に残る生々しい感触を反芻しながら、俺は笑みを作って返事をする。
精神を鈍化させる魔法を使って嫌悪感を消すことも出来る。だがそんなことしてたら勇者と同じだ。この感覚も背負って俺は戦わなくちゃいけない。
「さて、じゃあこの残りかすはどうします?」
「プラムス博士の所に送る。あの人なら俺がやったって口外しないだろ」
「確かにそうですね。新鮮な勇者の死体は手に入りにくいから喜びますよきっと」
プラムス博士は魔王城勤務の科学者だ。好んで狂気的な研究をするので、研究者たちからは煙たがれているけど、その腕は超一流。魔族領でも指折りだ。
俺はその腕に惚れ込み、博士の研究室によく通ってる。その内に仲良くなったのだ。
「博士の所に持っていく途中に見つからないようにしてくれよ」
「分かってますって、梱包は得意なんですよ♪」
一体普段は何を梱包してるんだ……とは聞けない。
今でさえ血の匂いで頭がくらくらしてるんだ。これ以上グロいのは御免だ。
しかし……ようやく終わったな。
今回は収穫がたくさんあった。勇者のこともたくさん知れたし、女神の魔法も使えるようにこそならなかったけど、その術式を見ることは出来た。丸パクリは無理だけど応用して新しい魔法は作れそうだ。
「まずはあいつの『絶対障壁』を『守護者』に応用するか。術式をバラしてあそこを組み直せば……」
思考の世界に入り込む。
それに集中していた俺は気づかなかった。
それが近づいて来ていることに。
「――――ここは、どこかしら?」
全身の毛が逆立ち、汗が噴き出す。
例えるなら心臓の表面をナイフの腹で撫でられているかのような感覚。それほどまでにその声は明確に俺に『死』のイメージを想起させた。
声の主は……勇者、だったもの。
声色こそさっきまで生きてたそいつだけど、そいつじゃない事はすぐに分かった。
そいつじゃない誰か、別の何か悍ましいものが勇者の死体に入ったんだ。
「――――――――っ!」
何かを叫びそうになるが、手で口を押さえてそれを止める。
駄目だ、こいつには声を聞かせることすら駄目だ。情報を与えちゃいけない、そう俺の勘が叫んでいた。
じゃあ殺すか?
肉体を焼けば流石にソレもいなくなるだろう。
だけどそうしたらソレの正体を知る機会すら無くなってしまう。
だったら……危険な橋を渡ってでも接触しなくてはいけない。
俺は瞬時に脳内でシミュレートする。今取れる最善の行動を。
「この部屋から出てください!」
まずは変声魔法で声を女性のものにしてムン姉さんにそう指示をする。
ここからは一つのミスも許されない。ムン姉さんを信用してないわけではないが、不確定要素は全て排除しなければいけない。
「…………!」
察してくれたのかムン姉さんは無言で頷き部屋を出る。
俺はその隙に勇者の死体に駆け寄り……その両目を人差し指と中指で潰した。
ぐちょり。という嫌な感覚と生暖かい感覚が脳にこびりつく。
こりゃトラウマになるな……。
「ふふ、目を潰すなんて酷いことをしますね。しかし賢明です、あと2秒もあれば感覚の接続も終わり、あなたを見ることが出来たでしょうから」
ソレは笑顔でそう語る。
俺は少しのヒントも与えないよう声色だけでなく話し方や言葉のアクセントも変えながらソレに話しかける。
「……まさか直接ここに乗り込んでくるとは思いませんでしたよ」
「おや、思ったより驚いてないご様子。もしかして私が誰だが分かってます?」
心底楽しそうな様子で、ソレは話す。
この性格の悪さ、汚さ、悍ましさ。答えは一つしかない。
まさかこんなに早く会えるとは思わなかった。
「わざわざこんな所まで来てくれるとは。歓迎致しますよ……女神様」
俺の言葉に、宿敵であるソレは満面の笑みで返事をした。




