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腐女子の私は異世界で何故だか百合百合しています  作者: 街田和馬
第1章「陰鬱」
9/20

第9話「決戦、コロフォン」

「ハルは絶対に、私が守るから」


 そう勇んで啖呵を切ったはいいものの、状況は依然として、良いとは決していえない。

 ハルの呼びかけに呼応したのか、私の身体に纏わりついていた気怠い重さは、霧が晴れていくように薄れた。しかし、完全になくなったわけではなく、未だに気を抜けばその場に倒れ込んでしまいそうだし、頭も石を乗せられているのではないかと思うぐらい重い。

 私が万全の状態ではない一方で、シュピネーは顔を真っ赤にして息を荒らげている。完全にブチギレモードに入っていらっしゃる。


「何で、全快になっているのよ。意味がわからないわ」


 愚問、全快になってなどいない。ただ、ハルに呼ばれて約束を思い出して、呪いに酔った負の感情を超える生きるための活力を得ただけだ。あのままハルを死なせていては、私はあまりにも後味が悪い死に方をすることになる。それは御免だった。


「あなたの秘術の再現が、不完全だったんじゃないの?」

「…………は?」


 あぁ、もう。なんでこのタイミングで挑発しちゃうかな、私。戦況ガン不利なのに、火に油注いでどうすんのよ。

 そういえば、なんかここに来てから私おかしくない? やけに好戦的だし、残虐非道な感じになってない? あんまりそういうキャラじゃないはずなんだけどな。

 原因があるとすれば、コロフォン一帯に巣食っているこの不快な空気感だろうか。こちらの神経を逆撫でしてくるようで、実にストレスフルだ。これも《陰鬱の魔王》の影響だとしたら、やはりシュピネーの実力には恐れ入る。魔王と呼ばれることに全く誇張表現がない。これほどの規模の特殊なフィールドを常時展開しているなんて、この世界の人間では、到底不可能な芸当ではないだろうか。……知らんけど。

 少し褒めたくなるほどの実力だが、今そんなことを言ったらまた煽りと捉えられてシュピネーの神経をさらに逆立ててしまい、私がさらに不利になってしまう。これ以上はーー


「まぁ、あなたも魔王って呼ばれるだけあってそれなりにはやるじゃない」

「は? 調子乗ってんの?」


 あーあ、言っちゃったよ。


「アリスさん、それは流石に煽りすぎでは?」


 いや、それな。


 抑える前に口から漏れる言葉は、この際仕方がない。手の打ちようがないのだから。

 だが、手を打たないといけない事案は目の前に生じている。

 私に侮辱された(と勘違いしている)シュピネーが顔を赤くし、美形の顔が台無しの鬼の形相を私に向けている。これは、本当にやり過ぎてしまったかもしれない。


「ブッ殺す」


 シンプルに暴言を吐かれた。もう、手の打ちようがなかった。

 ハルの方をちらっと見ると、私を蔑むような目で見つめながら溜め息を吐いている。完全に呆れられていた。

 私は、少しでもハルからの評価を元に戻すために、弁明をした。


「だ、大丈夫よ。今度こそ勝つから」

「本当ですか? さっきの魔法は解けたんですか?」


 さっきの魔法とは、シュピネーの『陰誘憂鬱』のことだ。シュピネーが再現した古代の秘術であり、食らった相手の精神を急速に鬱状態に持っていく、というものらしい。

 私は少し頬に掠っただけだったのだが、それでも死への願望が生まれるほどにまで追い込まれた。実のところ、まだ思考の端の方にその願望は残っている。だがーー


「ハルとの約束を思い出したから、ハルを守らなきゃって思っているから、大丈夫よ」

「でも、実のところ完全には回復してないんじゃないんですか?」

「う…………よくわかったわね」

「まだ額に汗が滲んでますから。普通の状態じゃないことはわかります」

「あ、本当だ」


 ハルに言われてはじめて気がついて腕で額を拭うと、確かに袖には水滴がついていた。しかも、それなりの量だ。一度拭っても少しずつ汗が出てくる。前髪も額に張り付いているのに、全然気が付かなかった。


「まったく。それにも気づかないなんて、やっぱり全快ではありませんね」

「そうみたいね」

「どうして今の状態までは戻ったんですか?」

「自分が生き続けないといけない理由、活力を見つけたからよ。でも、まだ少し足りないみたいね」

「なるほど、活力ですか。…………あっ、そういうことなら」


 ハルは私の言葉を聞いて少し考え込んだが、すぐに何か思い浮かんだのか、肩にかかったバッグを体の前に持ってきてその中を漁り始めた。しかし、あることに気づいて溜め息を吐いた。


「どうしたの?」

「アリスさんがお望みのもの、あるにはあるんですけど…………」

「あるけど……?」

「これが十分に効力を発揮するには少し時間が必要だと思うんです。だから、まずは頑張ってあの半分蜘蛛の方をどこかへやってください」


 そう言うハルの顔には、自信があった。つまり、時間を稼ぐことさえできれば、私はシュピネーに勝てるという確証があるのだろう。ならば、乗らない手はない。


「なにコソコソ話してんのよ。これ以上は待たない」

「いや、待ってくれてたの?」


 シュピネーは六本の足のうち一本で地面を何度も突き、不機嫌さを露わにしている。そんな状態でも仕掛けてこないとは、流石陰キャ。ある程度は空気を読んでいる。だが、中途半端な隠キャにはここらが限界だ。

 とはいえ、怒りで腹を煮えくりかえらせながらもここまで保ったのは、寧ろ賞賛に値する。


「ハル、私がそれを使えば絶対に勝てるって信じてるのよね?」


 一応、確認しておく。


「はい。間違いなく、勝てます」


 返事に一切迷いはなかった。


「じゃあ、ちょっと頑張ろうかなって気にはなったんだけど……」

「けど……?」

「ハルが上目遣いでおねだりするみたいに『頑張ってください』って言ってくれたら、もっと頑張れるかなぁ」

「……は、へっ?」


 私の要求を聞いた瞬間、ハルはボンっと顔を耳まで赤くした。口も引き攣っていながらふやけているような変な形に開いている。

 何か文句を言いたげだが、あまりに突然の衝撃に言葉も思い浮かばないようだ。


「え…………あの……え……えぇ……」


 ハルは壊れたオモチャのように狂ってしまった。戸惑いから動きが角ついてぎこちなくなっている。

 本当ならじっくり待ってハルの甘いお願いを堪能したいところだが、これ以上待つことができそうにない。目の前のシュピネーがいよいよ限界みたいだった。

 これ以上ハルを困らせるのはよくないから、私は惜しみながらもハルに告げた。


「ごめんごめん、冗談だよ。ハルの応援がなくても時間を作るくらいはできるから」


 そして私がシュピネーに飛びかかろうとした瞬間、私の袖がくいっと引かれた。「何だろう」と思って振り返ると、ハルが伏し目がちに私の袖を弱々しく摘んでいた。前髪が影になっていてはっきりとはわからないが、顔の赤みが増しているように見える。


「どうしたの?」


 私が訊くと、ハルは私の袖をぎゅっと掴み、少し俯いたまま視線だけをこちらを見るように上げて、か細い声で言った。


「あの…………が、頑張って、くださいっ」


 言葉が途切れながらも言い終えると、ハルは改めて恥ずかしくなったのか、完全に下を向いてしまった。その仕草と言葉に、心臓が跳ねた。


(え、何これ? ちょっと可愛過ぎない? あぁ、やばい。にやけが止まらん。あの恥ずかしがりながら言う感じが……あぁ、堪らん。何だろう、共感性羞恥っていうのかな、すっごい顔が熱い。すごい見ちゃいけないものを見た感じがする。その背徳感も絶品ね)


 私は口角の吊り上がったのを必死に戻しながら、優しくハルの手を袖から離した。ハルはゆっくりと視線を上げて、私が見下ろすのと視線が交わった。ハルの顔は真っ赤なままだ。

 それを見て完全にはにやけを抑えられそうになかった私は、シュピネーの方に向き直りながらハルに言った。


「ハル、時間稼ぎなんてもう必要ないわ」

「えっ?」


 私は左足を大きく引いて、深く踏み込んだ。そして、思いっきり大地を蹴る。


「私もう、全快だから!」

(ショタもいいけど、女の子も悪くないっ)


 私は、自分でも景色の流れに脳内での処理が追いつかないほどの速度で走っていた。こんな感じは、今までで初めてだった。風と一体になっているような感覚だ。


「なにッ?」


 一瞬で距離を詰められたシュピネーは、心頭に発していた怒りも忘れて、驚愕していた。その腹を狙って一発パンチをかました。シュピネーは凄まじい反射神経でもってそれを腕で受けた。


「……ぐっ」


 シュピネーの腕はビキキッと割れる音を立てた。私は構わず力を込め、腕を振り切った。

 シュピネーは後方に車輪痕を描きながら突き飛ばされた。その腕は、今の一瞬で青紫に変色しぐちゃぐちゃの凹凸だらけになっている。

 シュピネーは上半身が人間であるだけに、傷ついた腕がかなりグロテスクなことになっている。


 私は能力の出力を未だに五割しか引き出していない。それなのに、今の力は先程までの倍を優に超えている。

 なるほど、本当に恐ろしい能力だ。今出している力は過去最大だ。それなのに、まだこの能力の限界を私は微塵も感じていない。


「あんた、何なのよ?」

「……ん?」


 少し離れたところからシュピネーが怒鳴ってきた。しかし、その顔は怒りというより焦燥や恐怖というものを表していた。


「私の秘術が破られたっていうの?」

「そうだね。この魔法を完成させるのにどれくらいの時間と苦労がかかったのかはしらないけど、残念だったわね。私には生まれ持った才能があるもので」


 シュピネーは、私に現実を突きつけられて強く唇を噛んだ。魔王としてのプライドが、魔王となる前の血と汗の滲む努力が、水泡に帰したようなものだ。彼女にとって、敗北の次に屈辱的なことなのではないだろうか。私だったら自分の唯一無二の強みが破られたら、死にたくなる。

 目の前で打ちひしがれているシュピネーへの同情でいたたまれなくなって何となく上を見上げると、シュピネーの展開した檻の柱の集まっている部分が目に入った。


「そういえば、これも壊しておかないとね」


 私は思いっきり真上に飛び上がると、凄まじい速度での上昇による空気抵抗からくる強い圧力に抗いながら腕を突き上げ、檻の中心にアッパーを叩き込んだ。すると、檻の柱となっている太い糸の接合部が容易く砕け散り、檻が内側に向かって崩れ始めた。

 あれほど頑丈に作られていた檻も、所詮は粘着質が弱めの糸からできているため、少しでも欠損すれば崩壊はあっという間だった。私は地上に降りるとすぐにハルを横抱きにして檻の中から連れ出した。


 私が外に出て振り返ると、もう檻は跡形も無くなっていた。土煙を巻き上げながら、檻の残骸は無意味な糸の堆積として目の前に立ち塞がっていた。


「大丈夫? 怪我はない?」

「はい、大丈夫ですよ。アリスさんが守ってくれたので」

「それはよかった」


 私は、一安心して息をほっと吐いた。ただ、ハルは怪我はしていなかったが顔が土で汚れていたので、それを拭き取ってやった。そしてハルを地面に立たせようとした瞬間ーー


「おらあぁぁぁぁぁぁッ!」

「……よっ、ほっ、はっ」


 背後の土煙の中から、シュピネーが叫びながら飛び出してきた。シュピネーが突っ込んできながら繰り出した魔法の弾丸を、ハルを抱えたまま避けた。私の身体能力が上がっているおかげで、シュピネーの放った魔法がゆっくりに見えたため、避けるのが容易だった。


「ふーん。普通の魔法も使えるんだね」

「当然よ!」


 私に返事をしながら、シュピネーは接近とともに魔法を放ち続ける。それを私はまた難なく避けた。ハルを抱えながらであるため避け方は難しいが、魔法がゆっくりに見えているので考えるにも実行するにも余裕がある。

 早いところハルを下ろしたいところだが、この攻撃の最中では出来ない。まあ、今の私はシュピネー相手なら足だけでも余裕だと思う。


「もらうわよっ、その首」


 シュピネーが鬼気迫る表情で私の首元に手を伸ばした。しかし、彼女はそれに夢中で魔法を放つことを止めてしまった。余りにも真っ直ぐすぎる殺意だった。一切の歪みがない、目標の首だけを一心に刈り取らんとする、純粋な殺意。人間臭くて魔王には相応しくないーーそんな殺意だった。


「それじゃダメよ、魔王サマ」


 私はシュピネーの注意を引くように、ゆっくりと右足を振り上げた。膝をピンと伸ばして爪先を天へと向け、静止させた。

 シュピネーは踵落としの予備動作だと気付いて、私に突撃する勢いを殺して一歩下がった。

 しかし、それは私の狙い通りだった。私は最初からシュピネーに直撃させるつもりはない。

 天空に向けて伸ばされた右足を、私は思いっきり振り下ろし、踵を地面に叩きつけた。初めに私を中心に周囲の大地が大きく上下に痙攣した。それから、私の正面に向かって放射状に大地に亀裂が入り、大量の土煙を巻き上げながら大地が崩壊した。


「くっ、小癪な」


 土煙の向こう側で、シュピネーが唸っているのが聞こえた。

 それを意に介さず、私はハルを抱き上げて後方に走った。


「ここは危ないから、少し離れたところまで私が連れて行くわね」

「でも、アリスさんが守ってくれるんじゃないんですか?」


 轟音の猛る中、ハルは風と砂煙を嫌って目を瞑ったまま訊いてきた。


「そうだよ。でも、こうしないと私がハルを殺しちゃうから」

「……えっ?」

「次の一撃で決着をつけるわ」

「わかりました」


 土煙が晴れ始めたところで、私はハルを下ろした。開けた場所だが、建物の中だと崩落して圧死する可能性があり逆に危ない。

 何の障害物もない開けた場所だが、魔法の使えるハルならある程度の事態は自分で対処出来るだろう。それに、もしも何か大きな危険が及べば今度こそ私が助けに行く。


「じゃ、行ってくる」

「はい。派手にやってきてください」

「任せなさい」


 ハルの応援を背中に受けそれに応えてから、私は先程戦っていた場所に蜻蛉返りした。土煙が殆ど収まって、私とシュピネーは互いの姿を視認できるようになった。

 私が真正面から向かってくるのを見て、シュピネーはこちらに尻を向けてそこから糸を絡めた魔法の弾丸を乱射し始めた。

 攻撃の数を重視して狙いを定めることを怠っているのか、射撃の方向は規則性がなく弾道の予測は全くできなかった。しかし、私はそれら全てを見切って避けながら、シュピネーとの距離を詰めていく。

 下手な鉄砲数打ちゃ当たるなんて言うが、それは的が無機物か或いは戦闘能力が低い生物である場合だ。私には、絶対当たらないのだ。

 何十発と放っている弾丸が一発たりとも当たらないため、シュピネーの表情に焦りが浮かび始めた。最初は楽しそうにしていたのに徐々に必死になっている。

 相手との距離が詰まれば詰まるほど、射撃は当たりやすくなる。それなのに、シュピネーは私に擦り傷すらも付けられていない。シュピネーには、私自身とともに、私と実力で雲泥の差があるという事実が迫っていた。

 しかし、それを受け入れようが受け入れまいが私に対して成す術はなく、あっという間に私とシュピネーの間には腕一本分の空白のみになった。


「もらった」

「ちくしょう……」


 シュピネーは絶望に打ち拉がれた。魔法の弾丸は既に発射されていない。体中から力が抜け、無抵抗で隙だらけのサンドバックと化してしまった。

 私は、その首筋に手を伸ばした。しかしその瞬間ーー


「なーんてね」


 シュピネーが顔を上げた。相手を自分の思い通りに動かしたと思っているような、そんな時のお手本のようなしたり顔だった。

 見ると、シュピネーの胴体のラインが一瞬だけ妖しく光った。


「まずいっ」

「私の秘術はね、大きさ次第で溜めの時間を変えられるのよ。この状況なら、どんなに小さくても当たるわよね」

「くっ」


 そして、私が思考する間もなくあの陰気の塊の秘術が放たれーー


「なーんてね」

「…………え?」


 私はシュピネーの手を掴み、地面を蹴り体を宙に投げ出し、シュピネーの頭上で倒立した。シュピネーは私に手を繋がれながら万歳の姿勢になり、ほんの一瞬前まで私の胴体があった場所をクールタイムの長い秘術が通過していった。


「嘘でしょ?」

「最初から何してくるかわかっていれば、対処も余裕よね。予想通りすぎて拍子抜けよ。まぁ、あんたの演技もなかなかだったわよ」


 私は、ずっと掴んでいるシュピネーの手を支えとして、停止していた回転を再び開始した。シュピネーは腕がまっすぐ伸びたまま肩が後ろに回って、「うぐっ」と呻き声を上げた。

 私は頭から爪先まで真っ直ぐだった姿勢を少し変えた。視界にやや曇った空を捉えながら、右足を振り上げた。そしてちょうど一回転してシュピネーと背中合わせになる直前、私は振り上げていた足を思いっきり振り下ろした。


「が……はっ」


 渾身の踵蹴りがシュピネーの背中に炸裂し、シュピネーは空気を吐いた。私は地に降り、シュピネーは地から足が離れた。シュピネーの体が飛んでいきそうになったが、私が手を離さなかったのでそれは叶わなかった。

 そのせいで今度はシュピネーの体が私と同じ向きに遠心を開始した。体が地面と水平になったタイミングでシュピネーの手を離し、一瞬でシュピネーの横に移動し、シュピネーの腹に右肘を打ち下ろした。


「ごえっ」


 シュピネーは強く地面に打ち付けられ、地面に減り込みながらえずいた。音がしなかったので骨は折れていないだろうが、内臓はぐちゃぐちゃにしてしまったかもしれない。


「さて、いよいよ反撃の手段はなくて狩られる側に回った気分はどうかしら?」

「……うっ、げぇ」

「あら、苦しすぎて何も言えないかしら。可哀想にね。……でもね、私がこんなに冷酷になっているのはあなたがここら一帯に撒き散らしている変な空気の所為でもあるのよ。つまり自業自得ってやつ」


 私は地面に体を埋めたまま苦しんでいるシュピネーを、腰に手を当てて見下ろしながら罵った。

 私を失意の淵に立たせ、私より先にハルを殺そうとして、私の琴線に触れたシュピネーを、本当は時間をかけてじわじわと苦しめたいところだ。しかし、能力の都合とハルに啖呵を切った手前、そうはできない。それ故に、こうやって罵詈雑言を浴びせることで鬱憤を晴らしているのだ。


「何か言い返してみなさいよ。力でも言葉でも一方的にボコボコにされて、悔しいでしょ?」

「う…………つぅ」

「ふぅん、もういいや」


 この状態のシュピネーをこれ以上虐めても、私は微塵も満足できないなと思った。私は、右拳を固めてシュピネーの頭に狙いを定めた。最後の一撃を放つ直前に、一度ピタッと腕を止めた。


「後悔はないわね?」

「………………」

「少しは抵抗しなさいよ。諦めが早いのよ。自分の実力が足りないと思ったらすぐに諦めて、限界を越えようとしない。だから…………だからアンタはーー」


 私はシュピネーと話す度に募っていく鬱憤を、全て込めた一撃を、振り下ろした。


「“陰鬱”って呼ばれるのよ」


 最後まで抵抗することなく、シュピネーは目を閉じた。私の全力を込めた拳がシュピネーの顔面に吸い込まれていく。

 頭蓋骨を圧迫し、頭頂のあたりで歪みに耐えられなくなった頭蓋骨が弾け、全体に瓦解が広がった。頭蓋骨どころか頭部全体が押し潰され、眼球が飛び出して視神経が剥き出しになり、スイカ割りで力加減を間違えた時のように外側がバラバラになり、内側の液体や捩れ曲がった脳みそが爆散した。

 私の拳は瞬く間に頭部を貫通し、視神経の絶たれた眼球や歯茎ごと抉れた歯が衝撃波に吹き飛ばされた。飛び散った鮮血と脳みそが腕や顔に付着したかと思うと、一瞬のうちに風で拭き取られていく。

 そして拳は地面に到達した。バキバキッと割れ目が入る音がして間もなく、広範囲にわたって広がるように亀裂が駆け抜けて捲れ上がった。亀裂から細かく砕けた地中の岩石が吹き出し、その圧力に押されるように地面が捲れ上がっていく。

 シュピネーの胴体が少し上がっているのに気づいた私は、危険を察知して拳をシュピネーの頭の残骸から引き抜き、高く跳び上がってその場を離脱した。

 その直後、上がっていたシュピネーの胴体を左右の半身に断裂させながら岩石が吹き出してきた。赤と白の微粒子が妖しいオーラを纏いながら天高く登って、ここより遥か南の方角に去っていった。

 周囲を見渡すと、大地の亀裂及び岩石の噴出は私たちが戦っていた場所から目測で半径百メートル以上に及び、尚も広がり続けている。

 私がハルを下ろしたところにも、迫っていた。


「ハルッ!」


 私は跳躍が頂点に達し落ち始めたところで、空気に対して後方に思いっきり蹴りを放ち、その反動でハルの元へ向かった。舞い上がる砂塵から、目を腕で覆うことで守った。腕にチクチクと痛みが走るが、耐え切って砂塵を抜けると、すぐに着地した。


「アリスさん、なんてことをしてるんですか?」

「いいから、跳ぶよ!」

「……へ? ひゃっ」


 地割れは目前まで迫っている。ハルが不平をぶつけてくるのを無視して、私はハルを今日何度目かもわからないが抱き上げ、すぐにコロフォンの入り口に向かって跳び上がった。


「ふぅ、助かりました」

「いや、流石に私も焦ったわ。……あらら、大変なことに」


 窮地を脱したことに安堵したが、一応安全確認のために後ろを振り向くと、ハルのいた位置を少し超えたところで地割れは止まっていた。しかし、コロフォンの中心部はもう退廃どころのものではなかった。粉々になった大地が沈下して大きな窪みが出来始めていた。

 私は一人の魔王を討伐することと引き換えに貴重な都の跡地を一部とはいえ消し去ってしまったということだ。

 何か考古学の研究に使えたのかもと思うと貴重な史料を失くしてしまったことを申し訳なく思ってしまう。


「まぁ、私たちにとってはどうでもいいですよね? お金さえ手に入ればいいんですから」

「お金が入るのはハルにだけでしょ。私がこの利を得られるのは到底先なのよ」

「そんなこと言わないでください。大金を貰って独り占めするほど、私は腐ってないですよ」

「ハル…………なんていい娘なの。……一緒に下着買いに行きましょうね」

「まだ言ってるんですか? ……もう、わかりました。落ち着いたら行きましょう」

「ええ」


 そんなことを話している内に、私たちはコロフォンの入り口に着地した。

 それから、置いてきていた、多くの荷物を詰め込んだリュックサックを回収した。

 天気は清々しいほどの晴れで、雲一つない。照りつける太陽の光が、私の中の陰気な残滓を焼き焦がしていく。吹く風がその灰をあの赤白の粉のように吹き飛ばしていく。

 力は有り余っている。


「まだ動き足りないんだけど、スミルナまで跳んでいい?」


 訊くと、ハルは微笑んだ。


「いいですよ。私も早く休みたいです」

「わかった」


 私は荷物を背負うために少し離していたハルを再び抱き上げた。今体に残っている力を全て脚に集中させて、大地を蹴った。

 かつてないほどの高速で跳んでいくのは、顔に当たる風が痛かった。目が開けていられなかった。途中で鳥か何かに当たったら只事では済まないほどだ。でも、悪い気はしなかった。これは、私が目標に向かって跳んだ最初のステップだ。

 これから、もっと辛い戦いが待っているだろう。でも、その度に私は腕の中にいるこの女の子に助けられるのだ。そして私も、この女の子を守ろうとするのだ。たとえその子が、予想以上の高速飛行に怒って胸をぽこぽこ殴ってくる女の子だとしても。



  ○◉○◉○



「やっと倒したのね」


 町を絶え間なく取り囲んでいた蜘蛛型の魔物たちが、一斉に塵になっていく。衛兵たちは、長く続いた緊張が解けてその場に座り込んでいた。一方の私は、ふぅと一息吐いてから右腕を横一文字に払った。

 すると、町の塀をなぞっていた障壁が消えていった。

 あれから、蜘蛛型の侵攻は一日中止むことはなかった。私が寝てさえいなければ魔法は解けないので、町に被害が及ぶことは全くなかったが。


「ふわぁ……ねっむ」


 パートンみたいに徹夜が得意ではない私にとって、この戦いはある意味辛かった。

 私の膨大な魔力をもってすれば、理論上はこの魔法が解けることはない。しかし、睡眠が取れないという意味で、大きな疲労に苦しむ戦いだった。


「こちらに兵力を割きすぎたのも、敗因の一つなんじゃないかなぁ、ルリI“陰鬱”」


 私は、遠い地でチリとなってしまった魔王の一片を憐れみながら、ある一人の魔王に対しては憎悪を抱いていた。


「あと八体ね。その先に待っているのは地獄よ、ユリネ」



  ○◉○◉○



 あっという間にスミルナに戻ってきた私は、高速飛行で不機嫌になって口を利かなくなったハルを引っ張って宿をとり、一泊した。

 その日は一言も応えてくれず、ダブルベットで私に背を向けながらハルは眠りについた。


 翌朝ーー


「おはよう、ハル」

「…………おはようございます」


 随分と低い声だが、一度寝て不機嫌が少し治ったのか私に挨拶を返してくれた。


「ご飯、食べに行こっか」

「……はい」


 軽く身支度を済ませて、お互いに鞄に入るくらいの荷物を入れてから部屋を出た。

 この宿は二階建てで、各階十部屋がある。加えて一階には食堂や浴場があるのだ。

 食堂に行くために階段を降りると、何か顔色の良くないハルは私をラウンジに引っ張っていって、いくつかあるソファのひとつに座らせた。


「どうしたの?」

「……すみません。ちょっと気分が悪いので、お手洗いに行ってきます」


 お腹を押さえながらそう言うハルの手には、白い柔らかそうな布地の何かが握られている。


「もしかして?」

「……ご察しの通りです。大方予想通りのタイミングですね。しばらくはこの町にいることになりそうです」

「そう……。大丈夫なの?」

「二日後ぐらいには大丈夫になってるといいのですが。……とりあえず、これを読んでいてください」


 そう言ってハルが鞄の中から取り出して渡してきたのは、BL本だった。


「これは、もしかして」

「アリスさんが出発前に母から貰っていた本です。本当はあの戦闘中に渡したかったのですが」

「あ、ありがとう」


 個人的には嬉しいが、この状況で喜んでもいいのだろうか。ハルはかなり苦しそうだ。


「そういうことなので。…………うっ。ちょ、まって、てくださいね。すぐ、もどり……うっ、ますから」

「う、うん」


 本格的にやばそうなハルが腹だけでなくとうとう口元も押さえながらよろよろと歩き始めた。

 私はやはり付き添おうと思って立ち上がった。その瞬間だったーー


「ーー百合音?」


「ーーえっ?」


 この世界ではリアさん以外知らないはずのその名前で呼ばれた時、私は思考が停止した。


「その声、やっぱり百合音じゃん」


 バッと振り返ると、そこにいたのは私の戦闘時の服装と色違いのいかにも魔法使いという装いに身を包んだ少女だ。しかし、その黄色の瞳と茶色のショートヘア、そしてその顔立ちがとても懐かしかった。私はゆっくりと立ち上がって、彼女に問いかけた。


「ーー美樹?」


「お、久しぶりだから忘れちゃったかと思ったよ。そう、美樹だよ。ひっさしぶりー」


 私が状況に思考がついて来られず立ち尽くしていると、袖がぐいっと引っ張られた。

 見ると、トイレに行ったはずの青褪めた顔とジト目のハルがいた。


「誰ですか、その女」

「ーーヒェッ」


 その台詞だけで、冴え渡るように自分の置かれた状況が理解できた。



 これは修羅場というやつだ。


遅れてしまってすみません。忙しかったということにさせてください。


とはいえ、これで第1章は完結です。やっとキリの良いところまで来られました。

これからのことなのですが、受験の本格化に伴いやはり両立は難しくなってきました。なので、新しい話の投稿は来年の3月末までお休みさせていただきます。

ただこの作品、後半に走ったこともあって不完全極まりありません。よって、受験の傍ら本作品のブラッシュアップを行うことにします。大幅な質の向上を約束いたしますので、是非お暇がありましたらたまに覗いてみてください。何か変わっているかもしれません。なお、Twitterでブラッシュアップの度に告知は致しますので、是非フォローをよろしくお願いします。


謝辞です。

この度、本作品の総PV数が800を突破いたしました。ここまでお付き合いしていただけた方も、今日初めて見たという方も、本当にありがとうございます。これからも、頑張っていきます。

是非、まだの方はブックマーク登録と評価ポイントの付与もよろしくお願いします。


それでは、また会う日まで。街田和馬でした。



〈追記〉

 ほんっとうに、お待たせしました!

 ついにブラッシュアップが終了しました!

 次にもう一話短編を投稿したのち、第二章の開幕といたします!

 総PV数は1350を突破! ブラッシュアップだけで4ヶ月余りかかりましたが、ようやく新しい文章をお見せすることができます!

 これからも街田和馬を、どうかよろしくお願いします!!

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