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腐女子の私は異世界で何故だか百合百合しています  作者: 街田和馬
第1章「陰鬱」
4/20

第4話「歓迎会、そしてショタ?」

 その日の夜、部屋で寛いでいた私はハルに呼ばれてリビングへと向かった。

 私物に一切占領されていない開放的な床があまりにも心地よかったので、私は気付かぬうちに仰向けで大の字になったまま寝落ちしてしまっていた。

 瞼を持ち上げても視界は薄暗いままで、カーテンのない無防備な窓から差していた陽光は、いつしか身を潜めていた。

 ちなみに、目を覚ました時も大の字という元生徒会長の面影どころか女らしさの一切ない怠けた姿勢は保たれていたので、その直後に私を呼びに来たハルに見られてしまった。


(恥ずかしいとこ、見せちゃったな)


 少しむず痒い感じがするが、悪い気はしなかった。


 元の世界で、周囲の女子たちが私を見る目は、輝いていた。文武両道、眉目秀麗、痩身痩躯+双房良凸(なお、巨凸ではない)の私に、学校中の女子が憧れを抱いていた。

 時には、街中でスカウトに声を掛けられることもあり、学校外の人から見ても、私は相当美麗だったようだ。

 努力の結果得た美貌と実力なので、勿論それを評価してもらえるのはとても嬉しい。だが同時に、それは多くの人に見られていて、私に求められているのは完璧さや穢れなき美しさであるということの証明でもある。

 私はそれに、窮屈さも覚えていた。


 だから、ハルみたいに私のことを輝きを失った目で見てくれる人がいることで、私は肩の荷が降りたような気がした。

 私は別に、好んでそういう視線を送って欲しいという類の人ではない。ちょっと、安心するっていうだけだから。……って、何の否定材料にもなっていないか。


 私がリビングに到着すると、色彩豊かな料理で鮮やかに映えた食卓を囲んで、三人が座っていた。

 一人はリアさん、一人はハル、そしてもう一人は知らない男の子だ。その男の子は、椅子に座っていると爪先がようやく床につくくらい背が低く、顔も全体的に幼い。魅力的なのは、桜のような桃色で絶対に真っ直ぐにならなそうなくるくるの癖っ毛と、大きな翡翠色の瞳だ。おそらく、ハルと同い年か年下だ。弟かな。

 その男の子とリアさんが向かい合って座っていて、リアさんより手前のハルの席の向かいは空いている。ここに座れということだろう。

 私がその席に着くと、リアさんが口を開いた。


「じゃあ、この家の新しい住人を歓迎して、宴会を行いたいと思いまーす」

「やったー」

「いえーい」


 リアさんの宣言に対してハルと男の子が棒読みで答えた。ハルは仕方なしという感じで気怠げで、男の子はぼーっとして心ここに在らずという感じだった。


「じゃあ、パートン。彼女に自己紹介をして」

「わかったー。初めましてーハルの兄で、パートンといいまーす。妹と違って落ち着きがあると、町の人から、よーく言われます。よろしくねー」

「私はアリス。今日からここでお世話になるの。魔王を全員倒すまでの関係だけど、よろしくね。………………って、兄ッ⁈」

「いやー、すごい時間差だったねー。僕を兄だと聞いてー、驚かないなんて価値観のズレた人だなーと思ったけど、鈍いだけだったようで安心したよー」


 自分がハルの弟だと思われて、安心するとはどういうことだろうか。


「兄って言ったけど、パートン君って何歳なの?」

「んー、それ言わなきゃダメ?」

「パートン君が嫌じゃないなら教えて欲しいんだけど」


 私は私なんかに遠慮してほしくなかったのでそう言ったのだが、パートン君は余計困った顔をした。


「僕はいいんだけどねー。これを言って、混乱するのはー、多分アリスさんの方だよー。本当に言ってもいいのー?」

「大丈夫。混乱することなんてないから、教えてもらえる?」


 パートン君の忠告を気にしないで私が遠慮せず訊くと、これまで渋っていたのが嘘のようにあっさりと答えた。


「うん。僕はねー、二十一歳だよ」

「そっか、二十一歳かぁ。…………歳上ッ⁈」


 私はそれを聞いた瞬間、頭を抱えて両肘をガタンと強烈に机にぶつけた。

 まさか、こんなに可愛くて純粋無垢な少年にしか見えない人が、歳上だなんて。しかも、成人してる。

 普通の人なら、到底受け入れられなかった。でも私は、腐女子である。今まで数多見てきた作品の中で、見た目の幼い男性の登場するモノも少なくなかった。

 そんな私にとってはこの衝撃的事実は寧ろーー


「ほらねー、言わない方がよかったでしょ? 僕は年下扱いされるの慣れてるからいいんだけど、アリスさんは困っちゃうよねー」

「………………フフッ」

「……アリスさん?」


 私が不敵な笑みを漏らしたのを見て、パートンは訝しむように私の名を呼んだ。そういう年不相応ところがまた…………あぁ、堪らない。


「ーーアリス」

「どうしたの? いきなり自分の名前なんか呟いて」

「私のこと、アリスって呼び捨てにしなさい!」

「わー、すごいテンションの上がり下がりだねー。どういう心変わりー?」


 長年の付き合いである美樹にすら未だに引かれるレベルの私の突発的興奮状態を前にして、パートンは引くというより困惑していた。


「歳上のショターーかつて一度も出会ったことのない矛盾の存在。そして多分、この世界でしか味わえない奇跡体験。…………ふふふ、いいわ。最高よ! これからよろしくね、パートン」

「…………よろしくねー。あ、アリス」


 パートンは戸惑いながらも、私の頼んだ通りに私のことを呼び捨てにしてくれた。

 ただでさえ昂っていたのに、見た目声言動態度のいずれもがまさにショタである男に戸惑わせながらも呼び捨てを強要する背徳感、加えてそのショタっぽい人が実は歳上であることで、私の興奮は絶頂の成層圏を突破した。


「はぁ……はぁ……ふふふ、堪らないわ」

「僕はアリスが怖いよー」


 パートンは平坦な口調のまま、ただただ気持ち悪い笑みの私に戦慄するのだった。

 一方、蚊帳の外となっている二人はーー



 ○◉○◉○



 アリスの真向かいに座っているハルだが、アリスがパートンと話し始めてからずっと、アリスと出会って以来最大級の侮蔑の視線を彼女に送りながら、黙りを決め込んでいた。

 だが、いい加減耐えられなくなったのか、隣を向いてリアに話しかけた。


「やっぱり、この人危ないよ。何でこんな人受け入れちゃったの?」

「…………わかるわぁ」

「やっぱりそうでしょ? 今からでも遅くないから出て行ってもらおうよ。うん、それがいいよ」

「そうよね。こんな可愛い少年が歳上なんて、そのギャップが堪らないわよね。私はパートンがお兄ちゃんのハルが羨ましいわ」

「ーーーーは?」

「私がアリスさんの立場でも、ああなるのは必然ね」

「……うそ。そんな……母さんまで。わたし、どうしたらいいの?」


 ハルは生まれて以来見たことのない、まるでアリスのような自らの母の卑しい態度に絶望していた。

 この瞬間、ハルがリアを見る目が大きく変わったことは言うまでもない。もう、元のようには見られないほどの傷を負ったのだ。

 しかし、パートンに夢中のアリスと、アリスに共感するリアが、ハルの絶望で今にも泣きそうになっていることに気付くことは、最後の最後までなかったのだった。



  ○◉○◉○



 その一時間後、私の歓迎会は無事終わった。

 パートンはかなり賢くて、性癖以外の部分では意気投合し、ショタめいていることを抜きにしても大いに気に入った。

 パートンの方も、私が性癖以外の部分はまともな人間だと理解してくれたらしく、私と親しく話してくれる。残念ながら性癖だけは理解してくれなかったものの、私のその部分を毛嫌いすることもなくて、私はパートンとはまるで付き合いの長い友達のように一切の遠慮なく話すことができた。

 食事会の間、パートンは私にこの町ーーエヘソスが所在している国の地理や歴史を詳細に教えてくれた。

 どうやらこの町を辺境に置くこの国は、フルスというらしい。この世界に存在する三つの大陸ーーそのうち西部のユーシア大陸のさらに北西部に存在するらしい。他の大陸についても、その主要都市や有名スポット、名産品を教えてくれたが、長くなるのでそこは割愛。

 パートン自身、彼の話を私ほど熱心に聞いてくれる人が今までにいなかったらしく、話している最中は大きく表情は変わらないもののどことなく楽しそうだった。

 それこそ、パートンが歳上であることを忘れてしまうほどに。

 一方のハルは、私に対する当たりがますます強くなった。やはり、純粋無垢なハルには私の言っていることがパートン以上に理解不能なようで、段々と私に対する拒絶の意思が強まっているのがひしひしと伝わった。

 このままではハルに教育を施すという私の野望が絶望的なものとなってしまうので、これからはハルがいる場で、気づかれない程度に自然に会話にそういう話を紛れ込ませる方法を考えておかねばならないなと思った。


 いつかきっと、ハルを一人前の大人にさせられるように……。



 さて、そんな歓迎会後の夜十時頃。早寝早起きを徹底している成長期のハルは寝静まり、パートンは上に尖ったくの字形の屋根の天辺に座って星空を見上げている。

 今夜の空には雲ひとつなく、半端に沈んで地平線から牙が生えているように見える三日月の明かりは弱く、元の世界とは違って人工的な灯りも殆どないので、きっと等級の低い星々までも明瞭に見えている筈だ。

 この家の住人が各々の夜を過ごしている中、私は昼に与えられたばかりで私物の殆どない自室の机の左側に蝋燭を灯し、反対側には百科事典の如き重厚感のある書物を五冊重ね、目の前には紙とガラスペンを置いた。

 そして、机の上から放たれるザ・勉強という威圧感を前に椅子に座っている私の隣にはリアさんが立っている。


「じゃあ、この世界で使われている文字を教えていくわよ。かなり速めで教えるから、頑張ってついてきてちょうだい」

「はい。……ところでこのペンの材質、珍しいですね。ガラス……でしょうか?」

「そうよ。実は、家にペンが無かったことにさっき気づいて、急いで作ったのよ」

「へぇ、そうなんですね。…………作った?」

「ええ、魔法でね。でも、そんなに驚くことではないわ。意外と簡単なのよ。アリスさんも今度、作ってみる?」

「え、遠慮しときます。どうやら私、魔法が使えないみたいなので」

「あら、そう。魔法が使えない…………そんなことがあり得るのね。それなら仕方ないわね」


 私が断るとリアさんが少し残念そうな顔をしたので、私は申し訳なくなった。

 ただ、魔法が使えないというのは言い訳ではなく、私は本当に魔法が使えないのだ。……理由はわからない。




「ねぇ、ハル」

「な、何ですか?」

「ちょっと、教えて欲しいことが……」

「あ、それ以上近づかないでください」

「ごめんって。何もしないから。ただ、私は魔法を教えて欲しくて」

「魔法を……?」


 私がハルにそのように頼んだのは、歓迎会が終わった少し後だ。

 家事無能のリアさんと終日何かしらの研究に没頭しているパートンに代わって、この家の家事全般を担当しているハルは、歓迎会の後始末に追われていた。……とは言っても、特別な飾り付けもない簡素な歓迎会の後始末とは、ただいつもより量の多い皿洗いだけだったが。

 私は、それが終わるのを待って、ハルに魔法のご教授を願い出た。

 やはり、せっかく魔法のある世界に来たのだから、水や火を生み出したり宙に浮いたりなんてちっぽけなものでもいいから、魔法の一つや二つ使ってみたいのだ。


「何で私なんですか? 母さんに頼んだ方がいいと思いますけど」

「いやー、それはそうなんだけどね。これ以上リアさんに何か頼み事をするのが申し訳なくて」

「……はぁ。私に対しては容赦なく変なことをしたのに、妙なところで気を遣うんですね」

「いやー、ごめんっ」


 手を合わせてはいるものの、真剣さがちっとも感じられない私の謝り方を見て、ハルは呆れていた。

 

「全然謝罪の意思が汲み取れないんですけど。まぁ、いいです。私はまだ一学生ですから、それほど上手く魔法が使えるわけではないです。それでも、私でいいですか?」

「もちろん。ハルに教えて欲しいです。使えるようになるなら、どんな魔法でも構わないから。どうか、お願いします」


 私は、ダメ押しの全力土下座をした。ちなみに、この土下座には今までの数々のセクハラと、リアさんの許可が出たことによりこれからもしばらくそれをし続けなければいけないことの謝罪の意も含まれている。

 私があまりにも激しく、肉が削がれんばかりに額を床に擦り付けるので、ハルは焦って言った。


「わ、わかった。わかりましたから! 教えますから! …………でも、食器を片付けるまで待ってください」

「ありがとうございます神様仏様ハル様」

「何を言っているんですか?」




 私はリビングに戻ってハルが食器を片付け終わるのをゆったりと待っていようと思ったのだが、ハルが「すぐ終わるのでそこで待っていてください」と言ったので、私はハルをじっと見ながら待っていた。

 息がかかるほどの距離まで近づいて、神のお告げっぽい(ただし中身はスカスカの)言葉を耳元で囁いたり、ハルの匂いを堪能したりしようかと企てたが、気色悪い以前に単純に邪魔になるのでやめておいた。

 ハルは私のために急いで片付けてくれているのか、完遂するまで私の視線に気付くことはなかった。「終わりましたよ」と言いながらこちらを振り返って初めて私の視線に気づいて、いつも通りのジト目になった。


(家事全般をやったり、学校で自分も授業を受けながら先生である母親を手伝ったり、他人のことを慮って行動できたり……そういうところが本当、ポイント高いんだよね)


 そんなことを思いながら、ハルとは対照的に私は彼女を優しい目で見返した。

 ハルが私の意中を察することがある筈なく、違和感を首を傾げて表し、それから首を横に振った。


「まぁ、いいです。それじゃあ、簡単な魔法を教えますよ」

「お願いします」

「まずは、この前に立ってください」


 言われて私は、指示をしながら退いたハルの元いた水道の前に立った。


「まずは手から水を出してみましょう。ここなら、多少制御を誤っても大丈夫でしょう」

「あのー、それならお風呂場の方がよかったんじゃない?」


 私は正論を言ったつもりだったのだが、ハルは首を大きく横に振った。


「今、兄さんがお風呂に入っているのでそれはダメです。裸の兄さんを前にしたら、アリスさんは何をしでかすかわかりませんから」

「そんな。別に、何もしないけど」

「確証がないのでダメです」


 ここまで言われてしまっては仕方ない。というか、これに関しては、出会って一日目にして既にこのように疑われるようになっている私が悪い。仕方ないなんて言える立場に私はいないのである。

 私はパートンの水滴で艶やかになった肢体を拝むのは諦めることにした。しかし、ハルがパートンのことを兄さんと呼んだことに気づいて、私は少しいいなと思った。

 いや、だって良くない? “お兄ちゃん”じゃなくて“兄さん”だよ? なんかそっちの方が、私は悶えるんだけどな。


「今の指示のどこに顔を赤らめる要素があるんですか?」

「あ、ごめんなさい」


 兄さん呼びに興奮していたのが無意識に表情に出てしまっていたようで、それをハルに指摘された。

 魔法を教えてもらうというのに、こんな邪念塗れではハルに失礼だ。

 私は、スンッと心を無にして賢者モードに移行した。落ち着いてきたら、心を開放して意識をハルの言葉に向けた。


「まあいいです。まず、前に手を出してください」


 どちらの手を出せばいいのかわからないので、取り敢えず両方出しておく。


「いや、それは少し不恰好じゃないですか? 片方でいいですよ」


 どうやら、片手でよかったらしい。左手を引っ込める。蛇口に向かってお手をしている姿勢だ。……屈辱だ。魔王を討伐すると豪語している者が、異世界で蛇口に屈する事になるとは。この雪辱はいつか果たさねばならぬ。


「そして、手のひらを下に向けてください」


 手のひらを下に向ける。


「次に、その手のひらに体中に流れているエネルギーを集めるように力を入れてください」

「……ん、ぐぐぐ」


 随分と漠然とした感覚的な指示なので、ハルが想像していたように出来るかはわからないが、取り敢えずそれっぽく力を入れる。


「ある程度集まったら、そのエネルギーに水のイメージを付けて、解き放ってください」

「そいや!」


 ーー私は頑張った。しかし、私の手のひらからは水どころかエネルギーも出てこなかった。


「ダメですか。大抵の子供はこの教え方で魔法が使えるようになるんですけどね」

 おそらく、この世界に最初からいる人と比べて、魔法の存在する世界にいる期間が少なすぎたのだ。なんせ、私は今日この世界に来たばかりだ。

 だから、自分の中を流れるエネルギーすらも掴めない。


「体の中にあるエネルギーっていうものが掴めたらなぁ」

「え、わからないんですか? 体内に意識を集中させたら、何か流れているのを感じませんか?」

「いや、血の流れしかわからないけど。まさか、これがエネルギーだとか?」

「……え? いや、そんなまさか…………」


 ハルは、私の返答に激しく困惑していた。同時に何かを考えているようで、顎に手を当てながらキッチンを歩き回り始めた。

 しかし、しばらくするとハッと顔を上げて動きを止めた。


「もしかしてーー」

「どうしたの? 何か思い当たる節が?」


 私が訊くと、ハルはこちらに両掌を向けた。


「ちょ、ちょっと待っててくださいね」


 そう言い残してハルは部屋を走り出た。廊下のドタドタというけたたましい音が遠ざかり、ガチャガチャという音が離れた場所からしばらく続くと、再び足音が近づいてきて、扉が開かれた。


「こ、これを……取ってきました」

「ーーえ? ハル……それは?」


 なんとハルは、この世界で拝むことはないと思っていたスカウターと思しきものを左目につけていたのだ。


「これは、これを通して見た相手の魔力量を測る魔道具です。兄さんが少し前に開発したものなんですけど、国軍クラスの魔導師なら魔法で魔力量を測ることができるし、一般人への需要が見込まれなくて、工場で商品として量産されなかったんです。がっかりした兄さんが寂しそうに階段下の物置に放り込んだオリジナルを、今取ってきました」

「へぇー、パートンってすごいね」

「はい。兄さんは何でもできますから」


 会話をしながらも、スカウターの液晶上の環状の光は私の全身を舐め回しながらピピピと鳴っている。……と思ったら、すぐにピーと長い音が鳴った。


「はやっ、もう計測終わりましたね」

「それで、結果は?」


 私が訊くと、ハルはスカウターを外しながら、その事実を何事もなかったかのように淡々と発した。


「やっぱりアリスさんには、魔力が一切ありません。これじゃ、いくら頑張っても魔法は使えませんね。諦めてください」

「嘘……でしょ……?」


 私は、膝から崩れ落ち、手を前についた。


「せっかく魔法が使えるようになったと思ったのに……こんなのないでしょ」

「この歳にもなって、まだそんな希望を抱いていたんですね。知ってますよね? 魔法って生まれ持った素質で全てが決まるんですよ。まぁ、なんというか…………残念でしたね」

「うわぁぁぁぁぁあああ」


 ハルの慰めているのか哀れんでいるのかわからない言葉で、私の悲しみは限界を迎えた。

 情けない嗚咽が、涙が溢れて、止まらない。目の前が滲んで何も見えない。前方でハルが右往左往している気配がする。


「あぁ、どうしよう。泣かせちゃった。ごめんなさい、軽い言い方してしまって。ショックでしたよね? 反省しますから、泣き止んでくださいよ」


 こうして、年下に泣かされる(元)女子高生と、年上の女性がみっともなく泣く姿を目の当たりにして狼狽する女子というカオスが生み出されたのだった。




「まずはフルス語ね。これはこの世界の西側で使われる言語よ。そして、この五つが基本となる母音よ」

「はい」


 そして今、私はリアさんからこの世界の言語を教わっている。明日からの先生代理のためでもあるが、殆どはこの世界でこれから生きていくため。

 魔王がこの近辺にいるとは限らない。国を跨ぐような遠く離れた場所にいるのかもしれない。どちらにせよ旅をする必要があり、必然的に言語を扱えなければならないということになる。

 能力発動のためにおそらくハルを連れていくことになるのだが、逐一文字を読んでもらうわけにはいかない。自分で読めるようになるのだ。

 教わっている途中でわかったのだが、この世界の言語は英語と文法が似ている。だが日本語の音に対するローマ字と同じような運用だ。

 一つの音に子音と母音の文字がつく。聞くだけなら単純で覚えやすそうだが、この言語には面倒な点があって、それは「にゃ」や「ちゃ」などのひらがなにした時に小さい文字がつく音だ。

 ローマ字ではnyという二文字を使って子音を表すが、この言語ではこのnyのうちyの役割を果たすためだけの別の文字がある。つまり、覚える子音の文字が多いのだ。元の世界の価値観から見ると、違和感しかない。

 ちなみに、この世界で使われる言語は主に三つで、西部のフルス語、北東部のメリ語、南東部のブルジ語だ。その他に、この世界では殆どの少数民族においても言語が確認されていないそうだ。ただ一つ、中央部の列島諸国を除いて。


「ざっと、こんな感じね」

「ありがとうございます。助かりました」


 私は、リアさんからこの三言語を一時間余りという短時間で教わった。かなりのハイペースだったが、リアさんの教え方が上手いのか、或いはこの世界の言語がさほど難しくないのか、少し話を聞いただけで大方記憶した。


「でも、本当に覚えたの?」

「大丈夫です。八割は覚えたので、後は実際に本を読んでみて、わからない箇所だけこのメモを見れば、完璧に覚えられると思います」

「本当にすごいわね」

「まぁ、そうですね」


 リアさんはあっという間に異世界の言語を習熟しそうな私に感嘆し褒めてくれた。日本人ならここで「そんなことないですよ」と謙遜する方が感じがいいのだろうが、ここは世界が違うから許されると思って、素直に肯定しておいた。


「ず、随分と自信があるのね」

「あ、いえ、そんなことはないですよ。ちょっと調子乗っただけです。すみません」

「別にいいけどね。でも、初対面の人にそんな態度取っちゃだめよ」

「そうですね。気をつけます」


 くそっ、そんなところまで日本に似てなくていいわっ。


「ふわぁ」


 リアさんが大きく欠伸をした。時刻はもう午後十一時を回っている。元の世界では徹夜が当然だった私にとってはまだまだ余興の時間帯だが、リアさんはそろそろ限界のようだ。


「じゃあ、私はもう寝るわね」

「はい。遅くまで付き合っていただき、ありがとうございました」


 私が軽く頭を下げると、リアさんは微笑みながらひらひらと手を振った。


「いいのいいの。代理とはいえ、先生の管理も校長としての仕事だからね。明日から、よろしくね」

「はい。よろしくお願いします。おやすみなさい」

「はーい、おやすみ」


 そして、リアさんは私の部屋から出て行った。

 一人残された私の前にあるのは、何冊か積まれた分厚い本だ。一番上の本のタイトルが、今なら読める。『明日は我が身よ、近親相姦』…………なんてものを持ってきやがったあの人。

 ま、まぁ、内容は置いといて、慣れない言語だから、普段より時間がかかってしまうだろう。

 だが、それでも夜明けまでには読み切れる自信があった。途中で違うナニかが捗り出したら、話が変わってくるが。でも、まさかそんな男子みたいなことはあるまい。


「よしっ、頑張るかー」


 私は、件の本を手に取って、そして硬くて大きい表紙を繰った。



  ○◉○◉○



 それから、どれほどの時間が経っただろうか。私は、ノンストップで本を読み続けていたのだが、三冊目の半ばで疲れを感じ始めていた。


「本を読むの自体が久しぶりとはいえ……やっぱ、慣れない言語だと読むの疲れるなぁ」


 元の世界では散々BL小説ばかりを読んでいたから、二冊目以降の普通の本を読んでいても自動的に脳内の映像がBLに向かっていった。その度に軌道修正するのが最も疲れた。

 少し休憩を取ろうと思って、夜風を浴びるために窓を開け体を乗り出すと、上から声がかけられた。


「あれー、アリスじゃん。まだ起きてたんだねー」

「パートンこそ。まだ、星を見ていたのね」

「こんな晴れた夜は滅多にないからねー。星の流れを、星が見えなくなるまで見ておかないとー」

「ふふふ。いいわね、そういうの」


 私は、パートンのその星空観察に対する姿勢に、自分の好きなアニメを絶対にリアルタイムで見たいという心理と近しいものを感じた。

 どうやら、彼も一人前のヲタクだったらしい。

 自分の好きな星を見るためだけに、朝まで起きると、パートンは言っている。好きなことのために徹夜をできるのなら、それが何であれヲタクだと十分に言えると私は考えている。

 私は、この世界にもそういう存在がいるのだと嬉しくなって、窓の桟に足をかけて屋根の上に登り、パートンの隣に腰掛けた。


「本当に綺麗な星空ね」

「うん、最上級だよー。でも、残念だねー。初めて見た星空がこれで、これ以上綺麗な星空はーそうそう見られないからねー」

「確かに。でも、パートンと初めて見た星空がこれって、なんか良くない? 星たちも私を歓迎してくれてるみたい」

「それもそうだねー」


 もう時刻は遅い。でも、もし美樹が起きているのだったら、違う場所で同じ星空を見ていたら、そ寂しいけどロマンチックでもあるなと思う。

 その後、私たちは特に会話を交わすことなく、黙々と星空を見ていた。星空のあまりの美しさに私は全く飽きを感じず、さっきまで小説を読んでいて、少しばかり休憩するつもりで上ってきたことなんてすっかり忘れてしまっていた。

 ふと隣を見ると、パートンは何やら紙に熱心に図を書いている。星空を見上げては何かをぶつぶつと呟き、紙に書いてまた星空を見上げるということを繰り返している。


「何を書いているの?」

「天図だよー。星の位置と動きの統計を集めているんだー」

「なんだか、楽しそうね」


 パートンはこちらに少し口元の緩んだ顔を向けて、平常より僅かに明るい声で言った。


「うん、楽しいよー。アリスもー、今度やってみる?」

「そうだね。そのうち」

「その時は、やり方教えてあげるねー」

「うん。楽しみにしてる」


 パートンは再び天図作成に勤しみ始めた。私はその姿を見つめていた。

 しかし、しばらくすると、パートンが首を傾げた。


「あれっ? 今まであんな星はなかったようなー」

「どの星?」

「アリスならこの言い方でわかるかな? 僕の正面から西に二十三度、上に六十三度のところ」

「えーと、あの赤い星?」

「そうそう。さっきまであの位置に星はなかったはずなんだけど」


 怪しげに思った私も、しばらくその星を観察していると、それはだんだんと大きくなってきた。やがて、月ほどのサイズになると、何かごうごうという音が聞こえ始めた。

 刹那、私は嫌な予感がして、反射的にパートンの頭を抱えて伏せた。


「わっ」


 パートンが驚く声が聞こえた。次の瞬間ーー


 ヒュン……ドォォォォォン!



 私たちの頭の上で何かが空を切り、後方で轟音が響いた。家が激しく縦に揺れ、私は揺れが治るまでパートンを抱いて伏せていた。

 やがて、揺れが治ると私はパートンを離した。


「大丈夫? 苦しくなかった?」

「大丈夫だよー。今のは?」

「わからない。…………けど、多分」


 私は、推測が当たっていないことを祈りながら、後方をゆっくりと見下ろした。

 するとそこにはーー


「やっぱり。またこいつか」


 墜落時に発生した深いクレーターのその中心に、昼に戦ったのと同じタイプの蜘蛛型の魔物がいた。

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