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腐女子の私は異世界で何故だか百合百合しています  作者: 街田和馬
第1章「陰鬱」
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第二話「理不尽の連鎖」

お待たせしました。

色々忙しくて、こんなに遅くなってしまい申し訳ありません。

「あなた方には、魔王を倒して世界を救ってもらいます」


「……ん?」


「あなた方には、魔王を倒して世界を救ってもらいます」


「……いや、違う違う。聞こえなかったわけじゃなくて、急に言われても意味がわからないんだけど?」


 前触れのない突然の指示に私が心底からの疑問を口にすると、女はそれこそ意味がわからないという風に、首を傾げた。


「言葉のままの意味ですが?」

「え? そのままって、本当に私たちが異世界に行くってことなの?」

「はい、そうだとさっきから言っているのですが?」


 私が困惑しながら全然喋らない美樹の方を見ると、美樹も同様に、或いは私以上に困惑していた。

 瞳は止めどなく揺れ動き、爪先や手指の先まで小刻みに震え、小さく開かれた口は閉じられないようだ。


「どうしよっか、帰してもらう?」

「………………うん」


 美樹は、普段の陽気さはどこへやら、掠れ切ってか細くなった声とともに、小さく頷いた。いつものようなポジティブで投げやりな答えは返ってこなかった。

 私はこくりと頷き、女の方に向き直った。


「あのー、私たちを元の場所に帰してもらえませんか?」

「それは無理です」

「それは……どうして?」

「どうしてと言われても、規約に書いてあったじゃないですか。メールを読まれていないのですか?」

「メールって…………あれのことか」


 女が言っている規約とは、おそらくあの何度読んでも理解できなかったメールの文面のことだ。

 ここに来る前は、一切の誇張なく寸分も理解できなかった。しかし今思い返してみると、その内容は不自然なほどに鮮明に容易に理解できた。

 確かにあの文面には、「異世界に行って魔王を倒してもらう」ということと「一度この依頼を受諾すると、一生元の世界には戻れない」ということが書いてあった。

 何故、あの時は理解できなかったのか。


 今度は、メール自体ではなくてメールを読んでいた時の私たちのことを思い返してみる。あの時、目から字を知覚はしているのに、その内容は、視覚して視神経を通じて脳に到達する間に情報が霧がかかるように曖昧で希薄にされていく感じで、全く理解できなかった。


「まさか、あのメールに魔法的な仕掛けを掛けていたの?」

「左様でございます」


 女は、私の推測を躊躇なく間髪入れず肯定した。魔法の存在があちらの世界でバレたら常識が百八十度覆され、世界中が大騒ぎになることは間違いない。そのリスクを考えないほど、間抜けな存在にこの女は見えない。

 絶対に私たちを帰さないつもりだ。


 美樹の方を見ると、色を抜かれて蒼白になった顔で女を見たまま硬直していた。

 その様子を見て、私は後悔に唇を強く噛んだ。

 私が深く考えることなく安易に承諾したから、美樹を不可逆的な異世界召喚に巻き込んでしまった。……いや、或いは私たちの精神を惑わし、承諾を促すような催眠作用のある魔法もかけられていたのかもしれない。それならば、承諾したこと自体は仕方ない。

 しかし、どちらにせよ、私が偶々今日美樹を部屋に招いたせいで、美樹が巻き込まれる羽目になってしまった。

 私は、絶望に支配された美樹を抱き寄せて、背中を摩りながら、謝った。


「ごめんね。私が軽率だったせいで、美樹を巻き込んじゃった。本当にごめん」

「…………」


 美樹は思考が纏っていないのか、涙を流すこともなくただただ震えるばかりで、しばらく私の言葉に応えられずにいた。

 しかし、五分ほどそのまま摩っていると、美樹はようやく落ち着いたのか、私の胸に顔を埋めたままゆっくりと口を開いた。


「……い、いよ。百合音が、気にすること……じゃない、から」

「……本当にごめんね」


 私は美樹の背中を摩りながら、気を遣ってくれたのかこの五分間静観を貫いていた女を睨むように見上げた。


「待たせてしまってごめんなさい。でも、こちらの覚悟は決まった。そろそろ、詳しい説明をしてくれる?」

「はい、お待ちしておりました。では、説明を開始いたします」


 女は軽く会釈して背後の空間を撫でた。すると、女の背後、白いようで黒い複雑怪奇な空中に突然にギャップが生じ、そこから這い出してくるように水色のプレゼンの画面のようなものが浮かび上がった。

 その直後、女はそれまでの感情を一片も感じさせない無表情を一変させて、不機嫌そうに眉間に皺を寄せ、片眉を吊り上げた。


「まったく、本当に人間はこれだから面倒臭い。抗えない決定事項にも取り返しのつかない過去の失敗にもウジウジしすぎなのよ。本当に、腹が立ってしょうがない。よくも、この私を長い時間待たせてくれたわね。魔法にかけられていたとはいえ、承諾したのは間違いなくあんた達で、その選択の責任もあんた達にあるんだから、さっさと覚悟決めて元の世界のことは諦めなさいよ」


「……は?」

「……え?」


 説明が始まるのかと思ったら、女は私たちに対して機関銃の如く文句を口にした。あまりの豹変ぶりに私は唖然としてしまい、美樹ですら、私の胸に顔を埋めたまま声を上げた。


「あぁ、そうだ。そろそろ自己紹介した方がいいわよね? 私の名前はクピト。あんた達がいた世界から人間を連れてきて、破滅の危機に瀕している他の世界に転送する女神よ。私から呼んでおいてなんだけど、一応本人確認ということで自己紹介をしなさい。……あ、嘘をついても私が持ってる嘘発見器でバレるから」


 そう言ってクピトは、何かの装置を持った左手をひらひらさせた。一見テレビのリモコンのように見えるそれは、毫も嘘発見器に見えなかった。

 私がその装置の性能を疑い、訝しげな視線をそれに向けていると、クピトがその装置をこちらに突き出してきた。

 そして、真ん中の赤いスイッチを押した。

 直後、私は左手の人差し指に何か締め付けられるような窮屈さを感じた。見ると、私のそこには知らぬ間に白銀の指輪がついていた。


「これは何?」

「このリモコン……じゃなくて嘘発見器と対になる器具よ。嘘が検知されるとその指輪から高圧電流が流れるわ」

「マジで?」

「マジよ。じゃあ、早く自己紹介をしなさい」

「わかった。私って実は、男なの」


 私はちょっと魔が刺して、照れながらそう言ってみた。

 するとーー


 バチチチチチチッ!


「イタタタタタタタッ! やめてぇっ、やめてっ…………おい、はよ止めろや」

「悪いけど、手動で止めることはできないの。三十秒だけだから我慢しなさい」

「嘘でしょ? これ結構キツいんだけど? いたたたたた」

「自業自得よ。私が嘘発見器だってわざわざ教えてやってるのに何で嘘つくのよ。馬鹿なの? ……まあ、今のでわかったと思うけど、嘘ついたら高圧電流が長時間流れるから、あまり嘘をつくのはお勧めしないわ。……あんた達がドMなら話は別だけど。お隣のあんたもわかったわよね?」


 私が電流のせいで体を丸めている隣で、美樹がブンブンと首を縦に振った。

 その後電流から解放されるも疲弊しきった私は、よろよろと立ち上がって、先程のクピトの発言に異議を唱えた。


「いや、別にMではないわ。……じゃあ、今度こそ本当に自己紹介するわ。私は有栖川百合音。元の世界では有名なお嬢様学校で生徒会長をやっていた、腐女子よ」


 私が誇らしげに自己紹介をすると、クピトは私と嘘発見器を何度も交互に見て、「えっ……えっ……え?」と声を漏らしていた。たまに、嘘発見器を叩いてもいる。


「……何、どうしたの?」

「…………あれ、電流は?」

「いや、今のどこに私が嘘ついてる要素があったのよ」

「いや、だって……え、腐女子?」

「そうよ。家に何千冊もBL本あったんだけど? それを私はさっき、一気に失ったんだけど?」

「いや、それはだから自己責任であって。…………そう、腐女子なのね」


 私が、一切遠慮も羞恥もすることなくその事実を伝えると、クピトはショックを受けたのかすっかりしゅんとなってしまった。

 腐女子と実際に会うのが初めてだと、人はこうなってしまうのだろうか。いや、クピトは女神だけど。

 私は、どうにかして慰めなければとクピトに声をかけようとしたが、その瞬間、クピトは俯いたまま嘘発見器を美樹に向け、そしてスイッチを押した。直後、美樹の指にも私と同様の指輪が生成された。


「ーーあなたもっ、自己紹介をっ、お願いしますっ!」

「あ、はい」


 相当私と話したくないようで、クピトは敬語を使ってまで美樹に早急な自己紹介を促した。落ち着いてきた美樹は、突然の振りに戸惑いながらも自己紹介を開始した。


「榎本美樹です。百合音と同じ学校に通っている一般生徒です。百合音と一緒にここに来ましたけど、一応私は腐女子じゃないので、そこのところはご安心していただければぁッ⁈」


 美樹の言葉が最後乱れたのは、クピトが美樹の腰に猪突猛進に飛びついたからだ。クピトは涙を流し、鼻をズビズビ鳴らしながら、声を震わせた。


「ううう、あなたまでヤバい人だったらどうしようって思っちゃった。よかったよぉ。あいつ一人だったら、私も異世界も大変なことになってたよぉ」

「おい、いま“あいつ”っつったか?」

「まぁまぁ、落ち着きなよ百合音。これが普通の反応なんだよ。……よしよし、怖かったですね」


 私が手を出しそうになるのを、美樹は宥めた。クピトは美樹の胸に顔を擦り付けながら、頭を撫でてもらっている。

 こいつ、本当に女神なのか? さっきの高慢な態度といい、今の幼稚さといい、とても女神とは思えない。こんな奴に半ば騙されてBLを失ったなんて、思いたくもない。


 しばらく待っていると、クピトは充分に美樹の癒し成分を摂取したのか、美樹の胸から顔を離して、赤く腫らした目をこちらに向けて話し始めた。


「し、失礼……取り乱したわ。とりあえず、今からあんた達にこれからのことを説明するわ」

「頼むよ」

「ひ、ひぃっ」

「……もうっ、私の何があんたをそんなにさせるのよ」

「ひゃっ、はっ、はい。す、すみませんっ!」

「…………本当になんなの?」


 クピトは、私が返事するとまた涙目になって怯えてしまった。ほんの少し前まで威張った態度を取っていたのに、今では私に対しては蛇を前にした鼠のようだ。一方で、美樹に対しては姉に甘やかされる妹のようだ。

 私、怯えられるような事をした覚えないのになぁ。


 クピトは一度咳払いをすると、元の調子を取り戻して説明を開始した。


「これからあんた達には、異世界に行き全部で十いる魔王を倒して、その世界に平和を取り戻してもらうわ。世界観の説明も本当はした方がいいのだけれど、あんた達の場合は私が下手に言葉で伝えるとかえってイメージと実際の異世界が乖離してしまうだろうから、遠慮しておくわ」


 ーーそれ、説明が面倒なだけでは?


「とりあえず異世界に着いたらギルドに行って冒険者になってもらうわ。冒険者にはランクがあるのだけど、それによってできる仕事の難易度が決まっていて、最初から難しい依頼はこなせないから、まずは地道に下積みをしていきなさい。各魔王率いる魔王軍の討伐に参加できるようになったら、そこからが本番よ。お金は冒険者になるときに貰えるし、依頼をこなせば手に入るわ。宿はギルドに頼めば、格安の初心冒険者用のものを紹介してくれるから、それをお勧めするわ。食事もその宿で出るから、特別自分で何かを仕入れる必要はない。淡々と依頼をこなしていけば生活も安定するから、安心していいわよ。概要の説明はこんなところね」


 クピトは重要そうな説明を、色々省いているのではないかと思われるぐらいさらっと終わらせた。

 でも、基本的には私たちのよく知ってる異世界ファンタジーと同様で、細かいところは勝手に脳内で補う事で殆ど理解できた。

 とりあえず、しばらくは初心冒険者として地味な仕事をすればいいのだ。


「RPGを進める感じでいいのよね?」

「あっ、はい。そ、それでいいです」

「…………はぁ」


 私が質問すると、またクピトは萎縮した。しかし、ちゃんと答えてくれるだけまだマシだと、不満は最低限に抑えた。


「魔王を倒して世界に平和を取り戻すって言ってたけど、その後は元の世界に戻れるの?」


 今度は美樹が質問すると、クピトは申し訳なさそうな顔をして答えた。


「ごめんなさい。本当に申し訳ないのだけれど、それはできないわ。こちらから地球に飛ばすことはできるけど、どの世界線の地球に飛ばすかまでは指定できないの。だから、異世界でそのまままったり生活してもらうことになると思うわ。本当に、ごめんなさい」

「いやいや、気にしないで。元はと言えば、メールをちゃんと見なかった私たちに……自分の尋常じゃない好奇心を疑わなかった私たちに、半分くらい非があるわ」

「本当に、ごめんなさい」


 大きく頭を下げながら謝ったクピトに本心から謝罪しているのだなと私は感じた。おそらく彼女にとっても、私達を含めた人間を不可逆的に異世界に招くことは不本意なのだろう。

 ただ、女神である以上、異世界を救うために私たちのように誰かを、いくつもある世界線から呼ばなければならないのだ。

 その罪悪感に押し潰されないように、彼女は虚勢を張っていたのだ。それならば素直に謝ればいいものを、やはり女神という立場とそのプライドが邪魔をしたのだろう。

 でも私は、クピトが申し訳ないと思っているならば、彼女が責め立てられる謂れはないと思う。きっと、美樹もそうだ。クピトはただ自分に課せられた仕事をこなしているだけだ。それなのに、毎回のようにこんなに辛い気持ちを味わっている。私だったら、ものの数回で心が折れて退職している。クピトもそうしたいと思っているだろうが、職業柄簡単には辞めさせてもらえないだろう。

 私たちは偶々貧乏籤を引いただけだ。私たちが選ばれなくても、別に他の誰かが選ばれていた。最早これは、運命と呼ぶほかないのかもしれない。

 ならば、せめて私たちだけでも、彼女を慰めてあげよう。


「さっきは強く言ってごめんなさい。あんた、随分と大変な仕事やってるのね。尊敬するわ」

「……いえ、そんなことは」

「私の言葉は、素直に受け取りなさい。こんなこと言われる機会、そんなにないでしょ?」

「はい。それはもう……何十年も」

「そんな長い期間……私だったら正気を失っているわ。本当にすごいわよ、あんた」

「私もそう思う。本当に辛いなら辞めて欲しいけど、それは無理なんでしょ? だったら、こんな言葉じゃ何の救いにもならないかもしれないけど、心に響いたならしっかり胸に刻みつけな。ーーがんばった、クピトはすごい!」


 美樹がたった二言伝えた直後、クピトは涙をぽろぽろと零した。そしてその場に膝から崩れ落ちた。


「ううっ」

「ちょ、ちょっと? 何泣いてんのよ」

「だっでえ゛、びままで、ごんなごど、いわれただごど、ながっだがら゛」


 泣きながら喋っているせいで大変聞きにくい声を上げながら、クピトは歩み寄ってきて側で中腰になった美樹に寄りかかり、美樹もその頭を優しく抱きしめた。


「よしよし、今までよく耐えた。えらいえらい」

「ゔん…………ゔんっ!」

「いや、もうあんたのキャラが分からん」


 私は、再び泣き続けるクピトとそれを慰める美樹を何とも言えない心持ちで傍観しながら、クピトが泣き止むのを待った。



  ○◉○◉○



「もう落ち着いたわ。改めて、本当にごめんなさい」


 目の下を赤く腫らしたままながらも、元の調子を大体取り戻したクピトは、頭を深く下げて再び謝罪した。

 私はすぐに顔を上げるように言った。あんな姿を見せられた直後に長く頭を下げさせるなんて、流石に私の良心が痛む。


「もう、戻れないことに関しては諦めがついたわ。でも、異世界で魔王を倒すってことは当然、何か能力がもらえるのよね?」


 問うと、クピトは顔を上げて「もちろん」と返事をした。


「女神には、異世界に招いた人に対して特殊能力を与える権能が与えられているの。そしてその権能も、女神ごとに違うわ。私の権能は『真名覚醒』ーー名前の要素から能力を決定するものなのよ」

「名前から、能力を……?」


 私がよく分かっていないような顔をすると、クピトは少し料簡してから自信なさげに説明した。


「例えば、海人という人がいたとすると、その人には水を操る力が与えられる可能性がある、という感じね。これで……わかる……?」

「なるほどね。大丈夫、完全に理解した」

「それなら、よかったわ。ちなみに、その能力も能力の元になる名前の部分も私が指定することはできないから、変な能力がついても私に文句を言わないで」

「……思ったより、不便だね」

「……ごめんなさい、力不足で」

「あっ、いや、そんなつもりじゃなくて」


 意外にも、文句を口にしたのは美樹の方だった。唯一の(?)味方である美樹にもネガティブな評価をされて、クピトのメンタルはボロボロだ。


 ーーボドッ


「ーーッ⁈」


 背後で何かものが落ちた気がして振り返ったが、床には何も落ちていないし、天井を見ても落ちるようなものもない。気のせいだったようだ。

 話を戻すと、確かに手に入る特殊能力が不確定なのは大きな不安要素ではあるし、不満を漏らしたくもなる。最初で階段を踏み外せば、後が難しくなるかもしれない。


「じゃ、じゃあ気を取り直して今から能力をつけるけど、どっちから行く?」

「じゃあ、私から。……いいよね、百合音?」

「もちろん。いい能力、もらいなよ?」

「もちろん。よろしくね、クピト」

「心得た。じゃあ、行くわよ」


 美樹がクピトの方に一歩踏み出すと、クピトは美樹に両掌を翳した。そしてーー


「権限:『真名覚醒』」


 クピトが権限を発動すると、美樹の周囲に無数の粒子が輝き始め、美樹を軸にして渦巻き始めた。渦は少しずつ拡大していき、やがてその光は床から上に向かって緑色になっていった。全体が緑に変わった瞬間、美樹の心臓の前で収束すると、粒子の塊は美樹の体の中に溶け込んだ。

 続けて、クピトが「鑑定」と呟くと、彼女の前に半透明の凹レンズ型の液晶が現れた。そこには何か文字が書かれていたが、先程のメールの文面と同様に読めている筈なのにその内容はわからなかった。

 一方、クピトはその文面を顎に手を当てながら目を近づけて熱心に読んで、ふむふむと声を漏らした。そして満足げに「うん」と頷くと、左手を横一文字に払って液晶を消した。


「美樹の能力は、『植樹統制』ね。ありとあらゆる植物を自在に操る能力だわ」

「……ふーん。結構、汎用性のありそうな能力だね。これは割と当たりかな?」


 そう言いながら振り返った美樹も、とても嬉しそうだった。そこに、もう寂しさは見えなかった。いや、本当は寂しさのあまり泣きそうになっているのに、自分より辛いクピトの前では絶対に泣くまいと必死に堪えているのだ。

 BLさえあれば生きていけて、両親に対してさしたる愛情も頓着もない私にはわからないが、親にもう会えない寂しさはそう簡単に消えるものではないに違いない。そんな自分の感情を他人のために我慢できるなんて、美樹は本当に優しい娘だ。

 私はそうやって頑張っている美樹を傷つけないように、優しく微笑み返した。


「美樹によく似合ってる。早く見てみたいな、美樹が能力を使ってるところ」

「うん、私も早く見せたいな!」


 私はクピトの方に一歩踏み出し、バッと両手を大きく広げた。


「さぁ、私にも早く能力を頂戴!」

「まぁまぁ、そんなに慌てないで。言われなくても、やるから」


 クピトは、能力の決定を催促されると、呆れながら私に両手を翳した。


「権限:『真名覚醒』」


 クピトが詠唱すると、私の周囲で粒子が明るく輝き始め、私を軸にして渦巻き始めた。渦は瞬く間に拡大していき、やがてその光は床から上に向かって天を昇る龍のように桃色になっていった。全体が桃色に変わった瞬間、私の心臓の前で収束すると、粒子の塊が体の中に溶け込んできた。

 私はその瞬間、体がジワリと熱くなるのを感じた。それは、男同士の交わりを嗜んでいる間の、体が火照る感じとどこか似ていた。そしてお腹の内側がくすぐったいような、締め付けられるような、そんな感じだ。


「よしっ」


 私の能力の決定に成功したのか、クピトが満足そうに両手を腰に当てて、豊満とも貧相とも言い難い微妙な胸を張り、フンと鼻息を荒らげた。

 その傍ら、私は先程感じた違和感による気怠さに襲われ、艶やかな呼吸を繰り返していた。いっしゅんでぜっちょうのさきまでもっていかれて、わたしはあたまがうまくはたらかせられず、わけもわからず、しせんもさだまらなかった。

 そのよーすを、みきとクピトがふ思議そうに見つめている。


「百合音、どうしたの?」

「いや、なんでもないの。……ただ、ちょっと頭がくらっとしただけだから、気にしないで」

「ふーん」


 美樹は少し心配そうにしながらも、無関心に相槌を打った。しかし、クピトはそんな私の返答に、「へぇ」と感心して目と口を開いた。


「たまにいるんだよね。強い能力を貰った影響で、その能力と体の適合時に苦痛や違和感を感じる人が。どんな感覚を味わうのかは人それぞれだけど、かなりいい能力を貰ったってことで間違いないと思う」

「……へー、そうなの。じゃあ、早く私の能力を教えてくれる?」


 少し落ち着いてきた私が鑑定を急かすと、クピトが声を弾ませて言った。


「もっちろん。あまり強能力者が生まれることはないから、わっくわくするよ。さぁ、あなたの能力をおしえてっ! いざっ、鑑定!」

 クピトがウッキウキで私に手を翳して「鑑定」と叫ぶと、美樹の時と同様にクピトの前に凹レンズ型の液晶が現れた。

 それを読んだクピトはーー


「どれどれ? 有栖川百合音の……能力は………………ブフッ」


 ーー吹き出した。


「ちょっと、なんでそんな反応する?」


 私が少しキレ気味に訊くも、クピトはツボに入ったのか笑い続けていた。それが不服だった私は、ドスドスとクピトに近づいていき、頭を鷲掴みにした。

「ちょっと、やめて! 私、女神っ! 女神なのよ? ……痛い痛い痛い痛いっからっ、本当にやめて!」

「やめてほしかったら、私の能力を早く教えなさい」

「百合音、やめてあげた方が……」


 人間に脅迫される女神と、女神を脅迫する人間というカオスを前にして、美樹は困惑しながらも冷静に私を止めようとした。しかし、私はクピトを掴む手を緩めなかった。


「能力を教えてくれたら離す。それだけの話よ。だから、早く教えて」

「わかったわかった。教える……教えるから、その手を離してよぉ」


 クピトが涙ながらに嘆願してきたので、私は流石にやりすぎたと思って、急いでその手を離した。

 俯いたままのクピトの表情は推し量れなかったが、それは彼女が顔を上げたことですぐにわかった。


 クピトは笑っていた。


「……あはは。ガチで泣いたらすぐに離してくれるなんて、甘いね。脅迫とか向いてないね、あんた」

「何だって?」


 私はバカにされた気がした。しかし、クピトの台詞を思い返してみて、気になることがあった。


 ーーあいつ、泣き真似したらじゃなくてガチで泣いたらって言った。……ていうことは、本気で泣いてたっていうことね。……クピトはああ言ってるけど、私って脅しの才能があるのかも?


 私がぼーっと考えていると、隣にいた美樹が肩を叩いてきた。


「どうしたの?」

「百合音……下見て……」

「下…………何これ?」


 美樹の言う通りに下を見てみると、足元でちょうど私たち二人が入られるくらいの面積の魔法陣が、妖しく輝いていた。


「油断したわね。これ以上あんた達と一緒にいたら私の心が仕事から逃げてしまうから、さっさとあっちに送るわ。頑張ってね」


 クピトが言っている間に、私たちの体は魔法陣に吸い込まれていっていた。私は抜け出そうと足を上げるが、その抵抗も虚しく、蟻地獄に囚われた蟻のように、私たちの体はどんどん引き込まれていく。抵抗するのは無駄だと諦めて、私はクピトに叫んだ。


「せめて、私の能力を教えなさいよ」


 落ち着き払った私の様子を見て、クピトは感心して口を開いた。


「ちゃんと諦めることができる人は嫌いじゃないわ。そんなあんたのために、能力を教えてあげる。あんたの能力は、『百合昇華』ーー自分で百合な雰囲気を醸し出したり他人の百合成分を摂取したりすることでステータスに倍率が掛かる能力よ」

「…………は?」

「百合音、あんたにお似合いよね」


 そう言いながら、クピトは卑しく笑っている。まさか、腐女子である私が百合に堕とされるとは。いや、名前から能力が決まるという時点で、少しは察しておくべきだった。

 私が自分の得た能力に絶望していると、美樹が頭を撫でてきた。

「よーしよし、可哀想な百合音め。大丈夫、私が百合音の能力発動の相手になってあげるよん」

「うん、ありがとう」


 こうして美樹に撫でられている間にも、少しずつ体が軽くなっていく。


「……あれっ?」


 私がそんな美樹の優しさに安心を覚え、美樹が私の頭から手を離した直後ーーそんな間抜けな声を上げたのはクピトだった。何だか、ひどく焦っている様子で、視線を泳がせていた。


「どうしたのよ、さっきまで余裕たっぷりで吠えてたくせに」

「ごめんなさい……」

「え?」


 私の挑発に対して、クピトは申し訳なさそうに謝ってきた。そこには、先程までの生意気でムカつく女神はいなかった。

 私が、どうしたのか聞こうとした直前、魔法陣から「パキィーン」とグラスの割れるような音がした。そして、美樹と私の距離が離れて行く。胸の辺りまで私を引き込んだ魔法陣を見ると、私と美樹の魔法陣が分裂していた。


「転移魔法をミスりました。百合音さんだけ、別の場所に飛ばされてしまいます。本当に、ごめんなさい」

「……嘘でしょ?」


 私は、無駄だと知りながらも、上に這いあがろうと必死に手足を動かした。しかし、既に私たちは顎の辺りまで魔法陣に吸い込まれていた。


「百合音っ、手をっ!」


 唖然として思考がうまく回らない私に、美樹が叫びながら手を魔法陣から出して伸ばした。ハッとして、私も手を伸ばそうとした。

 しかし、もう遅かった。

 私が美樹の方に顔を向け、視界の端に下半分が魔法陣に隠れた美樹の顔が入った瞬間、私の視界は真っ白に染まった。

 それから感じたのは、激しい重力だ。普通に生きていれば経験することのない、爆発的な推進力だ。感覚としては、ロケットが宇宙に飛び立つときの乗組員が味わうものに近いのかもしれない。ジェットコースターなんて、比にならない。

 その重力は体が内臓諸共ぐちゃぐちゃに押し潰されるのではないかというほどにまでなってもなお強くなっていき、肺が押し潰されて息も満足に出来なくなって、やがて私の意識は落ちた。



  ○◉○◉○



「……………………か?」


「ーーん?」


「………………ですか?」


 ーー何だろう、声が聞こえる。


「大丈夫ですか?」


「はっ!」


 ーーゴンッ!


「ひぐっ」

「あだっ」


 私が誰かの呼びかけに応じて意識を覚醒させ上体を勢いよく起こすと、額が激しく硬い何かに衝突した。

 私が倒れ込んだ後に、別のものが足元で倒れる音も聞こえた。私以外の声も聞こえた気がする。


 ーーまさかっ!


 私が急いで起き上がって自分の周囲を見渡すと、そこは草原の中の小高い丘だった。地面には短く瑞々しい緑が延々と広がっていて、丘を降りて少し奥には田舎っぽい町が見える。町よりは、村という方が近いかもしれない。数十軒の煉瓦造りの家屋が疎らに建っていて、高い建物はない。田畑がたくさんあって、そこでは多くの人が農作業に勤しんでいるのが見えた。

 そして、私の足元には一人の少女が倒れていた。

 十四歳くらいだろうか。顔はまだ幼いが、身長と胸のサイズから考えるとおそらくそのぐらいだろう。

 倒れた際に捲れ上がったであろう黒い前髪から覗く額は、赤くなって少し腫れていた。私も額を抑えると、少し腫れていた。


「ちょっと、大丈夫?」


 私が勢いよく起き上がったせいで、額同士が激突したのだとわかると、私はすぐに少女の肩を揺らした。

 すると、少女はパッと目を開いてまた起きあがろうとしたので、私はそれを静止した。


「待って、またぶつけるから」

「あ、すみません。……って、おでこ腫れてるじゃないですか。大丈夫なんですか?」

「腫れてるのはあなたもよ。あなたこそ、大丈夫なの?」

「はい、私は大丈夫です」


 少女は額をすりすりしながらも「えへへ」と声を漏らしながら微笑んだので、私は安心した。


「そう、それならよかったわ。ごめんなさいね、急に起き上がったりして」

「気にしないでください。寝ていただけならよかったです。森にキノコ採取に行った帰りに丘に登ったら、お姉さんが倒れてるのを見つけたから焦っちゃって」

「そうだったのね。心配してくれてありがとう。あなたの名前は?」


 私が訊くと、少女は困惑し口元に手を当てた。


「えーっと、知らない人に名前はあまり教えたくないんですけど」

「ーーそれもそうね。ちゃんと教育されてる証拠だわ。じゃあ、私から名乗るわね。私は…………アリス。十七歳よ。この世界の魔王討伐を目的として旅をしているの」


 せっかく異世界に来たんだから、長ったらしい名前は使うまいと思って、この世界では偽名を名乗ることにした。

 ここにいる理由は、いろいろ考えた中で最も説得力があると判断して、旅人だからということにした。魔王討伐は余計だったかもしれない。下手したら、怪しまれるかも。


「ーー魔王討伐? 確かに、服はとてもすごい魔法使いみたいですけど。うん。確かに、そうかも。とりあえず、悪い人ではないようですね」


 少女に服を指摘され自分の装いを見ると、部屋着の上に偉大な魔導士っぽいローブを羽織っていた。……そうかぁ、部屋着かぁ。そこは変えてくれなかったのかぁ。

 とりあえず、私が怪しいものではないとわかってもらえたようだった。


「よかった。わかってくれたのね」

「はい。じゃあ、私のことも教えますね。私はハル、十四歳です。あの町に住んでいて、母親と一緒にキノコを売っています。副業ですけど」

「うん。やっぱり十四歳ね」

「……うん? 何か失礼なことを言われたような気がするんですけど」

「いやぁ、気のせいじゃないかしら」

「……そうですか」


 ハルと名乗った少女の胸元をチラッと見ながら納得すると、ハルは何かを察して不満を訴えてきた。なんて勘のいい娘なの? 嫌いじゃないけど、私はそういうの。


「……いい町ね」

「はい。決して裕福とは言えませんが、皆さん幸せに日々を過ごしています」

「そうなのね。こういう生活も、悪くなさそうね」

「体を使って働くのは、とても楽しいですよ。もちろん度が過ぎれば自分の体を壊してしまいますけど、ほどほどならとてもいいことだと思います。他の人と協力するのも楽しいですし」

「そうよね。羨ましいわ」


 元の世界の私は皆の羨望の対象で、大人数で対等に協力するという機会が、中学以来なかった。いや、中学の時すらもなかったのかもしれない。

 生徒会長の仕事は、一人で行うものだった。校則のせいもあって、アルバイトをすることもできなかった。

 だから、誰かと仕事をするっていう経験もしたことがなかった。

 きっと、魔王討伐という目的でこの世界に来ていなかったら、私はあの中に混じろうとしたかもしれない。いや、或いは、魔王を討伐した後なら……。

 私が羨望の眼差しを町に向けていたその時、背後でドゴンと重い音が響いた。

 何かと思って後ろを見るとーー


「…………何、こいつ?」


 そこには、高さ五メートルほどはある蜘蛛のような怪物がいた。足元の草を根元の土ごと深く抉り、高く土煙を上げて、口からシュルシュルと音を出している。今にもこちらに飛びかかってきそうな姿勢と左右四つずつ後ろに向かって並んだ八つの目からは、私たちを獲物として捉えていることがわかった。

 そいつから意識を逸らさずに隣のハルを横目に見ると、怯えて顔面を蒼白にし、口をふにゃふにゃに開いたままにして、固まっていた。

 この様子では、逃げることはできないだろう。


 ーー倒すしかない……けど、そのためにはーー


 私は、隣をもう一度見る。年下の女子がいる。しかも、彼女は私のことを怪しい人ではないと認めてくれた。

 であるならば、初対面であるとはいえ許してくれるのではないだろうか。

 私は覚悟を決めて、目だけではなく体もハルの方に向けた。ハルはそれに気づいたが、怪物への怯えで頭が回らず、その意図は理解できないようだった。

 まさか、自分に襲いかかってくるのがあいつだけではないとは、想像もしなかっただろう。


「ごめんね」

「えっ?」


 私は一度ハルに謝って、そしてーー


 

 彼女に抱きついた。




「ーーーーは?」



 彼女から冷たい声が発せられた。腹から響いて重たくもあり、透き通ってもいる、そんな声だ。美人OLが、その美ボディに興奮して鼻息荒らげたモブ男を足蹴にしながら発するような声だ。

 とても、十四歳とは思えない。いや、思春期真っ只中だからこそ出せるのであろうか。

 そんな、私を蔑み罵る声だった。

 私は構わず、頭を優しく撫でた。


「ちょっと、いきなりやめてもらえませんか? 気持ち悪いんですけど」


 私は事情を知らないハルに、面倒くさがりながら言った。


「仕方ないでしょ。こうしないと私たち死んじゃうの」


 私は構わず、ハルの背筋を人差し指でなぞった。


「……んッ! ふぁっ……あっ……へっ、変なところ触らないでください」

「ごめんね。でも、もう十分よ」


 私はそう言って、ハルから体を離した。段々と体が軽くなっていくのが、身体能力が増強されていくのが、わかる。

 今の私なら、こんな蜘蛛擬きには負けない。

 屡隙を見せていた私たちに向かって、そいつが飛びかかってくるが、私は腰を低くして拳を引いた。

 そして、渾身の突進を避けられて私の頭上を通過した蜘蛛擬きの、その無防備な腹に向かって、私は拳を突き出した。


「セイッ!」


 ーーゴッ!


 重い音と共にそいつの腹が深く抉れ、背中まで貫通して風穴が開き、衝撃波は丘の下の草まで激しく揺らした。吹き飛ばされそうになったハルは、私の左足に両腕でがっしりとしがみついて、鯉のぼりのように体を浮かせている。

 やがて衝撃波による風が収まると、腹からその先の空まで見えるようになった蜘蛛擬きの体は、砂のようにサラサラになって自然の風に連れ去られていき、辺りの草の動きは日常に落ち着き、ハルは胸からどさっと着地した。

 彼女は、はぁと大きく溜息を吐くと、うつ伏せのまま疲弊を表情に表した。

 私は、自分の予想以上の力に驚愕して、暫く自分の掌を見つめていた。


 ーーあまり美樹以外の女子と触れ合うことも百合も経験ないから私じゃ活かせるかわからないけど、ひょっとすると私の能力は他の人から見れば大当たりなのかも。


 かくして、腐女子だった私は異世界で魔王を倒すために、何故だか女の子たちとイチャイチャすることになったのであった。

〈追記〉


ブラッシュアップ完了しました。


今回も割と内容を追加しました。

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