第13話「魔樹《キマタ》」
「さて、どうしたものか」
私は、高層マンションほどの高さはあろう大樹を前にして、困惑と焦燥感に苛まれている。
なぜなら、太い根を大地に食い込ませ、手足のようにしなる枝を携えているその大樹には、私の中学以来の友人で、唯一私と同時にこの世界にやってきた特別な存在である美樹が取り込まれているからだ。
きっかけは、私が戦いの最中に美樹を戦闘不能まで追い詰めたことで、美樹の持っていた杖の生命維持システムが作動したことだ。
美樹と同じく植物を操る能力を持つその杖が、自己を活性化させ大樹へと姿を変えた。その際にその杖は、宿主を守るように呑み込み、大樹の中心部に隠してしまった。
「問題は、これがどれくらい強いかかな」
いつも通りなら、相手の戦力を気にすることはない。しかし、今日は状況が違う。隣にハルがいない。
今朝の看病で得た雀の涙程度のエネルギーしかない。その上、エネルギーの補給もできないから高火力は出せないし、長期戦も不可能だ。
この大樹の強さによっては、勝つことが不可能かもしれない。かといって、何もしなければ美樹の身の安全が保障できない。
「ひとまず、何かしら仕掛けてみるか」
考えるより行動しよう。
私は、ゆっくりと大樹に向かって走り始めた。恐る恐る大樹の動向を警戒しながら接近していくが、大樹に動きはない。嵐の前の静けさというか、不自然なくらいに微動だにしない。
「別に動くわけではないの?」
大地に走る巨根を避けながら進めば、何事もなく大樹の幹にまで辿り着いた。この幹を登っていって美樹のもとまで進めれば、あとは抉って美樹を引き摺り出すだけだ。
まずはここを登らなければ。
そう思って、美樹の凹凸に手をかけた瞬間、背筋がゾクっとした。
その嫌な予感に従って幹から手を離し後ろに飛び退くと、頭上を何かがヒュンと空気を切りながら高速で通過し、先ほどまで私がいた場所にそれが衝突した。
それは重厚感がある細長いもので、その伸びる先は大樹の上の方に続いていた。つまり、この鞭のように素早く強烈な攻撃を放ったのは、この大樹だ。私が大樹に触れたことによって、敵だと認識されたということだ。
それにしても、この火力。
「一筋縄じゃいかないか」
今、私は迷っている。
長期戦にしてチクチク削っていくか。
高火力でゴリ押して短期決戦を仕掛けるか。
でも正直、どちらでも倒せる気がしなかった。
でも、あのあからさまに防御力の高いビジュアルに対しては、高火力の方が幾分かマシな気がした。
ーー三十秒で決めるッ!
(《百合昇華》出力解放一割五分)
脳内で唱えると、体がふっと軽くなった。全身にパワーが漲ってくる。この感覚は割と慣れてきた今でもじっくりと味わいたいのだが、今は一秒すらも惜しい。
私は大地を蹴って、美樹がいると推測される辺りに真っ直ぐに突っ込んだ。本当に何の捻りもない、ただの突撃だ。そもそも、私には魔法が使えないし武器を持ってもいないのだから、工夫のしようがないといえばないのだが。
無論、一度敵と認識した相手のそんな馬鹿正直な特攻に大樹が反抗してこないわけがなく、私の背中には二本の鋭い鞭が向けられた。
枝がゴオォォと音を立てながら背中には迫ってくる。私は空中で体を回転させて遠心力を溜めた。そして枝が私を打つ瞬間に足を振り抜いて、二本の枝に回し蹴りで対抗した。しかしーー
(重いッ!)
ぶつけ合ってわかったが、大樹の攻撃力は予想をはるかに超えるものだった。それに、魔王を倒した時の感覚を引き摺っていて、自分の力を過大評価していた。
私は一切せめぎ合うことなく枝に打ち負け、大樹の根元に叩き落とされた。
「かはっ」
出力が低い分、体の頑丈さも下がっている。
枝の打撃の威力に加えて大樹の硬さによって、美樹の短剣なんか比にならない衝撃が背骨に走り、ビキビキっという音と共に空気が肺から押し出され、根元に倒れ込んでしまった。
「ぐふっ」
痛みで二秒ほど動けなかったが、流石の回復力で背骨と内臓を修復され、すぐに元通り動けるようになった。
立ちあがろうとした瞬間、上の方が緑色に光った。
バッと見上げると、生い茂った緑葉の中の無数の葉が枝から離れて先端を下に向け発光しているのが見えた。
「やばっ」
危険を察知した私は、足を振り上げ手を軸に体を回して向きを反対にし、手で体を押し上げてロンダートで着地した。その間にも葉の発光は強さを増しているが、それでは距離が不十分だったのでもう一度思いっきり後ろに飛び退いた。
私が木陰になっている範囲を抜けると、発光していた葉が落とされ始めた。
私を捉え損なった隕石の如く降り注ぐ葉が、堅い巨根を抉り、木の粉を巻き上げている。まるで木造家屋を壊していく竜巻のような姿になって、すぐに幹すら見えなくなった。
全く私に当てられてはいないが、威力は強大だ。私が今解放している力で削れるかわからないほどの堅さの根を、最も容易く抉っていく。
「でも、当たらなければ……」
そう呟いた直後、木の粉の中で仄かに緑色の光を見た。地面に落ちていればすぐに消えるはずだが、それは気になって凝視している間も明るさを増している。そしてある瞬間に、飛躍的に眩しいほどに明るくなった。
「ヤバっ!」
私は咄嗟に渾身の力を込めて地面に拳を突き立てた。私の周囲を取り囲むように地面が捲れ上がった。
その直後、目の前の捲れた地面からゴッという鈍い音がした。やはり、あの葉が飛んできていた。最初に無数に葉を真っ直ぐ落として弾幕を張り、意表を突こうとしたのだ。だが、私は引っかからなかったぞ。
天狗になったのも束の間ーー
ズドドドドドドドドド!
「ちょいちょいちょいちょい! それは、やばいって」
まさかの連続攻撃に私は面食らってしまった。あの巨根を抉るほどの火力だ。この地面の盾も長くは保たない。あれだけ葉が生い茂っていれば、弾数は実質無制限だ。
「とにかく、ここから離れないと」
そう思って飛び退こうと体を低くし、勢いよく飛び上がろうとした瞬間、激しい重力感に襲われて私はそのまま前に倒れ込んでしまった。
「ま、まさか……時間切れ?」
《百合昇華》を解放してから、三十秒が経ってしまったのだ。一撃も、与えられないまま。
「……ちくしょう」
友人が目の前で窮地に陥っているのに、何もできなかった。その悔しさで地面にうつ伏せになったまま歯をギリッと鳴るほど噛み締め、拳を握りしめ弱々しく地面に叩きつけた。
前方で地面の壁がビキッビキッと音を立てている。連続攻撃の音もまだ止まない。ゆっくりと視線を上げると、もう壁はヒビだらけだった。あと五秒も保たない。
「結局、私一人じゃ何もできないっていうの……?」
無力感に苛まれ、言葉に詰まる。涙すら出ず、ただただ呆然としてしまう。これは、一種の諦めだろうか。
そうか。きっとそうだ。これはシュピネーと戦っていた時の感情に似ている。なにもかもどうでもよくなる感じ。そして、それに従順になっている心理状態。詰みだ。
「ごめんね……美樹……」
最後に、そう溢した。
壁が完全に破られ、無数の発光した葉が迫ってくる。
消し去られてしまうことを受け入れて、目を瞑った瞬間だった。
「これは一体、どういう状況なの?」
ーーキキキキキキキキンッ!
ーーえ?
包容力がある、しかし少し毒も感じるような声に続いて、金属と金属が連続でぶつかるような音が鼓膜を貫いた。
視線を上げると、半透明の紫色の障壁が展開されていて、光る葉の連射を容易く防いでいた。
「早く説明してくれる?」
「あっ……」
横から声がしてその方を向くと、純白のワンピースに純白の肌を包んだ、腰まではあろう銀の長髪で凛々しい顔の女性が腕を組んで立っていた。
こちらこそ状況がわからず唖然とするが、可能な限り端的に情報を伝える。
「友達が杖に取り込まれて幹の中にいて、杖が暴走してます」
「了解」
私の伝達を聞くと女性は短く返事をして大樹を凝視した。
「杖というと魔杖か。取り込まれたとなると、あそこら辺かな。どうしよう。魔杖なら、浄化すれば助けられるけど、杖が消し飛んじゃうかも」
「助ける方法があるなら、お願いします」
「わかった。それじゃあ」
迷っている女性に対して私がお願いすると、女性はそれを承諾して、開いた右手を前に突き出した。
「天命」
女性が詠唱すると、その掌から光線が照射された。
遠くに行くほど太くなっていく光線は大樹を底から上まで覆い尽くし、一瞬にして大樹を焼き尽くした。
すると、取り込まれていた美樹だけが空中に残り、光線の照射が終わると落下を開始した。
「美樹ッ!」
私は受け止めに行こうとしたが、遠すぎて間に合わない。
そんな私の横をバサッと音を立てながら女性が高速で低空飛行していった。
…………飛行していった?
一瞬で美樹の落下点に達し、女性の周りだけ重力が失われたかのように美樹がフワッと女性の両腕に横抱きの形で受け止められた。
その女性の背中からは立派な白の羽が生えていた。
「あなたは……一体?」
「そうね。申し遅れたわ。…………私は、オルタ。エヘソスという辺境の町で教師をしている、ただの天使よ。今は、休暇をとらせてもらっているのだけどね」
「オルタ……先生……?」
「……? 私のことをご存知で? 私は貴方を初めて見たはずだけど。どこかでお会いしたかしら?」
まさかの出会いだった。この人……この天使こそが、私が臨時教師を中途半端に投げ出したクラスの、正式な教師だったのだ。
オルタ、現れたり。
次回、次なる魔王お目見え。