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腐女子の私は異世界で何故だか百合百合しています  作者: 街田和馬
第1章「陰鬱」
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第一話「腐嬢様」

初めましての方は初めまして。街田和馬です。

本作は、多少刺激的かもしれないので(自身が少し感覚が外れているのでどれくらい刺激的かは自分で判断しかねている)、お気をつけください。

多分、そこまでではないと思います。

 ーー私は腐女子である。名前は百合音という。


 公の場では、優等生として清く正しく美しく品行方正に振る舞っているが、プライベート空間では、とても上品とは言い難い生活を送っている。

 信頼している人以外が見ないような場所では、内に秘められた不純さが全開だ。

 家では一切勉強をせず、カーテンが閉ざされパソコンのディスプレイだけが光を放つような暗い自室で、山のように積まれた書籍とディスクケースに囲まれて「ふへへっ」と下品な笑いを溢している。


 その山を形作っている無量のブツの正体は…………BL作品だ。


 BLにハマったきっかけは、小学六年生のクリスマスイブの夜だった。

 サンタさんからのプレゼントが楽しみで中々寝付けなかった私は、ベッドから出て自室のある二階から一階のリビングに降りた。

 何か番組を見て心を落ち着かせようとテレビをつけた私が偶々見てしまったのが、BLアニメだった。

 不可避だった。最初からそのチャンネルに合わせられていたのだから。母さん曰く、アニメ好きの父さんが、私が寝静まった後に毎日そのチャンネルでアニメを見ていたらしい。

 その時にテレビが点いていなかったのは、無論父さんがBLに興味が皆無だからだろう。

 しかし、アニメ好きな父さんが関心を持たなかったそれに、私は激しく感興させられた。結局、エンディングに入った辺りで戻ってきた父さんが、私がBLアニメに食い入っているのを見て狼狽しながら私を部屋に連れて行った。勿論、しばらく寝付けなかった。

 翌朝、枕元に置かれていたゲームソフトを持った両手をぶんぶん振りながらその衝撃と興奮を両親に伝えた。

 私の嬉しそうな様子を幸せそうに見ていた母さんは笑顔のまま凍りつき、父さんは冷や汗を垂れ流していた。

 直後に母さんは父さんを連れてリビングを出ていき、僅かな怒号の後すぐに戻ってきた母さんは変わらず笑顔だったが、父さんは太陽のような普段の快活さが嘘のように、顔が白色矮星みたいに白くなって生気が失われていた。

 母さんはそんな父さんをほったらかしにして、私の前に来て膝を曲げた。そして、私に一つの質問を投げかけた。


 ーーそれは、一度知ってしまったら元には戻れないけど、それでもいいの?


 当時純粋だった私はその言葉の真意を全く汲み取ることができず、間断無く快活に肯定した。

 数日後に渡された一冊の少女漫画をきっかけに、私は本格的にBLに執心し始めた。

 今まで恋愛は異性とするものだという固定観念に囚われていた私に走った衝撃は、産業革命期の蒸気機関の発明なんて比にならないほどのものだった。

 作中で描写されている行為は、性的なことこの上ない。実際に目にすれば、羞恥で視界を手で覆い隠すこと間違いなしだ。


 しかし、それは何故か美しい。


 現実にはあり得ないほど爽やかイケメンが、同等のイケメンだったり少年ぽかったり少しメスを感じたりする男たちを口説き落とし、自らのモノにしている。相手もそれを受け入れている。そして、甘い言葉を掛けたり、優しく触れたりしながら、深く、深く、お互いを陶酔に堕としていく。

 その過程も結末も全てが、何度見ても色褪せることなく私の心を潤した。

 BLに出会う前も私は活気に溢れた子どもで、事あるごとにクラスを牽引していた。しかし、それまでの私が実は死んでいたんじゃないかと錯覚するほどに、BLに出逢ってからの私は生の輝きを放っていた。後光が差すなんてものじゃない。私自身が光となっていた。

 そして、すぐに飽きるだろうと思っていた母さんは、そんな私の様子を見て何かを諦めたようで、年が明けると私にあるお願いをした。


 ーー百合音が精一杯BLを楽しめるように色々準備するから、取り敢えず小学校卒業までそのマンガだけで我慢してくれる?


 その質問に私は迷わず首肯した。BLに対して好奇心の塊と化していた私は、新世界への切符を手に入れるためなら何でも我慢しただろう。それに、あの一冊で十分に満足できるほど、当時の私は素人だった。

 小学校を卒業すると、父さんが高性能大容量のパソコンとヘッドホン、そして大きな本棚を買ってくれた。しかも、私が何か欲しい作品があれば、PCゲームでも本でも何でも買うと約束してもらった。ただし、テストで全て九十点以上取るという条件付きで。


 それ以来ずっと両親の協力の下で買い漁っているBL作品の数々が、私の生活を占有していた。気がつけば私は、家にいる間はずっとそれらを満喫していた。

 時には食を忘れ、時には寝る間も惜しみ、時には風邪を引いた時でさえも、BLに触れることは欠かさなかった。それほど、BL作品に熱中していた。


 それだというのに、私は今ーー


「ちょっと、やめてもらえませんか? 気持ち悪いんですけど」

「仕方ないでしょ。こうしないと私たち死んじゃうの」

「……いやんっ! へっ、変なところ触らないでください」


 黒のショートヘアーの少女とイチャついていた。


『なんでこんなことになってるの?』



 ◉○◉○◉



 夢を見た。至福の夢だった。


 私は、広大な草原に立っていた。

 平坦で木々が殆どなく、草は生い茂っているが、立っていればとても見晴らしの良い場所だった。

 爽やかな風が体を吹き抜け、ゲームで熱くなった頭がじんわりと冷まされ癒されていって、そのあまりの心地よさに、私は夢の中であるにも関わらず眠くなってしまった。

 夢の中なのだから寝ても意味はないと頭では理解しながらも、どうしようもなく眠かった私は、草原に寝転がった。すると、地面がひんやりとしていて、ますます気持ちいい。

 視界で草が風にそよいでいるのを見ていると、段々と頭がぼんやりとしてきて、底無しの闇に意識が落ちそうになった。

 その瞬間、男の子のか細い声が聞こえた。


「……はっ」


 刹那、私の意識は龍が天空に昇るが如き凄まじい勢いで闇から這い上がった。

 私はバッと立ち上がり、その声の主の方向を探して周囲を見回したが、草が生い茂っていてどこにいるかわからなかった。

 私が落胆して肩を落とすと、今度は野太い男の声が背後から聞こえた。私が光の速度で振り向くと、私から五メートルほど後方のところだけ、注視しなければわからないほどだが、草むらに若干隙間が出来ていた。

 私は可能な限り音を立てないように、慎重に草を掻き分け忍び足で近づいていく。その間、最初の男の子の声とさっきの野太い男の湿っぽい声が絡まって聞こえてくる。

 私は足音は抑えられても、昂ってはぁはぁと漏れ出る息は殺せなかった。

 やがて草の隙間の手前まで辿り着くと、生唾を一度飲み込み、意を決して茂る草の間に小さな隙間を作って中を覗き込んだ。

 そこでは、気弱そうなショタが筋骨隆々な男に攻められていたのだった。ショタは両手を押さえ付けられてその地面に押し倒されていた。そして、男はそんなショタに向かって腰を前後に振っていた。

 それを見ているだけで私は「ふへへ」と笑いを溢し、口の端から涎が垂れてきた。こんなプレイ、リアルでは絶対に見ることはない。しかも、こんな至近距離で拝むことができたのだ。

 ディスプレイではまともに見ることのできない細かいところまで、高い解像度見で鑑賞できた。

 それ故、見ているだけでも十分美味しかった。しかしそれだけでは満たされない強欲な私は、どこから取り出したのかわからないカメラで、その様子を激写しようとした。そしてその瞬間ーー


「……ゔっ」


 野太い男から短く声が発され、私の視界は白に塗り潰された。私は、俄かに濁っているその眩しさに思わず目を瞑り、次に目を開けると私は机に伏せていて、目がその下で組まれていた腕枕で圧迫されていた。

 私が目をその圧力から解放するために顔を上げると、目の前にはパソコンのディスプレイがあった。電源は入ったままで、昨日やっていたゲームの画面が映ったままだった。


「そっか、ゲームしてたら寝落ちしちゃったんだ」


 私はぐっと背筋を伸ばし、まだ眠気と昂奮の混じる意識を、頭を乱暴に横に振ることで無理矢理覚醒させ、立ち上がった。

 本とディスクケースの山を崩さないように慎重に足の踏み場を選んで部屋を移動し、クローゼットに向かった。

 そこから高校の制服を取り出し、部屋着を脱いで、下着を着けて、半袖の夏用制服を着た。暗い部屋の中で目を凝らし、姿見で制服と髪の乱れがないことを確認してから、袖に私の学校での役職を示す腕章を付け、鞄を持って部屋を出た。


「まぶしっ」


 スリッパを履いて廊下に出ると、吹き抜けから振り下ろす朝日が私の目を焼いた。太陽から放たれる聖なる光は、普通の人にとっては生活を支える恵の光だが、私のような暗い場所を好む者にとっては制裁の光だ。数日前に梅雨が明け、本格的に夏が始まろうとしているこの頃の朝日は、特に殺傷能力が高い。

 リビングに降りると、母と父がテーブルについて朝食をとっていた。母はテレビで朝の報道番組を見ていて、父は新聞を読んでいる。


「おはよう、両親」

「何、その呼び方? 早く食べちゃいなさい。遅刻したら一大事よ」

「はいはーい」


 私もテーブルについて、言われた通りテーブルに用意されていた朝食を食べ始めた。今日のメニューはいつも通り、目玉焼きの乗せられたトーストとコンソメスープ、そして彩り豊かなサラダだ。

 しかし、普段よりサラダに入っている野菜の種類が多い気がする。いや……間違いなく多い。普段のサラダはキャベツとトマトと玉ねぎで、今日のようにパプリカやブロッコリーは入っていない。


「ねぇ、母さん。昨日、何かいいことあった?」

「急にどうしたの?」

「今日のサラダ、パプリカとブロッコリーが入ってる」

「たまには、種類が多くてもいいでしょー」


 遅刻しないように淡々と食べ進めながらもその後も何回か同じことを訊いてみたが、母は「偶々よ」の一点張りだ。このまま訊き続けても答えてくれそうにないので、私は質問することを諦めた。

 チラッと壁にかけてある時計を見ると、もう八時だった。始業のチャイムまであと三十分しかない。私は急いでサラダを食べてスープで流し込み、トーストと鞄を両手に席を立った。


「ごちそうさま。行ってきます」

「はい、いってらっしゃい」

「……気をつけてな」


 今日は、普段は私が家を出る時に何も言わず黙々と新聞を読んでいる父まで珍しく反応してきた。改めて見てみると先程は気づかなかったが、父が今日はスーツではなく部屋着を着ていることに気づいた。この時間までスーツを着ていないということは、今日は仕事が休みなのだろう。

 私がいない家……機嫌のいい母…………そして、仕事が休みで普段と違う父………………結論はすぐに出た。


(ああ、なるほどね)


 私はリビングを出る間際に一言、二人にかけた。


「私、弟がいいなー」

「ブフッ……うっ、げほっ、げっほ」

「なっ……は、早く行きなさいっ!」

「はいはーい」


 母は顔を一瞬でボッと赤く染め上げて叫んだ。父も、コーヒーで蒸せていた。この反応から察するに、私の予想は的中していたのだろう。

 二人の反応に満足した私は、トーストを食べながら清々しく学校に向かって歩き始めた。



  ○◉○◉○



 私ーー有栖川百合音が通っている高校は、所謂お嬢様学校だ。気品のある立ち居振る舞いや言動が強く求められ、偏差値は高く、県内にとどまらず全国の女子からの人気が最も多く集まる私立学校だ。

 有名企業の令嬢や政治家の娘なども多く在籍していて、時代遅れのタテ社会が形成されていることは、素人目に見ても明白だった。

 私はそんな高校の二年生で、なんと生徒会長をしている。先述した、お嬢様方よりも上の立場にあるということだ。お偉い様方が、唇を噛みながらも私に何も言えずにいるのを見て、私は歓楽している。

 ちなみに、去年の生徒会長選挙には私の他に先輩が三人ほど立候補していた。その三人は全員が国会議員の娘だった。遠い未来でこの国を牽引する存在になるであろうその先輩たちを越えて私が生徒会長になれたのは、私が去年、積みに積んだ学校中の生徒からの信頼が故だ。

 そもそも、私はこの学校に入った当初から来年は生徒会長になると決めていたので、行動は入学初日のキャラ作りから徹底した。「絶対清楚」をスローガンとして掲げ、令嬢たちに負けない上品さと美麗な振る舞いを常日頃心がけ、スタイル維持と美容に趣味の次に力を注いだ。そして、誰からも嫌われないキャラを選んだ。

 同級生にはとにかく親切にした。忘れ物があれば、自分が次の授業で使う場合以外は積極的に貸した。課題の答えを見せてと頼まれればとにかく見せた。定期テストがあるたびに学年中に予想問題を配布した。作成者である先生の気持ちになれば、授業を真面目に聞いているだけで出題傾向は理解できるもので、その予想問題の的中率は八割を割ったことがない。

 都合がいいと言われればそれまでだが、私は利用価値のある人間として同級生からの評価を大きく上げた。

 先生からの信頼も得た。先生からの頼み事は自ら率先して引き受け、学級運営は私がほとんど引き受けた。先生への報告も詳細かつ単純明快を心掛け、先生の負担を極力少なくした。

 その結果、前期終了までの半年で担任の中で私の評判は最高で、職員室の中でも私の情報は拡散されていった。こうして、先生方の私への高評価を揺るぎないものにした。


 しかし、この時点で私を支持するものは同級生の殆どと先生たちだ。生徒会選挙を勝ち抜くためには、上級生の立候補者を圧倒する支持者数が必要だ。私が何も行動を起こさなければ、先輩たちはこの学校により長く居て身分も高い上級生の候補者に投票するに違いない。その場合、私が得られる票数は全体の三分の一、上級生の候補者が一人ならばその人に他の票が集中して三分の二ーー大敗を喫することとなる。

 それを危惧した私は、追い討ちをかけるように、先輩方からの信頼も集めた。先輩が困っているのを見つければ、すぐさま駆けつけて鬱陶しく思われない範囲で手伝い、暗い表情をしている先輩を見つければ愚痴に付き合ったり相談に乗ったりした。そうやって評価を得た先輩から、学校生活で不便に感じる点や不満な点を聞き、冬休み前の来期生徒会長候補の公示でそれらを解決するという旨の公約を掲げた。私の他に立候補しているのが三人だと知った時は、勝ちを確信した。


 案の定、得票率七割超で他の立候補者を一網打尽にし、生徒会長当選を果たした。これで、内申点も爆上がりだ。

 私がこの世に生を受けた瞬間から有している秀麗さも、選挙に勝利した要因だろう。身長は女子にしては高めの百七十センチメートルで、艶々で純白の肌にくびれがしっかりしているモデル体型、そして肩甲骨の辺りまで伸ばした艶やかな黒漆のロングヘアー。

 笑顔は女優のそれを超える爽やかさを心がけ、肌やスタイルの身綺麗さを維持するための努力は怠らなかった。そうやって、お嬢様学校という女子だらけの世界で、私は多くの女子からの憧れをこの手中に収めた。

 

 私がここまでして生徒会長になった理由は、私の趣味と学生生活の両立に関係している。あの成績を上位で保つという条件だ。この高校に入る前に、母さんが「生徒会長になったらその条件なくしてもいいわよ」と笑いながら言った。勿論本人は冗談のつもりだっただろう。一般中学上がりの人間がお嬢様学校で生徒会長になれる訳ない、と。

 しかし、私は本気でなろうとした。私が成績上位から外れるなんてことは万が一にもない。でも、なれるものならなっておくのが得策だと考えた私は、努力した。

 意外なことに母さんはこの言葉を覚えていたらしく、見事私の趣味は未来永劫守られたのだ。

 もう何も私からBLを奪い得る存在はいない。


 話は戻るが、私の通っている高校はお嬢様学校であるため、上品な挙措と言動が求められる。そのため、極めて平凡な家柄で一般中学校上がりの私は、言うまでもなく日常の学校生活の中でかなり我慢をしていた。

 今日も、学校に近づくまでは誰とも会わないので行儀悪くトーストを食べながら登校していたのだが、いざ学校が近づくと一度立ち止まって口周りや制服にパンくずが付いていないのを確認してから歩き始めた。

 すると、その直後ーー


「おはようございます、生徒会長」


 すぐ前方の分かれ道から曲がってきた女子生徒に声をかけられた。確か、この生徒は一年生だ。


「おはようございます、高木さん。今日も暑いですね」


 私が名前を呼ぶと、彼女は驚いて目を見開き、「わぁ」と喜びを滲ませながら開いた口を手で覆った。

 私は生徒全員の名前と顔を覚えている。生徒会長として当然のことだと私は思っているのだが、初めて会った際に挨拶に付け足して名前を呼ぶと毎回この反応をされる。

 なかなか彼女が話し始めないので、私が「どうかしましたか?」とあざとく首を傾げながら訊くと、彼女ははっとして羞恥に頬を紅潮させながら話し始めた。


「な、なんでもありません。……それにしても、会長は相変わらずお美しいです」

「ありがとうございます。ですが、あなたの肌も絹のようで十分綺麗ですわよ。努力しているようですね」

「はっ、はい! ありがとうございますっ! それでは失礼しますっ!」


 彼女は嬉しそうに立ち去っていった。その先には、彼女の友達であろう生徒が待っていた。会話を始めた彼女は、両頬を手で隠しながら照れ笑いを浮かべている。それを見て友達もニヤニヤしながら肘で彼女を突っついている。

 彼女のように私に尊敬を抱いている生徒が学内に多く、初対面でも怖気付かずに話しかけてくる。

 そういう生徒に対して笑顔を崩さず丁寧に対応することはもちろん、学校周辺では常に見られている意識を持って、淑やかな振る舞いをするのも、この学校の生徒会長としての義務である。

 それ故に、家の外以外では常に気を張っていると言っても過言ではない。


 さて、今日は登校時間ギリギリになってしまったので教室に直行するが、普段は校門の側に立って登校してくる生徒に挨拶する。

 これが結構疲れるので、時々わざとギリギリに家を出てサボったりする。生徒会長たるもの、休息も欠かしてはいけない。

 …………ちなみに、今日の寝坊は決してわざとではない。最近徹夜続きで今日も徹夜するつもりだったのだが、不覚にも寝落ちしてしまったのだ。

 危うく遅刻するところだった。


 玄関ホールで靴を履き替えていても、廊下を移動していても、教室に入った瞬間もその後窓際の席に座ってからも、やはり私に向けられるのは憧憬の眼差しばかりだ。その間、私は、家ではパソコンのディスプレイに釘付けになって曲がっている背筋を真っ直ぐ伸ばして歩く。

 一年生の十二月に生徒会長になってから半年以上が経ち、当初は心地良かったその眼差しはそろそろ鬱陶しくも感じ始めていた。

 とても、同じ学校の生徒から向けられる視線だとは思えない。一般人の私には違和感しかないが、この学校に通うお嬢様たちにとってはこれが普通なのだろうか……。


 クラスメイトたちに気づかれないように、窓の外に視線を向けながら小さく溜め息を吐いた直後、後ろの席から囁くように声をかけられた。

「おはよう、百合音。今日はサボったんだ?」

「いや、今日はガチの寝坊。まあ、ちょうど疲れてきてたからタイミング良かったよ。なんか、入学してから時間が経った新入生の私に対する態度が上級生に似てきたんだよね。そのせいで、少し前より余計に気が張ったままだよ」

「はは、大変ですなぁ。……ところで、今日提出の英語のテキストなんだけどーー」

「はいはい、これでいい?」

「やり、助かるわー」

「まったく。いくら学校の英語の課題が低レベル過ぎるからって、やらないのはやめなよ」

「………………」


 …………私が注意をしている間に、私のテキストを写し始めている。もう聞いていないようだ。

 たった今、私に気さくに話しかけてきたのは、榎本美樹だ。同じ中学出身で、私と同様に一般人の感覚でこのお嬢様学校に入ってきた異端者だ。

 それ故に、私がこの学校で唯一、気兼ねなく接することのできる親友だ。そして、私の趣味と努力の理由を知っている。

 今まさに私の課題を写しているように、少々不真面目なところがあるが、かなり賢くてテストの点数は学年上位の常連なので、強く文句を言えないのが癪に触る。

 特に英語に関しては、中学時に夏休みをフル活用しての英国への留学経験があるため、私よりも遥かに深く理解していて、テスト前になるとよく教えてもらっている。

 ただ、たった一ヶ月間留学しただけで普通こうはならないので、やはり才能があるとしか言いようがない。

 その才能のおかげで、私と美樹は英語で安定して満点をとっている。美樹は課題を写してもそれだけできるのだから、羨ましい限りだ。


 美樹は私のテキストのページを繰ると、その一瞬の後に一つの解答欄を指差した。


「あ、ここ間違えてるよ」

「え、嘘? ……本当だ。後で直しとく」

「いや、私が直しとくよ。私と百合音は筆跡似てるから、バレないバレない」

「そう? じゃ、頼んだ」

「任された!」


 ただ写すだけじゃなくて私の解答の間違いを瞬時に見つけ出すのだから、本当に美樹の英語力は馬鹿にできない。


 その後も何箇所かミスが見つけられ、美樹がその都度修正しながら写し終えてテキストを返してもらったところで、始業のチャイムが鳴った。

 私たちは姿勢を整え、読書をしながら担任の到着を待つ。

 今日も私が読むのはBL本だ。ブックカバーのおかげで、誰からも知られることはない。職員朝会が終わって担任が教室に到着するとクラスの朝会が始まり、それが終われば十分の休憩を挟んで授業が始まる。こうやって、私の一日は始まるのだ。



  ○◉○◉○



 四時限目の授業が終了すると、昼食時間が始まる。

 一般生徒は、昼食時間が始まると中庭やホームルーム教室以外の教室、昼講義の会場など、各自好きな場所に友達と行き、談笑をしたり講義を聞いたりしながら、持参した昼食を食べる。

 しかし、生徒会長である私の昼は違う。昼食時間が始まると足早に会長室に向かい、腰に優しいよく沈む柔らかい椅子に座り、昼食を食べながら書類のチェックに勤しむのだ。

 書類の内容は主に、校内行事のための備品の使用許可や購入する内容や金額の確認、または各部活からの器具の購入申請などだ。他にも、学校運営側からの連絡事項の確認、学校に届いたクレームへの解決策の考案も昼食時間に行う。

 基本的に毎日昼休みに仕事があるが、それは日によって量に差がある。今日は極めて少ない方だった。机に積まれた書類の山を前にして溜め息を吐かなかったのは、何週間ぶりだろうか。


 昼ごはんを食べ終わり、書類整理も終わってしまったが、昼食時間はあと二十分も残っていた。

 このまま教室に戻ってもいいのだが、そうすればまた生徒たちの眩しい視線を一身に集めることとなる。

 人に見られているというのは、本当に疲れる。可能ならば逃げ出したい程だ。しかし、私は生徒会長だから、何も言わずに羨望を受け続けなければならない。如何に私の校内での言動や態度を縛られ、窮屈さに苦しんだとしても。それが生徒会長の義務でもあるのだから。

 それに何より、皆が抱く私のイメージを構築したのは私自身だ。まさに、自縄自縛だ。自分がこの地位を手に入れるために行使した、私の手段だった筈のそれに、私は首輪を付けられてしまったのだ。

 本当に情けないことだが、私は家以外の場所で一人でいると、一つでも重大なミスを見つければ私の首を吹き飛ばさんとするこの首輪のせいで懊悩してしまうのだ。

 だから私は、いつも気が付けば彼女を呼んでいる。この学校に来てから一度もお嬢様方と馴れ合うことなく、いつも単独行動をしている彼女を。


 ポケットからスマートフォンを取り出し、美樹に「会長室に着て」とメッセージを送った。

 その数秒後、背後の窓からコンコンと音が聞こえた。私は溜め息を吐きながら立ち上がり、窓の側に向かい勢いよく開けた。

 すると、私の顔のすぐ横を何者かが空を切って通過した。呆れながら振り返ると、そこには特撮ヒーローが高いところからスタッと着地した時のようなポーズをした美樹がいた。


「…………そろそろ、窓から入るのはやめてくれない?」

「いいじゃん。屋上からは最短ルートなんだよ。どうせ誰も見てないし、私なら落ちる心配もないでしょ?」

「そういう問題じゃなくて…………まあ、もういいや」

「そうやって、すぐ許しちゃうのは良くないんじゃないかな?」

「そんなこと言うくらいならやめてくれないかな?」

「それはごめんだね」

「なんじゃそりゃ」


 私の注意をヘラヘラして受け流しながら美樹は、数秒前まで私が座っていた柔らかい椅子に座った。仕方なく私は、その椅子とセットでいつも仕事をしたり食事をしたりする時に使う机の上に座った。足がつかないから、両手で体を「よいしょ」と持ち上げて腰を落とし、足をぶらぶらさせた。


 美樹は私が会長室に呼ぶと、決まって窓から入ってくる。いつも美樹は、屋上で一人で昼食の弁当を食べているのだが、私が呼ぶと会長室の真上あたりから飛び降りて、壁に足を伝わせて降りながらスピードを一定に保ち、会長室の窓の上側の窓枠に手をかけて足で窓をノックし、私が窓を開けると足から飛び込んでくるのだ。

 昔から美樹は木登りが得意だった。中学生の頃は登校時にショートカットだといって毎日色々な場所に登っていた。そうしているうちに、今となっては指が引っ掛かる場所さえあればどこでも登れるレベルのクライマーとなった。友達に対してこの言葉で形容するのはあまり好ましくはないが、彼女はまさに猿だ。プロの猿だ。

 それ程の実力を持ちながらも、残念ながら美樹に競技者としてのクライマーになる気は一切ないようだった。

 宝の持ち腐れだと思われるかもしれないが、美樹は他にも山ほど常人外れの才能があるので、他の道でも自分の才能を活かせるに違いない。


 それから十分ほど他愛ない話をしたところで、美樹が訊いてきた。


「今日の仕事は?」

「もう終わり。今日は放課後に会議もないし、早く帰れそう」

「そっか。じゃあ、今日は久々に二人で帰ろうか」

「本当? やった!」

「あははっ、そんなに嬉しいの?」

「そりゃ嬉しいよ! 誰かと帰るの、本当に久しぶりなんだから」


 私が両腕を振り上げて喜ぶのを見て、美樹は笑った。確かに、今のは少し子供っぽ過ぎたかもしれない。それほど、嬉しかったのだ。本当に誰かと一緒に帰るのは久しぶりだから。

 放課後、生徒会長の仕事をこなしているとどうしても帰るのが遅くなってしまい、暗い道を一人でとぼとぼと歩いて帰るのだが、これが中々に寂しいし不安になるのだ。

 周囲に生徒がいると緊張してしまうが、誰もいないのもそれはそれで不安になってしまう。……本当に難儀な生活を送っているなと、自分を哀れに思ってしまう。


「じゃあ、授業終わったら校門の前で待ってるよ」

「わかった。なるべく急いで行く」

「はいよ。……そろそろ教室に戻りますか」


 もうそんな時間か、と思って扉の上の壁にかかっている時計を見ると、まだ次の授業まではあと五分あった。

 私は「まだ早いのではないか」と考えたが、美樹はそれを見透かしたように言った。


「今日は放課後の仕事ないんだから、会長室の鍵……返さないとでしょ?」

「あ、確かに」


 その理由に納得した私は、そそくさと机から立ち上がって荷物と鍵を持った。

 柔らかい椅子から立ち上がった美樹と一緒に会長室を出ると、中に忘れ物をしていないのを確認してから、扉を閉め鍵をかけた。

 一足先に教室に向かった美樹と別れた私は、早歩きで、しかし姿勢に気を遣いながら職員室に鍵を返しに行った。そして、教室に戻り授業道具を用意して席に座った。

 後ろの席をチラッと半目で振り返ると、美樹が私を笑顔で見つめて小さく手を振ってきた。

 それに私も笑顔で返して、授業が始まるまで予習に徹するのだった。



 授業が終わると、校門をちょうど出たところにある自販機でジュースを買うために、号令が終わった瞬間に教室を出て行った美樹に少し遅れて、私も教室を出た。

 廊下を早歩きで玄関ホールへと向かい、上靴からローファーに履き替え、早歩きと走りの間の速度で校門へ向かった。

 校門から出るとすぐ右手で美樹が待っていた。その手には、美樹のお気に入りのナタデココ入りの白葡萄の缶ジュースが握られていた。


「お待たせ」

「全然待ってないよ。寧ろ、予想してたよりかなり早い」

「それなら良かった。じゃあ、帰ろっか」

「うん。……あっ、そうだ! 今日は久しぶりに、百合音の部屋にお邪魔してもいい?」

「え? …………全然いいけど、汚いよ?」

「ぜーんぜん気にしなーい。今更でしょ? もう何回も行ってるし」

「それもそうか」


 というわけで、私の部屋に美樹が来ることになった。美樹が私の部屋に来るのは一年振りくらいだろうか。まだ今ほどは忙しくなかったあの頃と比べると、私物はかなり増えた。きっと、美樹は驚くに違いない。


 さて、学校から遠ざかって、そろそろ私の趣味について話してもいい頃だろう。

 私は、趣味を思い浮かべている間は無意識に下品ににやついてしまうことがあるので、学校にいる時は説明できなかった。しかし、もううちの学校の生徒には会わないだろうから、問題ないはずだ。

 通行人に見られるのは…………まぁ、気にしないでおこう。通行人の視線で恥じらうほど、素人ではない。それほどに私は、自分の趣味に誇りと情熱を持っている。



 私の趣味は…………BLだ。



 私は、腐女子なのだ。



  ○◉○◉○



「ただいまー」

「お邪魔しまーす」

「どうぞー。それにしても、本当に久しぶりだなぁ、美樹を部屋に入れるのは」

「そうだねぇ。さて、前からどのぐらいブツは増えてるかな?」

「多分、美樹の予想以上に増えてるよ。踏んだら、許さないから」

「ひえっ、怖ーい」


 私が冗談混じりに言うと、美樹は手を胸元でクロスさせて体をくねらせた。

 そんな会話をしながらローファーから自分用のスリッパに履き替え、美樹に来客用のスリッパを用意していると、リビングから母が出てきた。


「あら、美樹ちゃんじゃない。久しぶりね」

「はい、お久しぶりです。お邪魔します」

「遠慮なくどうぞー。……どうする? 夕ご飯食べていく?」

「あぁ、それは遠慮しておきます。今日は家族と外食をしにいく予定がありますので」

「そう、残念ねぇ。まあ、のんびりしていってね」

「ありがとうございます」


 母はそれだけで満足したのか、すんなりと戻っていった。確か今は、テレビで母のお気に入りのドラマがやっている時間帯の筈だ。

 そんな時にリビングから出てくるなんて、今日は随分と機嫌がいいようだ。


 私の部屋に行くために私の後ろに美樹がついて来る形で階段を登っていると、美樹が話しかけてきた。


「今日の百合音の母上、なんか機嫌よくない?」

「今日父さんが仕事休みだったから、多分私が学校行ってる間にヤってる」

「あぁ、なるほど」


 朝の二人の様子からも推測できたが、先程の母の態度で私は確信した。そしておそらく、今日の夕食はいつもよりあからさまに豪華なものになる。今から言えば、美樹の分も作ってもらえそうだがーー


「夕飯、食べていかなくてよかったの?」


 私が階段を上る足を止めて振り返って訊くと、美樹は両手を上げてやれやれとしながら言い放った。


「別にいいよ。百合音の両親いつでもラブラブじゃん。あんなイチャイチャしてるの見せつけられながらご飯食べるなんて、どんな拷問よ。遠慮なく御免被らせてもらうよ」

「ははは、それもそうだね」


 私は再び階段を上り始め、程なくして私の部屋の前に着いた。私は、ドアノブに手をかけて、ゆっくりと引いていく。


「そこでスリッパは脱いで。……さぁ、これが今の私の部屋だよ。とくとご覧あれ」


 そして、完全に開かれたドアの向こう側を見て、美樹は目を見開いた。


「こりゃ凄いね。本当に……想像以上」

「でしょ? まあ、量もなかなかに多いけど、散らかり具合も凄まじいから。正直多すぎて収拾がつかなくなってる。まあ、一応通れるようにはしてるけど、踏まないように気をつけてね。私が踏んでほしくないってのもあるけど、単純に危ないから」

「りょーかい」


 私は先に入って、ブツがない小さな空白を慎重に一歩ずつ爪先立ちで進み、定位置のパソコンの前に座って、右側に積まれたブツを無理やり押しのけて、クッションを置き、もう一人分のスペースを作ってやる。

 そこに、私に続いて部屋に入ってきた美樹が座った。


「失礼しますよっ、と。……いや、本当に凄いね。一日中、ここにいるんでしょ? わたしゃ、もう頭がおかしくなっちまいそうだよ」

「まあ、好きだからね。これがあれば、睡眠も食事もいらないよ。幸い、テストの点は授業聞いて予想問題作ってれば余裕で取れるしね」


 ぶっきらぼうに言いながら、私はパソコン本体とディスプレイの電源をつけた。本体が動作を開始し微かに音が鳴り始めた。暫く待っていると、ぷおぉーんという独特の起動音が鳴り、ディスプレイに青いデスクトップ画面が出る。


「好きなやつ読んでていいよ。ちょうど美樹の後ろあたりがメリバだよ」

「あはは、こんなに散らかってるのに種類は把握してるのね」

「え? 覚えてるわけないじゃない。表紙を

チラッと見ればわかることでしょ?」

「……さ、流石っス」


 感嘆しながら、美樹が右側のBL本を手に取る。…………ちょっと待てよ。右側って確かーー


「うわぉ、これ……総受け? 結構ガチなやつじゃん。というか、ちょっとグロ入ってるね」

「ありゃりゃ、見ちゃったか。大丈夫? 気分悪くなったりしない?」

「大丈夫だよ。昔から色々見てるから割と抵抗ついてるし」


 美樹がそう言いつつも引き気味に見ているのは、ショタが小学校の男性教師に輪姦され、最終的には白濁液塗れにされるモノだ。

 しかし、流石美樹だ。腐女子でない(自称)のくせに、こういうのを見ても正常な精神でいられるなんて。

 まぁ、私が昔からこの趣味に付き合わせてただけなんだけどね。

 美樹はその本をささっと読み切るとブツの山に戻して、同じ場所から違う本を取った。


「なるほどね、これはワンコ受けか。……うわっ、こいつ自分から飲んでんじゃん。しかも結構な量あるし」

「そりゃね、私が一番好きなジャンルだけあって、結構ガチなの選んでるから」

「確かにかなりガチ。これとか、もう一ページ目から犯罪臭がするんだけど」

「でしょでしょ? 堪らないでしょ?」

「そうだねー」


 私が喰い気味に同意を求めるもの、棒読みで共感の全くこもっていない返事をされた。

 私は溜め息を吐きながら、ドライブにディスクを入れた。シュンシュンという回転音が鳴り始め、しばらくするとゲーム画面が開いた。

 私はふと、まだ着替えていなかったことに気づいて、その場で制服を脱ぎ散らかし下着の上に直接パーカーだけを着た。

 そして、赤色のフレームのブルーライトカットの眼鏡をかけた。


「百合音……いい加減服脱ぎ散らかすのやめたら? 正直、同じ女子だと思いたくないんだけど」

「会長室に窓から入ってくるやつに言われたくない」

「あはは、それもそうだ」


 美樹は、頭に被った私のスカートを、苦笑しながら部屋のどこかに放り投げた。

 私は、パソコンに視線を戻して、ゲーム画面に表示されている『ロードゲーム』をクリックした。

 いくつか表示された中からプレイ時間三百時間超えのデータファイルを選択し、ロードした。

 すると、画面の真ん中にイケメン警察官の男の立ち絵が表示され、下の方のセリフ枠には、『いい加減、あなたを逮捕させていただきます』という台詞が表示されていた。

 美樹は液晶を覗き込むと、目を丸くしながら感心した。


「凄い、まだそのルート続いてたんだ。てっきり、もう詰んでると思ってたんだけど」

「まぁ、最低学年にして生徒会長に上り詰めた私の、人間関係のカリスマ性がモノを言わせたって感じ」

「流石っす、会長サマ」

「……なんか嫌だなぁ、その言い方」


 もう詰んでるーーと思われるのも無理はない。このゲームは「ロストイン公衆便所〜壮年のお兄さんとエトセトラ〜」といって、私が三年前に美樹から誕生日にもらったものだ。

 三十代前半のお兄さんが町で様々なショタを公衆便所に誘い込み、心ゆくまで堪能するという作品だ。十ルートほどあるのだが、私が今やっているのはネット上でも攻略不可能だと言われる最難関ルートーー『圭』ルートだ。

 ターゲットのショタを攫った時点で攻略成功ーーアレなシーンが無修正で見られる他のルートと違って、このルートはその行為の先がある。

 ショタを攫って公園のトイレに連れ込むのだが、なんと犯す前に逃げられてしまう。勿論、口止めなんてしていないから、主人公は警察から逃げ続けることになる。

 プレイヤーが選択肢を間違えなければ長い間逃げ続けることができる。そして二十年後に、成長して警察官になったターゲットのショタと再開してしまうのだ。

 主人公はターゲットと何回も出会い、その度に対話をして隙を作り逃げなければならないのだが、それを主人公が死ぬまで続けなければならない。しかも、一回一回の選択肢で正解以外を選べば即逮捕だ。保存先を分けることができないこのゲームにおいて、その逮捕はルートの最初からのやり直しを意味する。

 故に、今までにこのゲームを攻略できた人間はいない。そして、私の見込みだと、このルートの完全攻略には九百時間以上を要する。

 以前、このルートをAIにプレイさせた研究者がいたが、AIは百回目の試行で攻略の放棄を研究者に推奨したらしい。

 それほどの鬼畜難易度のホモゲーを、なぜ美樹が買ったのかはわからないが、兎に角私はこのゲームをそれなりに楽しんでいた。


「攻略の見込みは?」

「全然立ってない。というか、いつになるかもわからない完全攻略どころか、目の前の選択肢を乗り切るだけで精一杯だよ。なんか、攻略率三十パーセントを越えた辺りからたまに五択とか来るんだよ。マジで鬼畜すぎ」

「ま、頑張りなー」

「はいよー」


 そこからは、沈黙の時間が続いた。私は間違えれば一発即死の緊張感に精神を擦り減らし、美樹は黙々とBL本を読み耽っている。

 そんな美樹は自分のことを腐女子ではないというが、真偽の程はわからない。確かに、まだ男同士のプレイには若干引いているようだが、見ている感じ嫌悪感はなさそうだ。

 客観的にはもう充分腐女子だと思うのだが、わからないなぁ。


 数十分後、私は過去最大の難関に差し掛かっていた。もう少しで圭から隙を作り出せそうだというところで出現した選択肢は、まさかの七択。しかも、一見どれも正解に見える。明らかにネタに走っただろーーみたいな選択肢はひとつもない。


「むむむ」

「どうしたよ? …………うわっ、七択。こりゃ、とんでもない」

「多分正解だと思うのはあるんだけど、正直押すのが怖いなぁ」

「大丈夫だよ。ここまで来られた百合音が正解だと思うなら、多分それが正解だよ」

「そうだね。……あ。やばい」

「どったの?」

「く、くひゃみでひょう」

「ええっ? 気合いで堪えろ!」


 そう言われても、鼻の奥がずっとむず痒い。こんなの、気合いで堪えろと言われても……到底無理だ。


「あ、だめ。もうでりゅ」

「ちょ、ちょっとせめてマウスから手をーー」

「くしゅん!」


 ーースッ、カチッ


「あっ」

「あっ」


 くしゃみをした瞬間、手が動いてカーソルが下にずれ、指に力が入りしっかりとクリックしてしまった。

 私が恐る恐る画面を見ると、こちらに迫ってくる圭の姿があった。これはあれだ。おじさん、逮捕されちゃった。


「つ、詰んだ」

「…………嘘でしょ?」


 私も何かの嘘ではないかと思いたくてもう一度画面を見た。しかし、背景がいつの間にか法廷にすり替わっている。

 吹き出し内では、主人公が執行猶予なし懲役十五年の実刑判決を受けていた。そして、エンドロールが流れ始めた。


「本当に、詰んだ」

「うわぁ、こんなしょうもないミスで」

「本当だよぉ。…………うわぁ、泣きそう」


 圭ルートにかけた時間を思い返すと、目頭が熱くなり、視界がぼやけ始めた。


「いや、泣きそうってかもう泣いてんじゃん。とりあえず、涙拭きな? この箱ティッシュで」

「うん、ありがとう。これが男子の使用済みだったらなお良しだったんだけどな」

「え、マジ? それは引くわ」


 私が景気づけに放った一言で、美樹はドン引きしていた。顔が引き攣るどころか、体まで私から遠ざけていた。

 私は大きく溜め息を吐きながら、再び画面を見た。ちょうどエンドロールが終わって、メニュー画面に戻っている。私はエスケープキーを押して、ゲームを終了し、ディスクをドライブから取り出し、ケースに戻した。


「まあいいや。これで、次のゲームができるし」

「確かに、そうやってポジティブに捉えていった方が気が楽だ」

「そうそう。こんな難しいやつじゃなくても、他にホモゲーはいっぱいあるんだから」


 私が少し惜しみながらそう言って「ロストイン公衆便所〜壮年のお兄さんとエトセトラ〜」のケースを他の攻略済みソフトと同じ引き出しに収納していると、美樹が言葉を溢した。


「なにこれ?」

「ん、どうしたの?」


 私がケースを納め引き出しを閉めて、美樹を見ると、美樹はパソコンの液晶を指差して「うーん」と首を傾げている。私も液晶を見ると、メール画面が開いていた。


「なんかいじった?」

「いや、私は何も……」

「じゃあ、なんでだろう」

 パソコンの誤作動かと思ってメールを閉じようとカーソルを赤いバツに合わせて右クリックした。しかし、メールは閉じなかった。


「まさか、フリーズした?」


 そう思ったが、メールの文面をスクロールすることはできた。しかし、他のメールに移動することができなかった。何故か、プラグを抜いてさえ電源を落とすこともできなかった。


 まるで、このメールを読めと言われているかのように。


「異世界への招待状?」

「ん、どうしたの? BLの見過ぎで頭がやられちゃった? それは申し訳ないことをしたね」

「いや、違うって。このメールのタイトルだよ」

「……あ、ほんとだ」


 メールの文面を一番上までスクロールすると、最初の一行にそう大きく書かれていた。

 何かの迷惑メールを疑ったが、他にパソコンでできることがないし電源を落とすこともできないので、ひとまず読んでみる。

 長々しく文章が書いてあったが、その意味はよくわからなかった。同じようなことを何回も書かれている気がするのだが、何回読んでもうまく頭に入ってこない。

 ちゃんと読めているのかすら怪しい。正しい日本語で書いてあるはずなのに、何故か理解できない。

 一番下までスクロールすると、そこには一つのURLが貼ってあった。

 その上には、「GO!」と書いてある。


「なんだろね、これ?」

「さぁ、でも押してみるしかないんじゃない?」

「やっぱ、そうだよね」

「まぁ、異世界召喚の気分が味わえるアミューズメント施設の招待コードとかでしょ」

「だとしたら、夢みたいだけどね。でも、ちょっと気になるかも」


 少し興味を唆られてしまった私は、深く考えることも、よくわからないメールのURLをクリックするという自分の普通じゃない行動にも気づかず、そこをクリックしてしまった。

 するとーー


「うわっ!」

「眩しっ!」


 突如、画面が設定の限界以上の眩しさで光り、私たちは思わず目を腕で覆った。

 そして、一瞬の浮遊感の後、何かに吸い込まれるような感覚に陥ると、やがて何も聞こえなくなった。



  ○◉○◉○



 しばらくすると眩しさが和らぎ、私は目を覆っていた腕を退けた。

 私は真っ白な空間の中にいた。


「どこ…………ここ…………?」

「わからない」

「うわっ! びっくりした」


 急に隣で声がして、吃驚した。

 声を聞くまで気づかなかったが、美樹がいた。しかし、他には本当に何もない。

 どのくらい遠くまで、どのくらい高くまで広がっているのかすらもわからないーーそんな完全な純白な暗黒が窮屈に無限に広がっている。

 私たちが、突然の出来事に困惑しているとーー


「ようこそ、異世界窓口へ」


 前方から声がした。

 見ると、先ほどまで何もなかった場所に椅子があり、そこには黒のロングヘアーで、翡翠色の瞳とビシッと決めたスーツ姿が印象的なお姉さんが立っていた。

 そして、そのお姉さんは言った。


「あなたには、魔王を倒してとある世界を救ってもらいます」

第一話、読んでいただきありがとうございます。


これから、BL描写は減ると思うのでご安心を。代わりに、百合描写が現れる予定です。


ちなみに私は、他にも二作品を書いています。

「魔女:日没の情景」はお気に入りなのでぜひ読んでみてください。


あと、ポイントをつけられる方はつけてください(切実)


よろしくお願いします!


〈追記〉


第一次ブラッシュアップが完了しました。

所々変わっているので、今一度じっくり目を通してみてください。


以降の話と矛盾がありましたら、ご報告して下さると嬉しいです。

本話中か後の話のブラッシュアップで修正します

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― 新着の感想 ―
[一言] 一話の長さが長すぎる気がするから、二、三話に分けたほうがいいんじゃないかな
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